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Funky Moon 12
しおりを挟む「言ってよ、どっち?」
朱羽の手が襟から中に入り、優しく乳房を揉まれる。
同時に耳の穴に朱羽の細い息がかけられ、ぶるりと身震いをする。
「想像なんか嫌。朱羽がいいっ」
「ふふ……。どうされたい?」
「いっぱい触って。いっぱい愛して」
「……お姫様の仰せのままに」
叫んだ瞬間腰で結んでいた紐が解かれ、鏡の中のあたしは、バスローブを羽織ったままの裸を晒した。
朱羽が唇で耳を愛撫しながら、後ろから手を伸ばして、あたしの両乳房を指で強く上下に揺らし、やがて指の間から乳房の柔肉をはみ出させるようにして、ゆっくりと円を描くように揉んでくる。
「あぁぁあ」
朱羽の人差し指に胸の尖りが潰されてるのだ。胸が動く度に焦らされてたまらない。
朱羽に愛されて薄紅色になった乳房。
そんなあたしを朱羽は鏡の中からじっと見ながら、首筋をべろんと舌で舐め、その上を息を細くかけてくれば、ざわざわとした……軽い悪寒のような快感が生じる。
「ひゃあああんっ」
朱羽と目があったままなのが恥ずかしいながらも、快感を強める。
朱羽の手のひらがが乳房を交互に揉みながら、尖りをきゅっと摘まめば、びくっとあたしの身体が震えた。
朱羽の指の腹で尖りを弱く擦られ、突然尖りを強くひっぱる。
「朱羽、いやらしいよ、いやらしいっ」
あたしは、身体をビクビクさせながら声を上げた。
「やあああっ」
鏡の中で、あたしをいたぶる朱羽の顔が欲情していることに気づいた。
ああ、だからなのか、イランイランの香りが強く思ったのは。
イランイランの匂いに、朱羽の匂いに頭がぼぅっとする。
あたしも朱羽に触りたい。
触りたくて仕方がない。
あたしは朱羽の紐を解き、彼の素肌を晒すと、匂いが強くなる。
逞しい胸板が鏡に見えると、横を向いて朱羽の汗ばんだ熱い胸に頬をすり寄せた。
どうしてもあたしが朱羽を愛したくて仕方がなくなり、朱羽の手を自分から指を絡ませて握り、横向きに立ちながら、胸の頂きに唇を寄せた。
舌で揺らすそれは次第にぷっくりと膨らみ、歯を軽くたててみると弾力性があった。
見上げる朱羽の顔は、上気して艶めいて。
気持ちがいいのか、目が蜜をまぶしたようにとろりとしていた。
「朱羽もここいいの?」
「あなたに愛されるならどこでも」
あたしは朱羽と手を外し、視界の下側にある彼のを掴むと、朱羽が駄目だと優しく微笑んだ。
「今は駄目。俺があなたをもっと感じたい……」
朱羽は洗面台にあたしの両手をつかせると、ゆっくりと身体を押しつけてくる。
尻に熱いなにかがあたる。
それはやがてあたしの尻の間に差し込みたいというような、故意的にぶつける動きをした。
ああ、これは――。
直接の朱羽の熱さと堅さが感じられて、思わず喘いで無意識に足幅を少し広げると、朱羽があたしの両手を洗面台に捕まらせて、尻をぐっと上に上げた。
そして、足の間をゆっくりと抜き差しし始めた。
「ああ……」
僅かの足の間をこじ開けるようにして、朱羽のごりごりとした先端が花弁を散らせ、花芯を抉る。
「ああ、あああ、気持ちいい、朱羽……っ」
朱羽はあたしの太股を両手でぐっと抑えて自分の太股につけるようにして、腰を大きく回転させたり、あたしごと小刻みにぶるぶると震えるような抽送を加えたりしてくる。
擦れ合うことで敏感な粘膜は、官能的な刺激を生んでいく。
「はは。陽菜、混ざってる……あなたと俺のいやらしい粘液が。熱くて……気持ちいいっ。挿れたいね、このまま熱い中に……っ」
