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第34話 勇者、国政に携わる
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軍や政治の要である首都アウビリスが閉鎖されても、国内外とのやり取りが完全に閉ざされるわけではない。
現時点ではオルトー連合国は指定国になっただけで戦争は始まっていないし、僅かな希望だがオルトー連合国が無条件降伏をして平和に終わる可能性もある。
国内では普通の生活が続いていて、ピリピリしているのは国境沿いだけだった。
「今のところ目立った問題はございませんが……何分、いつでも賑やかな街ですから」
自警団の団長が気難しい顔をして港に連なる船を眺めていた。
オルドクの出入国の管理は今までと同様に行っていて、街に溢れる人はそれほど減っていないように見えた。
オルトー連合国からの商人も、数は減っているもののゼロではないと聞いている。
輸出入が盛んなオルドグが活動を止めると、国内外の物流に大打撃を受ける。通常通り活動を続ける代わりに、今の間だけ国境沿いのホーリアと合わせて俺が担当することになっていた。
「しかし、オルトー連合国は降伏などしない様子で、今にも攻撃を開始しようとしていると聞いています」
俺は団長に並んで港の船を眺めつつ、否定とも肯定とも取られないように曖昧に返事をした。
正確には、オルトー連合国は既に攻撃を開始している。今のところは国としての攻撃でなくヴィルドルクに反対する個人がしているだけの誤射とか戯れで済む程度の攻撃だ。
だから、担当地区の勇者が完全に攻撃を打ち消して、オグオンは気付いていないフリをして交渉を続けている。
オグオンが次に動いた時は、本当に戦争が始まる時だ。
「この街は、封鎖しなくて大丈夫なのですか?」
「問題ない。全て見ている」
「全て、ですか?」
「ああ、全て」
港から通りを2本挟んだ路地で、飲み屋の店先に積み上げられていた木箱が崩れた。
木箱と中に詰まったワイン瓶が石畳に落下する。地面に打ち付けられる前に魔術を発動させて、半径1メートル範囲の音を消した。
突然大きな音が響くと、他国から攻撃や過激な平和主義者の反乱と間違えられる可能性があるからだ。
無音のまま飛び散ったワインは誰にも気付かれなかった。俺が修復魔術を掛ける前に、割れた木箱の上にリリーナの分身である黒い小さなネズミが現れる。
縫い糸くらいの細さの尻尾を振ってリリーナが修復魔術をかけると、瓶も木箱も元通りになった。地面に広がっていたワインも一滴残らず瓶の中に入る。
「この膠着状態が一番困りますね。早く戦争を始めてくれれば、すぐに終わるのに」
「……何か気掛かりなことがあれば随時報告してくれ」
団長に言い残して、念の為路地に向かった。
木箱は適当に積み重ねられていて、バランスを崩して倒れただけのようだ。
異常が無いことを確認してから、誰にも見られていないことを確かめて屋根の上の分身の1つと入れ替わる。
オルドグの中でも一際高い商業協会の建物の屋根からは、街を一望することができた。
建物の屋根のほぼ全てに俺の分身の黒い軍鶏が1羽ずつ止まっている。そして、地面にはリリーナの分身が至る所に潜んでいる。
これでオルドグ全域を見張っていて、同じことをホーリアでもやっている。
分身を大量に作るのは俺の専門外だ。魔力が分散し過ぎと連日の徹夜で疲労が溜まっている気がする。
眉間を揉んで頭痛に耐えていると、リリーナの分身の黒いネズミが足元に現れた。ジュジュッと俺に何かを訴えるように鳴いている。
「リリーナ、どうした?」
俺がネズミを見下ろして尋ねると、ネズミはマントを伝って俺の肩の上に乗る。
そして、黒い渦と一緒に膨らんで、リリーナは元の姿に戻った。
「聞いてよ!あたし、もう5回は潰されたわ。ただのネズミと間違えられるの!」
「それは、大変だったな」
リリーナがわざわざ肩の上まで登ってから元に戻ったから、押し潰されるようにして屋根の上に座る。
