いじっぱりなシークレットムーン

奏多

文字の大きさ
103 / 165

  Funky Moon 13

しおりを挟む
 

「後継者争いといっても、皆それぞれ育った環境があるし、俺達の母親は、亡き次期当主……まあ、俺の父親だけど、その正妻にかなり虐げられて、すべて巻き上げられて外に放り出されたから、苦労していたみたいだ。俺達4兄弟の中で、渉さんだけが本家でかなり虐げられながら育ってて。渉さん以外、後継者なんて青天の霹靂で辞退したから、後継者の座は渉さんに白羽の矢が立てられた」

 専務は、どんな過去をもっていたのだろうか。
 社長に救われたその過去は――。

「渉さんは現当主に俺を次期当主にと推して、後継者争いというゲームの名目で、現当主にわかられない形でOSHIZUKIビルにあなたがいるシークレットムーンを招いて、俺を入れた。あなたと会えるように」

「なんで……、そんなのこのビル以外でも会えるじゃ……」

「妾の子が四人いるといった時点で、俺達の義理の母にあたる、亡き次期当主の正妻が、妾の子である俺達を蹴落としたくてあの手この手で攻めてくる。あなたは俺の弱点だ、迂闊にあなたに手を出したらあなたが酷い目に遭うかも知れない」

「そんな……」

「権力で人間らしさを失う世界なんだよ、忍月は。だけど俺が後継者の資格を持ったから、彼女……義母は俺の周辺に手を出せない。勿論あなたにも。俺は忍月の力を盾にしてる」

「………」

「俺が一番貧しくて庶民じみて病持ちで。後継者の資格を持つために、渉さんが苦心して忍月の力で、アメリカで教養を身につけさせてくれたようなものだ。後継者の資格を持ったから、現当主……じいさんから、車とこのマンションをプレゼントされた。俺がその力を利用する限りそれを甘受して、そしてこれを見る度、俺は次期当主候補としてじいさんに囲われていることを知る。俺の血肉は忍月の力で育ったようなものだ。自業自得とはいえ、逃れきれない咎のように、忍月が俺を縛る」

 囚人だと彼は言った。

 彼の色がないマンションと、使った形跡がない彼の車。

 嫌だったのだ、朱羽は後継者になることが。
 だけど後継者候補になったからこそ、あたしに会いに来てくれた。

 ……そして今、朱羽が利用したものに足を引っ張られようとしているのだろう。あたしなんかに、会いに来てくれたために。
 
「現当主が倒れたからといって、なんで朱羽が後を継ぐの? 宮坂専務は? 他のお兄さん達は?」

「渉さんは沙紀さんを力にして、忍月財閥を出たいんだ。だけど俺や会社を守るためにあえて忍月に居てくれている。他の兄達も嫌がっていると聞く。だとしたら、俺しかいないんだ……」

「朱羽は当主になりたいの?」

「なりたくない。ならないつもりで、今後を考えていた。だけど俺が当主をしなきゃ、渉さんが強制的に連れ戻される。今、電話でそう言われたんだ。当主はまだ話せるうちに、後継者問題にケリをつけたいと。心労からかなり声が衰弱していたくらい、体調が悪いらしい」

 朱羽は自嘲気に笑った。

「二ヶ月、と言われていたのに、来週見合いだと言う!! 忍月の力に抗うための力を、まだなにもつけていないというのに!!」

 朱羽は両手をぐっと強く握りしめた。

 ああ、きっとシークレットムーンが窮地にあったからだ。
 だから朱羽は、自分の身よりも会社の救済を優先してくれていたから、なんの準備も出来ていなかったんだ。

「……俺が拒めば、渉さんと見合いさせると。多分、渉さんにも電話が行っていると思う」

「そんな、だったら沙紀さんは……」

「………。最悪、別れさせられる」

 鋭い目があたしに向けられる。

「わかるか、陽菜。忍月はそれほど容赦ないところで、渉さんと沙紀さんを犠牲にしたくなかったら、俺と陽菜が二の舞になる」

「……っ」

 朱羽か宮坂専務か、あたしか沙紀さんか。

 どちらかの心を切り裂いてまで、次期当主にならないといけないの?
 
 あたしは……、ただの朱羽が好きなのに。
 忍月財閥の当主なんていらない。香月朱羽が好きなのに!!

