いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Secret Crush Moon 5

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 隣室、B会議室――。

「なんであんなこと言い出すんですか!?」

 A会議室から課長の腕を荒く掴んで移動したあたしは、ふたりしかいない空間で、怒気をぶつけた。

「あんなことって?」

 対する課長はなにひとつ悪びた様子はなく、逆に愉快そうに口端を上げてあたしを見下ろす。

「確かに課長にご迷惑おかけしました。メール送信の犯人にまでさせてしまい、申し訳なく思っています。だけど!」

 あたしは叫ぶ。

「だけど、それでなんであたしと課長が付き合っていることになるんですか!」

「おや、一番いい方法だと思いませんか? これであなたは結城さんを守れた。そして私も早朝あなたの家に居た理由にもなる。あなたも二股かけた疑いを晴らすことができる。一石三鳥じゃないですか。……ね?」

 なにが、"ね?"だ!

 机に腰をかけて、そんなに可愛く首を傾けて、笑顔であたしを見下ろしたって、あたしが絆されると思うか!

「この会社が社内恋愛に厳しくないからといって、あたしが来たばかりの課長とどうこうなっていいと思いますか? 飲み会で課長モテてたの、自覚ないんですか? 今度は課長ファンが牙を剥きますよ!?」

 すると課長は、長い足を組みながら、美しい笑みを見せた。

「私は、結城さんのように、優しく接しませんから」

「は?」

「好きなひとがいるから異性には優しく出来ないと、はっきり言いましたが。そうしたら離れてくれたので、昨日あなたにウーロン茶あげれたんです」

 ぬぬぬ!

 この男、モテることに慣れている!
 まだチサをものにできていないのか!?

「だったらなおさら! 本命を大事にしてあげて下さいよ!」

「本命だから、結城さんを大事にしているんですか?」

 得意の質問返し。眼鏡の奥で細められている茶色の瞳は、決して笑っているようには思えない。逆にぞくりとしたものを感じて、あたしは怯んだ。

「な、なにを……」

「付き合ってないというだけで、結城さんが好きなんでしょう? 友情ではなく、恋愛の意味で。だから大事に思っている。違いますか?」

 怖っ!!

 おかしな言いがかりで、あたしを脅す気か!?

「違います、あたしは結城にそんな気持ちは……」

「へぇ……。それで朝帰りですか」

「……っ」

「しかも、気づいていないようだから言いますが」

 課長は、包帯の手であたしの腕を引いて、あたしの身体を前に倒した。即ち、彼の胸の中に。回避しようとしたのだが、課長の手が伸びて抱きしめられた。

「ちょっと、課長、離して……」

「離さない」

「こんなところ、誰かに見られでもしたら……」

 身体を離そうとしたのだが、課長が離してくれない。

「私達は付き合ってるんだからいいんです」

「よくないですってば! あたしと課長は恋人でもなんでもないんですから!! 誤解されたら身動きとれない……苦しいっ、離せってば!!」

 あたしの抵抗を難なく制した課長の声が、耳に囁かれた。

「なんで、あなたと結城さんから漂う匂いが、同じなんですか?」

 低く、官能的な声色で。

「!!!」

 結城はあたしの家であたしのシャンプーとボディーソープを使った。

 そしてその後あたしも、同じものを使ったのだ。

「そ、それは……」

「それは?」

「それは、たまたま……」

 すると乾いた笑いがして、課長はますます強くあたしを抱きしめた。息も出来なくなるほど。
 服など着てないように錯覚するこの密着に、……彼の匂いに、息苦しいしドキドキが止まらない。

 もうやだ、おかしくなりそう。

 満月の次の日であったことに感謝する。次の日は、あたしの理性が一倍強いから。

 そうでなければ変な気をおこしそうだ。
 彼の匂いに、彼の力強さに、彼の声に。

――気持ちいい? チサ。

 魅了されてしまうから――。
 
「たまたまなんです。もう離して……っ」

 逃げろ逃げろ逃げろ!!

 あたしの本能が警鐘をならしている。最大の理性が、危機を告げている。

「……それで俺は、あのひとがわざとしでかした"たまたま"に、煽られたってわけか」

 再び、一人称を変えて彼は言う。

「……むかつく」

 いつもの鉄面皮を取る。

 そこに現れるものは、あたしには見えない。

「むかつく。結城さんを守ろうとするあなたも!!」

 急に温度が冷え込んで、嫌な予感がしたあたしはじたばたしたが、課長の手を振りほどけない。

 大人の男の力だ。子供のものではない。

 そう思うと余計彼を男として意識してしまったあたしは、パニックになりながら抵抗するのだが、彼はびくともしない。

「課長、離してくだ「好きでもない男にあなたは抱かれるくせに、俺とはそこまで嫌ですか。……九年前のように、今も逃げ出すほど」」

 
 怒りを帯びた低い声でそう言い切った課長は――


「あなたのせいだ」


 そう吐き捨てるように言うと、


「なっ、んんんっ!?」


 あたしの唇に噛みつくようなキスをした。


 あたしは呆然としながら、顔にあたる眼鏡のレンズの冷たさを感じていた。

 あたし今、なにをしているの?

 遠くにあるあたしの意識をこちらに引き寄せたのは、痛いくらいの視線。

 レンズの厚み分の距離から、あたしを見る切れ長の目は、暴虐な光を宿しているというのに、どこか悲しげで、どこか切なげで。

 思わずそれに胸を突かれて吸い寄せられてしまった瞬間、その長い睫が震撼して瞼が閉じられると同時に、課長の舌があたしの唇をぬるりと割って入ってきて、あたしの舌を絡め取った。


 あ、やだ……気持ちいい。

 声が漏れちゃう……。

 
 ……じゃないだろうが、あたし!!
 

