15 / 44
第15話 急ぎすぎた一手
しおりを挟む王城の空気が、変な音を立てていた。
目には見えないのに、確かに聞こえる。
磨かれた石の床の下で、歯車が噛み合わないまま回り始める音。
誰かが焦っている音。
焦りは匂いになる。
焦りは足音になる。
焦りは紙の擦れる音になる。
私はその音を、廊下の角を曲がった瞬間に感じ取った。
侍従がいつもより深く頭を下げる。
侍女が目を合わせない。
衛兵の配置が、微妙に変わっている。
王城は、何も言わずに“何かが始まった”ことを告げてくる。
ルーナが小声で言った。
「姫殿下……宰相府の人間が、書庫に出入りしています」
「どの書庫?」
「……第二書庫です。王妃様の……古い医療記録が保管されている場所」
「……どの棚?」
「王妃様の医療記録が保管されている棚です」
胸の奥が冷えた。
母の記録。
封じられ、触れられないはずだった場所。
そこに誰かが触れた。
「……来たね」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
怖いのに。
怖いからこそ、落ち着く。
私はもう、嵐の中に立つことに慣れ始めている。
その日の昼、ユリウスから短い書簡が届いた。
『侍医長の側近が、昨夜、王都を出た形跡。行き先不明。宰相府が動いている』
そして夕方、カイからも紙片が飛んできた。
『貴族が裏で動き始めた。封印が破られた。宰相、焦ってる。匂いが濃い』
私は椅子に深く腰掛け、息を吐いた。
――ああ、そうか。
彼は気づいたのだ。
盤面が、もう整えられないことに。
封印したはずの母の記録に誰かが触れ、口を塞いだはずの侍医が消え、沈黙していたはずの貴族が、水面下でざわつき始めている。
つまり真実は静かに、だが確実に外へ滲み出している。
私は知っている。
宰相グラディオは、完璧な準備を好む男だ。完璧に整えた盤面でしか勝負しない。
勝てる形を作り、逃げ道を塞ぎ、相手が動けなくなってから刃を振るい、最後に「国のため」と笑う。
だからこそ、今の状況は彼にとって最悪だった。
――もう時間がない。
――整える前に、盤そのものが崩れる。
盤面を整える前に、盤そのものがひっくり返る。
だから彼は、急ぐ。
急ぎすぎる。
私は夜、ユリウス邸に向かうふりをして、王城の裏口から出た。
本当の目的は、東塔の旧回廊。
カイとの合流。
旧回廊は相変わらず冷たかった。
窓の隙間から入る風が、頬を撫でる。
その冷たさが、むしろありがたい。
熱があると、人は間違える。
冷えは、頭を冴えさせる。
影が、壁から剥がれ出る。
「姫さん」
カイが現れた。
目がいつもより鋭い。
夜が濃い。
「宰相、動く」
「どんな?」
「大技。派手。面倒。……だから証拠が動く」
カイは短く言い、紙片を私に渡した。
そこには、宰相府から王城内に出された指示の写しが書かれている。
『第一王女の反逆の疑い。関係者の招集。文書の提出。証言の準備』
『婚約譲渡の即時宣言に伴う式典準備。貴族院への通達』
私は息を吸った。
反逆者に仕立て上げる裁判。
そして婚約譲渡の即時宣言。
同時進行。
急ぎすぎた一手。
「……来た」
私の声が、石壁に吸い込まれる。
カイが続ける。
「反逆裁判をやるには、人が要る。書類が要る。証人が要る。偽造も要る。隠蔽も必要だ。……つまり、動かしたくないものを動かす」
「動かしたくないものって?」
「王妃の記録。薬の調合記録。侍医の署名。宰相府の紙。……全部」
私は頷いた。
そうだ。
隠すために動けば、隠していたものが外気に触れる。
外気に触れれば、匂いが漏れる。
その匂いを嗅ぐのが、カイの仕事だ。
「準備は?」
私が問うと、カイは口角を上げないまま言った。
「俺はずっと待ってた。この瞬間」
言葉は淡々としているのに、少しだけ熱がある。
彼は“間に合わなかった”過去を抱えている。
だから今は、間に合わせるために生きている。
「情報網を一斉に走らせる。書庫も、記録室も、侍医の周辺も」
「私は?」
「表で受け止めろ。影は、表がなきゃ意味を失う」
私は頷いた。
「分かった。私は、手続きを握る」
影が裏を動かすなら、私は表で受け止める。
表で受け止める人間がいなければ、裏の証拠は握り潰される。
「ユリウス卿に連絡する。貴族院の動きも押さえる。裁判が始まる前に、手続きを逆手に取る」
カイが頷く。
「いい。……それで、守れる」
守る。
この言葉が、私の中で芯になってきている。
誰かを踏むためじゃなく、守るために使う権力。
