妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第28話 見張りは二度、裏切る

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 警備を強化する、という言葉は安心を売る。

 でも現場で増えるのは、安心じゃない。人の数だ。人の数が増えれば、口が増える。隙が増える。金の通り道も、恐怖の通り道も増える。

 だから私は、朝の執務室で命令書を見ながら、ひどく冷静だった。

 港の倉庫——第七埠頭、第三倉庫。

 昼は合法。夜だけ別の顔。

 その二重構造に触れるには、正面から殴ってはいけない。殴れば、隠す側は一斉に黙る。黙ったら、紙に残らない。

 紙に残らないものは、また誰かを殺す。

 机の上に、アレクシスが持ち込んだ束が置かれた。

「警備増員の布告。港湾管理組合への通知。監査官の立会い枠……」

 淡々と読み上げる声は、王太子だった頃よりずっと機械的で、ずっと頼りになった。

 私は指先で紙を整えながら言った。

「これで港は騒ぐ。騒げば、夜の倉庫は余計に動く」

「はい。動かないと在庫の辻褄が合わない」

 アレクシスは視線を上げ、少しだけためらうように言葉を選んだ。

「……ただ、女王が直接“踏み込む”形にすると、逃げます。倉庫も、人も」

「分かってる」

 ルーナが横で書類を抱えたまま頷く。

「港湾側に、警備強化は“歓迎”されるでしょう。でも、その歓迎は表だけです」

「裏は?」

 私が聞くと、ルーナは唇を噛んだ。

「裏は……見張りが、増えるほど都合がいい人がいます」

 その言葉に、アレクシスが小さく息を吐く。

「“見張りを買える人”がいる」

 私は椅子に深く腰掛け、指で机を一度だけ叩いた。

「買える見張りを、敢えて混ぜる」

 ルーナの目が揺れる。

「……わざと、ですか」

「わざと。裏切る人間がいないと、命令の糸が見えない」

 アレクシスが静かに補足する。

「裏切った者をその場で捕まえるのが目的ではない。誰が、どこから、何を餌に動かしたかを掴む」

「そう」

 私は紙束の端を揃えた。

「今日は“罠を張る日”」

 扉がノックされ、王付き侍従のロランが入ってくる。正確な所作で一礼し、声を落とした。

「女王陛下。港湾警備の人選案が整いました。監査官代理マルセル卿も、廊下でお待ちです」

「通して」

 ロランが扉を開けると、マルセルが入ってくる。背筋が伸びすぎた男は、今日も伸びすぎていた。伸びすぎた背筋は、誰かの影を背負っている。

「女王陛下。本件の警備増員、監査枠の追加、承りました」

「人選を見せて」

「はい」

 マルセルは紙を差し出した。港湾警備の名簿。配属。交替制。責任者。

 私は目を滑らせて、すぐ一箇所で止まった。

「ここ」

「……どちらでしょう」

「第七埠頭の夜間警備、追加二名。名前が“綺麗すぎる”」

 マルセルの喉が動く。

「綺麗、とは……」

 私は紙の上の名前を指でなぞった。

「経歴に穴がない。懲戒もない。異動もない。欠勤もない。人間はそんなに整ってない」

 ルーナが小さく頷く。アレクシスは黙ったまま、紙の裏面まで目を通している。

 マルセルが言い訳を探すように口を開いた。

「港湾側が推薦した人員で……信頼できると」

「信頼できる、って言葉は、誰が言った?」

 マルセルは一瞬、言葉を詰まらせた。

「……港湾管理組合の、警備主任が」

「主任の名前」

「……バルド」

 その瞬間、アレクシスが静かに言った。

「バルドの署名、昨日の倉庫関連の書面にも出ています。倉庫の“夜間清掃契約”の承認者」

 夜間清掃。

 便利な言葉だ。夜に人が動く正当な理由になる。

 私はマルセルを見た。

「この二名、混ぜる」

「……陛下?」

 マルセルの声に、ほんの僅かに恐怖が混じった。やりたくない。やらせたくない。けれど命令は拒めない。

「混ぜる。配置を認可する」

「危険です」

「危険なまま進める。危険を“見える形”にする」

 マルセルの手が、わずかに震える。彼はきっと、今まで危険を“見えない形”にして生きてきた。

 私は言葉を柔らかくした。

「マルセル卿。あなたは今、私に忠告した。良いことだ。忠告は記録に残せる」

 彼は目を瞬かせた。褒められたのが怖い顔だ。褒め言葉は罠だと教え込まれた目。

「……かしこまりました」

 私は頷き、ロランに言う。

