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第13章 brighting Voice
8.
しおりを挟む中は暗くて、青い光が飛び交っていた。
まるで夜空に浮かぶ月の光のようだ。
ブルームーンの模倣なのだろうか、神秘的な空間だ。
奥にはステージが半円状に拡がり、本当にコンサートホールのようだ。
その端には黒いグランドピアノが置かれ、白いスパンコールのマーメイドドレスを着た女性が、しっとりとしたジャズピアノを弾いている。
今流行の若者達が踊り狂う、喧(やかま)しいライブハウスとは違い、無数に置かれた四人がけ用のテーブルと椅子に座っているのは、正装した上流客。
シャンデリアがないだけの、まるで高級ホステスでもついて談笑しているかのような、大人の空間だ。
後ろ側はBARカウンターがあり、これから演奏が始まるためか、客はいない。
背の高い椅子が横に並んだ円卓に座ると、若いウェイターがやって来て、須王は適当に注文してくれた。
すぐに出て来たノンアルコールの甘い飲み物を飲んだ時、ジャズピアノの曲が軽快なものに変わる。
二拍目にアクセントがくる、ワルツの曲だ。
「これ『Waltz For Debby』だな」
須王が言う。
「上手いけれど、手島さよりには及ばないな」
あたし見た手島さよりの動画では、彼女はソウルシンガーとも言えるような、かなりパワフルな演奏と歌声をしていて、とにかく迫力がある音を奏でていたように思う。
乱れることのないピアノを弾きながら、魂を込めた情熱的な歌を歌う……妖艶な美女でもあった。
そんな手島さよりの話や、とりとめない音楽の話をしていた時、不意に須王があたしの肩に手を伸ばして、須王の肩にあたしの顔をつけさせる。
「ちょっ、誰が見ているか……」
「いいだろう、これくらい」
青い光に照らされて、眼鏡をとった須王が甘い表情を向けている。
「俺の女だって、宣言させろよ」
そこに男としての色気を混ぜて、あたしを誘惑してくる。
く……、心臓に悪い男だ。
「いや、それは……須王ファンが……」
「いらねぇよ、んなもん。お前ひとりいればいい」
須王は笑ってあたしの手をとると、あたしの手の甲に口づけながら、挑発的にあたしを見た。
「音楽を語るお前が可愛くて、たまらねぇんだけど」
「な……っ」
「溺愛を超えてる」
あたしの手の指に、自分の指を絡ませる。
それがなにかエロチックで、ドキドキしてしまう。
お酒を飲んでもいないのに、まるで酔ったような気分だ。
「アホ、そんな顔するなよ。ここからかっ攫って、ラブホ行くぞ?」
冗談にも思えないようなことを言いながらも、耳に囁く声は甘くて。
まるで耳を愛撫されているような気分になって。
「ぁ、ん……」
ぶるりとしながら喘いでしまう。
するとそれを見逃す須王ではなく、くちゃりと音をたててあたしの耳を食む。
「ゃ……」
「柚、声聞かれるぞ?」
耳殻に舌を這わせられ、耳朶を甘噛みさせる。
「は……んっ」
肩に回っていた須王の指が、あたしの唇の間に差し込まれ、あたしの舌と戯れる。
そのおかげで声はくぐもったが、耳の穴に舌をぬるりと忍ばせられ、体がふるふると震えてしまう。
またジャズの曲が変わり、こんどはムードたっぷりなジャズナンバーとなり、あたしをさらに昂ぶらせていく。
ああ、音楽に包まれ、好きな男に愛されて、こんなに幸せなことはない。
ピアノの鍵盤のひとつひとつから生まれる音が、あたしの心臓となって場に息づき、あたしはちゃんと生きているんだ――そう思えた。
「お待たせしました」
……ウェイターが現れるまでは。
「あいつ、さっきからちらちらお前のことを見ていて。これで諦めただろう、お前の男は俺だって。誰が渡すかってんだ」
「~~っ!!」
見られていた、見られていた!
