黒須澪と誘惑の物語

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<25・キュウサイ。Ⅲ>

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 数日後。
 本部の地下室に呼ばれた春は、目を見開くことになるのである。

――な、何であの人が此処に?

 あの霊能者と思しき青年、新倉焔が入信者の中にいたからだ。彼は驚く春をちらりと一瞥した。知らないフリをしろ、ということだろうか。あれだけはっきり教団に関して警告をしてきた彼が、今更教団の考えに心酔して入信するとも考えにくい。というか、彼が宗教に縋って、他力本願で願いを叶えようとするタイプでないことは明らかである。
 もしや、自分と同じように、この教団の“神様”とやらを調べたくて潜入してきているのだろうか。だとしたら、なんて危ない橋を渡るんだとしか思えないが。

――いや、でもそういう人なのかも。……あの“鬼”を命賭けて追いかけようってタイプだもんな。

 神様に純粋に興味を持ったから、なんて生易しい理由ではないのだろう。壷鬼、とかいう鬼を追いかけていると言っていた。それがどれほど危険な存在であっても関係なく。悪魔にも近い存在を捕まえ、あるいは滅ぼそうというのならそれ相応の力は必要になってくる。その力を手に入れるため、別の力に近づいてみようという魂胆なのか。あるいは――春のことを心配してくれたか。
 流石に一度話しただけの占い師のために助けに来てくれるほど、お人よしの人間はそうそういないとは思うが。

「榛名さんの“眼”は確かなものがあるからね。生きた人間を見抜き、未来を導くその力は是非とも今後に役立てて頂きたい」

 バージル西垣は笑顔で春の肩を叩いた。

「とういうわけで、今日やって貰うのは“この信者達の中”から選ばれた存在を見出す作業のみで結構。儀式そのものは、見学してもらうだけでいいよ。危ないかもしれないからね」
「……危ないかもしれないって……人が死ぬとか、そういうことがあるかもしれないということですか?」

 ストレートに尋ねれば、バージルは“そんなんじゃないよ”と笑った。

「ぼくも全力を尽くすし、他の幹部たちも頑張ってくれる。ただ、それでもぼく達が今日お迎えするのは正真正銘、本物の神様だからね。それも、日本の神様ではなく、この“地球の”神様と言っても過言ではない……とにかく強大な存在だ。万が一、という可能性はゼロではないということだよ。神様という存在は、機嫌を損ねてしまうと大変なことになってしまうからね」

 眼を細めるバージルの背にもまた、いくつもの糸が見えていた。正直、春はあまりバージルのことは“視ない”ようにはしているのだ――そこから想像できる彼の境遇が、あまりにも気の毒なものであるがゆえに。
 まるで子供のような話し方をする彼の背景には、両親に“どこまでも子供のように純粋無垢な神子であれ”と育てられた背景があるのだろう。彼の背から伸びる糸の多くは、誰かに強引に断ち切られてきた印象だった。特に、小さな糸ほどその傾向が強い。多分幼い頃から、交友関係を極端に限定されてきたのだと思われる。息子に近づく“穢れと持ちこむ人間の子供”を、両親がどこまでも排除して回っていたのではないだろうか。
 背中から二本、どこまでも伸びるように見える糸はよく見えると端が切れている。溶けるように切れているそれは、老衰で死んだことを現していることが多い。彼は高齢と言える年齢でさえ、あの世の両親の意思に縛られているのだ。――神様をお迎えして、この世に平穏を齎すことこそ使命。自分が産まれてきた意味。完全な善意だけで、本気でそう信じているのが透けている。
 これだけ強い力を持ち、人を思いやる心を持っているはずなのに、その気概は根っこから大きく歪んでいるのだ。あまりにもやるせない、と思ってしまう。宗教が悪いのではない。しかし子供や赤の他人にそれを強制し、人生を縛り付ける行為が善であるとは到底思えないというのが春の考えだった。バージルを見ていると、心の底からそう思うのである。

