MIBUROU ~幕末半妖伝~

きだつよし

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第三章 嚥獣の宴  其の四

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 蟷螂……虎……百足……大猿……蜘蛛……よくまあこれだけの化け物を作り上げたもんだ……嚥獣の存在を知り、戦った経験のある土方でも、目の前に広がる異様な光景に戦慄を覚えた。 
 しかも嚥獣五体に対し、こちらは土方達三人と手負いの壬生狼、そしてひなた……不利な戦いになることは想像にかたくない。
 土方は嚥獣達を睨んだまま、壬生狼に言った。
「……彼女を連れて、お前は行け」
「お前達だけじゃ無理だ。俺も!」
「手負いの獣と女は足手まといだ」
 壬生狼に被せるよう、土方は冷たく言い放った。
 土方の意図は壬生狼にも十分わかった。土方は自分達を逃がすために、三人で嚥獣を引き受けようとしている。その気持ちは痛いほど嬉しいが、普通の人間三人で五体の嚥獣を相手にするのは無謀すぎる。
 壬生狼の心を察したように沖田が笑顔で言った。
「心配は無用です。僕はあなたより強いんですから」 
 得意の三段突きで壬生狼を破ったことがある沖田の声は自信に満ちており、土方も近藤の顔も心なしか笑っているように見える。三人とも、まるでこの窮地を楽しんでいるかのようだ。
 彼らならもしや……壬生狼は決意を固めた。
「頭だ……頭を叩き割れば、奴等の息の根を止められる」
「いいことを聞いた。それがわかりゃ十分だ」
 近藤がにやりと笑った
「さあ行け。彼女を守り抜くのが我々新選組の……お前の任務だ!」
 土方が壬生狼に向かって叫んだ瞬間、嚥獣達が飛びかかってきた。同時に、壬生狼もひなたを抱えて走り出す。
「すまない……!」
 土方達に背中を任せ、壬生狼は建物を飛び出した。
 ひなたが囚われていたのは町はずれの廃寺で、まわりは鬱蒼とした森に囲まれている。壬生狼はひなたをしっかり抱きながら夜の森をひたすらに駆けた。
 身のこなしが軽い大猿顔と蟷螂顔が、新選組の三人を突破して壬生狼達を追おうとした。二体は土方達を軽々飛び越え、外に飛び出そうとしたが、同時に飛び上がった沖田が空中で抜刀、二体の足を大きく斬り裂いた。大猿顔と蟷螂顔は着地した瞬間、足から血を吹き出し、もんどりかえった。
「これで追いかけっこは無理ですね」
 不敵に笑う沖田は、着地した瞬間、大猿と蟷螂に斬りかかった。足を斬られて動きの鈍った大猿顔は、脇に倒れている蟷螂顔を引き寄せ、盾にした。
 慌てた蟷螂顔は向かい来る沖田の剣を鎌状の手で防いだが、沖田は動じること鎌を付け根から斬り飛ばし、返す刀を素早く引いて、得意の三段突きを繰り出した。
 全ては一瞬の出来事だった。沖田の早業に二体は反撃する間もなく、蟷螂顔の額には深々と剣が突き刺さり、その剣は更に後頭部まで突き抜け、蟷螂顔を盾にした大猿の額をも貫いていた。
「キ、キキキ……ッ」
 額を貫かれて呻き声をあげる大猿顔に、沖田はため息まじりに言った。
「卑怯なことをするからそうなるんです」
 沖田は、二体を貫く剣をグイッと返し、頭の中から上に向かって大きく斬り上げた。
「ギィエエエエエエッ……!」 
 頭を真っ二つに割られた大猿顔と蟷螂顔は、断末魔の声をあげ、骸と化した。
 近藤と土方に襲いかかったのは百足顔だった。
 百足顔は長い尻尾で二人をなぎ倒そうとしたが、土方と近藤は素早くかわして懐に潜り込んだ。二人は、百足顔の尻尾を見て、壬生狼が食いちぎった部分と沖田が飛び込みざまに斬り払った部分を狙い、剣を振り下ろした。傷を負った部分はやはり弱く、百足顔の尻尾は二人に斬られたところから四散し、体を残すのみとなった。
