エリュシオンでささやいて

奏多

文字の大きさ
149 / 153
第13章 brighting Voice

 8.

しおりを挟む
 

 


 中は暗くて、青い光が飛び交っていた。
 まるで夜空に浮かぶ月の光のようだ。

 ブルームーンの模倣なのだろうか、神秘的な空間だ。

 奥にはステージが半円状に拡がり、本当にコンサートホールのようだ。
 
 その端には黒いグランドピアノが置かれ、白いスパンコールのマーメイドドレスを着た女性が、しっとりとしたジャズピアノを弾いている。

 今流行の若者達が踊り狂う、喧(やかま)しいライブハウスとは違い、無数に置かれた四人がけ用のテーブルと椅子に座っているのは、正装した上流客。

 シャンデリアがないだけの、まるで高級ホステスでもついて談笑しているかのような、大人の空間だ。

 後ろ側はBARカウンターがあり、これから演奏が始まるためか、客はいない。

 背の高い椅子が横に並んだ円卓に座ると、若いウェイターがやって来て、須王は適当に注文してくれた。

 すぐに出て来たノンアルコールの甘い飲み物を飲んだ時、ジャズピアノの曲が軽快なものに変わる。

 二拍目にアクセントがくる、ワルツの曲だ。

「これ『Waltz For Debby』だな」

 須王が言う。

「上手いけれど、手島さよりには及ばないな」

 あたし見た手島さよりの動画では、彼女はソウルシンガーとも言えるような、かなりパワフルな演奏と歌声をしていて、とにかく迫力がある音を奏でていたように思う。

 乱れることのないピアノを弾きながら、魂を込めた情熱的な歌を歌う……妖艶な美女でもあった。

 そんな手島さよりの話や、とりとめない音楽の話をしていた時、不意に須王があたしの肩に手を伸ばして、須王の肩にあたしの顔をつけさせる。

「ちょっ、誰が見ているか……」

「いいだろう、これくらい」

 青い光に照らされて、眼鏡をとった須王が甘い表情を向けている。

「俺の女だって、宣言させろよ」

 そこに男としての色気を混ぜて、あたしを誘惑してくる。

 く……、心臓に悪い男だ。

「いや、それは……須王ファンが……」

「いらねぇよ、んなもん。お前ひとりいればいい」

 須王は笑ってあたしの手をとると、あたしの手の甲に口づけながら、挑発的にあたしを見た。

「音楽を語るお前が可愛くて、たまらねぇんだけど」

「な……っ」

「溺愛を超えてる」

 あたしの手の指に、自分の指を絡ませる。

 それがなにかエロチックで、ドキドキしてしまう。
 お酒を飲んでもいないのに、まるで酔ったような気分だ。

「アホ、そんな顔するなよ。ここからかっ攫って、ラブホ行くぞ?」

 冗談にも思えないようなことを言いながらも、耳に囁く声は甘くて。
 まるで耳を愛撫されているような気分になって。

「ぁ、ん……」

 ぶるりとしながら喘いでしまう。

 するとそれを見逃す須王ではなく、くちゃりと音をたててあたしの耳を食む。

「ゃ……」

「柚、声聞かれるぞ?」

 耳殻に舌を這わせられ、耳朶を甘噛みさせる。

「は……んっ」

 肩に回っていた須王の指が、あたしの唇の間に差し込まれ、あたしの舌と戯れる。
 そのおかげで声はくぐもったが、耳の穴に舌をぬるりと忍ばせられ、体がふるふると震えてしまう。

 またジャズの曲が変わり、こんどはムードたっぷりなジャズナンバーとなり、あたしをさらに昂ぶらせていく。

 ああ、音楽に包まれ、好きな男に愛されて、こんなに幸せなことはない。

 ピアノの鍵盤のひとつひとつから生まれる音が、あたしの心臓となって場に息づき、あたしはちゃんと生きているんだ――そう思えた。

「お待たせしました」

 ……ウェイターが現れるまでは。

「あいつ、さっきからちらちらお前のことを見ていて。これで諦めただろう、お前の男は俺だって。誰が渡すかってんだ」

「~~っ!!」

 見られていた、見られていた!

 もぐもぐ、穴に潜っていいですか?