人が多いオルドグに来るのはいつも渋るリリーナだが、今日は仕事だからちゃんと来ている。
そして、非常事態には勇者の仲間もマントを身に付けることが許されているから、余所行きの白いワンピースの上に俺と同じ勇者のマントを着て、顔が見えないようにフードを被っていた。
地味な服装に文句を言うかと思ったが、誰かとお揃いの服が好きなのか素直に着ていた。
「多分、黒いネズミだから嫌がられるのよ。ピンクとかにしようかしら」
「それはそれで、病気を媒介してそうだな……」
リリーナは街を見張ってはいるが、分身の状態でありながら美味しそうな店に寄って行く。だから、害獣と間違えられて駆除されたり、ネズミ捕りの罠にかかったりしているらしい。
俺の分身は基本的に屋根の上にいるから、肉屋の商品にされたりしない。
「それか、ネズミじゃなくて猫にするとか。猫と鶏って戦ったらどっちが勝つと思う?」
「まさか、俺のと戦わせるつもりか……」
リリーナの話を聞いていると頭痛が酷くなった気がする。
しかし、リリーナも同じだけ寝ていないし分身も俺以上の数を作っているのに平気な様子だ。こういう所は流石モベドスの魔術師だと思う。
「大丈夫?目隠しすれば?」
リリーナは両手を伸ばして、瞼の上から俺の眼球をぐりぐりと揉んで来た。
痛いし雑だが、リリーナの冷たい手で触られて頭痛が少しはマシになった。
「目隠し?」
「そう。分身魔術は数の分だけ視覚が反応しちゃうから、素人は目隠しするのよ」
「素人……」
「あと、子どもとかね」
そう言われると、絶対にしたくなくなってくる。
しかし、リリーナが隈一つ無い、いつも通りつやつやした顔をしているのを見ると、リリーナと比べると俺は素人なんだと思い知らされた。
+++++
事務所で休憩して来ていいと言われて、俺はホーリアの事務所に戻った。
分身は変わらずオルドグとホーリアに散っているが、賑やかなオルドグを離れて少し体が楽になる。
『勇者様、おかえりなサい』
事務所ではクラウィスがキッチンで瓶詰めを作っていて、カルムがその横で酔い潰れて床で眠っていた。
ニーアはしばらく学園から戻って来ないし、リリーナと俺は事務所で食事をする暇がない。仕事は無いし国境沿いのホーリアの街の勇者の事務所にクラウィスを一人で残しておくのは危険だから、日持ちする料理を作って食材を片付けたらクラウィスはプリスタスの孤児院に避難させる予定だ。
『勇者様、棚の料理から先に食べてくだサいね』
「わかった」
『それで、戦争は、まだ始まらないのでスか?』
そうらしい、と答えようとした所で、耳に付けた通信機からぷつん、と通信が開始する音がした。
『西の騎士から東の流民へ』
聞き慣れない女の子の声がする。非常時に養成校の内部で通信元が明かされないように使われる、誰の物でも無い声だ。
『13柱の治癒を始めましょう』
クラウィスが塊肉を塩漬けにしようとしていたが、手を取ってそれを止めた。
「クラウィス、後はやっておくから」
行ってくれ、と言うとクラウィスはすぐにまとめていた荷物を背負った。「暇をいただきまス」と俺に一度頭を下げると、手を振って事務所を出て行った。
プリスタスへの交通網は正常に動いているから、時間はかかるが魔術を使わなくても安全に行き着けることは確認できている。
「手伝おうか」
キッチンの床で寝ていたカルムが素面に戻って俺に尋ねた。クラウィスの料理の手伝いをする時と同じような軽い口調だ。
寝転んでいたせいでローブに砂糖や塩が付いていたが、一端の魔術師に見える。
「国外に勝手に出るとまた怒られるぞ」
「しかし、その方が早く終わる」
こいつは、謙遜というものを知らないのか。
ただ、カルムが参加した方が早く戦争が終わるのは事実だ。その分、ニーアの仕事が減って、クラウィスもすぐに戻って来れる。
俺が黙っていると、カルムは僅かに微笑んで移動魔術で姿を消した。カルムが国外に出たのを見逃したから、俺は後でポテコとオーナーとオグオンに小言を言われるかもしれない。
