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第2章
夫婦の甘い食卓
しおりを挟む今日もアシェル様の帰りは遅い。
けれど、たくさんの仕事を抱えていることを知るにつれて、結婚してからの一年間早く帰るためにどれほど努力してきてくれていたのかわかるようになってきた。
今夜も夕食というには少々遅い時間だ。
けれど、夫婦の部屋から窓の外を眺めていればアシェル様が玄関に入るまで、いつもより早足なことがよくわかる。
アシェル様は息を整えると、軽く身だしなみを整えてベルを鳴らした。
こんなにも可愛い人だと知らなかった一年間、私は完全にアシェル様のことを誤解していた。
(さあ、アシェル様を出迎えましょう)
私はベルの音に反応した愛犬みたいに階段を勢いよく駆け下りて玄関に向かう。
愛しい旦那様を出迎えるために。
「おかえりなさいませ、アシェル様!」
「――ただいま、フィリア」
勢いをつけたまま、アシェル様に抱きつく。
ほんの少しだけ重心がぶれたけれど、アシェル様は私のことをしっかりと抱き留めてくれた。
実はアシェル様は、私に結婚を申し込むときにカインお兄様に決闘を挑んだときのことを今でも気にしているらしい。
このままでは私のことを守り切ることができないと、カインお兄様から教えて貰った自主トレーニングのメニューを地道にこなしているのだ。
アシェル様は宰相で素晴らしい判断力や知識を持っている。
そこに剣の腕まで加わったら、ますます人気者になってしまうのではないかと私の心配は増すばかりだ。
先日そんなことをつい口にしてしまったら「腹黒宰相と言われている自分を好いてくれる女性は君くらいだ」と言っていた。たぶんそれはアシェル様にとって本音なのだ。
(ここまで格好よくて、優しくて素敵な人なんて大陸中探してもアシェル様しかいないと思うわ)
私の旦那様は少々自己評価が低い。そんなことを思っていると、ヒョイッとお姫様抱っこされた。
「フィリア、まだ食事をしていないだろう?」
「ええ、今日は早く帰ると仰っていたのでお待ちしていました」
「……遅くなって済まない」
「今日もトラブルが起きたのですか?」
「トラブル……? そうだな、少々面倒くさいことになってはいるが……君が気にすることではない」
この国の政はアシェル様の手腕でまわっていると言っても過言ではない。
それでも最近は、宰相補佐のジョルシュ様を皮切りに才能豊かな平民たちが文官として登用されて、徐々に変わりつつあるという。
アシェル様がお忙しかったのは、平民を登用するという大きな変革のためでもあったのだ。
(今の言葉、私のことを突き放すようにも聞こえるけど……つまり私の生家であるフォルス辺境伯家、あるいは私自身が関係していることで何かあったということよね)
アシェル様が私のことを突き放すような冷たい言葉を吐くときは、大抵私を問題ごとから遠ざけようとしているのだ。
それ以外ときにはアシェル様が口にする言葉は子ども扱いされているのかと思えるほど甘ったるくて優しいのだから……。
そんなことすら気がつかずに、ただアシェル様を無邪気に出迎え愛されていないと悩むばかりだった結婚から一年間の私が許しがたい。
アシェル様も包み隠さずなんでも話してくれれば良いのに、と思わなくもないけれど……。
(とはいえ、フォルス辺境伯家で何かが起こったという報せはお兄様から入ってきていないわ……では、一体何があったというのかしら)
「どうした……フィリア、難しい顔をして」
「アシェル様はお忙しいのに、ただ帰りを待つしかできない自分が不甲斐なく思えるのです」
宰相の地位にいれば妻であろうとおいそれとなんでも話すわけには行かないだろう。
アシェル様を問いただしたい気持ちを抑えそう言っているのに、なぜかクッと小さな笑い声が聞こえてきた。
子ども扱いされているのかと頬を膨らませると、深いグリーンの瞳が私を愛しげに見下ろしてくる。
「――君がいるから頑張れるんだ」
「……え?」
「君と結婚する前は、ただ目の前の仕事に忙殺され、楽しいと思うこともなく、国のために役立つだけが自分の価値だと思っていた」
「そんな……! アシェル様は素晴らしい方です!」
アシェル様は、私の言葉に返答せずに少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
私を抱き上げている腕の力が強まる。
「君と出会う前にどんなふうに生きていたかもう思い出せない」
食堂に着くと、アシェル様は私のことを椅子に座らせて髪を一房手にした。
そっと髪に口づけが落とされる。ブワリと全身が上気してしまう。
「さあ、食事にしようか」
「――はい」
二人で並ぶ食事時間は、以前にも増して温かくて幸せだ。
たわいのない会話をしているうちに、話題はお茶会のドレスへと移っていった。
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