妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第16話 王城が傾く音

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 噂は、火じゃない。

 火なら、燃えた場所が分かる。
 火なら、消す水の方向も決められる。
 でも噂は、空気に混じる毒みたいに広がる。
 吸ってしまった人から順番に、目の色が変わる。

 朝、王城の窓を開けた瞬間、私はそれを嗅いだ。
 風が、いつもより重い。
 香木の匂いの奥に、焦げた紙の匂いが混じっている。
 誰かが夜の間に、必死で何かを燃やした匂い。
 燃やしても消えないものがあると知った匂い。

 ルーナが、青い顔で走り込んできた。

「姫殿下……王都が……」

「噂?」

「……はい。爆発しています」

 彼女の声が震える。
 震えの中に怒りも混じっている。
 ここまで来ると、侍女でさえ“気づく”。
 この国の底が腐っていることに。

「何が流れてる」

 私は淡々と聞いた。
 淡々と聞ける自分が怖い。
 でも淡々でないと、この瞬間を乗り切れない。

「王妃様は病死ではなかった、と……禁制薬が使われた、と……」

 胸が一瞬だけ痛んだ。
 母の名が、噂の中で弄ばれる痛み。
 でも私は、その痛みで崩れない。

 崩れたら、負ける。
 ここで泣けば“女の弱さ”にされる。
 怒れば“反逆の激情”にされる。
 どちらでも、宰相が望む形に落ちる。

 だから私は、冷静に立つ。

「……来たね」

 ルーナが唇を噛んだ。

「姫殿下、どうしてそんなに……」

「知ってたから。……そして、準備してたから」

 私は机の引き出しから、封印付きの写しを取り出した。
 母の禁制薬草リスト。
 制度案。
 そして、昨夜カイが回した情報網が引きずり出した“調合記録”の写し。

 紙の束は重い。
 重いのに、これが私の支えになる。
 感情じゃなく、証拠で立てるから。

 扉がノックされる。
 侍従が入ってくる。顔色が白い。

「第一王女殿下。謁見の間へ。国王陛下と宰相閣下がお待ちです」

「分かりました」

 私は立ち上がった。
 ルーナが急いで上着を羽織らせる。
 手が震えている。
 彼女の震えが、私の心臓の速さを教えてくれる。

「ルーナ」

「はい……!」

「震えていい。でも、目を逸らさないで」

 ルーナは涙を滲ませて頷いた。

「はい……!」

 謁見の間へ向かう回廊は、ざわめきで満ちていた。
 貴族の靴音がいつもより速い。
 侍女の囁きがいつもより鋭い。
 衛兵の視線がいつもより硬い。

 そして、視線の先にあるものは一つ。

 ――私がどうなるか。

 謁見の間の扉が開く。
 熱が押し寄せる。
 人の熱。恐怖の熱。期待の熱。

 父王レオニスは玉座に座り、顔色が灰色だった。
 沈黙の鎧を着込んでいる。
 何も言わないことで、決断を先延ばしにする鎧。
 その鎧が、今はこの国をさらに冷やす。

 その横に、宰相グラディオが立っている。
 穏やかな微笑み。
 だが目の奥に、焦りの油が浮いている。
 昨日まで完璧なはずだった盤面が、今日、崩れ始めた匂い。

 貴族たちは二列に並び、私が入った瞬間にざわめきが収まった。
 音楽のない舞踏会みたいに、静かすぎる。
 静かすぎて、心臓の音が聞こえそうだ。

「第一王女セレスティア、参りました」

 私は一礼した。
 完璧な角度。
 完璧な距離。
 完璧な冷静さ。

 グラディオが柔らかい声で言う。

「殿下。王都に、不穏な噂が流れております。王妃様の死に関する……根拠のない中傷です」

 根拠がない。
 彼はそう言うしかない。
 根拠があると認めた瞬間、自分が崩れるから。

 私は頷いた。

「不穏ですね」

 その言葉に、貴族の肩が少しだけ揺れた。
 “否定しないのか”というざわめきが、目で伝わってくる。

 グラディオの目が細くなる。

「殿下は、噂を否定なさらないのですか」

 私は彼を見た。
 まっすぐ。
 逃げ道のない目で。

「否定しますか? それとも、確認しますか?」

 沈黙。
 その沈黙が、刃になる。
 確認を拒めば、彼は“隠している”ことになる。
 確認を受ければ、証拠が並ぶ。

 グラディオは微笑みを崩さずに言った。

「確認は必要でしょう。しかし……噂に踊らされてはなりません」

「踊らされていません」

 私は淡々と言った。

「踊らされているのは、制度です。……制度が穴だらけだから噂が入る。だから、穴を塞ぎます」

 貴族の中から、小さな息を呑む音がした。
 穴を塞ぐ。
 それは、利権を塞ぐという意味でもある。

 父王がようやく口を開く。
 声は乾いていた。

「セレスティア……お前は、何を知っている」

 私は父を見た。
 見た瞬間、胸が痛む。
 父は弱い。
 でも父もまた、この国の牙に噛まれている。
 噛まれたまま、動けなくなっている。

 私は言葉を選んだ。
 父を責める言葉ではなく、父が決断できる形の言葉を。

「私は、事実を並べます」

 私は手にしていた書類束を、記録官の前へ置いた。
 紙の音が、広間に響く。
 その音が、砲弾みたいに重い。

「王妃の医療記録の封印が、近頃動きました。封印記録は残っています。誰が触れたか、追えます」

 グラディオが口を開きかける。
 私は先に続ける。

「次に、禁制薬草の流通記録。王妃が倒れた直前、ミルフィア草の流通が不自然に増えています。宰相府管轄の商人を経由して」

 ざわめきが走る。
 貴族たちの顔色が変わる。
 薬草の流通は、金の匂いがする。
 金の匂いは、貴族の恐怖を刺激する。
 彼らは理解する。
 これは噂ではなく、仕組みだと。