「挿れて? そのまま中に挿れてひと思いに貫いて!」
あたしの黒い茂みより飛び出したような朱羽の先端が動く様を見て、あたしも腰を振らしながら、鏡の中の朱羽に懇願した。
「は……駄目、ゴムは寝室。向こうで繋がろう?」
「抜かれるの嫌、今これが欲しい」
潤みきっている蜜壷は、朱羽が欲しいと蜜をこぼしながら収縮を繰り返している。
「わがままなお姫様だな。このまま運んで上げるから。俺の首に捕まって」
そう息を荒くして言うと真っ正面に立ったあたしの両足を腕をかけるようにして下から持ち上げ、そのままあたしを上下に揺らしながら、彼の裏側とあたしの秘部同士が摩擦しあうような形で、寝室に連れた。
彼の匂いがするベッドの上、朱羽はいまだ身体を動かして摩擦を加えながら、枕元から箱を取り出し、苛立ったように歯で包みを切った。
匂い立つ彼の色香。
紅潮した彼の首筋。
「陽菜、繋がるよ。いい?」
「うん、来て」
避妊具が装着された状態で何度か蜜をなすりつけられ、そして彼はあたしを枕を頭にするように押し倒し、両足を持ち上げて大きく開くと、一気に挿入してきた。
「……っく、……んんっ」
朱羽の苦しそうな顔を見ながら、この質量を身体に収めるのに何度も息を整える。
「やっぱりこっちがいいね」
朱羽が苦しげに笑う。
「ん……」
目が合い、キスを合図に朱羽が腰を揺らした。
軋む、スプリングの音。
広いベッドの上、朱羽の匂いに満ちた空間で、朱羽に激しく抱かれている。
「ああ、大きい。朱羽、あああ、凄いの、気持ちいい……っ」
あたしの手足は朱羽に強く絡んで。
「は、ぁ、は……俺がいなければっ、ならない身体に……なればいいのにっ。俺みたいに……、あなたがいないとっ、狂ってしまう身体になればっ」
「はぁはぁっ、朱羽っ、狂うの?」
朱羽はあたしを軽く睨んで、獰猛なキスをしてくる。
「狂うよっ、あなたにっ、もう狂ってる」
汗を滴らせて、艶めいた男の顔で朱羽は腰を振っていた。
「もっと、俺を求めてっ、陽菜」
荒い息の中で、朱羽の動きは加速する。
「泣き叫んでっ、狂うほど……ぁあっ、俺をっ、俺を好きになって!!」
悲痛な叫びに、快楽とは別に胸の奥が疼いてたまらない。
「好き……」
「もっと」
「朱羽が好きっ」
「もっとだ。もっと俺に近づけっ!! 俺と離れる未来なんてっ、一瞬でも思うんじゃないっ!!」
激しい官能の波にさらわれそうになりながら、朱羽は、あたしが洗面台で言ったそのことを気にしているのだとわかった。
「もう思わないからっ、ごめんね、朱羽っ」
弾む息で謝ると、朱羽は一層律動を激しくして、髪を振り乱し、汗を滴らせながら、猛烈な勢いであたしの中を擦り上げてくる。
「違うっ、陽菜のせいじゃない。俺がっ、まだなにも出来ない俺がっ!! あああっ」
朱羽の喉元が反り返る。
「陽菜を不安にさせたくないのにっ、俺がっ、俺がっ」
「朱羽……?」
「陽菜、俺についてきて。ずっと、一緒だ。一緒だからな!?」
深いところを突いてくる。
いやらしい音が鳴り響く。
「うんっ、朱羽。ああ……しゅ……イキそう、朱羽っ、気持ちいいっ」
「うん、わかる。あなたの……凄く絡みついてっ、ああ、本当に好き。陽菜が好きだ。このまま、このまま繋がったままで……っ」
指を絡めて握られる両手。
激しくなるキス。
「イクよ、イクよ、陽菜」
「うん、来て、来てぇぇぇっ」
そして――。
「はぁぁ、んん…っ、はっはっは…ああああっ、朱羽、朱羽――っ」
「……ああっ、陽菜っ!!!! 絶対……離すもんかっ、く……ああああっ」
上り詰めて、震える身体を強く抱きしめあう。
朱羽はしばらくあたしから出ようとせず、切ない顔であたしの唇に、ねっとりとした舌を絡ませ、ずっとあたしの頭とお腹を撫でていた。
……朱羽に満ちたこの時間が、幸せでたまらなかった。
・
・
・
・
何度愛しあっただろう。
情事に耽った後の余韻を微睡みながら朱羽と分かち合っていた時、朱羽のスマホがしつこく鳴ったため、朱羽がスマホを持ってこの部屋から出ていった。
その間、あたしは、朱羽の香りが染みついている白い枕を抱きしめ、主の匂いを鼻で思いきり吸い込みながら、まだ消えぬ幸せな快楽の余韻に浸り、乱した息を繰り返していた。
やがて、バスローブをはだけさせて、上気した肌から壮絶な色香をただ漏れにしている朱羽が、汗に濡れた髪を片手で掻き上げながら、冷蔵庫から取り出したのだろうペットボトルの水を口に含みながら戻って来た。
「電話、大丈夫だった?」
朱羽がベッドに腰掛け、あたしの頭を撫でて頷く。
「ああ。会社ではなく、身内だけど……ちょっと問題が起きてね。その電話だった」
「宮坂専務から?」
「いや。彼も今頃、同じ目に遭っているだろう」
朱羽は強張ったような顔をしながら、ペットボトルの水を呷った。
なんだろう、朱羽からぴりぴりしたような空気を感じる。
今までに無い、憤怒にも苛立ちにも似たような……。
……電話のせい?
「凄く声が枯れているけど、水、飲む?」
何度も立て続けでイカされ、喘ぐ声も乾ききったあたしの喉。
こくこくと頷くと、朱羽が仰向けになったあたしの口に、静かに水を注がれた。
「まるで親鳥に餌を貰ってる"雛"だね」
そんな笑い声を聞きながら、ひりついていた喉奥を潤した。
頬に絡んだ黒髪を、朱羽が指を伸ばしてとってくれる。
朱羽と目が合うと、あたしの頬を触りながら彼の目は細められた。
「えっろい女の顔」
「……っ」
「あなたは、抱けば抱くほどに、俺好みの女になるね」
とろりとした朱羽の瞳が揺れている。
「なんなの、理性壊しそうなその色気。なあ、陽菜。惑わせるのは、俺だけにしろよ。他の男は誘惑するなよ?」
「誘惑なんか……」
「してるよ。唇は奪って欲しいとそんなに濡れて、甘い吐息を出してせがんでいるし、手のひらから余るあなたの胸はそんなに艶めかしい色をして」
「……っ」
朱羽は手を伸ばして、あたしの腹をさする。
「表面はこんなにすべすべしているというのに、この中に挿れたら、熱く濡れた襞が一斉に蠢いて、俺に絡みついて離さない」
静かにその手は動く。
まるであたしの中に挿ってきたかのように。
「奥までざらついた壁を強く擦ってあげると、きゅうきゅうと収縮して俺をさらに奥へと誘う」
朱羽は妖艶に笑う。
「思い出して? あなたが感じる俺の形」
「……っ」
秘部がひくつく。
「俺、あなたの中でどんなに幸せそうに動いてた?」
あたしの瞼が震える。
「どこまで大きくなって、あなたの中で気持ちよさそうになってた?」
「……嫌」
蜜壷が震えて、想像出来ない。
考えてただけでイッてしまうそう。
この、何でも見透かす朱羽の……熱情を秘めた熱い目に。
この、気怠そうに甘い声音を出す声に――。
その目で、あたしを見ないで。
その声で、あたしを悶えさせないで。
「……ぁっ」
あたしの唇から、ため息のような吐息が漏れた。
「欲情してる?」
あたしの肌を余すところなく愛してくれる、柔らかな唇が、揶揄するようにつり上がる。
「本当にあなたは、俺を欲しがるね」
これ以上意地悪されたら、羞恥にゾクゾクして変な声が出そう。
「朱羽は……欲しくないの?」
「え……」
「あたしだけなの? 朱羽と愛し合いたいと思うの」
「……っ」
「……抱かれるたびに、愛しいって思うの。あたしやっぱり、朱羽にえっちにされちゃった」
