妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第15話 急ぎすぎた一手

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 王城の空気が、変な音を立てていた。

 目には見えないのに、確かに聞こえる。
 磨かれた石の床の下で、歯車が噛み合わないまま回り始める音。
 誰かが焦っている音。
 焦りは匂いになる。
 焦りは足音になる。
 焦りは紙の擦れる音になる。

 私はその音を、廊下の角を曲がった瞬間に感じ取った。

 侍従がいつもより深く頭を下げる。
 侍女が目を合わせない。
 衛兵の配置が、微妙に変わっている。
 王城は、何も言わずに“何かが始まった”ことを告げてくる。

 ルーナが小声で言った。

「姫殿下……宰相府の人間が、書庫に出入りしています」

「どの書庫?」

「……第二書庫です。王妃様の……古い医療記録が保管されている場所」

「……どの棚?」

「王妃様の医療記録が保管されている棚です」

 胸の奥が冷えた。
 母の記録。
 封じられ、触れられないはずだった場所。

 そこに誰かが触れた。

「……来たね」

 私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
 怖いのに。
 怖いからこそ、落ち着く。
 私はもう、嵐の中に立つことに慣れ始めている。

 その日の昼、ユリウスから短い書簡が届いた。

『侍医長の側近が、昨夜、王都を出た形跡。行き先不明。宰相府が動いている』

 そして夕方、カイからも紙片が飛んできた。

『貴族が裏で動き始めた。封印が破られた。宰相、焦ってる。匂いが濃い』

 私は椅子に深く腰掛け、息を吐いた。

 ――ああ、そうか。

 彼は気づいたのだ。
 盤面が、もう整えられないことに。

 封印したはずの母の記録に誰かが触れ、口を塞いだはずの侍医が消え、沈黙していたはずの貴族が、水面下でざわつき始めている。
 つまり真実は静かに、だが確実に外へ滲み出している。

 私は知っている。

 宰相グラディオは、完璧な準備を好む男だ。完璧に整えた盤面でしか勝負しない。

 勝てる形を作り、逃げ道を塞ぎ、相手が動けなくなってから刃を振るい、最後に「国のため」と笑う。

 だからこそ、今の状況は彼にとって最悪だった。

 ――もう時間がない。
 ――整える前に、盤そのものが崩れる。
 盤面を整える前に、盤そのものがひっくり返る。

 だから彼は、急ぐ。
 急ぎすぎる。

 私は夜、ユリウス邸に向かうふりをして、王城の裏口から出た。
 本当の目的は、東塔の旧回廊。
 カイとの合流。

 旧回廊は相変わらず冷たかった。
 窓の隙間から入る風が、頬を撫でる。
 その冷たさが、むしろありがたい。
 熱があると、人は間違える。
 冷えは、頭を冴えさせる。