 百足顔の窮地に加勢した蜘蛛顔は、口から蜘蛛の巣を放って、土方と近藤の動きを止めようとしたが、土方はとっさに剣を投げつけ、蜘蛛の巣を絡ませて攻撃を相殺すると、そのまま蜘蛛顔に突進して馬乗りになり、蜘蛛顔の口に拳を突っ込んだ。
 口を塞がれてもがく蜘蛛顔に土方は言った。
「飛び道具とは姑息な真似しやがって。だが、何でもありのケンカならこっちの方が上だ」
 土方は、大猿顔が抜き捨てた自分の小刀を拾うと、蜘蛛顔の脳天を力任せに突き刺した。頭を割られた蜘蛛顔はピクピクと小刻みに痙攣し、絶命した。
 尻尾を失った百足顔は、短いムチのような腕を振り回し、近藤に襲いかかった。
 近藤はその攻撃をこともなげによけると、ムチ状の両腕を横薙ぎに斬り払った。そして、カッと目を見開き、大上段に剣を構えた。
「どうりゃああああ!」
 気合と共に振り下ろした近藤の剣が百足顔の脳天に炸裂。その豪剣は、百足顔の脳天から股まで一直線に斬り裂き、真っ二つになった百足顔の体は一瞬にして、ただの肉の塊となった。
 四体を倒した土方達は、残る虎顔の攻撃に備え、すぐさま体制を整えたが、虎顔は嚥獣を倒した三人を睨んだまま仁王立ちしている。気がつくと、禍月の姿がいつの間に消えている。おそらく嚥獣達に戦いを任せて撤退したのだろう。
 虎顔が戦いに参加しなかったところを見ると、どうやら隊長格らしい。虎顔は仲間のふがいなさをなじるようにフンと鼻息を鳴らすと、ゆっくりと三人に向かって歩き出した。
 土方は投げ捨てた剣を拾いあげ、絡んでいる蜘蛛の巣を素早く払って身構えた。近藤と沖田も同じく身構え、迫ってくる虎顔と間合いをとる。三人ともこの虎顔が他の嚥獣と別格であることは見抜いていた。
 こちらから討って出るか、それとも相手の動きを待つか……三人が探っていると、咆哮をあげながら虎顔が襲いかかってきた。
 三人は瞬時に散らばり、三方から斬り込んだが、虎顔は巨体に似合わず動きが素早く、大きな爪で三人の剣を次々に弾き返す。
 やっぱりこいつは他の輩とは違うらしい……三人がかりでも簡単に懐に飛び込めないと悟った土方は、近藤と沖田に言った。
「あとを頼む」
 土方はそれだけ言うと、無謀にも一人真正面から突っ込んだ。
 虎顔は、来るなら来いとばかりに身構え、斬り込んでくる土方の剣を体ごと弾き飛ばした。が、その瞬間、弾いた土方の背後から沖田が飛び出し、大きく剣を引きつけながら虎顔に迫った。蟷螂顔が三段突きでやられるのを見ていた虎顔は、沖田の突きをかわさんと飛び上がったが、沖田の背後に更に近藤が控えており、虎顔より大きく飛び上がったかと思うと、上空から渾身の剣を振り下ろした。
 元々の近藤の剣の重さに落下速度が加わった豪剣は、とっさに頭をかばった虎顔の腕を切り落とし、そのまま脳天に激しくめりこんだ。
「ウガガガガガアッ」
 虎顔は割られた頭から血を吹き出しながら落下し、そのまま絶命した。
「大丈夫ですか、土方さん」
 虎顔に弾かれて倒れている土方に沖田が駆け寄った。
「大丈夫。こうなることは折り込み済みだ」
 そう言いながら起き上がる土方に近藤が言った。
「ったく、無茶するんじゃねえよ」
「無茶じゃねえ。俺が弾かれても、総司か近藤さんが必ず仕留める。そう信じてるから俺は安心して突っ込めるんだ」
 土方の言葉に近藤と沖田がフッと笑みを浮かべた。
 今しがた虎顔を倒した三人の技は事前に修練したものではない。戦いの中における土方の本能的な判断力、そして近藤と沖田への信頼が三人の連携技を可能にしたのだ。

          ◯

 ひなたを抱えながら森の中を走ってきた壬生狼は、辺りに敵の気配がないのを確かめると立ち止まり、腰をかがめて彼女を下ろそうとした。だが、ひなたは離れようとせず、掴まっていた腕に更に力を込め、愛おしむように壬生狼の体を強く抱きしめた。
「……透志郎……様……」
