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3.ブーゲンビリアは、あなたしか見えないと咽び泣く
あなたが好きでたまらない
しおりを挟む香乃は言葉が出なかった。
病人というものは、心細くなるものだとわかっていても、「背を向けずにあなたの傍にいる」と嘘をつくことも出来ない。
熱がなければ叶わぬ対面だと、それは香乃も十分にわかっていた。
返答がない香乃を見て、真宮の端正な顔がさらに苦しげに歪む。
香乃に縋るような眼差しを向け、薄く開いた唇からは、はっはっと短い息が漏れた。
(これは、薬を飲まないと絶対にヤバイ奴だわ)
「余計なことは考えずに、今は薬飲んで元気になって下さい」
「いりません」
「総支配人! 死にたいんですか!?」
「……あなたに看取られるのなら、本望……です」
冗談とも本気とも思えぬ、儚げな微笑めいたものを向けられた。
「あなたの腕の中で……息絶えたい」
その切実な声に、香乃の心はぎゅっと絞られ、息が詰まった。
なにかの影がちらつきながら、香乃の中で封じていた心が否応なく解かれていく。
(ああ、わたし……)
……無理だ。
真宮を振り切ることは、無理だ。
真宮以上に、誰かを好きになることは無理だ。
(咽び泣きたいほど、彼しか見えない)
彼が欲しいと、こんなに心がきゅうきゅうと音をたてているのだ。
他にそれることはないのだと、自分の心身が断言してしまっている。
(ごめん、牧瀬。本当にごめん……)
腹をくくろう。
……牧瀬と別れる。
牧瀬に怒られても、憎まれてもいい。
友情にヒビが入っても、彼の悲しい顔を見て心が痛くなっても、それが罪だと受け止める。
この先も牧瀬を、異性として見ることはない。
どれだけ年数をかけて牧瀬を好きになろうと努力しても、牧瀬の期待に答えられないから。
自分から真宮の影を消し去ることは出来ない。
こんなにも、消し去りたくないのだ――。
せめて、真宮が熱を出して弱っている間だけでも、夢の時間を過ごさせてくれるのなら、その後がどんなに辛辣でも耐えるから。
瞑った目をゆっくりと開いた香乃は、強い意志に満ちた眼差しを向けて真宮に言った。
「わたしが死なせません」
絶対に、彼を死なせるものか。
カレヲマモルノハ、ワタシダ。
まるで前にもそう思ったことがあったかのような懐かしい心地になりながら、香乃は錠剤を握りしめて真宮に笑いかけた。
「あなたは……生きるんです。わたしを残して逝かないで」
そして香乃は、錠剤を自分の口に入れて水を含むと、そのまま――真宮に口づけた。
九年ぶりに触れた彼の唇は、燃えるように熱くしっとりとしていた。
九年前同様に、香乃の身体の芯を甘く蕩けさせる。
牧瀬で濡れなかった身体は、病人への口移しで、過敏に反応しているのがわかった。
身体全体が、この唇が欲しかったのだと歓喜に奮えている。
ああ、彼が好きだ。
心から、好きでたまらない――。
香乃が流し込んだ薬と水を、真宮はこくりと嚥下した。
それを確認して香乃が静かに唇を離すと、とろりとした碧眼が香乃を見ていた。
時折焦点が合わなくなりそうになりながらも、必死に香乃を見つめている。
状況の理解が出来ないらしい……少し呆けたようなその顔は、いつもの彼らしくなく、どこか子供のように見えて可愛かった。
香乃がくすりと微笑んで身体を離そうとした時、真宮の片手が伸びた。
そして熱さを嫌がって布団を剥いだ……と香乃が思った瞬間、真宮の手は香乃の背を押すようにして、真宮の横に倒す。
「なに……っ」
「……俺、熱で……考えられないので、考えることは……放棄します」
「……はい?」
そして真宮は香乃に布団をかけたと思った瞬間、そのまま香乃をぐいと引き寄せ、自分の胸に香乃の頭を押しつけた。
(熱……)
