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卯月
第十一話
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立ち呑み屋で一杯ぐらいのつもりであったが、彼に連れられて入った店は、カジュアルな雰囲気のバーであった。ほの暗い暖色の照明に、店内に流れるジャズが週末の夜を演出する。
カウンター席に腰かければ、森岡は慣れたようにモスコミュールを注文したので、同じものを頼んだ。バーテンダーは流れるような所作で、二つのカクテルを仕上げてみせた。
ロンググラス同士をぶつけて乾杯する。グラスに口をつければ、ライムの爽やかな匂いと生姜の辛さが絶妙にマッチしていた。
「生産管理部ってどんなことしているんですか?」
「んー地味な仕事だよ。俺は品質部門担当だから、企画部が持ってきた試作品の品質評価がメインかな」
「うわーなんか難しそうですね」
「そうかな?営業部の方がノルマとか厳しいイメージあるけど、」
ツマミのナッツを口にしながら、とりあえず共通の話題である互いの仕事について語り合ってみる。森岡は話を聞くのが得意らしく、言葉のやり取りがしっくりときて心地好い。
バーテンダーがシェイカーを振った。シャカシャカと涼やかな音に心が踊る。振り終わったシェイカーからタンブラーに注ぎ入れ、氷とソーダ水でグラスを満たして、軽くステアする。
「どうぞ」
バーテンダーの長い指先で、そっと目の前にタンブラーが差し出された。ニ杯目に頼んだジン・フィズは、柑橘系の匂いが鼻を抜けて、ソーダーが喉で弾けた。
森岡はカウンターに肘をついて、微笑みを貼り付かせている。じいっと俺の横顔を見つめてくる瞳に、どことなく居心地が悪くて、小首を傾げてみせた。森岡はくすりと笑うと、耳元で小さく囁いた。
「佐倉さんって、ゲイですよね」
グラスを持つ手が固まった。
カランと氷が転がる音が響く。
「あ、俺もゲイなんで、」
至近距離で、にこりと笑われた。森岡の唇からアルコールの臭いがする。
「…………そう、なんだ、」
一瞬、心臓が止まったかと思った。同僚に露呈するとは思わなかった。うまく隠して生きてきたつもりであったが、同じ性癖の彼には、勘づかれてしまっても不思議ではないのかもしれない。
「同僚に仲間がいるっていいですね」
「そうかな、」
嬉しそうに微笑む彼に、急に不安が沸き上がった。彼と『ここ』に居ることは、正しいことなのだろうか。
「佐倉さんは、どっちですか?」
森岡の視線が、下から撫で上げるように注がれる。好色そうな熱っぽい瞳に、身体が強張った。森岡は、ククッと喉の奥で笑うと、俺の肩をポンッと叩いた。
「そんなに警戒しないでください。俺はバリネコなので、」
「…………そっか、」
急に肩の力が抜けた。一瞬、口説かれているような気になった。気恥ずかしくて頬をかく。自意識が過ぎたようだ。
「やっぱり、ネコなんですね」
森岡は上機嫌で、グラスを傾ける。自分の勘所が当たって満足しているのだろう。
「それより、こっちに転勤してきてから、出会いがなくて寂しいんですよね。どこかいい店、知りませんか?」
なるほど。新天地に来て二ヶ月ほど、そのような出会いの場所を探しているのか。それで、同族らしい俺に声をかけてきたのだと思えば腑に落ちた。
「……俺は、ここずっと、その手の店には行っていないから、わからないな」
「そうですか、」
「役に立てなくて悪いな」
「いえいえ、」
残念そうな顔に、申し訳ない気分になって、苦笑いした。残念ながら、俺には、彼の望むような引き出しは持ち合わせていなかった。彼にとっては、空振りもいいところだろう。
「佐倉さんってパートナー、いるんですか?」
「うん……もう十年以上になるかな」
「すご……」
森岡は、絶句とばかりに目を丸くした。
「飽きたりしないんですか?」
「…………飽きるとかじゃないから、」
「いや、飽きるでしょ」
俺の答えに納得できないのか、詰め寄ってくる男に、少し焦る。
「うーん、そうだな、もう空気みたいな存在かな?」
「あー……惰性で付き合っている感じですか?」
男に呆れたように笑われて、グラスに目を落とす。「惰性で付き合っている」と言われれば、そうなのかもしれない。
「そうだな。居るのが当たり前になってて、でも、居ないと生きていけないんだ。……空気ってそういうものだろ?」
牧原貴俊の顔が浮かぶ。この先も、貴俊の側に居ることはできるのだろうか。こんなに深く、深く、貴俊に依存しているなんて、思わなかった。
「あはは、なんだ惚気だったんですか?」
肩をポンッと叩かれて、カァと顔が赤くなる。酔いに任せて、恥ずかしいことを言ってしまったことに気づいた。
「佐倉さんって一途なんですねー。いやー彼氏さんが羨ましいな」
「もう、忘れてくれよ」
意地悪くからかわれて、思わずムッとしてしまう。「ごめんなさい」とは口ばかりで、可笑しそうに笑われる。
「あの、佐倉さんさえよければ、また、こうして呑んだりできませんか?こんな話できる人、なかなかいないので」
ほろ酔いの森岡は、愉しそうに笑っている。
「うーん、誰か紹介できるわけでもないけど、」
思い出そうにも、同族の知り合いはほとんどいなかった。
「俺は佐倉さんと呑めれば、それだけで楽しいですけど、」
「……じゃあ、たまになら、」
