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 こんなことになるなんて。
 首の裏が痛い。もう四年も前のことなのに、まだ傷口があるような気がして。
 何もかも中途半端。性別もそう。愛情もそう。最初から冷たくしてくれさえしたなら期待なんて持たないのに。中途半端に優しくされたから膨らんで、大きくなってしまうのだ。
 ママ、ママ。泣きながら縋るたび突き飛ばされる。叩かれる。『久也は絵が上手なのね』と褒めていた口から『あんたなんて居らない』と罵られ、『久也が描いてくれたママの絵はね、ママの一番の宝物なの』と認めてくれた口から『役立たず』となじられ。
 昨日までは、優しい母親しか知らなかった。突然だった  いや、違う。
『性判定検査の結果、久也君には性別がありませんでした』
 五歳の時。今でもはっきりと覚えている。性判定検査の結果が幼少時に出るのは珍しい例らしい。じゃあ、もっと大きくなってから知らされたかった。五歳の子どもはひとりで生きていけないけれど、十二歳なら。十八歳なら。
 医者の言葉に、極限まで目を見開いた母親の横顔。
 下唇を噛み締め、呪詛のように『そんな訳ない』と呟き続けるおそろしさ。
 母の態度が変わったのは、性判定検査の結果を聞いたその瞬間からだった。世界で一番大好きだったママの気が狂う瞬間を、俺は横で見ていたのだ。
 味わったこともない痛み。感じたことのない恐怖。誰も助けてくれない。幼稚園にも行かなくなった。狭い部屋の中、母親とふたり、いつなにがあるか分からない未知さ。髪の毛は抜けた。身体はアザだらけ。今となっては誰も気付かないだろうけれど、足の親指の形がおかしいのはこの頃、母親に投げられたヘアーアイロンが思い切り直撃し骨折したにも関わらず医者にも見せに行ってもらえなかったせい。
 言葉が話せなくなった。人への伝え方が分からなくなった。買ってもらったクレヨンは粉々。癇癪を起こすせいで物を投げるようになった母のせいで壁紙は傷だらけ。
 たったひとりの大好きな大人。大好きなひと。大好きな、母親が、自分に見せつけるようにして目の前で手首を切ったこと。
 出しっぱなしのシャワーを止めることすらできない。何もできない。浴槽にもたれながら動かないママ。いつものように怒らないママ。隣に座っても、手に触れてみても怒らないママ。ママが怒ってない。許してくれたのかな。嬉しくて笑顔になった、暑い夏の日。
 死ぬということの意味も分からなかった俺はママの隣に居た。隣人が『腐った匂いがする』と苦情を言い、スペアキーで鍵を開けるまでの二週間、ずっと。
 その時点できっと、俺の気も狂っていたのだ。発見されたのは、死んだ母親の隣で笑ったまま意識朦朧としている栄養失調の子どもだった。
 それから母親の姉家族に引き取られた。あまりにも酷い姿だった俺を、姉とその旦那と息子たちは受け入れてくれた。衣食住全てを用意してくれた。義理の兄弟たちには可愛がられた。二年経って、ようやく声が出せるようになった。『久也くんはなにがとくい?』と聞かれ、『あのね、ママにね、おえかき褒めてもらった』とみんなに言うと、翌日俺専用の、色とりどりのクレヨンを買ってくれた。ママと同じように俺の絵を褒めてくれた。だから昔よりもたくさん描いた。どんなに下手な絵でも絶対に褒めてくれる、優しい人たち。新しいママと、初めてのパパ。
 学校でも、ずっともくもくと絵を描いていた。好きなことをやりたい。集団行動に興味が無かったせいで友達と呼べる人間すら居なかったけれど一族譲りで顔は悪くないし、頭も良かったし運動神経もあったから悪口は言われなかった  いや、言われていたのに、気がつかなかっただけなのかも。ずっと絵を描いていたから。