 やがて運ばれてきたのは、野菜にみっちりと挟まれたローストビーフのサンドイッチと、アボガドと海老のサンドイッチ。

 特にローストビーフは味付けも絶妙でさっぱりとしている。

 こんなに贅沢に美味しいお肉を食べていいんだろうかと……恐縮してしまうのは最初だけで、会話もそこそこ、思いきりサンドイッチを堪能する。

 もう、なんなのこのサンドイッチ。
 美味しすぎてたまらない。

「ふふ、ふふふふ……」

 知らず知らず笑みが零れただけではなく、顔も緩んでにやけながら、はむはむとサンドイッチを食べていると、突如横からぱくりと食べられた。
 
 なにやら拗ねたような顔をした須王が、もぐもぐと口を動かしてあたしになにか言いたげだ。

「それあたしのじゃない! 須王は、自分で食べている分があるでしょう!?」

 美味な食事は、ひとを狭量にさせる。

「……なんかむかつく」

 さらにばくんと食べられ、あたしはもう涙目だ。 

「ああああ、ローストビーフがこんなに食べられた……」

 文句を言うと、須王が自分で囓っていたものをあたしの口に突っ込んだ。

「食えよ」 

 ……なぜに、同じものを食べているのに、相手のものを食べなきゃならないんだ。

 そう思いながらも、ちゃんとローストビーフ(だけ)をたくさん貰ったあたしだけれど、ローストビーフを咀嚼して飲み込んだ後に、ふと湧いた言葉は……。

「あ、間接ちゅ……」

「ごほっ、ごほごほっ、ごほごほ……」

 須王は派手に咽せた。
 あまりに苦しそうなんで、背中を摩ってあげる。
 
「お前……、今さら間接もねぇだろうが!」

「そ、そうかもしれないけど……」

「本当にお前は、エロエロのくせに初心(うぶ)だな。ま、そのギャップがいいんだけど」

「エロエロってなによ!」

 すると須王がテーブルに身を乗り出すようにして片肘をついてあたしを見ると、あたしの唇を指でなぞった。

 そしてその指を口に含んで、いやらしく指先を舐めてみせる。

「どんなにエロく俺を求めるのか、そして、お前にとっての一番はなにか、ちゃんとお前に自覚させてやらねぇとな。今夜、覚えておけよ?」

 熱っぽい目を細めてゆったりと笑う須王に、心の奥がきゅんと音をたてる。

 きゅんじゃないでしょう、あたし。
 
 あたしは至って清純派!
 エロはこの王様で、あたしじゃないんだから。

 それでなくても、このムードたっぷりな暗い室内。
 隣で蠱惑的に笑う王様の色香にあてられたあたしは、顔を背けるしかできなくて。

 すると笑う須王に、顎を摘ままれた。

「とろんとした顔をそむけるんじゃねえよ。ここでキスしたくなるだろう?」

「な……」

「それとも……、誘ってる?」

 妖艶な顔が近づいてきて、焦ったあたしは慌てて椅子から滑り降り、片手を斜めにコメカミにびしっとあて、敬礼する。

「お手洗いに、行って参る!」

「ぶはははは。なんだよ、それ。お前、どこの武士だよ」

 しまった。
 不覚にも、笑いをとってしまった。
 
「迎えにいってやるから電話寄越せよ?」

「ひとりで帰れまちゅ!」

 ……くっ。

 なによ、ちゅって。
 どこの赤ちゃんよ。

「柚ちゃん、そうでちゅか。ぶははははは」

 見逃してはくれない王様は、肩を揺すって大爆笑。

 あたしは断じて、王様を笑わせるために狙ったわけではないのだと、毅然とした態度をとろうとしたのだけれど、歩いた途端にふにゃふにゃとなって崩れかかる下半身。

 毅然どころか須王に惑っていて、腰砕け寸前になっていたことは一目瞭然だ。

 さらに笑い声が強まっているのを感じながら、屈辱に震えるあたしは、手洗いに向かったのだった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?

藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。 結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの? もう、みんな、うるさい! 私は私。好きに生きさせてよね。 この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。 彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。 私の人生に彩りをくれる、その人。 その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。 ⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。 ⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。

処理中です...