異世界転移でアイドルから聖女に~歌声が奇跡をもたらすようです~

snow

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光は、前触れもなく訪れた。







足元がほどける感覚と同時に、身体が宙に投げ出される。
声を出そうとしても、喉がひくつと引きつるだけで、空気が肺に入ってこない。















――落ちる。















そう思った瞬間、ふわりと足裏に硬い感触が戻った。





冷たい。
石だ。





目を開けると、そこは見上げるほど高い天井を持つ、巨大な教会だった。
色とりどりのステンドグラスから差し込む光が、白い床に淡く模様を描いている。
香の匂いが濃く、空気は張り詰めていた。

そして。

ざわり、と人の気配が動いたかと思うと――
一斉に、音が消えた。

気づけば、視界の端から端まで、黒衣や白衣の人々が膝をつき、深く頭を垂れている。
誰一人、顔を上げない。

(……え)

胸が、ぎゅっと縮んだ。

話しかけられると思った。
問い詰められると思った。
ここはどこだ、誰だ、お前は何者だと。

けれど、誰も何も言わない。
ただ、恐れるように、敬うように、沈黙している。

るりいは、気づいてしまった。

――自分が、異様に高い場所に立っていることに。

足元を見る。
そこは、教会の中央に据えられた、十字架を象った巨大な祭壇だった。
数段ではない。
一人で降りるには、あまりにも高い。

(……降りられない)

怖くて、足がすくむ。
声を出そうとしても、喉が震えるだけだった。

そのとき。

天井の奥から、重なり合うような声が響いた。

人の声ではない。
男でも女でもない。
ただ、世界そのものが語っているような――そんな響き。






けれど私はこの声を知っている。





父      アポローンだ




『告げる』





教会中の空気が、さらに張りつめる。









『ここに降り立つは、聖女である我が娘』








光が、るりいの頭上に集まった。
 






『名を、瑠璃彩(るりい)』







ざわ、と人々が息を呑む気配が伝わる。










『神代より語り継がれし、世界を繋ぐ声を
持つ者』







『その身、その存在こそが、神意である』









言葉は淡々としていた。

説明するようで、感情は一切ない。

るりいの心だけが、置き去りになる。





(……違う)





歌えない。
今は、怖くて、声すら出ない。





(こんなの、私じゃない)








『人よ、敬え』



『王よ、頭を垂れよ』




『この者は、汝らの上位に立つ』








『我が娘を頼んだぞ』








光が収まり、神の声は消えた。








沈黙。

誰も顔を上げない。
誰も、るりいを見ようとしない。





(……こわい)


 



敬われている。
でも、それは――触れてはいけないものとして、遠ざけられているのと同じだった。




逃げ場がない。


高い祭壇の上で、ひとり。






そのとき、ゆっくりと足音が響いた。





静寂を裂くように、しかし乱さない、穏や
かな足取り。



人の列が、自然と道を開ける。



一人の青年が、前へ進み出た。

豪奢な服装、金髪碧眼の絵本から飛び出た王子様のような容姿、
それでいて、どこか控えめな佇まい。




彼は祭壇の前で立ち止まり、深く息を吸ってから、静かに頭を下げ跪いた。



「初めまして、聖女様」

低く、柔らかな声。

「私の名は、リディム・アインバルト」

「我が国…アインバルトの王太子です。」






リディムは、瑠璃彩を見上げた。






その視線には、畏怖も、期待も、失望もなかった。
あるのは、ただ――心配。

彼は、ゆっくりと手袋を外した。
白い素手を、そっと差し出す。







「お手を、どうぞ」




周囲が、息を止めた。







聖女に、触れる。
それは、許されない行為のはずだった。

瑠璃彩は、動けない。





  
怖い。







何をすればいいのか分からない。









すると……

「そこは高い」





リディムは、変わらぬ声で続ける。

「降りるのが、怖いでしょう」






……どうして。






どうして、この人は。










「大丈夫です」










彼の目は、まっすぐだった。








「落としたりしません」









るりいの指先が、かすかに震えた。









怖くて歌えないかもしれない。
話せない。
聖女失格かもしれない。







それでも。
















差し出された手は、あたたかそうだった。

ゆっくりと、恐る恐る、るりいはその手に触れた。





















その瞬間――



初めて、地上と繋がった気がした。

リディムは慎重に、瑠璃彩を祭壇から下ろす。
神の座から、人の高さへ。




誰も止めなかった。
止められなかった。






歩き出す前、彼は小さく声を落とす。


一拍置いて。


「もし許されるなら」

声は、さらに優しくなる。

「ルリイ様と、お呼びしても?」






返事はできない。






でも、瑠璃彩は――
逃げなかった。



話せなかったが頷くことはできたのである。


そして王太子にエスコートされながら馬車に乗り王宮へ向かった。








馬車は静かに走り出した。



車輪の音は不思議と耳に優しく、揺れも少ない。

まるで、瑠璃彩を驚かせないように配慮されているかのようだった。

向かいに座るリディムは、こちらをじっと見つめたりはしない。

視線は窓の外、けれど意識は確かに瑠璃彩のほうに向いている。

話しかけてこない。
沈黙を、壊さない。




それが、ひどくありがたかった。





やがて馬車が止まる。




扉が開かれた瞬間、外の光に思わず目を細めた。





そこにあったのは――
白く高くそびえる王宮だった。










(……大きい)
   










教会とは違う。
神聖というより、威厳。

けれど、怖さより先に感じたのは――静けさだった。

リディムが先に降り、再び手を差し出す。

瑠璃彩は少し迷ってから、その手を取った。

周囲に並ぶ兵士や使用人たちは、深く頭を垂れる。
誰も声を上げない。 




(……ここでも)