「俺が当主に確定したら、必ず結婚させられる。力をつけられていない今の状況、それを回避するのは……」

 朱羽はあたしの手を握って、静かに言った。

「あなたを俺の婚約者にすること」

「な!」
 
「俺があなたを庇うだけではだめだ。見合いをなくすためには、あなたもまた、あの義母と祖父を納得させないといけない」

「……っ」

「それだけじゃない。結婚していない、ただの婚約者というステータスだけで、あなたは上流界の作法や付き合いを覚えないといけない。仕事なんてしている暇がない。だから仕事を辞めれるかと聞いたんだ」

 頭がぐらぐらする。

 あたしが上流界?
 あたしが、忍月財閥を担う朱羽の妻?

 身分不相応なのを、ひしひしと感じる。

 仮に結婚云々は後回しにして、朱羽の見合い結婚をやめさせるために婚約者だと名乗り出たとしても、あたしが朱羽に相応しいと誇れるものはなに?

 なにを武器に、朱羽の妻になりたいなど言える?
 親に犯されたのに?

「あたし、褒められるところがなにもない」

 すると朱羽は静かに頭を横に振る。

「……俺からすればいろいろあるけれど、それより俺が心配なのは、あなたの心がそこまでまだ育っていないことだ」

「え?」

「あなたは、まだ俺と家庭に入る気にはなれていない、だろう?」

 朱羽が悲痛さに顔を曇らせて、あたしの頬を撫でた。

「だって、付き合ってまだ一週間よ?」

「そうだ。付き合って、まだ一週間しか経っていない。それなのに、こんな形であなたを追い詰めたくないんだよ、俺は」

「……っ」

「結婚って、好きだからするものだろう? 切羽詰まったからではなく、俺はあなたの心を待つつもりだったのに、なのにこんな……っ」

 朱羽は唇を噛んだ。

 あたしはふと疑問を口にする。

「……それでも朱羽は、自分のことを囚われ人と言った。朱羽は、この先も自由になれないと思っていたんでしょう? だったら、あたしとも最初から別れる気だったの?」

「違う!!」

 朱羽があたしの肩を掴んだ。

「打開しようとしていたんだ。二ヶ月の期間があるからと。俺も渉さんのような力をつけようと。だけど、予定が来週にまで迫って、俺は……渉さんしか頼れないのに、渉さんにこのことを相談は出来ない。渉さんは俺があなたを手に入れられるまで、俺のために骨身を削ってきた。そんな渉さんに、俺は陽菜と忍月に関係ないところで幸せになりたいからと、逃げることは出来ない。今度は俺が渉さんを幸せにしないと。俺が、我慢すればっ!!」

 朱羽は唇を震わせて、あたしの唇を指で触れた。

「だけど俺は、あなたが欲しい。あなたと別れたくない。あなたが好きで仕方がないんだ」

 やるせなさそうに笑う。

「あなたを失うと思うと、震えがくるほど我慢できない。だけど、愛するあなたを追い詰めたくない。あなたの笑顔を曇らせたくない。……本当にわかってるんだ。あなたは会社を愛してる。わかっているから、あなたを追い詰めることで、あなたが俺の手から逃げてしまいそうで……」

「あたしは逃げないよ」

 あたしは強い瞳を朱羽に向けた。

「あたしの満月のように、朱羽の苦しみとも向き合いたい」

 朱羽が息を飲むのがわかった。

「杏奈の気持ちはわかるけど、だけどあたしは……、杏奈と同じ選択はしない」

 朱羽の瞳が揺れた。

「今度はあたしが、朱羽になにかをしたいの。あたしに出来ることがあるのなら、朱羽の婚約者でもなんでもして、朱羽の傍に居たい。孤独にさせないから」

「……っ」

「あたしは会社が好きだと言うこと、朱羽はわかっていると言った。だったらあたしが朱羽を好きだっていうことも、わかってくれてる?」

 朱羽の瞳が辛そうに揺れている。
 
「会社と朱羽のどちらが好きなんて、比較できない次元に朱羽と会社はある。だけど、どうしてもどちらかを選ばないといけないのなら……どうしてあたしは会社を取ることが前提なの?」