 頑張った分だけ上手くなるんだよ。描いた分だけ、描けるようになる。小学校を卒業する頃には美術の学校に行きたいと言っていた。絵画教室に入った。たくさん描いた。そうしているうち、俺の興味は『絵という平面』から『物という立体』に移った。絵の中ではなにも触れない。でも、立体は違う。そこに『頭の中』が反映される。物として触れられる。感触を確かめて、温度を感じられる。
 初めて美術展に出品したのは、中学二年生の頃だった。近所の絵画教室所属、と表明し出品した立体物で、優秀賞を獲得したのだ。
 高校は美術専攻できるところへ行った。両親は賛成してくれた。
 だからそんな人たちが、まさか『自分が産まれることになったきっかけ』だなんて思ってもみなかった。
『唯花が憎い、憎くて仕方ない、でも、あの子には関係ない、関係無いのよ、だってあなたの血が流れてる』
 高校一年の時、深夜三時。下がやけに騒がしいと廊下に出て、忍び足でリビングに向かう。覗いた先に居たのは父と母と、はとこの元治だった。テーブルには見慣れない酒瓶。ママは、静かに泣きながらパパの肩にもたれていた。
『え?』
 大きな声を出してしまった。彼女らが俺に気付く。
『ねえ、パパの血が流れてるって……どういうこと?』
 死んだ母親とママは血が繋がった姉妹だから、分かる。
 でも、ママの子どもでも無い俺が何故、パパと血が繋がっているんだろう。引き取られたのは知っている。だからこそだ。血が繋がっている訳が無い。
『……もう寝なさい』
 静かな声で、パパに言われた。
 あれ、おかしいな。俺、間違えちゃったのかな。どうしよう。

 ◇ ◇ ◇

「、昔……初めて自分が、パパと死んだ母親との子どもだって知ったのと同じタイミングで、志野と出会ったんだ」
 遠い昔、というほど前でもないのに、既に懐かしい。懐古心が芽生えるほどの過去として認識している自分は、だが過去を乗り越えられたのかという訳ではない。
「志野は絵画教室のバイトとして入ってきてさ、絵画教室の先生が昔、美大の先生だったらしくって。その繋がりで、教えてた美大に通ってたのが志野で、」
 俺には、パパの血が流れている。
 衝撃的な事実を知ったのと同じ頃、どうしようもできなかった俺はいつも通りの生活を送ることでどうにか狂いそうになっていた心を静めていた。
「毎日死にそうでさ。もちろん物理的な意味じゃなくって、精神的に。パパとママは普通に接してくるんだよ。『唯花が憎い』って言ってたママも、俺と血が繋がってるパパも」
 ざらりとした感情を隠す術を、大人たちは持っている。でも俺はそんな方法知らない。
「ママたちの前でいつも通り笑ってるはずなのにさ、顔が引きつるんだ。ぴくぴくって。ママたちは気付いてたけど、それでもいつも通りに接してきてさ。今は分かるんだ、ママ達が、俺に動揺させないようにってしてたのが。でも当時はパニクってて、それにも気付けなかった」
 学校と絵画教室以外はほぼ家に引きこもっていた自分なのに、家に帰ろうとすると吐き気すら催すようになった。でも帰らなければ、と必死になって敷居をまたぐ。自分の部屋とは別に作業部屋をもらっていた。使っていなかった離れだ。
 そして、離れのトイレで吐く。作業部屋に篭ることばかりだった俺を、家族は皆不信がらなかった。夕飯を食べ、風呂に入り、『作業してくる』と言えば今までの俺と大差ない。
「だから、どれだけ作業部屋のトイレに居座ったって誰も気付かないし、俺の状態も知らない。地獄だったよ。家の敷地に居るだけなのに」
 負い目があることも作用してか、両親たちは何も言わなかった。
「そんな時声を掛けてきたのが志野だったんだ」
 君、いいもの作るね。
 死んだ心のまま適当に作ったものを褒められて、こいつは気が狂ってるんじゃないのかと思った。
