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8.ヒイラギナンテンは、激しい感情を伝える
母からの手紙
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◇◇◇
母親ときちんと話合いをするため、香乃はしばらく実家に戻っていた。
忙しい最中、毎日穂積もやって来て、ふたりで正座しながら、互いを必要としあっていることを繰り返し熱心に伝える。傍聴していた影の薄い父は、なにか感じ入るものがあったのか、次第に涙ぐみながら茶を淹れたり、スイーツを買って穂積を待つようになった。
母は――前とは違い、自分の考えを押しつけようとはせず、ふたりの言葉を理解しようと耳を傾けてくれるようになった。
説得にかかって四日目、母はこう言った。
「あなた達の言い分はわかった。私がいいというまで、あとはあなた達が行動で示しなさい。……穂積くん。これからはどんなに忙しくても、夕飯は毎日うちに来て私達ととること。そしてその夕飯は香乃が作ること」
不思議な注文だと香乃は思ったが、穂積が必ず時間を作るというために香乃も了承した。
「そして。どれだけ純粋で本気なのかの証明に、清い関係でいること。意味はわかるわね?」
期間は未定。許可が下りるのは明日かもしれないし、一年後かもしれない。
それでも認められたかった。
ひとときでは終わらない自分達の愛を、そして穂積という存在を。
母との曖昧な約束を守るために、ふたりはキスすら出来ない健全なカップルとなった。
デートぐらいしたくても、元々仕事中毒の総支配人な上に、真宮の当主となった穂積は今までにない多忙ぶり。それでも毎日、時間はまちまちながら、香乃の手作りの夕食を喜んで食べてくれるその時間があるだけでも、満足しなければならない。
――香乃とのことを認めて貰うためだし、今さらだ。それに香乃の料理を楽しみに仕事をしているから、我慢出来る。
そう穂積は笑うけれど、香乃の方が欲求不満だ。
傍にいるだけでドキドキしていた九年前とは勝手が違い、それだけでは満足出来ない我儘な体になってしまっている。
好きだから、触れたい。肌を重ねたい。
(ああ、わたし穂積限定の痴女になりそう。そのうち彼の服を奪い取って、すーはーしてにやけるような、そんな痛い女になりませんように……)
それが一ヶ月も続けば、さすがに情緒不安定になりイライラしたりもする。
さすがに会社では、完璧にそれを隠している……と思っていたが。
「お前、真宮とうまくいってないのか? イライラしてるし肌もカサカサだし」
ミーティングルームでため息をつく香乃に、牧瀬がにやにやとして尋ねてくる。
総支配人としての穂積は妥協なく、そこに腹心の河原崎が加われば鉄壁だ。
牧瀬と何度もホテルに足を運んでいるのだが、中々OKが出来ないため、いつもふたりで作戦会議をして、へこたれない。その熱意と根性が功を奏したのか、穂積は競合企業を退け、MINOWA一社のみと話を進めてくれた。だからこそ一層、クライアントが納得出来る提案をしたいと、香乃達は躍起になっている。
そんな最中に、牧瀬から指摘を受けたため、香乃は驚いた。
「わたし、そんな風に見えるの?」
「ああ。こけ嬢も、鎮静効果と美肌効果のあるハーブを探しているぞ」
「嘘ー!! 圭子ちゃんにも心配されてるの!? 保湿パックしてきたのに~!!」
頬を摩る香乃の手を牧瀬が握り、妖しく笑う。
「美肌効果に、また俺とする?」
キスがすぐに出来る距離に、牧瀬の唇がある。
ぞくりとするほどの誘惑に、枯れそうになっていた本能がさざめくが、香乃は理性で振り払う。
「ノーサンキューです! あ、こんな時間。では、友よさらば!」
元気よく言ったつもりが、動揺したことを物語っているように、よろけてこけた。
牧瀬の笑い声が響く中、香乃は走って出て行く。
(お母さん、もういい加減、穂積に触りたいよ!!!!)
