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【四】

 十二月を迎えた夜空は綺麗だ。見上げるだけで心が高鳴って、欲しいものが何もないのにコンビニに寄りたくなるしスーパーで陳列棚を凝視しながら無駄に練り歩きたくなる。どうでもいいものばかり買ってきて、と貴昭に口うるさく言っているのは確かに俺のはずなのにな。
 少し出るのが遅くなった。防災センターに鍵を預け、そのまま通行口に出ると、『おそいっ!』とヘソ曲げた黒猫に鋭く威嚇された。
「じゃあ先に貴昭と帰ってりゃよかったじゃん。寒い思いしなくてスムーズに家の中入れたんだぞ?」
 夜も遅いからお前ら先に帰れ、と言ったのは一時間前のこと。貴昭はいつも通り『分かったー』と言った時、こいつは携帯見ながら『肉まん買って欲しいから無理ー』、と三人がけのソファに寝転びながら言ってのけたのだ。っていうかいくら貴昭とアプリのゲーム内でチーム組んでるからってこの部屋にたむろす意味はねえだろ俺仕事中だぞ。そうして『じゃあまた後でー』と部屋を後にした貴昭には目もくれず。
「肉まん買ってくれなきゃ……っ、はっくしょん!」
「ほら、ちゃんとマフラー巻けって」
 中途半端に崩した結び目はいまの流行りか何かなのか。くしゃみのせいでその場に立ち止まってしまった春名の首元に手を伸ばす。解くと『学校でセクハラ?』と真顔で問われるが気にしない。セクシャルなハラスメントを毎回仕掛けてくんのは春名の方なのだから。
「ちょ、ちょっとちょっと! きついー!」
「きつくないきつくない。ほら、結べた」
 胸元あたりで結んでいた両はしを思いっきり首の後ろまで持っていき、一度だけ結ぶ。あぶない、危うくこま結びにする所だった。
 西側の門から出ると、広い通りにはたくさんの車。十九時代は帰宅ラッシュのせいで一番混み合う時間帯だ。
 自転車は来ていないだろうかと春名より先に歩道へ出た。呑気に鼻をすすりながら遅れて歩道に出た春名が何も考えず車道側に行きそうになったから、しかたなく大回りして春名を内側に寄せ、自分が車道側に立った瞬間。
「ん?」
 なぜか、後ろに意識がいった。何となく、何かがこっちを意識しているように見えたのだ。
 振り返った先。俺の思いすごしではなく、よくよく見ると  遠い遠い位置に人が立っている。顔までは分からない。ただ立っていただけ。
「……なあ春名」
 その瞬間  ひらひらと振られる手。
「ん? いたっ」
「……えっお前何やってんの」
 素っ頓狂な声が上がった先を見ると、何故だか春名がうずくまっている。
「自分の足踏んだ……」
「えっどうやって」
「えっスマホ見てたらこう、こうやって、ぎゅって」
「歩きスマホやめなさい!!」
「先生が呼んだからだろ!」
 ああもう、下らない喧嘩とかどうでもいい。
「っなあ、あいつお前の、」
 もう一度、後ろを振り返る。
「……あれ?」
 いない。
 だが見間違いではないはず。確かに、さっきまでは居たのだ。
「は?」
 俺が見ている方を、一緒になって春名が見る。
「さっきこっちに向かって手え降ってた奴が……」
 たちの悪いいたずらかな、と呟くと、春名が俺の腕をバシバシと叩く。
「ちょ、ちょっと待って! なに、幽霊ってこと?!」
 興奮気味の様子に、ああ確かこいつオカルト好きだったなあと今年の夏を思い出した。テレビの心霊特集を片っ端から観ては、夜、トイレに行けないと泣きつきまくってきたのだ。こわいなら観るなよ。
 馬鹿だなあ。あん時はマジでめんどくさかったのに、今思い出すと笑いが湧いてくるのは何故だろう。可哀想だからお兄さんが肉まんでも買ってやろうとするか。貸しを作らせるのは、悪いことではない。