――その神様が本当にいい神様なら、この人も救われるんだろうけど……。

 あの新倉焔が、嘘を言っているようには到底思えなかった。恐らく、これから何かが起きるのだ。そもそも本当に善き神だとしても、怒らせたら大変なことになるというのは多くの神話が証明しているではないか。

「よ、よろしくお願いします」

 ぐるぐると考えながら、黒い箱のような部屋に集められた十数人の信者達を見た。見事なまでに年齢も性別もバラバラである。特に制服に着替えろという指示は受けていないのか、あるいはまだ正しく“入信した”扱いになっていないのか、教団の元々の信者や職員たちのように黒い制服を見に纏っているわけではなかった。まあ、入ったばかりの人たち全員に制服を支給できるほどの時間がなかっただけ、というメタな事情もあるのかもしれないが。
 強い力を持つ者を選べというが、その基準がどのようなものであるべきかをバージルは言わなかった。霊能力、あるいは超能力の素質だと思っていいのだろうか。リストに眼を通していた春は、ふとバージルと同じ“西垣”性の人間がいることに気づく。

「バージル様。えっと、この子ってひょっとして、バージル様の親戚だったりしますか?」

 信者が身内を勧誘するのはよくあることである。西垣という苗字は極めて珍しいというほどではないが、それでも頻繁に見かけるほどではない。

「ああ、西垣由羅ちゃんだね?彼女はぼくの遠縁だよ。といっても、あまり逢ったこともなかったんだけど。お葬式で二度、三度顔を合わせたことがあったかなかったかってくらいかな」

 バージルはちらりと入信者達の方を見て言った。その中にいる、茶髪にボブカットの高校生の女の子を指さす。

「あの子だよ、あの子。可愛いだろう?……何でも、最近ぼく達の活動に興味を持ってくれたらしくてね。この教団について調べてたら、遠縁のぼくが幹部をしてるって気づいてくれたみたいで、声をかけてくれたんだ。今日は保護者の人と一緒に来てるんだよ。ぼくの血筋だから、彼女もなかなかいい素質を持っていると思うんだけど、どうかな」
「わかりました、よく見てみますね」

 最低三人、多くて五人を選べと言われている。早く済ませてしまおう、と春は一番左端の信者から順々に“視て”いった。一人あたりに、そう時間がかかることはない。ただ気になる“糸”が見えたならその都度一言二言質問をする、というだけだ。

――本当に彼等の存在が、儀式の成否に影響するというなら……言われた通り、ちゃんとした人材を選んだ方がよさそうだ。この手の儀式は中途半端に失敗すると、一番ろくなことにならないって相場が決まってるし。

 新倉焔のところまで来た。彼の背中に見える“糸”に大きな変化はない。相変わらず、“鬼”を追いかける意思に変化はないようだ。

「……どうしてこちらに?」

 短い言葉で問いかけると彼は、“力が欲しいからな”と飾ることもなく答える。

「その糧になるかもしれないならば、死地にでも飛び込むさ、俺は」
「……そういうのを無謀って言うんじゃないですかね」
「それだけじゃない。……流石に見過ごせなかったからな。一応忠告はしたがお前、自分では組織から抜けられなかっただろう?」

 まさか本当に自分を助けるために来たとでもいうのか。眼を見開く春に、彼は一言告げた。

「俺を選べ。資格は充分なはずだ」

 言われるまでもなかった。殆ど一般人だらけのメンバーの中で、彼が抜きん出た“素質”の持ち主であるのは言うまでもなく明らかだったからである。本人もそれを望むというのなら、拒否するべきでもないだろう。小さくうなずくと、春は次へと移った。
 焔。それからうっとりとこちらを見つめる若い男性、田中速人たなかはやと。あと一人か二人、といったところで眼に止まるのは、バージルの親戚の子であるという西垣由羅という少女だ。

――この子は……。

 彼女も訳ありなのはすぐにわかった。つい最近切断されたばかりに見える糸が大量にぶら下がっている。全てずたずたに切り裂かれたような形状――大量殺人で仲間を一斉に失ったかのような有様だ。両親は生きているようだが、その縁は両親とは思えないほど薄れている。代わりに力強く伸びている糸は、彼女の隣に立つ青年と結ばれていた。
 今の彼女が誰を拠り所にしてそこに立っているかは明らかである。まるで、神に嫁入りした聖なる使徒だ。

