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それじゃ、ダメなんです。
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「――――行きたいところがある。セリーヌ」
「え?」
ベルン公爵の誘いは、突然だった。部屋から出てからの、ベルン公爵の進化は留まるところを知らない。私は本当にベルン公爵にふさわしいだろうかと不安になってしまうほどに。
「……付き合ってほしい場所があるんだ。ずっと行くことができなかったから」
「――――喜んで」
ベルン公爵が、外に出ることができたなら、本当は一番最初に行きたかった場所を私は知っている。
それは、華やかな王宮なんかじゃなくて……。
「ありがとう……。婚約の報告を、まだしていなかったから」
ベルン公爵と馬車に乗り、ついた場所は小高い丘の上だった。
王宮も、フェンディス公爵家の屋敷も一望できる、見晴らしのいい場所。
柔らかな光が、徐々に強い日差しへと変わっていく。どこまでも広く、青い空。
どこかで小鳥が鳴いている。
「――――ここで、ベルン様のご家族は眠っているんですね」
「そうだ……。結局、一度もここに来ることは叶わなかった」
墓標の前にしゃがみこんだベルン公爵が、そっと地面に白い花束を置いた。
「……ベルン公爵のご家族は、どんな方々だったんですか?」
「――――父のことは尊敬していた。宰相として忙しかったからなかなか会えなかったけれど、十五歳になる前から、よく仕事にも連れて行ってもらっていた。母は、優しい人だった。口数は少なかったけど、いつも暖かな笑顔で迎え入れてくれた」
ベルン公爵が、幸せの中で育ってきたことが目に浮かぶ。
でも、もう一人いるはずだ。
「――――姉とはよくケンカした。活発で、でも優しい人だった。美しくて、気高くて……。あの出来事は、姉が隣国に嫁ぐことが決まった直後の出来事だった。姉だけは、隣国の王子と会うために屋敷にはいなかったから」
ベルン公爵の髪の毛を、突風が乱していく。
自然の風ではない、魔力を含んだ強い風が。
「姉は、俺さえいなければきっと今も」
「ベルン様?」
「俺のことを助けようとしなければ……」
ベルン公爵のお姉様が、身代わりになった話は聞いていた。でも、それはベルン公爵のせいではないのに。
それに、感じ始めた違和感は徐々に私の中で大きくなっていく。そう、今みたいに雷が鳴る直前、黒い雲があっという間に青い空を埋め尽くしていくように。
――――今みたいに?
その瞬間、地面が揺れるほどの雷鳴が轟いた。
「……雨が降る。帰ろうか」
「は、はい」
さっきまで、あんなに青かった空が、急に薄暗くなり湿った空気が流れ込んでくる。
でも、こんな雷……どこかで見たような気がする。
その答えを屋敷に帰り着いたとき、私は理解する。
――――初めてこの家に来た日。それまで天気が良かったのに、なぜか屋敷に雷がまとわりついているみたいだった。
やっぱり、屋敷に入る直前に大粒の雨が降り始めたから、私たちは慌てて中に駆け込んだ。
「……あの、ベルン様」
少し濡れてしまった私の髪の毛を一言も発さずに拭くベルン公爵の様子が心配になって、思わず私はその名前を呼ぶ。暫しの沈黙のあと、ベルン様が口を開く。
「……もしも、俺が呪いを受けた姿のままだとしたら、セリーヌはどう思う」
「大歓迎です! 一生そばにいてください!」
もしも、そうだとしたら、一生そばで暮らしたい。理想のモフモフとの生活。最高に幸せに違いない。
「想定以上の答えだな……。こんな場面でプロポーズされるとは思わなかったよ」
そう言われると、これでは確かにプロポーズだ。でも、羞恥心よりも先に来るのは……。
「それなら俺と……」
髪の毛を拭いてくれていたその手を掴む。少し冷えたその手を。
「――――でも、ベルン様が心から望んでいないからダメです」
「……え?」
私は目をつぶる。浮かぶのは、暖かくてとても幸せな未来だ。
「モフモフなままのベルン様と結婚して、毎日その毛並みに埋もれるみたいに幸せに過ごすんです! 私、家の中にいる方が好きなので、二人で引きこもりましょう? ぬるま湯に浸かっているみたいに、穏やかで幸せな毎日で……しばらくしたら、モフモフの子どもたちがたくさん生まれるんですよ」
「……え? 子どもたちはこの姿じゃない方が」
――――その案は採用できません!
「……私は幸せです。大好きなモフモフに囲まれて。……ううん、大好きな人たちとずっと一緒にいられるから」
どうしてだろう。幸せな未来の話をしているのに、こんなに目から雫が零れ落ちるのは。ほんの少し前までなら、きっとそんな理想的な未来を、笑いながらベルン公爵に話すことができたのに。
「……そんな未来を私と過ごすのはどうですか?」
「それ以上の幸せは、きっとどこにもないな。……でもきっと、セリーヌは時々そんな顔をするんだろう? 俺に見えない場所で」
「……たぶん、ベルン様の澄んだ新緑の森の空気みたいな瞳も曇ってしまうに違いありません」
「その幸せを守るだけの力を、夢見たいなその未来の俺は持ってない」
私はどこかで気がついてしまっている。
モフモフの姿のままの方が、きっと簡単で幸せなんだって。
「セリーヌを守りたい」
その瞬間、ポフンッと音がして魔法にかかる。そう、これは呪いではなくきっと愛するものを守るための魔法の類。
私の前にいた人は見慣れたモフモフの塊になっていた。
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