 長期休むに近づくと必然的に浮き足立つ生徒たちをすり抜けながら廊下を歩く。こういう時便利なのはこの生まれ持った身長で、分け入る道筋が分かりやすいからいい。
 授業から帰ってきたおりだった。騒がしい廊下の中に紛れた存在なのに、足を止めているかのように動かないから遠くてもすぐに分かる。
「……あれ?」
 近づくうち、やはりそうなのかもしれないと思った。自分の部屋の前に生徒が立っているのだ。背中しか見えないから顔が分からない。だから、早足になる。
「君、どうした?」
 声をかけた瞬間振り返った相手。大変申し訳ないが思い当たる節がない。少し茶色めの髪と涼しそうな瞳。目線は俺と同じくらい、ということは百八十とちょっと、といったところだろうか。身長はまあまああるのに、どこか印象が薄い。大体俺位の身長になると壁みたいな存在感になるんだけどな。どうでもいいが、だから百九十センチの貴昭は俺よりも壁ということになる。
「先生、この前は遠くから失礼しました」
 その言葉にいまいちピンと来ず、ポケットの鍵を取り出しながら考えた。
「遠く?」
「そうです、一週間前くらいだったかな、遠くに先生と、ハル……春名の姿が見えたから僕、手を振ったんです」
「て、手……ああ!」
 手を振った、というキーワードで全く該当していなかった検索結果は見事ヒット数一件。あの日だ、夜遅くなって西門から出た時。ああ、だからぱっと見ただけで印象に残ったのかもしれない。身長が大きいから、距離の割に近さがあったという不安感を覚えたんだろう。
「なんだよ、春名が『幽霊だったんじゃない』とか言うからちょっとビビってたけど、はー良かった」
「はは、春名らしいな」
 真相が分かったのにあの時の奇妙さが蘇り、またちょっと心臓がどきどきしてしまった。
「さ、どうぞどうぞ。入って」
 スライドドアを開き、中に招く。
「失礼します」
 真っ直ぐデスクに向かうと、彼も後ろからついてきた。
「で、なんか用事でもあった?」
「春名、よく先生のところ来ますよね。……これ、春名に渡してもらえませんか?」
 そう言いながら手に持っていた布のバッグの口を広げる。見覚えのある赤の毛糸は、綺麗に畳まれていた。
「……春名のマフラー?」
「あと、これも。教室に忘れて行ったみたいで」
 同じバッグから、するりと取り出された封筒には大学のロゴが印刷されている。大方向こうの科で配布された冬季の課題表だろう。俺もさっき配ってきたから。
「分かった、預かるよ」
「どうぞ」
 布のバッグごと渡され、あれ、あいつこんなの持ってたっけと思った。一度も見たことのないオレンジ色のそれ。
 この生徒も彫刻科かな。向こうの校舎は少し離れているから顔が覚えられないったらありゃしない。まあ、自称友達ゼロ人の春名だが確かに目立つ存在だし、口を開く相手くらいは居なきゃやっていけないよな。
「先生は、」
「ん?」
「先生は、アルファですか?」
 突然何を聞いてくるんだ。
「……え?」
 女子生徒からはよく聞かれるが、男子生徒から聞かれたことは今の今まで無かった。だからだろうか、素直に驚いてしまう。
「ああ、まあ、そうだけど」
「……そうか、じゃあ僕と一緒ですね」
「……、君……」
 そういえば、まだ彼の名前を聞いていない。
「ああそうだごめん、春名に伝えとくから名前を……」
 言った矢先、デスクの内線が鳴り始める。やばい忘れてた、校内のアートスペースの掃除だ。
「あっ、ちょっと待って」
 駆け足で受話器を取りに行く。出ると、まさかの彫刻科からの内線だった。振り返ると、彼はぼんやりと待っているまま。手のひらでひょいひょいとあおぐジェスチャーを取ると、それに気づいた彼が近づいてきた。デスクの上にあったメモ帳とペンを渡す。メモ帳といってもミスプリントを切ってクリップでまとめたものだし、なんなら所々によく分からないみみずのような俺の字が走っているから恥ずかしくないといえば嘘になるが、まあこれでも書けない訳じゃない。無論恥は恥だが。
 書いて、とペンを持つジェスチャーをしてから受話器の向こう側で話していると、素直に頷いた彼がメモ帳にペン先をつけた。


 彫刻科からの内線は、俺が春日井を紹介したことのお礼と、是非次回も貸し出しをお願いしたい、という内容のものだった。これからは俺を通さず、直接春日井に言ってくださいとやんわり断りを入れ、やれ生徒がどうだの、新しい女性教師が入ってくるだのという世間話が終わる頃にはほとほと疲れ果てていた。なんで女の人ってこんな話長くしたがるんだ。身近で思い浮かんだのはもちろん、ゆきこおばさんの姿だった。
 上機嫌な彫刻科の女教授は正直顔がぼんやりとしか浮かんでこないが、やけにピンクのものばかりを身につけていたのが印象的だった。今日もピンクい格好してんのかな。
 ようやく終わった。と息をつきながら電話を切っると、今度はノックが鳴り響く。今日はやけに騒がしい。どうぞ、と声を出してから時計を見ると十七時半。多分春名と貴昭だ。
「失礼しまーす」
「……あれ、今日は貴昭居ないのか?」
「ああ、あいつ今……えっと、なんだっけ。の、の……のみちゃん……?」
「のんちゃん? 畑屋のぞみ?」
「そ。そいつと食堂にいる。あとで来るって」
 ふうん。ということは、今まで一緒に居たのにこいつだけ抜けてきたってことか。
 春名の顔を見て、ぼんやりと何かを忘れている気がする。
「あれ、なんで俺のマフラーがここにあんの」
そうだ、マフラーのことだ。
「ああ! そうそうそれ、」
 探してたのに、と言った春名は何食わぬ顔でそのマフラーを手にし、寒いのか首に巻き始めた。部屋の中で厚着になると外に出た時寒く感じるんだぞ、と再三言っているのにこいつは。
「さっき彫刻科の子が持ってきてくれたんだよ……多分お前知ってるやつだぞ。えーと、」
 メモ帳どこに置いたっけ、とデスクの上に目を向けると俺が引っ張り出した書類の下敷きになっていた。みみずの跡にまみれた白面から、自分以外の文字を探すのは実に簡単だ。渡したのはボールペンなのに、とめとはねを意識した、見本に見える綺麗な硬い字を目で追いながらそのまま声に出す。
「……『志野』、って子。わかる?」
「しの?」
 早くもソファで寛ぎだしていた春名が、俺の声に合わせ同じ音を出した。そうして半拍後にはめんどくさそうな顔から一変。
 眉をひそめ、突然驚いたかのように目を見開き、勢い良く立ち上がった。
「っ、見せて!!」
「わっ、ちょっと」
 迫られるままメモ帳を渡す。
「……っ、わあ!!」
 紙面に目を泳がせていた春名がその丁寧な字を見た途端、何を思ったのか首に巻きつけていたマフラーを乱暴に叩き捨てる。
「は、春名?」
「……っ、あ、アイツ、だ、」
 徐々に荒くなる息のまま、春名が自分の首に手を回す。そうして何かに気付いたかのようにソファに投げっぱなしになっていた携帯へと飛びついた。
「おい、」
「も、もとはる、元治に言わなきゃ、」
 その様子はとてもじゃないけれど尋常とは言えない。動揺しているのか、画面に向かう指は震え、誤タップを繰り返している。そもそも『もとはる』ってだれだ。そんな名前、今までこいつの口から一度も聞いたことがない。
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