 壬生狼の胸に顔をうずめながら、ひなたは小さくつぶやいた。
 壬生狼はひなたの手をほどこうと腕をのばした。だが、ひなたの体から伝わる温もりが押し殺していた慕情を蘇らせ、それ以上腕を動かすことができない。壬生狼は愛する者の温もりを感じながら、異形の者であるがゆえに、彼女の気持ちに応えられない自分を呪った。
 壬生狼の胸に顔をうずめるひなたの頬に何かが落ちて来た。
 見上げると、壬生狼の瞳が濡れて光っている。ひなたの頬に当たったのは、壬生狼の涙だった。愛する者の温もりを感じながら何もできない壬生狼の目からいつしかとめどなく涙が溢れ出していた。
 ひなたは涙で濡れた壬生狼の頬に静かに手を当て、慈しむように彼を見た。
 壬生狼は尋ねた。
「……俺が怖くないのか?」
「怖くなどありません。だって、あなたは透志郎様ですもの……」
 ひなたはそう答えると、懐から鈴を取り出し、壬生狼に見せた。
「……」
 壬生狼はその鈴をしばらく見つめていたが、やがて懐から揃いの鈴を取り出し、ひなたの前に静かに差し出した。
 それを見たひなたは自分の鈴を小さく鳴らした。それに応えるよう、壬生狼も鈴を小さく鳴らした。
 チリン……チリン……。
 二つの鈴の音は一つになって溶け合い、清らかな音色を奏でた。
「やっと……やっと会えましたね……」
 ひなたはそう言って微笑もうとしたが、溢れる涙が邪魔をしてうまく笑えない。
 どこまでも健気で優しいひなた……その瞳からこぼれ落ちる美しい涙を見て、せき止めていた気持ちが押さえ切れなくなった壬生狼は、我を忘れてひなたをきつく抱きしめた。
「……ひなた」
 思わず声が漏れた。
「……ああ…………透志郎様!」
 ひなたの顔に喜びの色が広がった。力強い壬生狼の……いや、透志郎の腕に包まれる喜びに彼女もまた彼を強く抱き返した。
「すまない………本当にすまない……」
 壬生狼は泣きながら、声を絞り出すようにつぶやいた。
「透志郎様は何も悪くありません。それより生きて……生きていてくれて本当によかった……」
 ひなたは壬生狼を抱く腕に更に力を込め、彼の胸に深く顔をうずめた。
 こんな姿になっても自分を慕ってくれるひなたの愛の深さに壬生狼の胸は張り裂けそうだった。
 ありがとう、ひなた。だが、もういい。もう十分だ……壬生狼は、ひなたの体をそっと離すと、彼女の目を見つめて静かに言った。
「……俺を殺してくれ」
 その言葉を聞いたひなたの顔色が変わった。
「何を言うのです!」
「こんな姿になった俺がお前を幸せにできるはずがない」
「いいえ! 透志郎様はきっと人に戻れます。それまで私は!」
「人に戻るには死ぬしかない……」
 壬生狼の悲痛な声がひなたの耳にこだました。
「俺とてこのまま死ぬつもりはない。だが、この醜い姿を解くには命を絶つより方法が……だから最期はせめてお前の手で」
「ならば私も死にます!」
 今度は、ひなたが叫んだ。
「透志郎様がいない世の中など生きていても仕方ありません。あなたの命を絶つくらいなら……私が命を絶ちます!」
「馬鹿を言うな! こんな俺のためにお前が命を捨てることはない! 死ぬべきはこの俺だ!」
 すると、ふいに声がした。
「そう命を粗末にするな」
 ハッとなった二人が声のした方を見ると、禍月重磨が佇んでいた。
「その姿のまま、その女を抱けばよいのだ。お前達の想いはそれで成就する」
 壬生狼は、ひなたを後ろにまわし、禍月を睨みつけた。
「そんなことはお断りだと言ったはずだ」
「本当にそうか……?」
「何?」
「お前は心の奥底で激しく求めている。その女が欲しいと……」
「黙れ!」
「それを解放すれば楽になる。獣のごとく、本能のままに……」
 禍月はそう言うと横笛を取り出し、口に当てて吹き出した。
「んッ……んんッ!」
 笛の音が流れると、壬生狼が苦しみ出した。
