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第一話 君は僕の生きる道

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「チョイキャーラ、おまえの悪逆非道な行いの数々、この私が知らないとでも思ったか! 心優しいモブリーナを虐げてきた罪は重い! 今ここで私は、おまえとの婚約を破棄する!」
「そんな……! ワキヤクーン様、濡れ衣でございます! わたくしはなにもしておりません……!」
「やだこわーい」
「ええい、しらばっくれるか! ――衛兵! 証拠をここに持て!」

 ――始まったか。

 王宮のダンスホール。今日は王太子であるワキヤクーン殿下が主催しているパーティーだ。国王陛下と王妃殿下は外遊に出ていらして、帰国は再来週になる。この茶番が計画されていることは王宮で侍従をしている友人から情報を得ていた。なので僕より七つ下の従妹で、主でもあるビリンガム伯爵家息女オーレリアが、興味津々前のめりで成り行きを見守っているところを捕まえその耳を両手で覆った。

「――なに、ダーレン! 今とてもいいところなのよ!」
「オーリィ、いけない。君にはまだ早い」

 言うが早いが彼女を回収し、僕はその場を後にした。

「もうっ、ひどいわ、ダーレンったら!」

 帰りの馬車の中で可愛らしく頬をふくらませる僕の小さなオーレリアタイニィ・オーリアは、最後まで寸劇を見られなかったことを悔しがっては僕をなじった。かわいい。新緑を思わせる深く鮮やかな碧眼に、うっすらと涙まで浮かべている。かわいい。今日は少し背伸びをして、プラチナブロンドを「大人っぽく結い上げて!」とメイドにお願いしていたことを知っている。そんなことをしても可愛いだけなのに。似合っている。かわいい。
 だいたいにして、オーリアは怒っても泣いても可愛いのだ。彼女を怒らせるやつも泣かせるやつも次の朝日を拝めなくするつもりではあるが、今回は僕が原因なので問題ない。「もうっ、聞いているの、ダーレン?」ああ、かわいいなああああああ。五歳のとき、お菓子を落としてしまって僕に八つ当たりしてきたとき並に可愛い。このまま一生なじられていたい。

「聞いているし、わかっているよ。次のお茶会のときに、話題についていけなくて困るって言いたいんだろう?」
「そうよ、ぜったい今日の話でもちきりよ。ひどいわダーレン。どうしてこんないじわるをするの?」
「いじわるなんかじゃない。あんな悪意が垂れ流されている場所に君を置いていたら、君の耳と心が汚されてしまうだろう。僕は君の従者として、主を守っただけだよ、タイニィ・オーリア」

 汚いものに触れる必要なんてない。君は君のままでいて。

 僕がオーレリアに会ったのは、彼女が生まれてすぐのときだ。僕は様々な事情からビリンガム伯爵家に引き取られて一年が経っていた。腫れ物に触るような、それでいて憐憫混じりの扱いに、僕は孤独という言葉を知らぬままに孤独を覚え、あてがわれたひとりの部屋で毎晩泣いていた。ビリンガム伯爵自身が、僕をどのように扱うべきか迷っていたのだと思う。今ならそれが手にとるように理解できるけれど、あの頃、僕は子どもだった。

「ダーレン。こちらに来て?」

 奥様が、遠くに立ち尽くす僕へ目を向けてくださった。お嬢様の誕生に人々が沸く部屋の中をくまなく見渡して、物数にも入らない僕に目を留めてくださったのは、産後まもなくて息も整わないくらいのビリンガム伯爵夫人その人だったのだ。その声に人々は驚いて、僕の存在を思い出した。すぐさまベッド際へと連れて行かれた僕は、産湯に浸かったばかりで、まだ真っ赤なオーレリアを見た。くしゃくしゃで、これは以前図鑑で見たサルという動物ではないだろうかと思った。もしくは近縁種のゴリラの子ども。

「ダーレン。わたくしの娘よ。あなたがこの子に仕え、守ってくださる?」

 雷に打たれたような衝撃を覚えたものだった。なんと、美しい奥様から産まれたのは真っ赤な小さいゴリラなのだ。こんな悲劇的なことがあるだろうか。僕はその赤ん坊の将来を心底心配して、この子を愛してあげられるのは世界で自分だけかもしれないと思った。なので、うなずいた。

 晴れて僕はビリンガム伯爵家のご長女、オーレリア様の従者に任命され、そのための教育を受けることが許された。ビリンガム伯爵家の中に、僕の居場所ができ――僕の生きる理由ができた瞬間でもあった。

 悲観する必要もなかった。オーレリアの赤くてしわくちゃな顔はすぐに愛らしい天使に変貌したし、知らないことを知ることができる従者教育は楽しくてしかたがなかった。僕がオーレリアを抱き上げると、オーレリアは大きな目でじっと僕を見てくれる。奥様はそのことをことさら何度も取り上げては、「オーリィはきっと、ダーレンをお兄ちゃんだと思っているのよ」と僕をその気にさせてもくれた。
 大きくなったオーリアにも教えるのだと思えば勉学に自然と力が入る。通わせてもらえた小中学校では常に首席かそれに近い学力を修め、四年ほど飛び級もしながら修了。オーリアに過不足なく仕えるにはどの道が最善なのか迷い、ビリンガム伯爵と夫人に相談してその後、貴族の子弟が通う寄宿制の学校へと入校した。卒業したのは十五歳。こちらもいくらか早く修めた。
 折りにふれビリンガム伯爵家へ帰ってきてはいたが、今のようにずっとオーリアの傍へはべるようになったのは、今から五年前。オーリアが十歳になり、対外的にも専属の従者が必要だったのだ。嫌というほど寄宿学校で社交の術を学んできた僕は、オーリアにとって良き守り手、また導き手でもあったと思う。オーリアは、幼いときの美しい心のまま、愛らしく育ってくれた。