「港に連絡。警備強化は“歓迎される形”で流して。怖がらせない。騒がせない」

「承知しました、女王陛下」

 ロランが下がる。扉が閉まると、執務室の空気が少し冷えた。

 アレクシスが机の端に手を置き、低い声で言う。

「罠の肝は、裏切りを“許す”ことです」

「許す、というより——泳がせる」

 私は視線を上げた。

「裏切りは悪じゃない。理由がある。金か、恐怖か、その両方」

 ルーナが小さく呟いた。

「……二度、裏切ることも」

 私は頷いた。

「一度目は金。二度目は恐怖。恐怖の方が深い。恐怖の発信源は必ず、上にいる」

 アレクシスが頷く。

「その“上”が、港の外……王宮の中なら」

「なら、終わってない場所がある」

 その言葉を口にした瞬間、窓枠に小さな石が当たった。

 カツン。

 私は窓を少し開ける。紙片が滑り込む。

『夜の追加警備、二人とも“買える”。一人は金、もう一人は家族。港のバルドが握ってる。あと、指示の紙、王宮の印が薄い。——カイ』

 家族。

 恐怖はいつだって、そこへ降りる。

 私は紙片を握り、ルーナに言った。

「港へ行く。今夜じゃない。昼に」

「昼に?」

「昼の顔を確認しないと、夜の嘘が分からない」

 アレクシスがすぐ頷く。

「表で動けば、裏は焦る。焦れば、命令が増える」

 私は立ち上がった。

「焦らせる。でも追い詰めすぎない。噛みつかせる場所を残す」

 罠は、逃げ道がないと成立しない。

 逃げ道があるから、相手は動く。

 動くから、糸が見える。

 *

 昼の港は、明るい。

 潮の匂い、木箱の匂い、魚の生臭さ。人の声。笑い声。怒鳴り声。全部が生活の音だった。

 私は護衛を最小限にして、アレクシスとルーナ、そしてロランを連れて歩いた。王の行幸みたいに見せたら、港は凍る。今日は凍らせない。

 倉庫の前に、港湾管理組合の男が待っていた。

 バルド。

 痩せた頬に、愛想の良すぎる笑み。目だけが笑っていない。笑えない目だ。誰かの命令で笑っている目。

「女王陛下。ようこそお越しくださいました。港湾は王国の喉でございます」

「喉は、詰まると死ぬ」

 私が淡々と言うと、バルドは一瞬だけ固まってから笑った。

「お言葉が鋭い。ですが安心ください。管理は徹底しております」

「徹底、は紙の上?」

「現場もでございます」

 私は倉庫の扉に手を触れず、距離を保ったまま言った。

「夜間の清掃契約、増えたね」

 バルドの眉がわずかに動く。

「衛生のために」

「衛生は良い。けれど、衛生は帳簿で嘘をつける」

 バルドの笑みが、薄くなる。

 アレクシスが一歩前に出た。

「契約書の形式が、先月から変わっています。承認印も変わっている。理由を聞かせてください」

 バルドの視線が、アレクシスの顔を一瞬だけ測る。王室補佐官。飾りではない。彼はそれを理解している顔だった。

「形式の統一でございます。監査の……」

「監査のため、という言葉は便利ですね」

 アレクシスは淡々と遮った。

「監査官は“現場の声”を見る。形式だけでは通りません」

 バルドの喉が動く。

 私はその喉の動きを見て、確信した。

 この男は、自分の言葉で話していない。

 言葉の奥に、別の声がいる。

 私は、倉庫の壁に貼られた番号札を見た。

 第七埠頭・第三倉庫。

 昼の顔は、ただの古い倉庫だ。木箱、麻袋、塩。穀物。普通の物流。

 普通であるほど、夜が危ない。

「バルド。夜間警備、追加したね」

「はい。念のため」

「追加の二人、紹介して」

 バルドは一瞬だけ躊躇し、それから手招きした。

 出てきたのは、二人の男。

 片方は頬が厚く、目が泳いでいる。金の匂いがする顔。もう片方は痩せて、目の奥に怯えが張り付いている。恐怖の匂いがする顔。

「こちらが——」

「名前は自分で言って」

 私が言うと、金の男が先に言った。

「……トビアスです」

 恐怖の男が遅れて口を開く。

「……リオです」

 リオの指が、小さく震えている。震えの方向が、私ではなくバルドへ向いている。つまり彼の怖い相手は、今ここにいる。

 私はトビアスに聞いた。

「夜は何を見る?」

「荷の出入りを。倉庫の鍵を。異常があれば組合へ」

「組合へ。王宮ではない?」

 トビアスは一瞬だけ詰まって、笑った。

「決まりで」

 決まり。

 決まりと言う人は、決めていない。

 私はリオを見た。

「君は?」