 自分よりも年上。美大生。俺の作品を、いいものだと言う。変なやつだと思った。だが、人間的には関わりあったことがないから、新鮮に感じた。家族以外年上と話す機会が無かったし、絵画教室に至っても六十歳を過ぎた先生としか話してなかった俺には新しい存在だったのだ。
 志野が俺に話しかけるようになってきた時。そして俺が思ったような物を作れなくなった時。重なり、いつもなら他人に興味が無い自分だったのに、応えてしまった。
 気を許したら、今度はスキンシップが多くなった。家族とは良く触れ合っていたし、ただ他人にそういう気が向かなかっただけで、触れられても驚かない。
 それに気を良くしたのか、それからしばらく経った後、『美術館に行こう』と志野が誘ってきた。自分の作品にしか興味が無かったから、他人の作品とはあまり触れ合わなかった俺に、また新しさがやってきた。
 『自分以外』を教えたのは紛れもなく志野。これだけは間違いじゃない。
 『じゃあ今度は違うところへ行こうね』と誘われ、それから色んなところへ行くようになって。気付けば毎週末志野と出かけるのが半年続いた。また少しずつ、芸術が好きになっていった。その頃だ、志野から『好きだ』と告白されたのは。
「何度か学校で告白されたことはあったけど、もちろん自分以外に興味無いから響かなかった。でも志野は違った。描くか作ることしかできない俺の、そういうところがいいって。尊敬するって。一生懸命な顔が可愛いって、俺のことを好きだって思う気持ちと同じくらい、俺が作たものが好きだって。今までそんな告白されたことなかった。だから  全部、認められた気がしたんだ、」
 何もかも受け入れてくれるのだと、盲目に思ってしまった。だから、付き合ってすぐキスを求められた時も応えたし、その一ヶ月後には身体だって。
「でも俺言ってなかったんだよ。自分の性別のことも、自分の家のことも。聞かれたら答えてたかもしれないけど、」
 なんてことない会話の最中だった。一人暮らしをしていた志野の部屋で、ニュースを見ていた時だったと思う。
「……『やっぱり、アルファ以外は駄目だな』、って言ったんだ。志野は……俺のこと、アルファだと思ってたみたいで」
 志野は多分、俺に陶酔していたんだと思う。誰の作品だとしても、いいと思ったものには素直に『良い』と感想を言う人間だったから。
 でも、その時初めて分かったのだ。
 志野が褒めていた作品の作者は、皆揃って『アルファ』だった、というのを。
「だから俺言っちゃったんだ。自分に……性別が無いんだ、ってこと。それからだ、志野の態度が変わっていったのは。……志野は、俺が『アルファ』だから『いい作品が作れる』と思ってたんだ。でも実際『性別無し』は正確に言うと、『アルファ』じゃない。どの性別にだってなれる  多分、それが気に入らなかったんだと思う。アルファっていう性別にすげープライド持ってたみたいで……それが分かった時、あいつなんて言ったと思う?『じゃあお前オメガになれよ。そうしたら子ども作ってやってもいい』って言い捨てたんだ、俺に向かって」
 最初からアルファとして生まれてこない、いわば『性別無し』という存在は、純粋なアルファではない、というのが彼の主張だった。だから俺が例え『アルファ』の適合手術を受けたとしてもアルファとは認められないし、そんな『性別無し』の作品を褒めていた自分が恥ずかしいと、あいつはそんな風に解釈したんだろう。
「それから始まった。少しずつ。最初は全く気にしなかった。でもあいつ、どんどんエスカレートして、」
「……エスカレート、して?」
 静かに相槌をしていた先生が、俺の言葉尻に続けるかのように言う。先生の脚の間に入っているからどんな顔をしているのかは分からない。未知だ。だから  こ先生の身体を、さらに抱きしめる。
「同じ作品を作ってくるようになったんだ」








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