「え……」
 
「朱羽、なにか紙とペンない? コピー用紙みたいなものでもいい」

「なんで……」

「いいから。いいものをあげる」

 朱羽はわけがわからないという顔で、ローチェストから上質紙を取り出し、かけてある背広の胸ポケットからボールペンを出して、あたしに渡した。

「ありがとう」

 あたしはバッグから、通帳だとか大事なものを入れてある小袋を取り出した。

 そしてあたしは、通帳を背にして書いていく。

「……陽菜っ!?」


『退職願
 一身上の都合により、来たる平成○○年○○月○○日をもって退職いたしたく、お願い申し上げます』


 名前を書き、印鑑を押した。


「……日付は月曜日。株主総会でちゃんと結城が社長になったのを見届けてからでもいい? そうしたら、あたし……結城に提出するわ」

「陽菜、なんで……っ」

「会社を救えるのはあたし以外に皆がいる。だけど……、あたしだけが朱羽を救えるのなら。朱羽を失いたくないから、あたしは会社を辞めて朱羽と共に困難な道を選ぶ。僅かにでも朱羽が他の女と結婚しない可能性があるのなら、あたしはあたしの恋人を取り戻すために、ベストを尽くす! ……それがあたしの答えよ」

「陽菜……」

「朱羽。生半可な気持ちで、朱羽を助けたいなどと安易に口にしていないわ。真剣なの」

「……っ」

「真剣に、あたしは苦しんでいる朱羽と向き合いたいの。あなたを救うことと会社を辞めることとを秤にかけない。そんなもの、あたしの心は決まっている。あたしを見くびらないで」

 強い語気で言うと、朱羽の目の下縁から透明な雫がぷくりと膨れあがり、はらりと雫が頬に伝って落ちた。
 
「だけど、あなただって茨の道だ。敵はかなり大きい……」

 はらはらと朱羽の雫が、照明に煌めきながら滴り落ちた。

「朱羽はあたしの傍にいてくれるんでしょう? だったらなにも怖いものはない。とりあえず、見合いを壊して体勢を立て直そう。偽婚約者、頑張ります!」

 あたしは笑いながら、朱羽の目の涙を指の腹で拭う。

「Are you OK ?」

 慣れない英語でそう尋ねると、朱羽は泣きながら微笑んだ。

「Keep smiling next to my life.I promise love of the eternity.
(一生俺の隣で笑顔を見せ続けて下さい。永遠の愛を誓います)」

「もう、わからないよ、なんて言ったの?」

「……今はあなたにとって偽婚約者でも、近いうちに俺は真実にするよ、って」

「……朱羽っ」

「冗談じゃないよ、こんなどさくさに乗じた形ではなく、きちんとするから。……だから待っていて。そんなに待たせず、環境を整えて迎えにいく」

「……っ」

 静かに唇が重なる。
 朱羽の涙の味がした。

「あなた以外に、俺は考えられない。
……俺は一生あなたの前では、ただの朱羽だから――」










 ~Wataru Side~


「ふざけんな!!」

 俺は切ったばかりのスマホを床にたたきつけた。

 あのジジイは今、なにを言った?

――お前が言い出した後継者争いだ。お前は責任を取るといったな?

 ジジイ自ら、ジジイがくたばる前に、後継者を確定すると言い出した。
 約束したことを反故にして。

――お前が、忍月コーポレーションの社長職も嫌がっているのだから、朱羽に当主の座を継がせ社長につかせる。そうであれば、朱羽が今いる会社と他の奴らの会社を潰してビルから追い出せ。使えないのは必要ない。

 つまり俺の弟であり朱羽の兄ふたりを、ジジイの孫ふたりが勤めている会社と、月代さんが作ったシークレットムーンを潰せと、言った。

 それだけではない。

――朱羽の代理は、お前ひとりでいい。

 俺は朱羽のスペアだと、そう言った上でこう続けた。

――来週の木曜日、朱羽と先方の令嬢を見合いをさせる。もしお前が朱羽の縁談を潰すつもりなら、お前が朱羽の代わりをしろ。お前が見合いをして、結婚し、お前が儂の後を継げ。

  ……冗談じゃねぇよ。
 なんでこんな話になったんだ。

 俺か朱羽か、なんでそんな話に。 

 朱羽は、ここまで頑張ってきたんだぞ?