心で叫びながら家に戻ると、両親がいない。
そういえば今日は志帆のイベントがあり帰宅が遅くなると言われていたと、香乃はエプロンをつけて夕飯の支度にとりかかる。この分だと穂積と両親は同じ時間帯に戻るかもしれない。
志帆は最近、香乃の実家の花を利用してくれる。彼女なりの謝意とこれからもよろしくという挨拶のつもりなのかもしれない。
そして志帆は、香乃や香乃の母のアドバイスに耳を傾けるようになった。そのせいなのか、彼女の活ける花の雰囲気は、優しいものへと変わったように思う。
花への愛がそこに見えてきたように思えて、香乃は喜んでいた。
「今晩は肉じゃがとほうれん草の白和えと……。定番過ぎるかしら。もっといいものはないかなあ……」
香乃は元々料理を得意とはしていなかった。一人暮らしをしていても、仕事柄帰りが遅くなると自炊する気力がなくなるため、簡単なものですますかコンビニ弁当が多かった。
料理好きな母はそれを知っていて、香乃のマンションへの来訪時には、タッパ詰めしたたくさんの料理を持って来てくれた。その際には、いつも小言を言われたものだが。
そんな香乃だったが、仕事量は同じだというのに、毎日穂積が食べてくれると思ったおかげで、ついついネットでレシピを探すようになったり、母親に料理を教わることも多くなった。
今では仕事を抱えていても、料理を負担に思わない。
これも愛するひとの笑顔が見たいがための、恋のパワーなのかもしれない。
支度がすべて終わった時、チャイムの音がして玄関のドアが開く。
てっきり両親が両手に荷物を抱えて戻って来たのだと思っていたら、穂積だった。
「お帰り~。今夜は随分早かったね。お母さん達も、もう戻ってくると思う。中に入って! 今日は肉じゃがだよ」
「あ、ああ……。ただいま……」
歯切れ悪く口にした穂積は、片手で顔を覆って、玄関先で立ち尽くした。
「穂積? どうかした?」
「いや……。その……香乃の実家にお邪魔しているのに、なんかこう……新婚さんみたいだなって思ったら」
「……っ、なっ、ななななな!」
「あまり考えないでおこう。暴走したら困る。そうとこれ、夕方ファゲトミナートに香乃のお母さんが来て、この家で香乃と一緒に見るようにって」
「手紙? なんで直接わたしに話さないんだろう」
封の中には黄色い花がついた便箋の手紙が三枚入っていた。
それは――。
『香乃へ
この手紙をあなたが読む頃、お母さんはお父さんと、沖縄に向かっています。香乃には黙っていたけれど、商店街の福引きでお父さんが特賞をあてたの。お父さんが一生分の運を使って当てたものだから、一週間楽しんできます。臨時休業の貼り紙と、店にある花の水揚げを頼みます!』
「は、はい!?」
一枚目はそれで終わり、二枚目を読む。
『穂積くんへ
一ヶ月ですが、花嫁修業中だった香乃は、なんとか様になり、穂積くんのところにお嫁に出しても大丈夫だと思えるようになりました。穂積くんが飢えていた家庭の味を、香乃ならばきっと作り出せる。
忙しい中、来てくれて本当にありがとう。しかしどんなに忙しくても体が資本です。あなたが倒れれば、香乃の笑顔もなくなります。あなたはひとりではない。あなたがここで体験した家族というものこそが、あなたが作り帰るべき場所。その中心に香乃を置いてやって下さい。
穂積くん。あなたには香乃と共に、大変辛い思いをさせてしまいました。その反省とお詫びと共に、私達もまた、あなたのよき家族になれればと思っています。
これからもどうぞよろしく。今度は、お袋の味を食べに来て下さいね』
「お、お母さ……」
香乃の目にぶわりと涙が溢れる。
そんな香乃は、穂積に引き寄せられた。
穂積は泣いているような笑っているような複雑な笑みをして、唇を噛みしめていた。
そして三枚目――
『我が娘、我が息子へ
一ヶ月、げっそりするほど、よく我慢しました!
