エリュシオンでささやいて

奏多

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第11章 Blue moon Voice

 2.

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 *+†+*――*+†+*


 あたし達は、瀬田さんという強大な協力者を得て、シンフォニアの中に入る。
 
 いや、もう本当に、シンフォニア社長と話すのは瀬田さんと須王や棗くんだけでいいと思ったのだけれど、放置されている間に、誰が襲ってくるかわからないと脅されれば、あたし達もついていくしかない。

 瀬田さんは裕貴くんを覚えていて、三芳社長を見知っているらしい瀬田さんは、娘である女帝もわかったようだ。

 となれば、瀬田さんにとっては面識がないのは、あたしだけだ。

 以前瀬田さんはあたしの父親の元友達だということを聞いたけれど、その名前を出していいのかわからず、横浜でもあたしはウサ子だったために、須王と女帝の同僚で初めて会ったことにした。

 あの黒服達、襲ってこないけれどどうしているのだろう。

 須王は黒服達を下っ端要員だと言っていた。
 須王のマンションを爆破したのがレベル2だとしたら、レベル1。
 
 顔を見ない今頃、また同じような姿をしたレベル1が、にゅうっと増産されているのだろうか。
 あたしの頭の中は、近未来のSF映画だ。

 既にいる〝天の奏音〟の信者を黒服に似せて修正を加えているのか、同じ顔をした黒服達が、様々な年代で増産されているかわからないけれど、可能性的には前者の方が現実的だ。
 なぜそんなことをするのか、わからないなりにも。

 レベル2がいるということは、レベル3はいるのだろうか。
 なぜ今、仲間にまで攻め立てた敵の攻撃が止まっているのだろう――。
 
 そんなことを思いながら、エリュシオンより広く綺麗なフロアに入った。

「いらっしゃいませ、瀬田様。社長室にて社長がお待ちしております。九階までエレベーターでお上がり下さい」

 瀬田さんは顔パスで、お揃いの制服を着た三人の受付嬢に、にこやかに挨拶をされている。
 
 そしてアポを取っていない須王を見て、受付嬢達の瀬田さんに向けていた作った笑顔が、わかりやすいほど欲望をただ漏れにして、にやけるようにして緩む様を、あたしはじっくりと見た。
 当の本人はいつもながらの反応に、動じることはなく。

「ああ、彼らは私の友人だ。是非社長に紹介したくてね。早瀬くんはわかるね。皆早瀬くんの部下だ」

 須王以外、部下という一括りにされてしまった棗くんも女帝も、営業用スマイルが眩しいこと。

 たとえ最大手に勤めていようと、彼女達受付嬢には太刀打ちできない余裕と主役級の美しさに、見慣れているあたしまでくらくらしてしまうが、さすがは教育された受付嬢、この美しさに白旗をあげるどころか、敵意にも似た笑みを向けてくる。

「いらっしゃいませ」

 そしてちらりと裕貴くんを見て、心なしかまた欲望が漏れ始めたが、なぜか最後のあたしを見て、嘲るような薄ら笑いが顔に浮かんだ。

 あたしには、華という美しさがないのはわかってはいたけれど!
 そんなに明らかに、態度を変えなくてもいいじゃない!

 ぷりぷりしながら最後尾についたあたしは、皆と同じエレベーターに乗った。

「それで棗達は、シンフォニアでなにを聞きたいのかね?」

「HARUKAというインディーズの歌手についてですわ」

 すると、瀬田さんは僅かに目を細めた。

「どうしてシンフォニアで?」

「HARUKAの情報をどこよりも仕入れていると思うので」

 今度は須王が答えた。

「なぜそこまでHARUKAという少年を気にするんだ? エリュシオンでデビューをさせたいと? それとも早瀬くんが鍛えたいと?」

「俺が鍛えたいのはこの裕貴だけなんですが、あまりにも人気だというので、どんな少年か確認したいと思いまして」

 須王が鍛えたいと口にした、裕貴くんは嬉しそうだ。

「しかし瀬田さんもご存知だったので?」
「やはり父さんの耳にも入るくらいの子なのかしら」

 突然の須王と棗くんの言葉に、あたしはびっくりした。
 女帝と裕貴くんも驚いた顔をしている。

 だって、今の瀬田さんとの会話で、どこに〝瀬田さんも知っている〟という情報があった?

