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 再び、レテソルへ

97話 わりと八方ふさがりなんですよ

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「レアさん、頼まれてくれないか」
「もちろん。なにかしら」

 ミュラさんはいつものキャメル色のブリーフバッグから手帳を取り出して、なにかを書きつけてからそのページをピッと破ります。アイボリーの革っぽい長財布からごそっと紙幣を取り出し、折って紙にはさみました。

「これを、緊急通信でボーヴォワール閣下へ。そして、よければ三時間ほどこのソファを貸してくれないか」
「あら、三時間と言わず。ごゆっくり」

 レアさんが受け取ると、ミュラさんは丸メガネをはずしてローテーブルへ置き、気を失うようにソファへ背中から倒れこみました。三秒もせずにくかーと静かな寝息。口開けてます。

「……よっぽどお疲れだったんですね」
「ソノコ。ここからリッカー=ポルカへ向かうとき、何時間かかった?」
「朝イチの蒸気バスに乗ったのでー。到着が夕方で。……十時間くらい?」
「領境へ向かうだけでも、通常でそのくらいかかるのよ。あたしたちは蒸気機関車で二日くらいで王国直轄領からここに来たけれど。ルミエラから隣の領経由して、レテソルへ。三日で来たってことは?」
「……え……もしかして。ぶっつづけ……?」
「かもね?」

 イネスちゃんが寝落ちたミュラさんのところへ、とことこ近づき顔をふんふんしました。そのままその場に丸くなります。アシモフたんが「あそぼ⁉ あそぼ⁉」という感じでマディア父さんをイネスちゃんに渡そうとしますが、そのままイネスちゃんも眠りました。アシモフたんもちょっと空気を読んで、おとなしく伏せをします。えらいぞ! アシモフたん! 大人になった!

「……お風呂沸かして、おいしいもの作って。今日はミュラさん労いましょ。ちょっと行ってくるわね。お風呂掃除と、あとじゃがいものアクヌキたのむわ、ソノコ。乱切りで」
「いえっさー!」

 自動車のカギをキーケースから取り出して、リビングを出ようとしたレアさんが「あ、そうだ」と美ショタ様に顔を向けました。

「テオくん、たぶんあなたが一番気にしていることだけ伝えておくわね。あなたとお兄さん、れっきとした血縁よ」

 ふっと笑顔を残してレアさんはお出かけしました。美ショタ様は元々大きい目を見開いていました。よかったね! よし。あく抜きとお風呂掃除しよう。
 わたしがじゃがいもの皮むきをしていたら、「……僕もなんかする」と美ショタさまがいらっしゃいました。お風呂掃除のやり方をお知らせしました。いっしょうけんめいやってくださいました。素直でいい子だと思います。はい。
 ミュラさんはたっぷり夕方くらいまで寝ていらっしゃいました。途中で寝息が途絶えたので不安になって顔の前に手をかかげてみたらちゃんと息してました。たぶんレアさんお手製クラムチャウダーっぽいスープの匂いで起きたんだと思います。あれおいしいからね。わかる。

 二日経ちました。ミュラさんは別のアパートを借りてそちらに美ショタ様と移るつもりでいらしたのですが、ご本人からの大抵抗にあい、しかたなくそのままわたしたちのところに滞在されています。「いいか、ご婦人方のお宅にわたしたちが逗留するというのはお二人の評判に関わる重大なことだ」「ミュラさんだけどこか行けばいいだろ。他人の言うことなんか知るもんか」「わたしは君に関する全権を預かり、多くの人から君を託されている。君をわたしの庇護下から出すわけにはいかない」「じゃあミュラさんもここに残ればいいだろ」「もう一度言うぞ、テオくん。妙齢のご婦人二人が住まう場所にわれわれが――」……堂々巡りだね!
 ミュラさんからオリヴィエ様へ送った緊急通信への返信は、美ショタ様へ直接長文で送られてきていました。あれ一通送るのにいくらかかったんだろう。わたしも読ませていただいたんですけど、なんというか、浮気を疑われた夫が身の潔白を切々と愛妻へ訴え、したためたような内容でした。はい。オリヴィエ様……ブラコンなのか。新機軸の概念です。もちろんおいしくいただけます、ごちそうさまです。オリヴィエ様からは一番遠い言葉だったから、考えたこともなかったです。

 オリヴィエ様には、お兄さんがいらっしゃいます。次期グラス侯爵であり、王宮騎士『だった』。もう、開戦しました。おそらく王宮騎士であった彼、ブリアック・ボーヴォワールは、マディア軍騎士となっていることでしょう。リシャールから……軍縮を図る現王統から離反し、クロヴィスを支持しているはずです。
 グラス侯爵という地位とその領地は、元々軍人として名を馳せ歴史にもその軌跡が残るボーヴォワール家へと何代も前に授けられたものです。その旗幟の下に育てられたブリアックにとって、リシャールがとった舵は受け入れがたいものだった。そのうえ、武人としてずっと見下していた文人である弟のオリヴィエ様がその中で重用されて行く様を見せられて、自分が冷遇されているようにも感じたのかもしれません。開戦のすぐ前にクロヴィスの傘下に走りました。
 リシャールがオリヴィエ様に、そのことを引き合いに出して内心を問う場面があります。まっすぐに揺れることなく、オリヴィエ様はリシャールへと忠誠を誓いました。リシャールサイドシナリオの三大エモシーンのうちのひとつです。

 おそらくまだ、ブリアックは戦線には派遣されていないでしょう。クロヴィスサイドシナリオで抱える問題のひとつとして、ブリアックのように王国軍から寝返ってやってきた騎士たちの統率が難しいというものがあります。なので、今派兵されている第一陣は、従来からの騎士たちのはず。もし調整がうまくいって元王宮騎士たちが戦線へ赴くことになれば、リシャール側の戦力のパラメータに影響があります。だれだってついこないだまで肩を並べて仕事していた元同僚と、命のとりあいなんかしたくないでしょうからね。よって、クロヴィス側での内部分裂の度合いは、ゲーム進行上無視できないものとして扱われます。

 以上のことをふまえて考えるとおそらく……ご令弟テオフィル様が今レテソルにいること……トップシークレット扱いですね。はい。グラス侯爵家全体が現王党から離反したと受け取られかねないですから。はい。だから『すぐに迎えに行くから』『くれぐれもよろしく』ということになるわけです。はい。もちろん戦禍に見舞われないようにというのが一番の懸念材料でしょうけども。
 もうー、思春期ボーイったらー。ちょっと考え足りないんだからー。もうー。若さってバカさよねー。わかるー。

「あらあ、あたしたちはかまわないわよお。もともと、ミュラさんが冬期休暇で遊びに来てくれること見越して借りたおうちだもの。お部屋たくさんあるし。みんなでごはん食べた方がおいしいし」

 メンズたちのやりとりをしばらくおもしろく眺めてから、レアさんの鶴の一声がさく裂しました。ミュラさんは悩まし気に沈黙し、美ショタ様は勝ち誇りました。わたしはまあ、美ショタ様を叱れる立場のミュラさんがいるならどっちでもいいです。はい。
 ご近所さんとの世間話や、センテンススプリングのチェックは一通り終わりました。たぶん、民間の思考誘導に週刊誌使われてますね。みなさん雑誌や地元新聞に書かれていることを踏み越えない内容しか言わないので。あたりさわりない、そしてクロヴィスが優勢であるという漠然とした考え。
 メラニー、もしかしたら春を迎えられないレベルなのかも、と最近考えています。どうしたらいいでしょうか。どうしたら。
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