 昔昔のあの顔合わせの時、既にジジイは勝手に、初めて会った朱羽と他ふたりを、俺の弟にしていた。

 あの時ジジイは、俺達に戸籍を突きだして言ったんだ。

――認知をしてやる。だからお前達は、この名誉に命を捧げよ。

 俺を含めて、弟だという若い男達の前に置かれたそれは、既に親父の名前が入っていた。

 親父が元気な時に認知届を出していたのか、ジジイが勝手に届を出したのかよくわからねぇなりにも、ジジイは忍月財閥の一族に入れることが、彼らの誇りとなり、忠誠を誓うのは当然と思っているフシがあった。

 だから偉そうに、紙に書かれた名前如きで、妾腹の子供達を手中に収めた気でいた。

 その人生を恵まれたものに書き換えたと自負している、ただの偽善者だよ。

 俺は愛人の子として本家で蔑まれて育ち、どんなに俺やお袋が、親父の妻に虐げられて惨めな思いをさせられてきたのか、本当は知っているくせに、親父もジジイも見て見ぬふりをしていたのを許す気はねぇよ。

 もともと本家でメイドをしていたお袋は、エスカレートしたあのババアに躾と称して虐待され、挙げ句には俺の目の前で火だるまになって灰になった。

 ジジイと親父が、あのババアになんて言ったと思う?

――遊ぶのもほどほどにしなさい。

 殺されたんだぞ!?
 人間が火あぶりにされたんだぞ!?

 それから俺は、火を見ると身体が竦んでパニックに陥っていた。人間が焦げる匂いが鼻につき、焼き肉も食べれないほどに。

 悔しかった。

 なんでお袋がそんな目に遭って死なないといけないのか。
 俺を生んだことは、そこまでいけないことだったのか。

 それでも、あのババアと親父の間に子供がいない限り、あのババアは財閥の財産は手に入れられない。どんなに欲しがっても。

 そう思い、俺は……俺にトラウマを植え付けたババアに制裁を加えるために、親父の子供としてババアに気に入られるように育った。

 親父は知っていただろう。

 俺が、あのババアの閨の相手をしていたことも。あの女が俺に惚れ、俺を次期当主にたてて、俺の妻になろうとしていたことも。……俺がそう仕向けて、復讐をしようとしていたことも。
 
 だが、ジジイは俺とあの女の目論みを見抜いていた。
 俺の牽制のために、弟達を認知させた。
 
 あのジジイは思い違いしている。

 俺が落ち着いたのは、弟達が出来たからではない。中でも朱羽を可愛がっていただけの理由で、俺が丸くなったわけではねぇんだ。

 ……沙紀だよ。

 焼き肉好きの沙紀が、俺の火の恐怖症すら治してくれた。

 沙紀が俺の曇っていた目を、明瞭にしてくれた。

 空は青く、太陽が輝き、夜には星と月が浮かぶ……普通はなんでもない当たり前のことを感じ取って、初めて俺は感動して泣いた。

 沙紀との出会いがあったから、俺は朱羽に愛情を注げたんだよ。

 かつて感情をなくした俺だったらからこそ、朱羽の境遇に涙を流すことが出来た。
 
 俺が相手にしなくなったババアが、魔の手を俺の弟達に向けたのを、俺は感じた。
 弟達はいい男だ。そりゃあ親父がいい男だし、親父が手を出した女はいい女だったろうさ。

 その中で朱羽が中性的で一番儚げで。自分で育てようとあの女が目を光らせたのもわかっていた。

 それもあって、俺は心臓で倒れた朱羽をアメリカに連れたんだ。

 朱羽がカバを一心に想い続けていることを知った俺は、朱羽が立ち直ろうとしていることに喜んでいたのと同時に、日本に帰国して、朱羽がカバを追いかけたら、カバの身が危なくなることを恐れた。

 カバの顔は見たこともなかったが、それでもあの女なら、朱羽の弱点を見つけ出して潰すことはやりかねない。
 
 朱羽があの女や、あの女を野放しにして俺達を道具にしようとしているジジイに立ち向かえるようにするためには、そしてカバと引き合わせるためには、朱羽が俺と似た忍月の力を纏えばいい。

 そう思い、朱羽に提案した。

――お前が惚れている女を手に入れるために、忍月の力を手に入れろ。

 そうすればあの女も迂闊には手を出せなくなる。

――力を手に入れるためには、忍月を受け入れろ。今ひとときでも。

 手が出せなくなるようなものを作ればいい。

――お前が、望んだ未来を実現するために、忍月を利用しろ!

 朱羽は俺をじっと見て、こう言った。

――俺がそうすることで、渉さんは、望んだ未来を手に入れられる?