微笑む朱羽が、ちゅっと頬に唇を落とした。
「俺がいなければ生きていけない身体に、早くなれよ」
まっすぐで、切実な眼差し。
「もうなってるよ」
「まだだ。あなたはまだ余裕がある」
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「どこが?」
朱羽は乾いた笑いを見せる。
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「……っ」
「箱で使い切るのが、普通だと? 俺、そこまで性欲ないよ?」
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「……っ」
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「朱羽?」
朱羽は笑いながら、怪訝な顔をしたあたしをぎゅっと抱きしめて身体を起こし、彼の膝の上に真向かいに座らせた。
「あなたの前にいる俺は、あなたを手に入れてあなたと永遠に一緒にいるために、……あなたのためだけに存在する」
朱羽の目が真摯な光を宿した。
「だけどもし。もしもだよ? ……タイムリミットが予想外に早く訪れ、あなたを手に入れるためにしてきたことの代償を支払わないといけなくなったら」
「なに、それ。代償?」
「そうだ。そしてその代償の大きさをわかっていても、あなたを手に入れたかったのだとしたら?」
「やだ、なにを言うの? 悪魔を呼び出して、願いを叶えた代償に魂を奪われるとか!?」
すると朱羽は吹き出した。
「ごめん……。その発想は新鮮だったから。だけど、うん。そんな感じかもしれない」
「どういうこと!?」
「俺が、悪魔祓いに失敗すると、永遠に……囚われ人になる。このマンションとあの車と同じ、悪魔に所有される。自由はなくなる」
どう見ても、冗談を言っているようには見えない。
「その悪魔ってなによ!?」
朱羽は苦しそうな顔であたしを見た。
「それ、あたしがずっとはぐらかされていることなんだよね? 朱羽、あたしになにか出来ることがあるなら言って」
「………」
「朱羽……!! あたしを信じてよ!!」
「出来るなら、予定通りそのぎりぎりまで、ただの俺とあなたで愛し合いたかった。だけど、さっきの電話で時間がなくなってっ!! すべての約束は反故にされてっ!!」
朱羽は唾棄するように言い放った。
これはもしもの話ではない。現実に起きている本当の話だ。
「なんで過去系なの!? 朱羽!!」
不穏な予感にドキドキが止まらない。
あたしがこのマンションで朱羽と共に住む未来が見えない理由も、このことを予感していたように思えるのだ。
「あなたに辛い選択をさせてしまうから。今の状況では、優しいあなたはただ流されて、俺に同情するだけだ。或いはあなたは疲れ果てて、三上さんのように逃げ出してしまう。……もっともっと、俺は、あなたの心を守る力をつけたかったのに!! あなたと過ごす時間が、足りなすぎる!!」
「言ってよ、言って!!」
「聞いてしまったら、あなたは後戻りが出来ない。あなたは茨の道で戦い続けないといけない。俺のように」
「いいわよ、戦うわ。朱羽を守るためなら、どんなに勝算がなくても、地べたに這いつくばってでも戦うわ!!」
それは意地ではなく、本心だった。
「勝算は僅かにならある。だけどそのために……」
朱羽が静かに目を閉じ、そして開いた。
ゆっくりとあたしを見据えてくる。
「……会社をやめれるか?」
「え?」
「シークレットムーンを退職できるか?」
朱羽の目は温度を無くしていた。