解禁です。でも結婚するまでは、避妊はちゃんとするのよ! 母』
「な、ななななな!」
「……香乃、お母さんにやられたね」
穂積が香乃を胸に掻き入れて、呟いた。
「香乃のお母さんは苦手だったはずなのに、本当に俺、この家に戻って来たくて仕方がなかった。家やホテルに帰るのが本当に嫌だった。香乃のお母さんから、未来を見据えた現実的な付き合い方を、家族のあり方を、勉強させられた気がする。考えてみれば俺、こんな家庭にしたいと思えるほど、家族というものが身近になかった。理想にすべき家庭像をもっていなかった……。見抜かれていたんだろう、甘さを」
母は、鍛えてくれていたのだ。
愛を口にするだけで、家庭を築くには、まだまだ未熟な自分達を。
「わたし達、認めて貰えたんだよね。夢じゃないよね?」
香乃が濡れた目で穂積を見遣ると、穂積は微笑んだ。
「夢じゃない。ようやく俺達は、認めて貰えた」
穂積が香乃の唇にそっと口づけた。
それは恐る恐るとしたもので、香乃は九年前の図書館でのキスを思い出す。
「ああ、香乃だ。俺の香乃の感触だ」
穂積は顔を綻ばせると、指で香乃の涙を拭った。
「ずっと、香乃に触れたかった。どんなに我慢と思っても、香乃が牧瀬さんと一緒にいるのを見るたびに、香乃の手を引いて抱き潰したかった。香乃は俺のものなのに、なぜ香乃の横には俺じゃない男がいるんだ、なんで俺には色々とやることがあるんだと欲求不満にイライラして」
(わたしだけじゃなかったんだ……)
「……雑務は片付けた。これ以上、香乃との時間を邪魔されてたまるかと踏ん張ったら、思った以上に早く終わって。それで今夜は早く来れたんだ。もしかしてお母さんに情報を流した奴でもいて、だから今夜になったのかな」
「うん?」
穂積はその場でスマホを取りだし、どこかへかける。
「理人?」
河原崎へだったらしい。
香乃が耳を近づけると、河原崎の声がする。
「今、解禁になった。今夜は戻らないから、後を頼む」
『え、は!? 今!? あのマニュアル、俺ひとりで作れって!? せめて明日に……』
「お前が俺の仕事の進捗、香乃のお母さんに流していたんだろう? その結果の今夜だ。諦めて頑張ってくれ。設楽一葉に手伝って貰ってもいいから。念願の一夜だろう?」
『あのな。俺はそんな夜を過ごしたいわけじゃない。お前と違い、徹夜続きは堪えるお年頃なんだ。俺だって老体むち打って、いつもお前のフォローばかりは……』
「でもしてくれるだろう、理人は。俺が真宮の力を使ってお前や設楽に圧力をかけなくても」
『地味に脅すなって。くっそ! わかったよ。俺ひとりでやっておくよ。せいぜい久しぶりの蜜月を楽しんで、脳みそまで溜め込んでいたものを、彼女にぶつけまくってこい!』
「ああ。ちゃんとまた報告するから」
『いらねぇよ、そんな惚気なんか!』
穂積は笑って電話を切る。
「理人からもお許しが出たところで……」
(出たんだろうか……。また支配人には迷惑をかけることになってしまったわ)
「……香乃、抱かせて。俺の愛、体で伝えたい」
激情を宿す勿忘草の瞳。
ゆらりと妖しく揺らめかせた穂積は、一度そっと唇に触れるだけのキスをすると、荒々しく香乃の唇を奪った。
母親ときちんと話合いをするため、香乃はしばらく実家に戻っていた。
忙しい最中、毎日穂積もやって来て、ふたりで正座しながら、互いを必要としあっていることを繰り返し熱心に伝える。傍聴していた影の薄い父は、なにか感じ入るものがあったのか、次第に涙ぐみながら茶を淹れたり、スイーツを買って穂積を待つようになった。