その使い方が、宰相を一番苛立たせる。
翌朝。
王城の鐘が鳴った。
いつもと同じ音のはずなのに、今日は違って聞こえる。
“始まり”の鐘だ。
私は謁見の間に呼び出された。
父王レオニスの前。
宰相グラディオの前。
貴族たちの前。
大広間の空気は甘い。
甘いのに、喉に刺さる。
毒じゃない。恐怖の甘さだ。
グラディオはいつも通り穏やかに微笑み、柔らかい声で言った。
「第一王女セレスティア殿下。あなたには……国を揺るがす疑いがございます」
疑い。
反逆。
王家を裏切った。
民を煽った。
貴族を分断した。
そういう言葉が、絹の布みたいに滑らかに並べられる。
私はその滑らかさに、前世なら溺れた。
今世は、溺れない。
なぜなら私は知っている。
滑らかさは、刃を隠すための布だ。
「疑い、とは具体的に?」
私は静かに問うた。
挑発ではなく、手続きの問い。
手続きは私の味方になる。
グラディオの眉が、ほんの少しだけ動いた。
焦りが、ほんの一滴落ちる。
「あなたが独断で、配給制度を変えたこと。監査を王女直属にしたこと。貴族の権益を侵害したこと……」
「侵害ではなく、再配分です」
私は淡々と訂正した。
言葉を整える。
言葉を整えるだけで、相手の勢いは落ちる。
勢いが落ちれば、急ぎが露呈する。
父王レオニスが眉をひそめる。
「セレスティア……」
その声には迷いがある。
迷いは弱さ。
でも父は悪人ではない。
ただ、決断できない。
グラディオが父の迷いを利用しようとする。
しかし今日は、彼の方が急いでいる。
「さらに――」
グラディオが続けようとしたその瞬間、謁見の間の扉が開いた。
ざわめき。
場違いな開扉。
その“場違い”こそ、急ぎの証拠だ。
入ってきたのは、王城の書庫係だった。
顔が青い。
手には封印付きの書類束。
震える手で、宰相の方へ差し出そうとしている。
「宰相閣下……第二書庫の封印記録が……」
グラディオの微笑みが、一瞬だけ止まった。
止まって、すぐに戻る。
でも私は見逃さない。
氷が割れる一瞬。
――証拠が動いている。
カイの情報網が走っている。
走っているから、書庫係が“余計なもの”を持ってきてしまった。
宰相は今、この場で裁判の流れを作りたい。
でも証拠が勝手に現場へ溢れ始める。
策略が動くほど、真実が漏れ出す。
私は一歩前へ出た。
王女としてではなく、手続きを握る者として。
「その書類、こちらへ」
グラディオが即座に言う。
「殿下、それは――」
「反逆の疑いを問う場で、封印記録が動いているなら、その場で確認するべきです。違いますか?」
私は穏やかに、でも逃げ道なく言った。
“国のため”という言葉が好きな宰相は、手続きの正論に弱い。
正論を否定すれば、自分の仮面が剥がれる。
グラディオの口角が、ほんの少しだけ引きつる。
「……もちろん。国のために」
言った。
言わざるを得なかった。
書庫係の手から書類束が私の方へ渡される。
封印の蝋。
その印に見覚えがある。
母の遺品保管庫で見たものと同じ系統の封印だ。
胸が痛む。
でも、私は今は封印を破らない。
ここで破れば、宰相は“暴走する王女”を演じさせる。
彼の望む形になる。
だから私は、ゆっくりと顔を上げ、宣言した。
「これは正式な手続きで開封します。貴族院立会い。記録官立会い。監査官立会い。……今この場で、裁判を急ぐ理由はありません」
ざわめきが広がる。
貴族たちが互いに顔を見合わせる。
彼らも嗅ぎ取ったのだ。
――宰相が、急いでいる、と。
グラディオの目が細くなる。
怒りではない。
焦りだ。
だから今は、芽を見せるだけでいい。
急の気配を、全員の鼻に染み込ませるだけでいい。
グラディオが、穏やかな声で言った。
「殿下……あなたは、何をお望みですか」
その問いは、脅しに似ていた。
でも脅しは、焦りの裏返し。
私は静かに答えた。
「望むのは一つ。真実が、手続きの中で生き残ること」
彼が急げば急ぐほど、
動かせば動かすほど、
隠していたものは外に滲み出る。
私はそれを、拾うだけだ。
廊下に戻ると、空気がさらに重くなっていた。
だが同時に、確かな音が聞こえる。
崩れ始めた、足元の音だ。
宰相は、もう止まれない。
急ぎすぎた一手は、連鎖的に歪みを生む。
私は歩きながら、心の中で静かに告げた。
――もう、引き返せないのは、あなただ。
策略が動くほど、
真実は、必ず漏れ出す。
その瞬間を、私は待っている。
111
あなたにおすすめの小説
【完結】侍女が王女に転生?!英雄と結婚して破滅の国を救います!