「っ!!?」
 
 課長の突き飛ばして逃げようと動かした両手は、逆に課長にとられて、彼の手は向きを変えた。そう、昨日の歓迎会の時のように。

 だが、あたしの掌を握った彼の手はさらに動き、あたしの指と指の間に自らの指を差し入れ、ぎゅっと握ってくる。

 顔を振って避けようとすると、あたしの手ごと彼の手が、あたしの頭を抑え込んで、激しく舌を絡めてきた。

 理性が抗しているのに、身体がこのキスに溺れてしまう。
 あれだけ結城に抱かれたのに、熱くなる身体が濡れてくる。

 九年前の彼とは違う――。

 快楽の細胞を深く抉るように舌を動かす彼は、あたしに大人に成長している男であることを主張してくる。

 あれから何回女を抱いてここまで経験値を上げたのだろう。

 あの時よりもずっとキスが上手でいやらしくリードしてきて、それを受けるだけのあたしは、男を知らない処女のように、あまりの気持ちよさに意識が飛びそうになるのを堪えるしか出来なかった。

「んん……んふ……ぅ、ん……ぅっ」
 
 引きずられる。
 呑み込まれていく。

 酸素を取り込むことすら許されず、ただ彼の熱だけを与えられて、快楽に蕩けていく。

 激しい水音。
 荒い呼吸と、漏れ聞こえる甘い声。

 生理的な涙を流して目を開ければ、既に薄く開いている彼の目から、あたしが感じている以上もの高い熱を見せてきた。……まるで濡れた瞳の奥で、炎が渦巻いているかのような。

 茶色い瞳が、青白い炎に溶けて、琥珀色になる。
 彼が欲情した、蜜を深めたようなあの色に――。
 
 腰のあたりがぞくぞくしてくる。
 彼からも喘ぎのような甘ったるい声が聞こえた時、子宮がきゅんきゅんと疼いてくる。

 今日は満月じゃないのに。
 今まで、こんなことないのに。

 神聖なる職場でこんなことをされて、しかも相手は直属の上司で、恋人でもないというのに、まるで満月の引力のように、怒濤の勢いで彼に引き寄せられていく。

 このひとの熱を、もっともっと強く感じたい。
 このひとに、身体の疼きを止めて貰いたい。

 身体を、もっと触って欲しくて苦しい――。

 舌と同じように、視線も強く絡んだ。

 多分、あたしの欲情した目を誰よりも近くで見ているはずの彼は、少しだけ柔らかく目を細めると、

「……っ」
 
 唇を離したのだった。

 思わず唇を追いかけると、再び触れあう寸前で彼は声を出した。


「気持ちいい? ……チサ」


 あたしの心で急ブレーキがかかった。

 あの時の情事の言葉で、だけど今はただの揶揄に過ぎないと、彼はそう言っているように笑った。

 口端からは、淫らな銀の糸が繋がり、照明にキラキラと光っているというのに。

 そうか。

 キスに溺れたのはあたしだけか。
 九年前の仕返しでもしているのか。

 あたしはまだ繋げたままの、彼の包帯の手をぎゅっと強く握った。


「ううっ!?」


 前屈みになって呻く彼を突き放し、あたしは言った。


「失礼、致しました!!」


 くそっ、キスに感じた自分が恥ずかしい。

 背を向け、唇を手の甲で拭いながら出て行こうとする時、課長の声が聞こえた。


「鹿沼主任」


 悲しいかな、呼ばれたらそちらを振り向いてしまう習性。

 彼は包帯をとっていた。

「な、なにしてるんですか!!」

 慌てるあたしの前で、彼は嬉しそうな表情で包帯を解いていくと、ガーゼをとった手を見せた。

 真っ赤な血がまだ滲んだ、痛々しい傷跡――。
 それを引き攣った顔で固まるあたしに見せながら、愉快そうに彼は言う。

「これは、自分で――。あなたのマンションの壁、やけに白すぎたからイラっとして、思わず殴ってしまいました」

「うちのマンションの壁を殴ったんですか!? なんで壁が白いとイラっとするんですか!!」

「私の心の中が黒いと、あざ笑っているようで」

 理不尽過ぎる!

「なんですか、それ!! いらぬ修繕費を取られるだけだから、お願いですから壊さないで下さい!!」

 彼はその手に唇を落としながらあたしを見た。

 やばっ、エロとか思っちゃったよ。

「じゃあどちらか選んで下さい。壊されたいものは、あなたの家か、あなたの身体か」

「はい!?」

「鹿沼主任。今度、セックスしましょう。愛情がない結城さんと出来るのなら、私とでも出来るでしょう?」

 睥睨にも似た、挑発的な眼差しで。


「結城さんより、あなたを乱れさせてあげますから。……九年前、あなたが俺に教えてくれた以上に」


 九年前の核心を突いた彼は、くつくつと愉快そうに喉元で笑った。


「たとえ嘘から始まった関係でも、俺はあなたを逃がさない。あなたを愛する恋人として、夢中にさせてみますよ、……陽菜」


――チサ…。チサって言うんだ。……だったら。


「もう俺は、九年前の子供ではないことを、証明してみせます。……覚悟していて下さい」


 ……九年前にあたしが拾った彼は、九年後、猛獣に成長していたらしい。
 美しい美しい、性的魅力にも溢れた猛獣に。

 そう遠くもない未来に、本当に食われる予感がして、あたしはふるりと身震いした。

 
 
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