是とも否とも答えるより前に、まず今の話の流れのどこに、会社と結びつく要素があったのか、唐突すぎる話にあたしは思わず質問を質問で返した。
「なんで会社の話になるの?」
朱羽はただあたしをじっと見ている。
悲哀に満ちた眼差しで。
そして――。
「もしものたとえの話だよ。真剣に考えなくていいから」
朱羽は目をそらして笑う。
「あなたが会社を愛していることわかっていて、妬いてしまったんだ。試すようなことを言って、意地悪してごめん」
拒絶するような儚い笑み――。
「じゃあいつ、真剣に考えさせてくれるの?」
……いつものように、煙に巻かれてはいけないと、あたしの本能が訴えていた。
会社を辞めろと言ったのは、いつもの意地悪ではないことくらいあたしにだってわかる。それを朱羽は本当は言い出したくないということも。だから感情を凍結した顔で、あたしに聞いたんだ。
電話一本で、ここまで朱羽の顔が強張らせることが起きているのなら、あたしひとり安穏と守られていたくはない。
「朱羽が苦しんでいるものに、あたしも一緒に立ち向かいたいの。もう誤魔化さないで。いずれ話してくれると朱羽は言ったわ。話してくれる気があるのなら、今話して。その時に狼狽えるのなら、あたし……今から身構えていたい」
「………」
「あたしが満月のことを勇気を持って話したように、どうかお願い、朱羽。あなたの心の中をあたしに見せて」
朱羽の手を強くぎゅっと握る。
朱羽の手は冷たかった。
話したくなった時に話せばいいという、あたしのいつものスタンスは崩れている。
朱羽が苦しげな表情を見せているのに、見て見ぬふりは出来ない。
どうすれば、朱羽に心を開いて貰えるのだろう。
どんなに愛し合って繋がっても、心では、彼と距離があることが悲しくて仕方がなかった。
そこまであたしは頼りないんだろうか。
あたしは、そこまで朱羽の力になれないものなのだろうか。
「あたしは、ただ守られているばかりの女になりたくない。……教えて。あたしが会社を辞めるという話は、もしもの話ではないんでしょう? なんでそういう事態になっているのか、わかるようにあたしに教えて」
「陽菜……」
朱羽の瞳が、苦しげに揺れている。
「一緒に未来に進みたいの。朱羽は初めてあたしに、永遠を信じさせてくれたわ。予期せぬ出来事に、朱羽を失いたくない」
朱羽は辛苦に満ちた表情を顔に浮かべて、あたしを見ている。
「……真剣なの」
そう言ってから、あたしは裸で必死に言っていることに気づき、ちょっと待ってと朱羽に手のひらを見せて制止しながら、いそいそとバスローブを身につけ、朱羽の前に正座する。
なんという間抜け。
これだったらどんなに言っても、真剣さが伝わらないじゃないか。
そんなあたしを見て、朱羽は大きなため息をつき、髪を掻き上げた。
「……聞いたら、本気に後悔するよ?」
翳った美麗な顔。
「聞かずに逃げている方が後悔する。あたしが『じゃあ話さないでいいです、平和なところで守られていたいので』と引き下がる気性に思える?」
朱羽は乾いた笑いを見せた。
それが、決心した仕草なのだとあたしにはわかった。
「朱羽の敵はなんなの? 会社に関係あるひと?」
朱羽は重い口を開いた。
「……関係ある。戦う相手は、オシヅキザイバツノトウシュだからだ」
「え?」
オシヅキザイバツノトウシュ?
「忍月財閥。忍月コーポレーションの社長をしている、現当主だ」
突然飛んできた鋭利な矢が、頭から貫いた気分だ。
さらに朱羽は言った。
「さっきの電話は、現当主からで。体調がよくないから、至急で俺の見合いを早めたという連絡だった」
見合い!?