カルムのあの微笑みは、優秀な魔術師がそうでない者を哀れむ時の表情だ。
腹が立ったお蔭で眠気が消える。オルドクに戻ってリリーナと開戦に備えるとしよう。
現時点ではオルトー連合国は指定国になっただけで戦争は始まっていないし、僅かな希望だがオルトー連合国が無条件降伏をして平和に終わる可能性もある。
国内では普通の生活が続いていて、ピリピリしているのは国境沿いだけだった。
「今のところ目立った問題はございませんが……何分、いつでも賑やかな街ですから」
自警団の団長が気難しい顔をして港に連なる船を眺めていた。
オルドクの出入国の管理は今までと同様に行っていて、街に溢れる人はそれほど減っていないように見えた。
オルトー連合国からの商人も、数は減っているもののゼロではないと聞いている。
輸出入が盛んなオルドグが活動を止めると、国内外の物流に大打撃を受ける。通常通り活動を続ける代わりに、今の間だけ国境沿いのホーリアと合わせて俺が担当することになっていた。
「しかし、オルトー連合国は降伏などしない様子で、今にも攻撃を開始しようとしていると聞いています」
俺は団長に並んで港の船を眺めつつ、否定とも肯定とも取られないように曖昧に返事をした。
正確には、オルトー連合国は既に攻撃を開始している。今のところは国としての攻撃でなくヴィルドルクに反対する個人がしているだけの誤射とか戯れで済む程度の攻撃だ。
だから、担当地区の勇者が完全に攻撃を打ち消して、オグオンは気付いていないフリをして交渉を続けている。
オグオンが次に動いた時は、本当に戦争が始まる時だ。
「この街は、封鎖しなくて大丈夫なのですか?」
「問題ない。全て見ている」
「全て、ですか?」
「ああ、全て」
港から通りを2本挟んだ路地で、飲み屋の店先に積み上げられていた木箱が崩れた。
木箱と中に詰まったワイン瓶が石畳に落下する。地面に打ち付けられる前に魔術を発動させて、半径1メートル範囲の音を消した。
突然大きな音が響くと、他国から攻撃や過激な平和主義者の反乱と間違えられる可能性があるからだ。
無音のまま飛び散ったワインは誰にも気付かれなかった。俺が修復魔術を掛ける前に、割れた木箱の上にリリーナの分身である黒い小さなネズミが現れる。
縫い糸くらいの細さの尻尾を振ってリリーナが修復魔術をかけると、瓶も木箱も元通りになった。地面に広がっていたワインも一滴残らず瓶の中に入る。
「この膠着状態が一番困りますね。早く戦争を始めてくれれば、すぐに終わるのに」
「……何か気掛かりなことがあれば随時報告してくれ」
団長に言い残して、念の為路地に向かった。
木箱は適当に積み重ねられていて、バランスを崩して倒れただけのようだ。
異常が無いことを確認してから、誰にも見られていないことを確かめて屋根の上の分身の1つと入れ替わる。
オルドグの中でも一際高い商業協会の建物の屋根からは、街を一望することができた。
建物の屋根のほぼ全てに俺の分身の黒い軍鶏が1羽ずつ止まっている。そして、地面にはリリーナの分身が至る所に潜んでいる。
これでオルドグ全域を見張っていて、同じことをホーリアでもやっている。
分身を大量に作るのは俺の専門外だ。魔力が分散し過ぎと連日の徹夜で疲労が溜まっている気がする。
眉間を揉んで頭痛に耐えていると、リリーナの分身の黒いネズミが足元に現れた。ジュジュッと俺に何かを訴えるように鳴いている。
「リリーナ、どうした?」
俺がネズミを見下ろして尋ねると、ネズミはマントを伝って俺の肩の上に乗る。
そして、黒い渦と一緒に膨らんで、リリーナは元の姿に戻った。
「聞いてよ!あたし、もう5回は潰されたわ。ただのネズミと間違えられるの!」
「それは、大変だったな」
リリーナがわざわざ肩の上まで登ってから元に戻ったから、押し潰されるようにして屋根の上に座る。
人が多いオルドグに来るのはいつも渋るリリーナだが、今日は仕事だからちゃんと来ている。
そして、非常事態には勇者の仲間もマントを身に付けることが許されているから、余所行きの白いワンピースの上に俺と同じ勇者のマントを着て、顔が見えないようにフードを被っていた。