どこへ行っても、敬意が先に立つ。

王宮の奥へ進み、重厚な扉の前で立ち止まる。

「これより、謁見の間です」

リディムは振り返り、穏やかに告げた。

「何も話さなくて大丈夫です」


その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。

扉が開かれた。

玉座の間は、思ったより広く、そして静かだった。




玉座の間には大勢の人が正装をして頭を垂れて跪いていた。






王は玉座から立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
王冠を頂いたまま――けれど。

深く、深く、頭を下げた。

「ようこそお越しくださいました、聖女様」

威厳ある声。
けれど、そこにあるのは支配ではなく、畏敬。




「我が国は、あなたを守るために存在します」





瑠璃彩は何も言えない。

けれど、誰もそれを求めなかった。

神が語り、
王が誓い、
彼女自身の言葉は、必要とされていない。






謁見は、それだけで終わった。



形式的で、短く、しかし重い。



その後、王宮の奥へと案内される。



白い廊下。
柔らかな絨毯。
外の世界から切り離されたような静寂。

扉の前で、一人の女性が深く礼をした。

「聖女様」

年若いメイドだった。
緊張で背筋がぴんと伸びている。

「私は、聖女様付きの侍女を務めさせていただきます」
「名を、セラと申します」

セラは顔を上げない。
けれど、声は震えていた。

恐れているのは、瑠璃彩ではなく――
失礼をしてしまうこと。

「ご用命がございましたら、何なりと」

瑠璃彩は、言葉を探す。
 






……出てこない。







でも。

ゆっくりと、うなずいた。

それだけで、セラの表情がぱっと明るくなる。

「ありがとうございます」

まるで、許しをもらえたかのように。


そして、部屋の前で、セラが扉を開いた。




重く、けれど音を立てない扉だった。


中へ一歩足を踏み入れた瞬間、瑠璃彩は思わず息を呑む。








(広い)








白を基調とした部屋で、壁には淡い金の装飾が施されている。
天蓋付きの大きなベッドは柔らかな生成り色の布に包まれ、
窓辺には陽光を通す薄いレースのカーテン。





花の香りが、ほんのりと漂っていた。





(……きれい)







祭壇の上とは、違う。





ここは――
誰かが、住むための部屋だった。






壁際には小さな書棚。
机の上には、まだ使われていない便箋と羽根ペン。
ドレッサーには、必要最低限の装飾品だけが並べられている。

豪華すぎず、質素すぎず。

まるで、「気を遣われている」ことが、はっきり分かる空間。





「聖女様のお部屋はこちらになります」

セラは控えめに告げる。



「王命により、落ち着いて過ごせるよう整えさせていただきました」

瑠璃彩は、言葉の代わりに、そっと視線を巡らした。

……怖くない。

初めて、そう思えた。

そのとき、廊下のほうから再び足音がした。

今度は、二人分。

リディムの後ろに、威厳ある男女が並んで立っている。

王と、王妃。

王は、壮年の男性だった。
銀を含んだ金髪に、深い碧の瞳。
顔立ちは厳しく整っているが、目元には穏やかな皺が刻まれている。

戦場も、政も、両方を知る人の顔。

王妃は、王の隣に静かに立っていた。
柔らかな栗色の髪を結い上げ、薄紫のドレスに身を包んでいる。
その微笑みは、気品がありながらも――どこか母性的だった。

二人は、部屋の前で立ち止まると、深く頭を下げた。

「改めてご挨拶を」

王が口を開く。

「我が名は、アルベルト・アインバルト」
「この国の王であり、そなたを守る者でございます。」

王妃が一歩前に出る。

「私は、王妃エレシア」

声は静かで、やさしい。

「ようこそ、聖女様」



その後ろから、ひょこっと顔を出す影があった。



年若い少年。
リディムより少し幼く、同じ金髪碧眼だが、表情はずっと柔らかい。




「あ……」 





一瞬、言葉に詰まってから、慌てて姿勢を正す。 



「第ニ王子、カイ・アインバルトです!」




勢いよく頭を下げすぎて、少しよろけた。

王妃が小さく微笑む。

「この子は、好奇心旺盛でして」

カイは顔を上げ、瑠璃彩を見て、ぱちぱちと瞬きをする。

「……ほんとに、聖女様なんだ」

その言葉には、畏怖よりも、純粋な驚きが混じっていた。

リディムが、やんわりと制する。

「カイ」

「あ、ごめんなさい!」

慌てて口を押さえる姿に、
瑠璃彩の胸の奥が、少しだけ、きゅっと緩んだ。

王は、静かに言う。

「無理に話す必要はない」

「この城では、そなたが最優先です。」

「今日はゆっくり休んでください。明日また詳しいお話を致しましょう。」

それは命令ではなく、許可だった。

王妃が一歩近づき、距離を保ったまま微笑む。

「何かあれば、すぐに人を呼んでくださいね」

瑠璃彩は、ゆっくりと――
小さく、頷いた。

それだけで、三人は安心したように息をつく。

まるで、壊れ物ではなく、
守るべき“人”として扱っているかのように。




皆が部屋を出ていく中、リディムだけが最後に残った。





「……今夜は、何も考えなくていい」

「ここは、安全です」






そう言って、静かに扉を閉める。

部屋に一人残されて、瑠璃彩はベッドの縁に腰を下ろした。

柔らかい。

神の座でも、祭壇でもない。

人の居場所。

胸に手を当てる。

まだ、怖い。
まだ、声は出ない。

でも――

ここなら。

ほんの少しだけ、
息をしても、いい気がした。



(お父さんの世界は暖かい人が多そうだなぁ)


そのまま私は夢の中へと落ちていった。
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