 影が、壁から剥がれ出る。

「姫さん」

 カイが現れた。
 目がいつもより鋭い。
 夜が濃い。

「宰相、動く」

「どんな?」

「大技。派手。面倒。……だから証拠が動く」

 カイは短く言い、紙片を私に渡した。
 そこには、宰相府から王城内に出された指示の写しが書かれている。

『第一王女の反逆の疑い。関係者の招集。文書の提出。証言の準備』
『婚約譲渡の即時宣言に伴う式典準備。貴族院への通達』

 私は息を吸った。
 反逆者に仕立て上げる裁判。
 そして婚約譲渡の即時宣言。
 同時進行。
 急ぎすぎた一手。

「……来た」

 私の声が、石壁に吸い込まれる。

 カイが続ける。

「反逆裁判をやるには、人が要る。書類が要る。証人が要る。偽造も要る。隠蔽も必要だ。……つまり、動かしたくないものを動かす」

「動かしたくないものって?」

「王妃の記録。薬の調合記録。侍医の署名。宰相府の紙。……全部」

 私は頷いた。
 そうだ。
 隠すために動けば、隠していたものが外気に触れる。
 外気に触れれば、匂いが漏れる。

 その匂いを嗅ぐのが、カイの仕事だ。

「準備は?」

 私が問うと、カイは口角を上げないまま言った。

「俺はずっと待ってた。この瞬間」

 言葉は淡々としているのに、少しだけ熱がある。
 彼は“間に合わなかった”過去を抱えている。
 だから今は、間に合わせるために生きている。

「情報網を一斉に走らせる。書庫も、記録室も、侍医の周辺も」

「私は?」

「表で受け止めろ。影は、表がなきゃ意味を失う」

 私は頷いた。

「分かった。私は、手続きを握る」

影が裏を動かすなら、私は表で受け止める。
表で受け止める人間がいなければ、裏の証拠は握り潰される。

「ユリウス卿に連絡する。貴族院の動きも押さえる。裁判が始まる前に、手続きを逆手に取る」

 カイが頷く。

「いい。……それで、守れる」

 守る。
 この言葉が、私の中で芯になってきている。
 誰かを踏むためじゃなく、守るために使う権力。
 その使い方が、宰相を一番苛立たせる。

 翌朝。

 王城の鐘が鳴った。
 いつもと同じ音のはずなのに、今日は違って聞こえる。
 “始まり”の鐘だ。

 私は謁見の間に呼び出された。
 父王レオニスの前。
 宰相グラディオの前。
 貴族たちの前。

 大広間の空気は甘い。
 甘いのに、喉に刺さる。
 毒じゃない。恐怖の甘さだ。

 グラディオはいつも通り穏やかに微笑み、柔らかい声で言った。

「第一王女セレスティア殿下。あなたには……国を揺るがす疑いがございます」

 疑い。
 反逆。
 王家を裏切った。
 民を煽った。
 貴族を分断した。
 そういう言葉が、絹の布みたいに滑らかに並べられる。

 私はその滑らかさに、前世なら溺れた。
 今世は、溺れない。
なぜなら私は知っている。
滑らかさは、刃を隠すための布だ。

「疑い、とは具体的に?」

 私は静かに問うた。
 挑発ではなく、手続きの問い。
手続きは私の味方になる。

 グラディオの眉が、ほんの少しだけ動いた。
焦りが、ほんの一滴落ちる。

「あなたが独断で、配給制度を変えたこと。監査を王女直属にしたこと。貴族の権益を侵害したこと……」

「侵害ではなく、再配分です」

 私は淡々と訂正した。
 言葉を整える。
言葉を整えるだけで、相手の勢いは落ちる。
勢いが落ちれば、急ぎが露呈する。

 父王レオニスが眉をひそめる。

「セレスティア……」

 その声には迷いがある。
 迷いは弱さ。
 でも父は悪人ではない。
ただ、決断できない。

 グラディオが父の迷いを利用しようとする。
しかし今日は、彼の方が急いでいる。

「さらに――」

 グラディオが続けようとしたその瞬間、謁見の間の扉が開いた。

 ざわめき。
 場違いな開扉。
 その“場違い”こそ、急ぎの証拠だ。

 入ってきたのは、王城の書庫係だった。
 顔が青い。
 手には封印付きの書類束。
 震える手で、宰相の方へ差し出そうとしている。

「宰相閣下……第二書庫の封印記録が……」

 グラディオの微笑みが、一瞬だけ止まった。
 止まって、すぐに戻る。
 でも私は見逃さない。
氷が割れる一瞬。

 ――証拠が動いている。

 カイの情報網が走っている。
走っているから、書庫係が“余計なもの”を持ってきてしまった。
宰相は今、この場で裁判の流れを作りたい。
でも証拠が勝手に現場へ溢れ始める。

 策略が動くほど、真実が漏れ出す。

 私は一歩前へ出た。
 王女としてではなく、手続きを握る者として。

「その書類、こちらへ」

 グラディオが即座に言う。

「殿下、それは――」

「反逆の疑いを問う場で、封印記録が動いているなら、その場で確認するべきです。違いますか?」

 私は穏やかに、でも逃げ道なく言った。
“国のため”という言葉が好きな宰相は、手続きの正論に弱い。
正論を否定すれば、自分の仮面が剥がれる。

 グラディオの口角が、ほんの少しだけ引きつる。

「……もちろん。国のために」

 言った。
 言わざるを得なかった。

 書庫係の手から書類束が私の方へ渡される。
 封印の蝋。
その印に見覚えがある。
母の遺品保管庫で見たものと同じ系統の封印だ。

 胸が痛む。
 でも、私は今は封印を破らない。
 ここで破れば、宰相は“暴走する王女”を演じさせる。
 彼の望む形になる。

 だから私は、ゆっくりと顔を上げ、宣言した。

「これは正式な手続きで開封します。貴族院立会い。記録官立会い。監査官立会い。……今この場で、裁判を急ぐ理由はありません」

 ざわめきが広がる。
 貴族たちが互いに顔を見合わせる。
 彼らも嗅ぎ取ったのだ。
 ――宰相が、急いでいる、と。

 グラディオの目が細くなる。
 怒りではない。
 焦りだ。

 だから今は、芽を見せるだけでいい。
 急の気配を、全員の鼻に染み込ませるだけでいい。

 グラディオが、穏やかな声で言った。

「殿下……あなたは、何をお望みですか」

 その問いは、脅しに似ていた。
 でも脅しは、焦りの裏返し。

 私は静かに答えた。

「望むのは一つ。真実が、手続きの中で生き残ること」

 彼が急げば急ぐほど、
 動かせば動かすほど、
 隠していたものは外に滲み出る。

 私はそれを、拾うだけだ。

 廊下に戻ると、空気がさらに重くなっていた。
 だが同時に、確かな音が聞こえる。

 崩れ始めた、足元の音だ。

 宰相は、もう止まれない。
 急ぎすぎた一手は、連鎖的に歪みを生む。

 私は歩きながら、心の中で静かに告げた。

 ――もう、引き返せないのは、あなただ。

 策略が動くほど、
 真実は、必ず漏れ出す。

 その瞬間を、私は待っている。
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