 俺は頷いた。

――俺が望むのはふたつ。忍月とは関係ないお前の幸せと、俺の幸せだ。

――渉さんは、忍月を出たいの?

――ああ。自由になって、お前のように愛する女と、普通の恋人として生きてみたい。
 
 俺の望みは、朱羽に語ったことで形になった。

 ああ、俺は。
 朱羽の恋を応援すると同時に、自分もそうでありたいのだと望んでいたことに気づいた。

 なんの陰謀も制約もなく、ただの男としてひとりの女を全力で愛せたら――。

――じゃあ渉さん、考えよう。俺と渉さんが、自由になって幸せになれる方法を。

 朱羽の目には、かつての自暴自棄だったものはなくなり、強い意志があった。

――ふたりで、幸せになろう。

 朱羽を変えたのは、カバだ。

 カバが欲しくて、朱羽は男になった。
 カバのために、朱羽は劇的に変わったんだ。

 脳死の親父が死んだ。

 対外的には泣きながら、裏では一滴の涙も零さずに本家に居座るあの女と、弟達を孫と認めながら、弟達の拒絶を受けて俺を次期当主にさせようと企み始めたジジイ。

 後で医者に聞いた。別々だが、ふたり共延命措置をやめてほしいといわれたと。

 ……妻と父親が親父を殺した。それが、忍月だ。
 目的のためには、血が繋がっていても生きながら殺される――。


 N.Y支社から本社に戻り、俺は頃合いを見て、あのジジイにも提案した。

 後継者争いをしてみたらどうかと――。

 俺の手の中で、朱羽が安全に地位をあげ、カバを手に入れるための苦肉の策だ。
 そして俺が沙紀と共に忍月を出れるチャンスでもあった。

 他の弟達を巻き込んで、俺はこうジジイに言った。

――忍月を率いるようになるためには、練習台が必要です。俺がいるOSHIZUKIビルに、弟達全員を呼んで、その会社での仕事ぶりを見てみましょう。俺に勝る逸材がいるかもしれない。

 それはあの女の牽制も勿論ある。
 ジジイはこう言った。

――ならば孫達がいる各社に、忍月の力が及んだ者達を監視役として入れよう。もしも後継者として相応しくない動きをしたのなら、後継者としての力をすべて奪い、その会社も潰す。後継者の力がない者は、消えるのが常。