地味な服装に文句を言うかと思ったが、誰かとお揃いの服が好きなのか素直に着ていた。
「多分、黒いネズミだから嫌がられるのよ。ピンクとかにしようかしら」
「それはそれで、病気を媒介してそうだな……」
リリーナは街を見張ってはいるが、分身の状態でありながら美味しそうな店に寄って行く。だから、害獣と間違えられて駆除されたり、ネズミ捕りの罠にかかったりしているらしい。
俺の分身は基本的に屋根の上にいるから、肉屋の商品にされたりしない。
「それか、ネズミじゃなくて猫にするとか。猫と鶏って戦ったらどっちが勝つと思う?」
「まさか、俺のと戦わせるつもりか……」
リリーナの話を聞いていると頭痛が酷くなった気がする。
しかし、リリーナも同じだけ寝ていないし分身も俺以上の数を作っているのに平気な様子だ。こういう所は流石モベドスの魔術師だと思う。
「大丈夫?目隠しすれば?」
リリーナは両手を伸ばして、瞼の上から俺の眼球をぐりぐりと揉んで来た。
痛いし雑だが、リリーナの冷たい手で触られて頭痛が少しはマシになった。
「目隠し?」
「そう。分身魔術は数の分だけ視覚が反応しちゃうから、素人は目隠しするのよ」
「素人……」
「あと、子どもとかね」
そう言われると、絶対にしたくなくなってくる。
しかし、リリーナが隈一つ無い、いつも通りつやつやした顔をしているのを見ると、リリーナと比べると俺は素人なんだと思い知らされた。
+++++
事務所で休憩して来ていいと言われて、俺はホーリアの事務所に戻った。
分身は変わらずオルドグとホーリアに散っているが、賑やかなオルドグを離れて少し体が楽になる。
『勇者様、おかえりなサい』
事務所ではクラウィスがキッチンで瓶詰めを作っていて、カルムがその横で酔い潰れて床で眠っていた。
ニーアはしばらく学園から戻って来ないし、リリーナと俺は事務所で食事をする暇がない。仕事は無いし国境沿いのホーリアの街の勇者の事務所にクラウィスを一人で残しておくのは危険だから、日持ちする料理を作って食材を片付けたらクラウィスはプリスタスの孤児院に避難させる予定だ。
『勇者様、棚の料理から先に食べてくだサいね』
「わかった」
『それで、戦争は、まだ始まらないのでスか?』
そうらしい、と答えようとした所で、耳に付けた通信機からぷつん、と通信が開始する音がした。
『西の騎士から東の流民へ』
聞き慣れない女の子の声がする。非常時に養成校の内部で通信元が明かされないように使われる、誰の物でも無い声だ。
『13柱の治癒を始めましょう』
クラウィスが塊肉を塩漬けにしようとしていたが、手を取ってそれを止めた。
「クラウィス、後はやっておくから」
行ってくれ、と言うとクラウィスはすぐにまとめていた荷物を背負った。「暇をいただきまス」と俺に一度頭を下げると、手を振って事務所を出て行った。
プリスタスへの交通網は正常に動いているから、時間はかかるが魔術を使わなくても安全に行き着けることは確認できている。
「手伝おうか」
キッチンの床で寝ていたカルムが素面に戻って俺に尋ねた。クラウィスの料理の手伝いをする時と同じような軽い口調だ。
寝転んでいたせいでローブに砂糖や塩が付いていたが、一端の魔術師に見える。
「国外に勝手に出るとまた怒られるぞ」
「しかし、その方が早く終わる」
こいつは、謙遜というものを知らないのか。
ただ、カルムが参加した方が早く戦争が終わるのは事実だ。その分、ニーアの仕事が減って、クラウィスもすぐに戻って来れる。
俺が黙っていると、カルムは僅かに微笑んで移動魔術で姿を消した。カルムが国外に出たのを見逃したから、俺は後でポテコとオーナーとオグオンに小言を言われるかもしれない。
カルムのあの微笑みは、優秀な魔術師がそうでない者を哀れむ時の表情だ。
腹が立ったお蔭で眠気が消える。オルドクに戻ってリリーナと開戦に備えるとしよう。
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