胸が温かくなる。今夜は俺も楽しかった。貴俊のことを誰かに話したのは、初めてのことだった。多少、からかわれてしまったけれど。
「じゃあ、また誘いますね」
男は飲みかけのグラスを掲げてきた。コツンとグラス同士をぶつければ、約束が結ばれた合図となった。
カウンター席に腰かければ、森岡は慣れたようにモスコミュールを注文したので、同じものを頼んだ。バーテンダーは流れるような所作で、二つのカクテルを仕上げてみせた。
ロンググラス同士をぶつけて乾杯する。グラスに口をつければ、ライムの爽やかな匂いと生姜の辛さが絶妙にマッチしていた。
「生産管理部ってどんなことしているんですか?」
「んー地味な仕事だよ。俺は品質部門担当だから、企画部が持ってきた試作品の品質評価がメインかな」
「うわーなんか難しそうですね」
「そうかな?営業部の方がノルマとか厳しいイメージあるけど、」
ツマミのナッツを口にしながら、とりあえず共通の話題である互いの仕事について語り合ってみる。森岡は話を聞くのが得意らしく、言葉のやり取りがしっくりときて心地好い。
バーテンダーがシェイカーを振った。シャカシャカと涼やかな音に心が踊る。振り終わったシェイカーからタンブラーに注ぎ入れ、氷とソーダ水でグラスを満たして、軽くステアする。
「どうぞ」
バーテンダーの長い指先で、そっと目の前にタンブラーが差し出された。ニ杯目に頼んだジン・フィズは、柑橘系の匂いが鼻を抜けて、ソーダーが喉で弾けた。
森岡はカウンターに肘をついて、微笑みを貼り付かせている。じいっと俺の横顔を見つめてくる瞳に、どことなく居心地が悪くて、小首を傾げてみせた。森岡はくすりと笑うと、耳元で小さく囁いた。
「佐倉さんって、ゲイですよね」
グラスを持つ手が固まった。
カランと氷が転がる音が響く。
「あ、俺もゲイなんで、」
至近距離で、にこりと笑われた。森岡の唇からアルコールの臭いがする。
「…………そう、なんだ、」
一瞬、心臓が止まったかと思った。同僚に露呈するとは思わなかった。うまく隠して生きてきたつもりであったが、同じ性癖の彼には、勘づかれてしまっても不思議ではないのかもしれない。
「同僚に仲間がいるっていいですね」
「そうかな、」
嬉しそうに微笑む彼に、急に不安が沸き上がった。彼と『ここ』に居ることは、正しいことなのだろうか。
「佐倉さんは、どっちですか?」
森岡の視線が、下から撫で上げるように注がれる。好色そうな熱っぽい瞳に、身体が強張った。森岡は、ククッと喉の奥で笑うと、俺の肩をポンッと叩いた。
「そんなに警戒しないでください。俺はバリネコなので、」
「…………そっか、」
急に肩の力が抜けた。一瞬、口説かれているような気になった。気恥ずかしくて頬をかく。自意識が過ぎたようだ。
「やっぱり、ネコなんですね」
森岡は上機嫌で、グラスを傾ける。自分の勘所が当たって満足しているのだろう。
「それより、こっちに転勤してきてから、出会いがなくて寂しいんですよね。どこかいい店、知りませんか?」
なるほど。新天地に来て二ヶ月ほど、そのような出会いの場所を探しているのか。それで、同族らしい俺に声をかけてきたのだと思えば腑に落ちた。
「……俺は、ここずっと、その手の店には行っていないから、わからないな」
「そうですか、」
「役に立てなくて悪いな」
「いえいえ、」
残念そうな顔に、申し訳ない気分になって、苦笑いした。残念ながら、俺には、彼の望むような引き出しは持ち合わせていなかった。彼にとっては、空振りもいいところだろう。
「佐倉さんってパートナー、いるんですか?」
「うん……もう十年以上になるかな」
「すご……」
森岡は、絶句とばかりに目を丸くした。
「飽きたりしないんですか?」
「…………飽きるとかじゃないから、」
「いや、飽きるでしょ」
俺の答えに納得できないのか、詰め寄ってくる男に、少し焦る。
「うーん、そうだな、もう空気みたいな存在かな?」
「あー……惰性で付き合っている感じですか?」
男に呆れたように笑われて、グラスに目を落とす。「惰性で付き合っている」と言われれば、そうなのかもしれない。
「そうだな。居るのが当たり前になってて、でも、居ないと生きていけないんだ。……空気ってそういうものだろ?」
牧原貴俊の顔が浮かぶ。この先も、貴俊の側に居ることはできるのだろうか。こんなに深く、深く、貴俊に依存しているなんて、思わなかった。
「あはは、なんだ惚気だったんですか?」
肩をポンッと叩かれて、カァと顔が赤くなる。酔いに任せて、恥ずかしいことを言ってしまったことに気づいた。
「佐倉さんって一途なんですねー。いやー彼氏さんが羨ましいな」
「もう、忘れてくれよ」
意地悪くからかわれて、思わずムッとしてしまう。「ごめんなさい」とは口ばかりで、可笑しそうに笑われる。
「あの、佐倉さんさえよければ、また、こうして呑んだりできませんか?こんな話できる人、なかなかいないので」
ほろ酔いの森岡は、愉しそうに笑っている。
「うーん、誰か紹介できるわけでもないけど、」
思い出そうにも、同族の知り合いはほとんどいなかった。
「俺は佐倉さんと呑めれば、それだけで楽しいですけど、」
「……じゃあ、たまになら、」
胸が温かくなる。今夜は俺も楽しかった。貴俊のことを誰かに話したのは、初めてのことだった。多少、からかわれてしまったけれど。
「じゃあ、また誘いますね」
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