「なぜそう言い切れる?」

 瀬田さんは訝しげにふたりに返す。

「HARUKAという名前だけを聞いて、少年だと断定出来たことです」

「ええ。私は、インディーズの歌手としか言ってなかったわ」

――どうしてシンフォニアで?

――HARUKAの情報をどこよりも仕入れていると思うので。

――なぜそこまでHARUKAという少年を気にするんだ? 

 あ……。
 同じ会話を聞いているのに、どうしてあたしはすぐ気づけないのだろう。

「ふむ。実は……話は聞いている」

 瀬田さんは言った。

「小柄で華奢な身体で、世界に通用するソプラニスタの声帯を持ち、天使の声が出せるという奇跡の少年だと。公園で歌っているところをネットで話題になり、どのプロダクションもノーマークだっただけに、こぞって引き抜こうとしているのに、捕まえたと思ったら忽然と消えてしまい、話を進めることが出来ないと」

 忽然と消える――それは、HARUKAが遥くんだとしたら、歌を歌ってすぐ病院に戻るのを、誰も追いかけられないゆえの表現なのだろうか。

 上野公園で見た時のように、空に飛んでしまうかと思うくらいに軽やかに地面を跳ね、さながら両翼を羽ばたかせる天使のように、人混みから消えていったのだろうか。


「瀬田さんのところに、HARUKAの素性の情報は行ってますか?」

「いや、そこまでは。それならシンフォニアの社長の方が情報が入っているだろう。……さあ、着いた」

 チン!と音がしてエレベーターのドアが開くと、下の受付嬢と同じ制服を着た、初めて見る顔の上品そうな美しい女性が出迎えた。

「いらっしゃいませ、瀬田さま、そして皆さま。下より連絡は受けています。私は社長秘書の品田と申します。社長室にご案内致しますので、こちらへどうぞ」

 細い腰に、タイトスカートから輪郭がわかる大きなお尻を左右に揺らす様は圧巻で、健全な高校生である裕貴くんは赤い顔をして目をそらしているが、健全な音楽家である須王は見向きもしていないようで、ほっとした。

 そんなあたしの様子をこっそりと見ていたらしく、歩調を遅らせた須王があたしの隣に並ぶと、少し身を屈めるようにして耳元に囁く。

「目移りしないか、心配だった?」

「……っ!!」

 ……どうしてこの男は鋭いのだろう。
 わかっているなら、わざわざ聞きに来なくてもいいから!

「べ、別に……」

 そしてあたしは、須王の慧眼に敵わないことを十分にわかっているはずなのに、空惚けてあさっての方を向くが、その頬を片手で掴んだ須王は、あたしの顔を須王の正面に戻す。

「安心しろ。お前の輪郭の方がそそるから」

 流し目つきの不意打ち。

「なっ!」

 これでも声は抑え、代わりにこんな場所で冗談はやめろと目を吊り上げれば、須王はさらに小さなひそひそ声で尋ねてきた。

「お前、忘れてねぇよな。今日のブルームーン、スタジオの俺の部屋で月を見ながら過ごすっていうこと」

「あ、忘れてた……」

「お前っ」

「嘘だって。覚えてるよ」

 遥くんのことで、忘れかけただけだって言おうとしてやめておく。

「だったらいい。お前、時々ボケボケだから」

「ボケボケって、ちょっとね!」

 小声のやりとりとはいえ喧嘩腰の会話は、しーんと静まりかえっている中で響くらしく、後ろ向きの棗くんからわざとらしい咳払いを食らう。

「ほら、棗くんに怒られた!」

 そう唇を尖らせると、突如須王は顔を傾け、キスの顔をあたしに近づけた。
 
 ひっ、こんなところでなにを!!

 しかし直前で止め、蕩けるような目を意地悪そうに細めて笑うと、どっきりして仰け反るあたしの小指に、一度彼の小指を絡めてから、棗くんの隣に戻ってしまった。

「な、なんなの……あのひと」

 こんな状況で、なぜかご機嫌なのはわかったけれど、時折見せるクールさ返上をどうにかして欲しい。あたし、それを躱す経験値はないんだから。

 もっと凄いことをしているのに、触れられた小指がじんじんと熱を持つ。

 もう、不意打ちはやめてよ。
 須王のことしか考えられなくなるじゃない。

 ……遥くんのことであれこれ不穏なことを考えているのではと、須王が心配したための、意識の塗り替えだとは思いつかないあたしは、裕貴くんがさらに耳まで熟したトマトのように赤面していたことに、気づかなかった。

 
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