 つまり後継者候補として、業績を上げてカリスマ性があり、監視人のチェックがOKならば、次期当主になれる。

 だがなれなければ、すべてを奪われる。
 
――二ヶ月の猶予で、次期当主になった奴は、褒美になんでも願いを聞いてやろう。この忍月浩一、嘘は言わぬ。なんなら念書を書いてやろう。

 孫らしくおねだりをしてみた俺に、ジジイ面して案外すんなりと頷いた。

 俺と朱羽は「褒美」、そこに賭けているのだ。……恐らく俺から話し、この案件を了承した他の弟達も皆。

 これは兄弟達で、裏で画策していた。

 誰が勝っても、兄弟達と共に自由になることを。
 誰の会社も潰させはしないし、誰のも奪わせない――。

 ……そのために、俺は月代さんに頼み込んだんだ。
 
 俺達の家の事情だというのに、会社の命運を共にして貰えないかと。
 月代さんが忍月コーポレーションを出て独立したのに、忍月コーポレーションに吸収して貰えないかと。

 そうでなければ俺は、堂々とカバがいるこの会社に朱羽を送り込めなかったから。

 月代さんにはすべてを話して、土下座した。

 可愛い弟の恋を実らすために、俺達が自由になるために。
 そして向島の馬鹿から、三上を守るために。

 全力で月代さんの会社を守るから、OSHIZUKIビルに来てくれと。

 月代さんは、昔と変わらない笑みで言った。

――ムーンの名前は残してくれよ。
 
 兄弟で決めた、勝者は誰だろうと構わぬ、出来レース。

 俺の恩人とその会社を巻き込みながら、弟達と監視人はそれぞれの会社に配置されて、二ヶ月間の猶予を与えられた。

 弟達は、誰もが忍月の犠牲になった過去がある。

 OSHIZUKIビルに弟達がやってきて、二ヶ月間だけが俺の名の下に、初めてジジイ達忍月が手出しできねぇ、仮初めの自由が与えられるんだ。

 朱羽は、沙紀とカバを認めてくれることを願いに入れていた。それを含めた自由を願い、朱羽なりに意気込んでいたが、シークレットムーンの危機に巻き込まれてしまった。

 賭けのために業績を上げようとしていたはずの朱羽は、今では一社員としてシークレットムーンに身を投じている。

 カバだけではない。結城ら社員に、心を見せるように柔らかく笑う朱羽を見ていて、結城と冗談を言い合う朱羽を見ていて。俺と沙紀は内心喜んでいたんだ。

 ようやく朱羽に、感情が出たと。
 
 朱羽が理知的に変貌して、ジジイが思わず、車と家という「お小遣い」を与えた時だったろう、俺と沙紀以外に朱羽が感情を見せなくなったのは。

 朱羽は俺の手元で守られながらも、ジジイに俺のスペアとするまでの忍月の後継者候補として認められ、今まで以上にジジイに縛られた。

 カバを手に入れるためとはいえ、忍月のせいでまともな精神を保てなくなってしまった母親を見ている息子としては、どれほど屈辱だったろう。

 あのババアがいなければ、また違った選択肢を進んだかもしれないのに、朱羽はいずれわかられてしまうだろうカバを守るため、忍月に踏み入れた。

――これで俺は、囚われ人だね。

 だが朱羽は、俺にそう言ったきり、恨み言ひとつ言わなかった。
 
「……ふぅ」

 後継者争いが本格的に動き出すまで、俺の手元で守られていた朱羽を思い出す度、今の朱羽はどんなに満ち足りているのかを実感する。

 朱羽を必要として、ひとと関わりを持とうとしなかった朱羽を自ら、献身しようとさせるシークレットムーン。

 月代さんは、なんと素晴らしい会社を作ったのか。

 それなのに――。

 朱羽が人間らしさを取り戻す瑞兆があるにも関わらず、ジジイが勝手に心配して具合悪くなり、おかしなことを言い出したわけだ。

 願いを叶えるなどいう念書も、きっと役にはたたない。

 僅かな望みを賭けていた約束は、反故にされただけではなく、最悪な人生を押しつけてきたのだ。不条理にも、不可抗力的に。

 俺か、朱羽が次期当主になるために、誰だかわからねぇ……ジジイが選んだ相手と政略結婚しろと。さらにシークレットムーンを含めた弟達の会社を潰すと。

 ふざけんなよ、俺達は道具じゃない。

 俺は沙紀と一緒に居たいんだよ。
 朱羽だって、カバとようやく始まったんだぞ!?

「なんでそんなに、俺達を苦しめたいんだよっ」 
 
 どうすればあのジジイを倒せる?
 どうすればあの女がしゃしゃり出ねぇようにさせられる?

 俺が当主になればいいのか?
 そうしたら沙紀はどうなる?

「渉? 大丈夫? まだ電話?」

 妾なんて絶対嫌だ。沙紀をお袋のような第二の女には絶対させたくねぇ。

 俺は部屋に入ってきた沙紀を抱きしめた。

「沙紀と離れたくねぇ……っ」

 朱羽が可愛いよ。
 朱羽とカバを応援したいよ。

 だけど俺は、愛おしいこの温もりを離すことはできなくて。
 
 ようやく、俺が忍月財閥の人間だということを認めてくれたのに。これから一緒に、忍月と戦おうとしてくれているのに、なんで俺、沙紀以外と結婚しなくちゃならねぇよ。

 忍月の力は偉大すぎる。

 俺のお袋のように、欲望のためにひとの命が儚く散る。
 それを凌げるだけの力が、俺にも朱羽にもまだない。早すぎるんだ。

 忍月の次期当主となれば幸せになれる――ジジイだけが思い描く予定調和のような未来に、俺達は血が繋がっているという理由だけで、屈しないといけないのか。

 俺達に自由はないのか。

「沙紀……っ」

「渉?」

 せっかく見つけた、俺達を変えてくれた愛おしい女を、手放さないといけないなんて、あんまりじゃないか。

 朱羽――
 お前は今、なにを思う?

 お前のことだ、お前が犠牲になろうとしてるんじゃねぇか?
 あれほど欲しがっていたカバの手を、離そうとしているんじゃねぇか?

 不安と怒りに、苛まれてはいねぇか。

 せっかくのふたりだけの夜だったのにな。


 俺が、予定調和の未来を変えるために、できること――。


 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

処理中です...