 笛の音に導かれるように、体の奥から噴き出した何かが全身を激しく駆け巡り、壬生狼の体を支配していく。
「な……何だこれはッ……」
 笛は禍月が嚥獣を操る道具だった。笛の音は嚥獣の獣としての本能を刺激し、意のままに操ることができるのだ。
「透志郎様……?」
 苦しむ壬生狼を見て、ひなたが不安げに声をかけた。
「ガルル……」
 壬生狼が唸り声をあげながら振り返った。その目は血走って真っ赤に染まり、大きく開いた口からは涎がしたたり、さっきまでの優しい透志郎の雰囲気はもはやない。
「うがああああ!」
 壬生狼は雄叫びをあげると、ひなたを押し倒し、馬乗りになった。
 ひなたは身を固くしながら壬生狼に叫んだ。
「透志郎様!……透志郎様!」
 だが、ひなたの声は壬生狼の耳には届かない。禍月が奏でる笛の音に支配された壬生狼は、まさに野獣と化し、本能の赴くままに、ひなたと一つになろうとしていた。
 相手が透志郎であっても、こんな形で結ばれるのは、ひなたの願うところではない。
 ひなたは激しく身をよじり、手足を振って必死に抗った。手に持った鈴が、体をよ
 じるたびに、チリンチリンと音を立てた。
 その音を聞いて、壬生狼の動きが一瞬止まった。
 もしや!……ひなたは、手に持った鈴を壬生狼の目の前に突き出した。
 壬生狼は血走った眼でひなたの鈴をジッと見つめている。
 ひなたは無我夢中で鈴を振った。
 チリン……チリンチリン……!
 ひなたが振る鈴の音色が壬生狼の耳の奥に吸い込まれてゆく。
 動きの止まった壬生狼を見て、不審に思った禍月が横笛から口を離した瞬間、壬生狼が振り向きざまに小太刀を投げ、禍月の笛を叩き落とした。
「何……?」
 禍月は、痛みに顔を歪め、小太刀に斬られた手を押さえながら壬生狼を見た。
 壬生狼はゆっくり立ち上がり、禍月に言い放った。
「ひなたの鈴が……俺に人の心を戻してくれた」
「透志郎様!」
「ありがとう、ひなた」
 ひなたに向けられた壬生狼の目は、これまでの優しい眼差しに戻っていた。
「なるほど。従わぬなら操ろうと試みたが……もはやそれも叶わぬということか」
 苦々しく睨みつける禍月に壬生狼は毅然と言い放った。
「わかっただろう。俺はお前などに決して屈しない!」
「ならば消えてもらおう。お前のような存在は……危険だ」
 禍月はそう言うと、気を集めるように大きく手をまわし、胸の前で印を組んだ。
「獣変化(じゅうへんげ)……」
 重々しく唱えた禍月のまわりに結界が出現し、禍々しい邪気が満ちてゆく。邪気に包まれ、苦悶に歪む禍月の顔が見る見る獣に変化し、妖しい光に包まれたかと思うと、その体が眩しく輝いた。
 壬生狼はひなたをかばいながら目を覆った。
 光が収まったのを感じて目を開くと、そこには禍月が着ていた法衣を纏い、全身が銀髪で覆われた狐顔の嚥獣がいた。



「これが私のもう一つの姿だ」
 そう言いながら、禍月重磨……狐顔は細い目を更に細めた。
「お前も嚥獣だったのか……」
「私は、人にも獣にも自在に姿を変えることができる」
 狐顔はそういうと大きく飛び上がった。
 上をとられるのは不利である。壬生狼は狐顔より高く飛び上がると、空中で体制を変えながら剣を抜き、落下速度を利用して眼下に迫る狐顔に剣を振り下ろした。が、突然飛び出してきた狐顔の尻尾に横殴りに弾かれた。
 地面に叩きつけられた壬生狼の目に、狐顔の背後で禍々しく揺れる九本の尻尾が映った。
「九尾の……狐……」
 九尾の狐……それは、古来より伝説に伝わる狐の姿をした霊獣で、妖(あやかし)の力を備え、人々に厄災をもたらすと言い伝えられている。ある意味、禍月重磨が獣変化するにふさわしい姿とも言えるが、霊獣までも呼び寄せることができる禍月の妖力は恐るべしというより他はない。
 体を起こして剣を構える壬生狼に狐顔が九尾を放つ。銀色に光る九つの尻尾は鉄のように固く、自在に動く九本の剣と化し、壬生狼に襲いかかる。
 壬生狼は迫りくる尻尾を必死で弾き返すが、数が多くて防ぎ切れず、体のあちこちを斬り裂かれてゆく。大きな打撃を食らうより、断続的に攻撃される方が体力を消耗する。九尾による執拗な攻撃を受け、壬生狼は徐々に反撃する力を失っていった。
 狐顔は、傷だらけとなり、立っているのがやっとという壬生狼を見てほくそえむと、九本の尻尾を竜巻のように振り回し、尻尾で起こした巨大な竜巻で、壬生狼の体を空へ舞いあげた。
 体制を崩したまま落下する壬生狼の体を熱い衝撃が貫いた。
「うがああああ!」
 落下した壬生狼の体は、天に向かってのびた九つの尻尾に串刺しとなった。
 体中から血を流し、ズタズタになった壬生狼を狐顔は無造作に地面に放り捨てた。 
「透志郎様!」
 戦いの行方を見守っていたひなたが壬生狼に駆け寄った。
「……う……うう……」
 壬生狼は虫の息だった。彼はこの狐顔と戦う前にも五体の嚥獣と戦い、傷を負っている。更にこれほどの深手を負えば、頭をやられなければ死なない嚥獣といえど、命を落とす危険がある。
「透志郎様! 透志郎様!」
 ひなたは気を失いかけている壬生狼に必死に声をかけた。
「どけ……俺が楽にしてやる」
 狐顔が禍々しい九尾を大きく広げながら近づいてきた。
 ひなたは壬生狼の手からこぼれた剣を拾い、狐顔に向けた。
「あなたの好きにはさせない……この人は私が守る!」
 ひなたは震えながら無我夢中で剣を突き出した。だが、狐顔はその剣をあっさり素手で受け止め、ギリギリとひねりあげた。
「あとでゆっくりかわいがってやる。おとなしくこの男の断末魔を眺めていろ」
 狐顔は刀ごとひなたを放り投げ、壬生狼に改めて目をやった。
 が、目の前に倒れていたはずの壬生狼の姿が消えている。ハッとなった狐顔が空を見上げたが時すでに遅し。壬生狼は、狐顔がひなたに気をとられている隙に大きく飛び上がり、残った力を全て注ぎ、狐顔の脳天めがけて鋭い爪を叩きこんだ。
「ウグッ!」
 狐顔の頭に壬生狼の爪が深く食い込んだ。
 頭にくらいついた壬生狼を振り払おうと必死にもがく狐顔は、九尾を振り回して、壬生狼を叩き落とした。
 地面に転がった壬生狼が狐顔を見上げると、その姿はゆっくりと禍月の姿に戻っていった。割られた頭からおびただしい血を流す禍月は、傷口を押さえながら、壬生狼を見た。
「さすが私が作った最高傑作……最後まで油断は禁物ということか」
 禍月が韻を組むと、辺りに霧が立ち込め、その姿が見えなくなった。
 禍月を探して立ち上がろうとする壬生狼に向かって、霧の中から禍月の声がこだました。
「私は必ず野望を成す……いずれまた会おう」
 霧が晴れると禍月の姿はどこにもなく、昇り始めた朝日が誰もいない森をぼんやりと照らし出していた。
「ひなた……!」
 壬生狼は倒れているひなたに駆け寄った。
 地面に打ちつけられた衝撃で気を失っているが息はあり、大きな傷もない。壬生狼はひなたの無事を確かめると大きく安堵のため息を漏らした。
 彼女の捨て身の行動がなければ、起死回生の隙を作ることはできなかった。壬生狼はひなたの勇気ある行動に尊敬の念を抱くと共に、自分に向けられた彼女の深い愛情に心の底から感謝していた。
 気を失い、眠るように目を閉じるひなたに壬生狼は声をかけた。
「ありがとう……ひなた……」
 優しくひなたを見つめる壬生狼の体がガクッと崩れた。
 壬生狼はすでに力を失っていた。ひなたを守りたい……その一心だけが、彼をここまで持ちこたえさせたのだ。
 地面に倒れた壬生狼にもはや動く気配はない。
 だが、目を閉じたその表情はこれまでになく穏やかで、昇り来る朝日がその顔を静かに照らしていた……。

…続く
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