 リオは喉を鳴らし、目を伏せた。

「……同じです」

「目を上げて」

 命令じゃない。けれど拒めない音で言った。

 リオは目を上げた。そこに、薄い涙の膜があった。

 家族だ。

 握られている。

 私はすぐに視線を逸らした。ここで見すぎると、彼は壊れる。壊れたら、糸が切れる。

 私はバルドへ向き直る。

「警備、頼んだよ。夜は——きっと忙しい」

 忙しい。

 その言葉に、バルドの笑みが僅かに引きつった。

 帰り道、ルーナが小声で言った。

「セレス様……リオさん、怖がっていました」

「怖がってるのは正しい。怖い場所だから」

「助けられますか」

 私は少しだけ間を置いて答えた。

「助ける。でも今は、助ける順番を間違えない」

 助けると決めても、助け方を間違えれば、もっと多くが死ぬ。

 アレクシスが馬車の中で書類を開いた。

「夜間清掃契約の承認印、港湾組合の印の下に、薄い印影があります」

「薄い?」

「上から押されている。つまり——元の印を消すための押し直し」

 私は息を吸った。

「元の印は、どこ?」

 アレクシスは答えた。

「王宮内の物資管轄部署で使われる形式です。完全一致ではない。けれど似せている。……似せる必要がある場所」

 ルーナが呟く。

「王宮の中に、まだ——」

「まだ終わってない場所がある」

 私は同じ言葉を繰り返した。

 *

 夜。

 第七埠頭の倉庫は、昼より黒かった。

 黒いのに、人は動く。灯りが揺れる。足音が湿った木板を叩く。声が小さすぎる。小さすぎる声は、悪事の声だ。

 私は王城にいた。

 現場へは行かない。行った瞬間、相手は“女王が来た”で逃げ道を変える。今日は糸を見たい。影の仕事だ。

 窓枠に、また石の音。

 カツン。

 紙片。

『動いた。トビアス、金で開けた。鍵を渡した。荷は三つ。帳簿なし。リオ、止めようとした。——でも二度目、止めなかった。誰かに“家族”を見せられた』

 私は目を閉じなかった。

 リオは、二度裏切った。

 一度目は、裏切らない——のふりをした。二度目は、恐怖で折れた。

 裏切りは悪じゃない。

 恐怖の結果だ。

 私は紙片を握りしめ、アレクシスに目配せした。彼は既に机に書類を広げている。

「命令系統、辿れる?」

「辿ります。港湾組合の夜間指示書は、監査枠の追加で必ず紙が増える。紙が増えれば、誰かの手を経る」

「その“誰か”が王宮内なら?」

「部署が出ます」

 ルーナが震える声で言う。

「……捕まえるのですか」

「捕まえない」

 私は即答した。

 捕まえれば、終わった気になる。終わった気になった瞬間、歯車は名前を変えて回る。

「今日は見送る」

 ルーナが息を呑む。

「見送る……?」

「見送って、次の命令を出させる。恐怖の発信源は、動いた時にしか形を持たない」

 アレクシスが低く言う。

「“上”は、下の失敗を嫌います。失敗を隠すために、より強い命令が降りる。そこに、署名が残る」

「残るのは、紙だけじゃない」

 私は窓の外の闇を見た。

「恐怖も、残る。恐怖を誰が配っているかが分かる」

 その時、ロランが静かに入ってきた。顔色が硬い。

「女王陛下。港湾管理組合から、臨時の“安全協議”要請が届いております。明朝、王宮の……物資管理局の者も同席したいと」

 物資管理局。

 王宮内の一部署。

 アレクシスの手が、ほんの僅かに止まった。

 私は、ゆっくり息を吐いた。

「来たね」

 終わっていない場所が、名乗った。

 ロランが続ける。

「陛下、返答を」

 私は頷いた。

「受ける。正式な議事録を取る。立会いは監査官、記録官、王室補佐官。逃げ道のない形で」

 ロランが一礼し、去る。

 ルーナが小さく言った。

「……怖いです」

「怖いままでいい」

 私は、いつもの言葉を置いた。

「怖いまま、見て、残す。怖さを削ったら、また噂が入る」

 窓の外はまだ暗い。

 でも、闇の中で糸が一本、光った。

 港湾組合から旧宰相派へ。

 旧宰相派から、王宮の物資管理局へ。

 見張りは二度、裏切る。

 金のために。

 恐怖のために。

 そして、その恐怖の発信源は、私の城の中にまだいる。

 私はペンを取り、紙の一番上に新しい見出しを書いた。

 ――「恐怖の配達人」。

 今度は名前を、逃がさない。
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