蔦屋と写楽

坂本 光陽

文字の大きさ
14 / 17

試行錯誤③

しおりを挟む

 十郎兵衛は心から納得したわけではなかったが、歌川豊国の絵を参考に試行錯誤を重ねた。豊国の特徴は、美しさと優雅さである。突き詰めれば、華やかな絵。だからこそ、贔屓筋に喜んで買ってもらえる。文句なしの「売れる役者絵」だ。

 そういう役者絵を蔦屋は求めている。以前は世間をあっと言わせることが第一だったが、今は売れることが第一になった。十郎兵衛はそれを目指さなくてはならない。

 しかし、だからと言って、豊国と同じ絵は描けない。蔦屋が認めたとしても、それだけはできない。絵師として踏み越えてはならない一線だし、十郎兵衛の矜持が許さない。おそらく世間も許さないだろう。

 ただ、美しさと優雅さを自分の絵に取り入れることはできる。具体的に言えば、美しい着物や舞台道具を細かく書き込む手法だ。現代で言えば、ブロマイド的なものではなく、パンフレットのような要素を絵の中に込めたのである。

 また、創作意欲をそそられなくても、人気役者を取り上げるように心掛けた。いくら脇役を描いても、買い手がつかなければ何の足しにもならない。とにかく、売れることが第一なのだから。

 江戸三座の一一月興行が始まると、十郎兵衛は描いて描いて描きまくった。
 内なる獣が雄たけびを上げて、天に向かって駆け上がろうとする。それを無理やり押さえつけ、美しく優雅に仕上げようと試みた。着物は色どり豊かに、立ち姿が華やかに見えるように工夫をこらした。

 だが、集中力が欠けてしまうと、とたんに崩れてしまう。自由気ままに描いていた頃には気がつかなかったが、ちょっとした気のゆるみが美しさを損なってしまうのだ。

 十郎兵衛は数十枚の版下絵を描き上げた。それらを床に並べて、立ち上がってゆっくり眺めてみる。距離をとってみると、細かな書き込みがぼやけて、見るも無残な出来栄えに思えてくる。所詮《しょせん》は付け刃なのだろうか。とうてい豊国の足元にも及ばない。十郎兵衛は背筋が凍る思いだった。

 そんな想いは買い手にも伝わってしまうのか、一一月興行の浮世絵も売れなかった。蔦屋に勧められて相撲絵も手掛けてみたが、結果は同じ。十郎兵衛に残ったのは徒労感だけだった。

 年が明ければ、江戸三座が最も力を入れる正月興行である。能役者の非番が終わる時が近づいており、正月興行は十郎兵衛にとって最後の機会だった。

 寛政五年に、江戸中村座の春狂言『傾城嵐曽我《けいせいあらしそが》』が大入りになって以来、江戸三座では毎年春に曽我狂言が上演されるのが恒例になっている。曽我狂言を描くのは初めてだが、方向性はこれまでと変わらない。役者絵に求められる華やかさ。ただ、それだけを追い求めるしかない。

 蔦屋は、もはや何も言わなかった。正月興行の打ち合わせには代わりに番頭をよこしただけで、蔦屋自身は一度も顔を見せなかった。
 おそらく、見限られたのだろう。十郎兵衛は虚無感にとりつかれ、絵筆を手にするのも億劫《おっくう》でならなかった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...