もぐもぐ、穴に潜っていいですか?
やがて運ばれてきたのは、野菜にみっちりと挟まれたローストビーフのサンドイッチと、アボガドと海老のサンドイッチ。
特にローストビーフは味付けも絶妙でさっぱりとしている。
こんなに贅沢に美味しいお肉を食べていいんだろうかと……恐縮してしまうのは最初だけで、会話もそこそこ、思いきりサンドイッチを堪能する。
もう、なんなのこのサンドイッチ。
美味しすぎてたまらない。
「ふふ、ふふふふ……」
知らず知らず笑みが零れただけではなく、顔も緩んでにやけながら、はむはむとサンドイッチを食べていると、突如横からぱくりと食べられた。
なにやら拗ねたような顔をした須王が、もぐもぐと口を動かしてあたしになにか言いたげだ。
「それあたしのじゃない! 須王は、自分で食べている分があるでしょう!?」
美味な食事は、ひとを狭量にさせる。
「……なんかむかつく」
さらにばくんと食べられ、あたしはもう涙目だ。
「ああああ、ローストビーフがこんなに食べられた……」
文句を言うと、須王が自分で囓っていたものをあたしの口に突っ込んだ。
「食えよ」
……なぜに、同じものを食べているのに、相手のものを食べなきゃならないんだ。
そう思いながらも、ちゃんとローストビーフ(だけ)をたくさん貰ったあたしだけれど、ローストビーフを咀嚼して飲み込んだ後に、ふと湧いた言葉は……。
「あ、間接ちゅ……」
「ごほっ、ごほごほっ、ごほごほ……」
須王は派手に咽せた。
あまりに苦しそうなんで、背中を摩ってあげる。
「お前……、今さら間接もねぇだろうが!」
「そ、そうかもしれないけど……」
「本当にお前は、エロエロのくせに初心(うぶ)だな。ま、そのギャップがいいんだけど」
「エロエロってなによ!」
すると須王がテーブルに身を乗り出すようにして片肘をついてあたしを見ると、あたしの唇を指でなぞった。
そしてその指を口に含んで、いやらしく指先を舐めてみせる。
「どんなにエロく俺を求めるのか、そして、お前にとっての一番はなにか、ちゃんとお前に自覚させてやらねぇとな。今夜、覚えておけよ?」
熱っぽい目を細めてゆったりと笑う須王に、心の奥がきゅんと音をたてる。
きゅんじゃないでしょう、あたし。
あたしは至って清純派!
エロはこの王様で、あたしじゃないんだから。
それでなくても、このムードたっぷりな暗い室内。
隣で蠱惑的に笑う王様の色香にあてられたあたしは、顔を背けるしかできなくて。
すると笑う須王に、顎を摘ままれた。
「とろんとした顔をそむけるんじゃねえよ。ここでキスしたくなるだろう?」
「な……」
「それとも……、誘ってる?」
妖艶な顔が近づいてきて、焦ったあたしは慌てて椅子から滑り降り、片手を斜めにコメカミにびしっとあて、敬礼する。
「お手洗いに、行って参る!」
「ぶはははは。なんだよ、それ。お前、どこの武士だよ」
しまった。
不覚にも、笑いをとってしまった。
「迎えにいってやるから電話寄越せよ?」
「ひとりで帰れまちゅ!」
……くっ。
なによ、ちゅって。
どこの赤ちゃんよ。
「柚ちゃん、そうでちゅか。ぶははははは」
見逃してはくれない王様は、肩を揺すって大爆笑。
あたしは断じて、王様を笑わせるために狙ったわけではないのだと、毅然とした態度をとろうとしたのだけれど、歩いた途端にふにゃふにゃとなって崩れかかる下半身。
毅然どころか須王に惑っていて、腰砕け寸前になっていたことは一目瞭然だ。
さらに笑い声が強まっているのを感じながら、屈辱に震えるあたしは、手洗いに向かったのだった。
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