「ちょっと待ってよ、なんでそうなるの!?」
頭が変になりそう。
会社を辞めるということと同じように、突然朱羽の話で出現した忍月財閥の現当主。そして朱羽の見合い。
朱羽のように一を聞いて十を知れる頭ではないあたしには、まったく話が繋がらない。
因果関係がさっぱりわからない。
「現当主が決めた相手と見合い結婚し、忍月財閥を引き継ぐ。それが俺の代償だった」
"代償"――。
「なんで、朱羽が忍月財閥を引き継ぐの!?」
驚きに声が裏返る。
「聞いたことない? OSHIZUKIビルの噂」
気怠げに朱羽は笑う。
たとえさわりでも、始めから専務が言っていた。それに、向島専務との確執での忍月コーポレーションの副社長について、宮坂専務だけではなく朱羽も言っていたはずだ。忍月財閥の後継者問題のことを。
「忍月財閥の現当主は、次期当主を亡くした。いるのは、忍月コーポレーションの副社長、つまり甥のみ。現当主は、直系に継がせるために、亡き次期当主が作った妾の4人の子供達をOSHIZUKIビルに呼び寄せ各会社に入れて、後継者相続争いをさせた。それが二年前」
一、忍月の後継者は正妻の子供はおらず、妾腹の男子4人がいるらしい。
「俺は母方の姓、香月と名乗っているが、戸籍上の名前は忍月朱羽――」
一、木場のビルに同時期に入った大きな4つの会社には、母方の姓を名乗る後継者候補がそれぞれひとりずつ勤務しているらしい。
鳥肌がぶわりと立つ。
「そして渉さんは、俺の実の長兄で、実名は忍月渉だ」
鳥肌が立つ。
符合するのだ。
二年前、なぜ突然社長は、宮坂専務の依頼で、ムーンをOSHIZUKIビルに引っ越したのか。
そして宮坂専務が朱羽をシークレットムーンに手放した理由。
宮坂専務がやけに朱羽を可愛がっていた理由。
ああ、向島専務も言ってたじゃないか、朱羽は宮坂専務の"弟"だと。
……知っていたのか、向島専務は。宮坂専務から、忍月財閥のことを聞き、そして自分も財閥を背負う立場だからと、意気投合したのか。
「俺達は、あらかじめ入社の期間が決められていた。長兄の渉さんだけが例外で、ずっと忍月コーポレーションにいて、俺を含めた弟達を統括している」
本当にいるんだ、別の階の会社に朱羽の兄弟が。
「他にもあったよね。監視役だとか、黒服だとか、女嫌いのイケメンとか」
一、現在後継者争いが勃発し、彼らがそれまで勤務していた会社ごと、忍月本社のあるビルに招集され、各社には本社からの監視役が派遣されているらしい。
一、後継者候補の兄弟達はすべてイケメンらしいが、女嫌いらしい。
一、もしその後継者候補が誰かわかっても、口外した瞬間、忍月お抱えの黒服に拉致されて、東京湾に沈められるらしい。
「監視役のOKがないと後継者として認められないとは言われているけど、監視役が誰か、単数なのか複数なのかもわからない」
「シークレットムーンに監視役してる社員なんていないと思うけど……」
「うん。渉さんも忍月コーポレーションで誰が監視役かわからないみたいだから、もしかしてそうやって品行方正にと脅しているだけなのかもしれない」
「黒服は?」
「情報漏洩を防ぐための脅しだろう。なんで知ったからと言って東京湾に沈められるんだよ。だったらあなたも、いや……沙紀さんがもう既に沈められてるよ。だけどまあ、彼女は強いけど」
沙紀さんも知っているのか。
「朱羽の兄弟は皆イケメンで女嫌いなの? まあ、宮坂専務はいい男だとは思うけど」
「イケメンかどうかは知らないけど、俺はあなた以外の女は嫌いだし、渉さんだって女を嫌っているからずっと道具にしてた。他の兄は知らない」
「朱羽は見てるの? 宮坂専務以外のお兄さん」
「昔一度、現当主との顔合わせがあって、そこで俺は初めて渉さんと、他ふたりの兄に会った。それっきり、そのふたりには会っていない。いるはずだけれど、興味ないから視界に入ってこない……」
妾の子。
そういえば朱羽から両親のことについて聞いたことがなかった。兄弟がいるとは思わず、勝手に一人っ子だと思っていた。
だけど実際、宮坂専務が朱羽のお兄さん……。
そしてふたりは、あたしの手の届かない遥か上にいる、日本屈指の財閥の後継者の人達……。
忍月朱羽――。
くらりとした。
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