上 下
39 / 47
第3章

その色の髪の乙女

しおりを挟む


「まさか、ガルシア国王陛下自らお越しいただけるとは……。感謝いたします」

 一番初めに口を開いたのは、シェアザード兄様だった。実戦では、どちらかというと、戦況を分析してから動くタイプのシェアザード兄様。

 交渉の先では、どちらかと言うと先手必勝スタイルだ。

「シェアザード・ルンベルグ殿。貴殿の噂は、この地にまで届いている。お手柔らかに頼む」

 言葉の内容に反して、ジークハルト陛下からは、どこか殺気にも似た圧を感じる。
 不安になってチラリとシェアザード兄様を見上げる。

 シェアザード兄様は、笑っていた。

「……単刀直入に言いましょう。リリーナの、安全を保証し、我らと協力体制を築きますか? 否であれば、リリーナとディオスを、何としても連れ帰ります」
「本当に、単刀直入だな。いつもこうなのか?」
「いいえ。ですが、こういった歯に衣着せぬ物言いの方が、ガルシア国王陛下のお好みに沿うかと」
「……そうだな、その通りだ。それにしても、ルンベルグの人間は、皆こんな感じなのか? 欲しいな」

 笑ったまま、先ほどまでの圧を和らげるジークハルト陛下。だが、逆にピリピリとした空気をシェアザード兄様から感じる。

「……芳しいラベンダー色の髪、その瞳は、豊穣を表す葡萄の色だ。ルンベルグから嫁ぎ、初代魔王の妃になった乙女と同じ色。そして、三百年前の戦火の元になった乙女の色でもある」
「――――陛下。俺たちは、全員リリーナが巻き込まれることを望みません」
「……それは、難しいだろうな。選べるのは、ベールンシアの礎としてその身を捧げるか、まぁ、あちら側の人間に言わせるならば、魔王の手に堕ちるか、その二つしかないだろう」
「――――ガルシア国側についたならば」

 すっ、と葡萄色の瞳が弧を描く。
 その存在感に、背中がぞくり、と震える。この人は、本当に魔王なのだ……。
 でも、この国の人たちは、幸せそうに過ごしている。
 そして、多種多様な民族……。私だけの力では、決して叶わない。私は、この国が、好きになっている。

 ジークハルト陛下が言う、ベールンシアの礎というのは、悪役令嬢の運命にどこか重なる。

「シェアザード殿。だが、すでに、ディオスはこちら側を選んだ。なぜなら、ベールンシアには、リリーナ・ルンベルグが生き残る運命が存在していないからだ」

 私たちを守るように、背を向けているから、ディオス様の表情は、分からない。
 もう、乙女ゲームのシナリオは、見る影もなく壊れてしまった。

「なあ、そうだろう? ディオス」
「――――俺の命も、剣も、全てがリリーナのためだけにあります。あなた側についたというのは、語弊があります」
「それでいい……。だが、リリーナがもし、俺を選んだらどうする?」

 ――――え? いったいなんで、そんな話になっているのですか?
 悪役令嬢が、魔王を選んだりしたら、それこそ闇堕ちになってしまう。
 それに、私はディオス様のことが……。

「――――俺は、リリーナの選択を」

 ディオス様の、感情を感じられない声。私は思わず、安心できるシェアザード兄様の腕の中から逃れて、ディオス様の正面へと回り込む。

「ディオス様」
「……リリーナ」

 無表情に見えた、ディオス様の瞳は、私が映ったとたんに、分かりやすく揺らいだ。
 私が、ディオス様以外を選択するなんて、あり得ないのに。
 それなのに、私がまるで、ディオス様ではなく、ほかの誰かを選ぶとでもいうように。

「すべてを秤にかけた時、リリーナ嬢が選ぶのが何なのか、楽しみにしている。願わくば、我が国と民を守ってくれると嬉しいのだが?」
「えっ、それはどういう」

 答えのないまま、まるで何かを懇願するみたいに、私の手の甲に、額を付けたジークハルト陛下。
 私と同じ葡萄色の瞳に見つめられると、鏡を覗き込んだような錯覚に陥る。

「……ガランド殿にお伝えしてくれ。魔獣が、この国からあふれ出す日は近い。聖女の力だけでは、ベールンシア国に魔獣が流れ込むのをもう止められないだろう。結論が出たならば、竜を駆ってお迎えに上がると」
「――――必ず、伝えましょう」

 竜を駆って迎えに来るという言葉。それは、ルンベルグがベールンシアから離反することを意味するのに、遠回しの否定すらしない、シェアザード兄様。
 魔獣が流れ込むというのも、不穏すぎる。乙女ゲームには、そんな展開なかったのに。

 おそらく、私とディオス様は、変えてはいけない何かを、変えてしまったのだ。
 
 私は、小さく震える手で、思わずディオス様のマントを握りしめる。
 戦い続けてきた、ディオス様。
 ベールンシア王国では、魔獣が流れ込んでくることを、魔王が戦争を仕掛けてきたと信じ込まされてきた。

 けれど、もしディオス様が、戦い続けていなければ、強大な魔獣たちは、どこへ向かったのだろう。

「ディオス。時間稼ぎは、そろそろ終わりだ」
「――――陛下」
「誰かの犠牲の上に成り立つ偽りの平和に、リリーナを捧げるか。戦いの道だとしても、リリーナを守るのか。あの日、お前に投げかけた選択の答え合わせの時間だ」

 強い風が、もう一度吹き荒れる。
 ディオス様にかばわれた私は、その表情を見ることはできない。

 ただ、私を抱きしめる腕は、決して離さないとでもいうように、マントの中に私を隠した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,509pt お気に入り:5,785

【本編完結】旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,847pt お気に入り:6,912

失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:10

魔女のなりそこない。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,616pt お気に入り:777

悪役令嬢を愛した転生者の母

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:24

エメ・リヴィエールは逃げられない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:52

毒状態の悪役令嬢は内緒の王太子に優しく治療(キス)されてます

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:65

処理中です...