カナタカエデ
ファンタジー
八十歳で生涯を終えた、元王宮侍女カリナ。
その最期の瞬間――枕元に、かつて仕えた王女アメリアが現れた。
「お願い…私の人生をやり直して。国を、私を、救って――」
次に目を開くと、カリナは十八歳の“王女アメリア”として転生していた。
彼女は知っている。
このままでは王国は滅び、愛する主君が破滅する未来を。
未来を変えるため、アメリアは
冷徹と噂される英雄ヴァルクとの政略結婚を選ぶ。
これは、かつて守れなかった主人のための転生。
そのはずなのに――彼への想いは、気づけば変わり始めていた。
王女と英雄が紡ぐ、破滅回避ラブファンタジー開幕。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
挿絵はA I画像を使用
10/20 第一章完結
12/20 第二章完結
2/16 第三章完結
他サイト掲載
(小説家になろう、Caita)
婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします
タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。
悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。
【完結】妃が毒を盛っている。
井上 佳
ファンタジー
2年前から病床に臥しているハイディルベルクの王には、息子が2人いる。
王妃フリーデの息子で第一王子のジークムント。
側妃ガブリエレの息子で第二王子のハルトヴィヒ。
いま王が崩御するようなことがあれば、第一王子が玉座につくことになるのは間違いないだろう。
貴族が集まって出る一番の話題は、王の後継者を推測することだった――
見舞いに来たエルメンヒルデ・シュティルナー侯爵令嬢。
「エルメンヒルデか……。」
「はい。お側に寄っても?」
「ああ、おいで。」
彼女の行動が、出会いが、全てを解決に導く――。
この優しい王の、原因不明の病気とはいったい……?
※オリジナルファンタジー第1作目カムバックイェイ!!
※妖精王チートですので細かいことは気にしない。
※隣国の王子はテンプレですよね。
※イチオシは護衛たちとの気安いやり取り
※最後のほうにざまぁがあるようなないような
※敬語尊敬語滅茶苦茶御免!(なさい)
※他サイトでは佳(ケイ)+苗字で掲載中
※完結保証……保障と保証がわからない!
2022.11.26 18:30 完結しました。
お付き合いいただきありがとうございました!
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~
紅月シン
ファンタジー
聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。
いや嘘だ。
本当は不満でいっぱいだった。
食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。
だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。
しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。
そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。
二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。
だが彼女は知らなかった。
三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
悪役令嬢と呼ばれた私に裁きを望むならご自由に。ただし、その甘露の罠に沈むのはあなたですわ。
タマ マコト
ファンタジー
王都で“悪役令嬢”と噂されるリシェル・ノワゼルは、聖女と王太子による公開断罪を宣告される。
しかし彼女は弁明も反抗もせず、ただ優雅に微笑むだけだった。
甘い言葉と沈黙の裏で、人の嘘と欲を見抜く彼女の在り方は、やがて断罪する側の秘密と矛盾を次々と浮かび上がらせていく。
裁くつもりで集った者たちは気づかぬまま、リシェルが張った“甘露の罠”へと足を踏み入れていくのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる