王都のモウカハナは夜に咲く

咲村門

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余談集

海辺の桜が夜に舞う:別邸の正しい使い方

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「ユメノリア・ド・ミヌレ! 君との婚約は破棄させてもらう!」

 王都のすぐ外にある豪奢な建物の中、大広間のような場所に何脚かのテーブルセット、その上に紅茶とドルチェが用意されています。
 そこに約三十名程でしょうか、以前ここで行われたお茶会の招待客が集められています。
 今回はシアン様からのご招待で、リュンヌの代表として謝罪するためのものだと伺いました。

「な、何を突然? 侯爵ごときが、公爵家の令嬢に対して失礼じゃなくて?」

 一段高い位置に立つシアン様は、ユメノリア様と対峙しています。
 ユメノリア様はシアン様より低い位置におり、左右をオランディの騎士に挟まれた状態でシアン様の方を向いて立っております。
 しかし憮然とした様子で腕を組み、この状況を鼻で笑っているのが声音から伝わります。
 私達はそこから少し離れた位置にいるため、ユメノリア様の表情は見る事ができません。

 私の隣にいたドゥイリオ様が私に小声で言います。

「何かよく分からないけど、シアンさん頑張ってるね」
「少しだけ、目元に光るものが見えます」
「あとでハンカチ渡しに行こうかな」

 仕草などは洗練されていますし、表情も冷徹に見えるよう眉に力を入れているのが分かります。
 が、彼の胸にはストールに包まれたチルネ様が大事そうに抱かれています。

 呼ばれたほとんどの招待客は、シアン様の覚悟を決めたような発言より可愛らしい子犬の方に目をやっています。

「婚約を理由に君に縛られてきたが、それも今日でお終いだ。君は犯した罪を思い出すんだ」
「罪ですって? この私が?」

 シアン様が招待客の視線に気付いたのか、チルネ様をストールと一緒に足元に下ろし数歩離れます。
 彼の歩く仕草は洗練されていますが、チルネ様がその後を追いかけます。
 その動きがとても愛らしいため、マルキーナ夫人や他のテーブルの女性の方々が「まぁ!」と高い声を上げます。

「君はカロージェロ衣類品店で働くメルクリオ君に好意を寄せていたようだね」
「それが何よ、公爵家の令嬢なら愛人の一人や二人抱えてて当たり前でしょ?」

 ユメノリア様がシアン様にキツい口調で言い返します。
 シアン様はそれを意に介さず……いや、直視しないように瞼を閉じて俯きます。
 顔を片手で覆い、頬を伝いそうだった涙をそっと指で拭います。
 おそらく涙に気付いたのは私とドゥイリオ様くらいです、他の方からはユメノリア様の発言に呆れたような仕草に見えたことでしょう。

「愛人……そもそも未婚の君が結婚する前から異性に声を掛け、ましてや帝国ではない他国の民を召し抱えようとするなど! 帝国貴族の恥でしかない!」

 シアン様の声が会場に響き渡ります。
 普段の柔らかく弱気な雰囲気はなく、威厳すら感じさせます。
 こういう姿を見るとやはり彼は貴族だと思いますが、彼に同調するかのように鳴くチルネ様の愛らしい声でそれも台無しです。
 招待された我々は何を見せられているのかよく分かりませんし、皆の関心を引くのは二人ではなくチルネ様です。

「顔しか取り柄がないただの侯爵が、よくもそんな偉そうな事を言えたわね」
「ただの侯爵? 同じ事をロショッドゥ公爵の前でも言えるのか?」

 睨みつけるような冷たい視線がユメノリア様に刺さります。
 ユメノリア様は少し怯んだのか、身を少し後方へ引きます。

「今後ミヌレ家は帝国で正しい裁きに掛けられる、その前に君にはしっかり伝えておく必要があった」

 シアン様が再び同じ位置に戻ろうと優雅に歩きます。
 おそらくチルネ様が足元にいるのを気にしての行動かと思いますが、チルネ様も同様に移動します。
 子犬でありながらシアン様の歩幅に合わせようとするため、駆け足になっています。

「使節団の参加者は明日にでも帝国へ、この別邸はオランディの商人に、それ以外は俺の判断で既に処分させてもらった。これは一時的な処分であり、帝国で下される処分とは別だ」
「処分ですって? 貴族序列一位の公爵家の令嬢に対して、なんって無礼な侯爵なのかしら」
「そもそも、爵位を正式に継いでいる侯爵と公爵家とはいえ令嬢の君なら、俺の方が身分は上だ。そんな事も知らないのか?」
「本当に酷い口のきき方ね、お母様に言いつけるわ!」
「構わない、帰国次第正式に公爵に直訴する予定だ」

 今回の件に関してのリュンヌ側の対応は先日の新聞でも記事になっておりました。
 ですが、貴族の序列や爵位の話となるとオランディの国民には無関係の話に思えます。
 ユメノリア様の左右にいる騎士もどうするべきか悩んでいらっしゃるようですし、チルネ様はシアン様の横で大人しく座っております。
 シアン様はこの場を一体どうなさるおつもりなのでしょうか。

 少しの間沈黙していたユメノリア様が顔をシアン様へ向けます。
 表情は分かりませんが、シアン様の表情でキツい表情をなさっているであろう事が想像できます。

「あ、あなたはそれで良いの? 私は婚約者なのよ?」
「忘れたのか? 俺と君が婚約した経緯を」
「それは、それは! あなたが私を愛していたから!」
「違う!」

 シアン様が膝をつき、再びストールと共に足元のチルネ様を抱き上げます。
 ストールで丁寧にチルネ様が包み直し、ユメノリア様を睨みつけます。

「この子を奴隷にして婚約を迫った事を忘れたと言うのか!」

 オランディの招待客がざわめきます。
 信じられない、なんて酷い……そんな言葉が聞こえてきます。
 ユメノリア様にも聞こえたのか、こちらにふり向いて叫びます。

「黙りなさい平民! 貴族の常識を侮辱するなんて許されない行為よ!」

 それを聞いた皆様は一瞬黙るものの、チルネ様の扱いに加え今の発言に対して更に憤りが増したようです。

「確かに平民には貴族の常識なんて分からないね、あんな可愛い子犬をにだなんて」
「なんて怖い考え方! っていうのはの考えだね」
「飼い犬を奴隷をにして婚約迫るとは随分情熱的、いや卑怯としか思えないな」
「悪趣味だよね、それに未婚で愛人? 随分節操がないんだね」

 私のテーブルはまだ静かな物ですが、他のテーブルから普通の声量で話し声が聞こえてきます。

「なんって無礼なのかしら! 流石は偽りの王国ね!」

 ユメノリア様は更に反論なさいますが、多勢に無勢とはこのことでしょう。
 響いた声は招待客の耳には届きましたが、心には響いていないようです。

「確かにウチ王国なんだよな」
「ふふ、実質商業国ですよね。確かグリフォンが守ってるからそう名乗らなきゃいけないって、諸外国に言われたんですよね」
「それに陛下も陛下って呼ばれるの嫌うって聞いたね」
「まぁ陛下は陛下だよな、あの雰囲気はだし」
「殿下も殿下だよな」

 招待客の反応に酷く不満のようで、ユメノリア様は忌々しげにこちらを睨んでいます。

「何なのよこの平民共は!」

 ユメノリア様が喚きますが、もはや誰も聞いてません。
 そこへシアン様からいつもより低い声がかかります。

「ユメノリア・ド・ミヌレ」

 少し俯き気味で憂いを感じさせるご様子ですが、それを下からチルネ様が覗き込んでいます。

「オランディの皆様の言う通り、君のしたことを俺は最低だと思う。だが帝国の法で君を裁くことはできない」
「そうよ! 低俗な平民には分からなくても、高貴な貴族に奴隷はあって当然のもの! あなたも分かってるなら恥を知りなさい!」
「だから俺はこの場を開いたんだ! 自分がどれだけ最低な事をしたか、リュンヌの常識に囚われない人たちの声を聞くんだ! そして」

 シアン様がチルネ様の両脇を手にし、ユメノリア様の方へ差し出します。

「この子に謝って!」

 チルネ様は状況をご理解されていないのか、顔立ちの影響もあり笑顔でこちらを見ているように見えます。
 その顔立ちがやはり愛らしく、女性の皆様や一部の男性が微笑みながらチルネ様を見ています。

「シアンさん、ついに素が出たね」

 ドゥイリオ様はクスクスと笑っていらっしゃいます。

「あ、謝るなんて誇り高い公爵家の人間がする事じゃないってお母様が仰ってたわ! なんで私が見たことも無い犬に謝らなきゃならないの!」
「呆れたな、君はたった数日でもうルネの事を忘れたのか?」
「は? ルネ? ……ルネですって? その犬が?」

 ユメノリア様の声から、心做しか嫌悪感が滲んでいるように聞こえます。
 ルネ様が子犬の獣人ライカンスロープという事をご存知なかったのでしょうか?

「さっきから変だとは思ったけど、私が奴隷にしたのはあなたの小姓よ? 誰がそんな薄汚れた汚い犬なんて奴隷にするのよ、そんな事に何の意味があると思ってるのかしら?」

 これには今まで笑い飛ばしていたオランディの参加者も、再び怒りを顕にします。

「小姓を奴隷? ってことは人間の奴隷が普通にいるのか?」
「信じらんない! それに汚いなんて、あんな綺麗に手入れされてるのに? 目が悪いんじゃない?」
「何の意味がとか、お前が奴隷にしてたんだろ? 本っ当に神経疑うな」

 ユメノリア様も流石にまずいと少しは思ったのか、今度は反論なさいません。

「君から謝罪の一つでも聞けたらと思ったけどやっぱり無駄だったね。騎士の方、彼女を連れて行ってください」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 私を助けるんじゃないの!?」

 ユメノリア様が喚きながらも騎士に両脇を抱えられて退場しました。
 それを見届けてからシアン様は床に膝をつき、オランディの参加者達は拍手をしてシアン様を称えました。

「何だったんだろうねコレ」
「シアン様の子犬自慢ではないでしょうか」
「はは、確かに可愛いよね」

 ドゥイリオ様と軽く話しながら、出されたお茶を飲みます。
 あの時とは違う香り高い紅茶は私の喉を湿し、体の中に染みていくようです。
 少し冷めたその温度も、この場の空気を表しているように思いました。
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