 汚いものに触れる必要なんてない。君は君のままでいて。それは僕が、世界でただひとりだけであっても君を愛すと決めたあの幼い日から、ずっと願い続けていること。

「おまえ、お嬢さんが結婚したらどうするんだ?」

 現在王宮侍従として働いている寄宿学校での友人が、あきれたような声色で僕に問う。今日オーリアは、友人関係にある王女殿下から内々に茶会へ招かれ、先日の王太子殿下婚約破棄騒ぎについての説明を受けるとのことだ。王宮の中庭に集ったのは評判の良いご令嬢ばかりで、婚約破棄を告げられた公爵家のご令嬢本人もいらっしゃる。「ダーレンは、下がっていらして!」と駄々をこねられたので、少しばかり離れて控えている。

「どうもこうも、僕は生涯オーリアの従者だよ」
「それでおまえが、納得できるならいいけどな?」

 納得できない理由がどこにある? 僕は彼女の従者として、生きる道を示されて今がある。「まあ、そうでしたの!」と、オーリアは少し大きな声であいづちを打ってしまって、それを恥じらった。かわいい。

「じゃあ、いいのか。お嬢さんがだれか他の男に嫁いでも」

 友人は小さな声で言い募った。ここまで食い下がるのはめずらしい。オーリアは「まあ……なんてこと!」と両手を不安げに握った。かわいい。公爵令嬢はオーリアの反応に気を良くして、「これは秘密ですけれども……」と声を落とした。

「それはそうだろう。オーリアはビリンガム伯爵家の娘なのだから。それに気立ても良くかわいい。そのうち身持ちの良い紳士が現れて彼女と――」

 言いながら、僕は僕自身の言葉にショックを受けた。友人はさもなにか理解しているかのようなしたり顔で、「そういうこと」と言った。「やあ、なんの話をしているんだい、レディたち!」と第二王子殿下が淑女の茶会に乱入してきた。淑女たちの間に小さな悲鳴。オーリアは状況が飲み込めずにきょとんとしている。かわいい。

 ――起床は六時半。それに合わせて僕は五時に起き、身支度やその日のスケジュールの確認をし、侍女とともにオーリアを起こす。
 朝食は七時半。それまでに自分の食事を終え、他の従者たちと情報共有をし、必要な調整を加える。朝食の席には必ず控え、その場でなされる指示にも応じなければならない。
 午前中は貴婦人教養学校フィニッシングスクール。従者の質も観察される場所でまるで気は抜けない。そしてどの生徒のご令嬢よりもオーリアが一番可愛い。ときどき教師の質問に斜め方向からの回答をしている。かわいい。一番好きだけれど一番不得意なのが唱歌の授業だ。なぜか必ず半音ずれて歌ってしまう。本人は本気だ。かわいい。
 午後はその日により予定が違う。級友たちとそのまま買い物や喫茶に行くこともあれば、まっすぐに帰宅して女性家庭教師ガヴァネスからの授業のこともある。僕が宿題などの勉強を見る日もあるが、最近は「自分でできますの。ダーレンはどこかに行っていらして!」と言うことがたびたびある。なんでも自分でやりたい年頃なんだろう。かわいい。でも結局最後には僕にノートを見せてくる。かわいい。

 僕の手帳には、僕が幼い日、オーリアといっしょに撮ってもらった写真を挟んでいる。いつだって、彼女へ仕えることになった、僕が生きる道を示されたあの日を思い出せるように。オーリアは、奥様に似てとてもきれいになった。

「なあ……友よ」
「何」
「オーリアが四歳のときに僕へ言ってくれた、『ダーとけっこんする!』というあの言葉は、言質と考えていいだろうか」
「いやだめだろそれ」
「――オーリアには僕がいなければ」

 次はうわさの王太子殿下が愛人を連れてやってきた。「おまえたち! 私の評判を落とそうと画策するとは、なんと卑怯な!」「そんなことはしておりませんわ、お兄様!」「兄上、あなたの評判は、わざわざオレが手を出さなくてもすでに地に落ちていますよ」「なんだと⁉」「殿下、これ以上罪を重ねるのはおやめになって!」「やだこわーい」おろおろとするオーリアとご令嬢たち。そろそろ連れ出さなければ。

 小さなオーレリアタイニィ・オーリア。僕の生きる道。まだ赤ちゃんだったあのころみたいな匂いがする君。君はとてもきれいになった。

「――まだまだ世間知らずで、甘えんぼうで。ひとりではなにもできない子どもなんだ」

 口論が始まった中、僕はすっとオーリアの隣へ行きその椅子に手をかけた。僕の姿を見てオーリアはほっとしたように少し微笑む。椅子を引き、手を差し出す。オーリアはそれを取った。

「御前、失礼いたします」

 教科書に載りそうなくらいに完璧な淑女の礼。激しくなっていく口論の中、それを見ていたのは僕だけだ。音なく去る中、オーリアはこっそりと僕に「怖かったです」と告げた。

「助けてくれてありがとう、ダーレン」
 
 いつか君がだれかの手を取るとき、僕は、それを見ていられるだろうか。その美しい笑顔が他のだれかに向けられるとき、僕はそれを祝福できるだろうか。

「ねえ、ダーレン? 寄り道して帰りましょう?」
「はい、どこへなりと。――君が行く場所になら」

 ――それに答えを出すのは、きっとまだ先のことだ。
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