上 下
4 / 102
1.ゼラニウムは、予期せぬ出会いを誘い寄せる

三十才はセフレのお年頃

しおりを挟む
 育たない想いに、何度目かの別れは彼女に涙を流させるには至らなかった。
 九年前に、涙もなにもかも枯れ果ててしまい、いまだ潤うことはなく。

 そんな欠陥人間だから、浮気をされても仕方がないと思うようになった。
 それでもいつかは欠けたものが埋まるのではないかと、期待をして付き合ってみるけれど、いつも結末は同じ。

(わたしは、選ばれない)

 いずれ別れが来る恋愛よりも、仕事をしていた方がいい。
 誰かに必要とされる好きな仕事でキャリアを積む方が、よっぽど日々が充実している。
 殊更今は、強くそう思う。

(しばらく、恋愛はいらないわ)

「……とまあ、わたしのことはいいのよ。それより、仕事の話で……」
「明日」
「え?」

 牧瀬がテーブルに片肘をつき、前髪を掻上げながら香乃に言う。
 その目にはいつものような温和さがなく、男の艶に満ちている。

「さすがに、今夜とは言わねぇよ。そこまで鬼畜じゃねぇし」
「だからなに……」

「セックス、しよ」

 彼は妖艶さを纏いながら、彼女を誘う。

「俺に今、彼女はいない。お前も別れた。そういう、だったろう?」
「ちょ……っ、シタいなら牧瀬が誘えばついてくる女の子はたくさん……」
「だったら、見積出す? 香乃チャン」
「……どちらも拒否すると言ったら?」

 香乃がキッと睨むが、牧瀬は超然と笑う。

「香乃チャンの実家のお花屋さん、俺のコネを失ってしまって生き抜けるのかな? また仕事、紹介して欲しくないのかな?」

 香乃が断れないということをわかって、牧瀬は超然とした笑みを見せてくる。

 いつも彼にセフレ関係を持ちかけられるのは、実家の花屋の経営状況が苦しい時だ。
 セフレになることで、彼はそのコネを使って客を紹介してくれて、なんとか実家は危機を乗り越えてきている。

 蓮見家にとってみれば、大きな得意先を紹介してくれる牧瀬は神。
 まさか娘が身体を張っているとは気づいてもいない。

 ……そして正直、昨夜も、牧瀬に頼んで欲しいと母親から相談があったばかりでもある。
 かといって、納得いかない手抜きの仕事はするつもりはなかった。
 となれば、彼からコネを引き出せる方法はひとつ。

 そんな実家事情をしらないくせに、いつも彼からの誘いは見計らったかのようにタイミングがいい。

――深く考えるなって。煩わしい恋愛がない息抜きだと思えよ。ただのセックスを伴うフレンドということで。

 ライトな関係。
 ギブアンドテイクの関係。

 それでも仕事では、本気でぶつかることが出来、信頼している有能な唯一の同期。

――お互いフリーの時に、気が向いたら親睦しようぜ、香乃チャン。コネの紹介は、セックスの礼ということで。

 セフレなど、牧瀬がその気になればたくさん作れるだろう。
 大体、牧瀬は女と遊んでいることを、自分で自慢してきていたのだから。

「さあ、どうする? 俺からの誘いに乗れば、実家も万々歳。それでも拒絶?」
「八年もの付き合いの長いわたしに、姑息で汚い手を使うわね、アホ牧瀬」
「俺の手口はお前が一番知っているだろう? そして俺もお前のことを知っている。お前は汚い手で仕事をしねぇってことくらい。それにそれ以外の手があるのなら、不定期だろうがセフレな関係になってねぇよな、俺達。ずっと清い清い同期のまま」
「……っ」

 セックスが苦手なのに、結局彼とのセフレに甘んじるのは、彼だけは身体に潤いを与えてくれるからだ。
 心を繋げなくてもいい分、好きだという演技をしなくてもいい分、セックスだけに没頭出来る。

 快楽に逃げることで、いまだ自分を苛む悪夢を忘れることが出来るから――。

「ということで決まりな。明日、一緒に早く帰れるようにしとけよ。紹介先、選別しておくから」

 牧瀬は邪気のない顔で笑った。


 蓮見香乃、三十才。
 甘酸っぱい恋だけに夢見る歳ではなく、それなりの大人の付き合いも覚えている。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:686

腹黒上司が実は激甘だった件について。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:138

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,390pt お気に入り:91

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:4,753

処理中です...