「……貴女が今、一番望むことは?」

 意味はないかもしれない。それでも質問せざるをえなかった。
 彼女の素質は、極めて特殊だ。背中に垂れ下がる、微かに見える透明の糸。恐らく、生まれつき“人ではないもの”に見初められやすいタイプだろう。それが本人にとって吉となるか凶となるかは定かではないが、正しく訓練を得ればとんでもない召喚士になれそうである。

「決まっています。……私の大切な人の、一番の望みが叶うこと。そのためならば私は死んでも構わないのです」

 由羅ははっきりと断言した。狂っていると思えるほどの信仰心と共存する理性。この世の中にはこのような人間もいるのかと驚かされる。
 三人目も決まった。残るは、と思ってその由羅が信頼していると思しき“保護者”に眼を向ける春。そして。

――!

 息を、呑んだ。
 リスト通りならば、名前は黒須澪。長い黒髪、白皙の肌、金色の瞳を持つ細身の青年。絶世の美貌、という言葉が相応しい。が、春が本当に驚かされたのはそこではない。

「あな、たは」

 彼の背中に伸びているように見えたのは、殆どが“糸”ではなかった。由羅と結ばれているそれは確かにお互いへの信頼の“糸”なのだが、問題はそれ以外である。
 あまりにも痛々しすぎる。
 彼の背中に突き刺さっているのは、あまりにも大量の――杭。鋭く尖り、血にまみれ、今なお背中の肉をも抉らんとしているように見えるそれが意味するところは――。

「……何故、笑えるのです」

 初めてだった。
 視ただけでこんなにも――胸が締め付けられる光景は。

「もう、痛いことを痛いとも、言えないのですね……貴方は。本当は、人が、大好きだったのに」

 そう告げた途端、青年の顔から一瞬微笑みが消えた。
 杭の数。年季。そして、そこに絡みつくとてつもない力の残滓。
 すぐに分かった。彼が、“普通の人間”の範疇にいない存在であることは。それでも、悲しいと思ってしまった。本人が何もしなくても、望まなくても、何かを引き寄せてしまうタイプというのは人間にも存在するものだ。それが“悪意”や“欲望”であることも少なくはない。そういう人間も、今まで見たことはある。意図せず引き寄せてしまった縁は、糸の形状でないことも少なくはないのだ。
 でもこれは。ここまで悲惨なものは初めて見る。
 彼は否が応でも人の悪意と欲を引き寄せ、引き裂かれ続ける運命を背負っている。自ら突き刺したであろうと思える杭も数本見受けられたが、それがほとんど“自傷行為”と同じものであることに本人は気づいているのかいないのか。未だに刺さった箇所から血が流れていることが、全ての証明に他ならないというのに。
 それを“望んだ結果”だと思わなければ、彼は今日まで正気を保てなかったのか。

「貴方は、何を望むのですか。それでも今、何を」

 気づけば涙が溢れていた。人の顔を見て泣くなんて、そんな失礼なことがあっていいはずがないというのに。
 慌てて袖口で目元をぬぐう春に彼、黒須澪は何を思ったのだろう。やがて静かな声で、告げたのだ。

「終わりを。……それまでの時は、彼女の救いを」

 多分。誰にも話すつもりのなかったことを、自分は無理やり聴き出してしまったのだろう。ごめんなさい、と掠れた声で呟くだけで精いっぱいだった。これ以上、澪を“視る”のはあまりにも辛すぎた。

「大丈夫かい、榛名さん?」

 バージルに声をかけられ、我に返る。まだ熱い目元をごしごしと擦って、どうにか“ハイ”とだけ返事をした。

「四人、決まりました。お願いします」

 何となく、予感がしていた。
 例え命の危険があっても自分はきっと今日、この場所にいなければならなかったのだと。
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