 グラディオが微笑みのまま言う。

「殿下。それは、あくまで推測に――」

「推測ではありません」

 私は淡々と遮った。
 怒鳴らない。
 怒鳴ると激情になる。
 私は刃を研ぐように言葉を落とす。

「調合記録が出ました」

 その瞬間、広間の空気が止まった。

 調合記録。
 薬の調合は、誰が、いつ、何を混ぜたか。
 それは病死を病死に見せかけるための“設計図”だ。

 私は記録官に向けて言う。

「この記録は、第二書庫の奥から出た写しです。開封手続きは立会いのもとで行いました。改ざんではありません」

 ユリウスが一歩前へ出た。
 硬い声で、しかし確実に言う。

「立会人は私、カーヴェイン侯。記録官、監査官も同席。封印の状態も確認済みです」

 その言葉が、空気に楔を打つ。
 誠実な男の言葉は、派手じゃないのに強い。

 グラディオの目がほんのわずかに揺れた。
 揺れは、焦りの漏れだ。

 私はさらに紙を一枚、差し出した。

「そして、侍医の証言」

 貴族たちが息を呑む。
 証言。
 人の口。
 それは紙よりも怖い。

 私はここで、証言者本人を出さない。
 出せば消される。
 守る仕組みは先に作った。
 守った上で、必要な形で出す。

「侍医の生存者は、王妃の薬が宰相府の紙包みで渡されたこと、記録の改ざんが行われたことを証言しています。署名の書式も、宰相府のものです」

 グラディオが低く言った。

「殿下、そのような証言は容易に捏造できます。恐怖で人は――」

「恐怖で人は黙ります」

 私は静かに言った。
 恐怖を知っている声で。

「だからこそ、守る仕組みを先に作りました。証言者は保護下にあります。身分保障も、護衛も、移送も完了しています」

 父王レオニスが、わずかに身を起こした。
 沈黙の鎧に、亀裂が入る。

「……保護下?」

「はい。王家の責務として」

 私は父を見た。
 責めるのではなく、選択肢を渡す目で。

「陛下。今ここで必要なのは、感情ではありません。誰かを吊るすことでもありません。必要なのは、制度の修正と、責任の所在の確定です」

 貴族の一人が、震える声で言った。

「第一王女殿下……つまり、宰相閣下が……」

 グラディオが微笑みを貼りつけたまま、答えようとする。
 私は先に言葉を落とした。

「私は名指ししません。今は」

 その一言で、また空気が揺れる。
 名指ししない。 
 なのに、ここまで並べる。 
 それが怖い。
 それが強い。

「名指ししなくても、手続きが進めば、自然に辿り着きます。逃げ道のない形で」

 グラディオの眉が、ほんのわずかに動いた。
 彼は理解している。
 これは復讐者のやり方じゃない。
 これは“構造を壊す”やり方だ。

 父王が、沈黙の鎧の隙間から言葉を絞り出す。

「……宰相。説明せよ」

 その瞬間、王城の空気がゆっくり傾いた。
 重心が、少しだけ動いた。
 今まで宰相側に傾いていたものが、戻り始める。

 グラディオは微笑んだまま、一礼した。

「陛下。これは……第一王女殿下による政治的攻勢でございます。国を混乱させ、己の権力を――」

「違います」

 私は淡々と、しかし刃のように言った。

「混乱させているのは、穴だらけの制度です。私は穴を塞いでいるだけ」

 そして、最後の一押しを置く。
 感情ではなく、制度の言葉で。

「婚約譲渡の即時宣言を急ぐ動きがありましたね。反逆の疑いと同時進行で。……急ぐ理由があるから急いだ。そう判断されても仕方がない」

 貴族たちのざわめきが、怒りに変わり始める。
 急ぎすぎた者は、怪しまれる。
 急ぎすぎた者は、隠していると思われる。

 私は言葉を続けない。
 言い過ぎれば、激情になる。
 私はただ、刃を置く。
 置けば、勝手に刺さる。

 広間の天井画が、いつもより遠く見えた。
 母が死んだ夜の天井画と同じだ。
 でもあの夜と違うのは――
 今、私は立っている。
 一人じゃない。
 味方がいる。
 紙がある。
 制度がある。

 父王の沈黙の鎧が、少しだけ剥がれる音がした。
 その音は小さい。
 でも確かだ。

 王城は、ゆっくりと傾く。
 誰かの激情ではなく、
紙と手続きと、守る意思の重さで。

 私は息を吸い、吐いた。

 泣かない。
 怒鳴らない。
 ただ、進める。

 真実が漏れ出したなら、
それを拾って、逃げ道を塞ぐ。

 そのために私は、生きている。
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