もがいて離れようとすれば、真宮の足が香乃の足の間に入り、絡みついた。
そして、香乃の腰をぐいと彼に押しつける。
(こ、このひと……本当に魔法使い予備軍? なんでこんなにいやらしい絡み方を……)
「蓮見さん……」
赤面していた香乃の顔に、熱い息と掠れた声がふりかかる。
「俺……我慢出来ない」
至近距離から覗かれる、勿忘草色の瞳は苦しげだ。
「あなたが、好きでたまらない……」
真宮の熱い手が、やるせなさそうに香乃の頬を撫でた。
「俺のものにしたい……」
切迫めいたその声に、香乃の胸の奥まで熱くなる。
「今が図書館か、違うのか……わからないけど、これが夢なら……あなたを捕まえて、キスしたい」「……っ」
「俺を好きだっていう……あなたの……蕩けた顔が、見たい」
真宮の震える親指が、香乃の唇を弄る。
「……戻りたい、昔に。もう嫌だ……。あなたに……背を向けられる、のは……」
熱で潤んでいる碧眼から、静かに……透明な雫が、汗ばんでいる頬を伝った。
「待ち続けるのは、もう……辛いよ……」
香乃の唇が戦慄いた。
牧瀬を悲しませたくないと思った結果が、真宮を苦しめさせていたのだと再認識する。
こんなにも彼を苦しめさせていたのか。
「ごめ……」
しかし真宮は香乃の謝罪の言葉は、聞いていなかったようだ。
「俺を……好きだって。俺だけをずっ……と、……し……続けるって……。……って、約束、したじゃないか。どうして……いつも、……から逃げて……、俺を……れて……」
意識が錯乱しているのだろうか。
虚ろな眼差しで譫言のように繰り返す。
「香乃……」
「……っ!」
「俺の香乃なのに……っ」
熱い吐息まじりの声は、香乃の名前を呼んだ。
香乃が身体を硬くさせると、悲痛な顔をしてさらに彼は言う。
「別れろよ。俺を……また好きになれよ。なぁ……俺は、ここにいるんだ……っ」
「……総……支配人?」
「また……穂積、……って。呼べ……よ、香乃!」
香乃の目が見開いた瞬間、真宮が香乃の唇を奪った。
荒々しい口づけだったが、貪るまでには力はなく。
ただ彼の情熱を香乃にぶつけたいように、香乃に熱を与え、そして身体をより一層に密着させる。
「香乃……っ、俺の……っ」
「ふ……ぅっ、んんっ」
熱い真宮の舌が香乃の唇をこじ開けて、中に侵入する。
ぬるりとした灼熱の舌は、香乃を内から蕩けさせるかのように動く。
舌が絡まる度に香乃の身体に快感が奔って、たまらなくなる。
(ああ、身体は覚えている……)
九年前、唇を重ねたあの時を。
身体が痺れるように甘い快感と幸福感が、香乃を襲ったあの時を。
――また……穂積、……って。呼べ……よ、香乃!
もしかするとその前も、彼を穂積と呼んでキスをしたことがあったのだろうか。
彼のキスは、最初から香乃をよく知り、彼女を蕩けさせるようなものだった……。
彼の熱に浮かされながら、ぼんやりと香乃は思うが、結論は出なかった。
身体は甘く蕩けて、思わず彼に揺れる腰を押しつけてしまう。
すると真宮も無意識なのか、足を動かして、香乃が甘く疼くその場所にもっと自らの足の付け根を擦りつけるように動く。
「ふ、あ……んっ」
吐息と水音に混ざり、香乃から甘い声が洩れると、真宮は嬉しそうに香乃の頭を撫で、自らも呻き声のような声を洩らした。
それが嬉しくて、香乃は真宮の背中をぎゅっと掴む。
濃度を強めた、噎せ返るような勿忘草の匂いに包まれながら、真宮から強制的に与えられる熱が、香乃の意識を朦朧とさせていく。
たとえ刹那に終わるものだとしても、夢見心地の幸せに、泣きたくなる。
彼が愛おしくてたまらなくて――。
……止まることのない口づけは、真宮が眠るまで続けられた。
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