母は――前とは違い、自分の考えを押しつけようとはせず、ふたりの言葉を理解しようと耳を傾けてくれるようになった。
説得にかかって四日目、母はこう言った。
「あなた達の言い分はわかった。私がいいというまで、あとはあなた達が行動で示しなさい。……穂積くん。これからはどんなに忙しくても、夕飯は毎日うちに来て私達ととること。そしてその夕飯は香乃が作ること」
不思議な注文だと香乃は思ったが、穂積が必ず時間を作るというために香乃も了承した。
「そして。どれだけ純粋で本気なのかの証明に、清い関係でいること。意味はわかるわね?」
期間は未定。許可が下りるのは明日かもしれないし、一年後かもしれない。
それでも認められたかった。
ひとときでは終わらない自分達の愛を、そして穂積という存在を。
母との曖昧な約束を守るために、ふたりはキスすら出来ない健全なカップルとなった。
デートぐらいしたくても、元々仕事中毒の総支配人な上に、真宮の当主となった穂積は今までにない多忙ぶり。それでも毎日、時間はまちまちながら、香乃の手作りの夕食を喜んで食べてくれるその時間があるだけでも、満足しなければならない。
――香乃とのことを認めて貰うためだし、今さらだ。それに香乃の料理を楽しみに仕事をしているから、我慢出来る。
そう穂積は笑うけれど、香乃の方が欲求不満だ。
傍にいるだけでドキドキしていた九年前とは勝手が違い、それだけでは満足出来ない我儘な体になってしまっている。
好きだから、触れたい。肌を重ねたい。
(ああ、わたし穂積限定の痴女になりそう。そのうち彼の服を奪い取って、すーはーしてにやけるような、そんな痛い女になりませんように……)
それが一ヶ月も続けば、さすがに情緒不安定になりイライラしたりもする。
さすがに会社では、完璧にそれを隠している……と思っていたが。
「お前、真宮とうまくいってないのか? イライラしてるし肌もカサカサだし」
ミーティングルームでため息をつく香乃に、牧瀬がにやにやとして尋ねてくる。
総支配人としての穂積は妥協なく、そこに腹心の河原崎が加われば鉄壁だ。
牧瀬と何度もホテルに足を運んでいるのだが、中々OKが出来ないため、いつもふたりで作戦会議をして、へこたれない。その熱意と根性が功を奏したのか、穂積は競合企業を退け、MINOWA一社のみと話を進めてくれた。だからこそ一層、クライアントが納得出来る提案をしたいと、香乃達は躍起になっている。
そんな最中に、牧瀬から指摘を受けたため、香乃は驚いた。
「わたし、そんな風に見えるの?」
「ああ。こけ嬢も、鎮静効果と美肌効果のあるハーブを探しているぞ」
「嘘ー!! 圭子ちゃんにも心配されてるの!? 保湿パックしてきたのに~!!」
頬を摩る香乃の手を牧瀬が握り、妖しく笑う。
「美肌効果に、また俺とする?」
キスがすぐに出来る距離に、牧瀬の唇がある。
ぞくりとするほどの誘惑に、枯れそうになっていた本能がさざめくが、香乃は理性で振り払う。
「ノーサンキューです! あ、こんな時間。では、友よさらば!」
元気よく言ったつもりが、動揺したことを物語っているように、よろけてこけた。
牧瀬の笑い声が響く中、香乃は走って出て行く。
(お母さん、もういい加減、穂積に触りたいよ!!!!)
心で叫びながら家に戻ると、両親がいない。
そういえば今日は志帆のイベントがあり帰宅が遅くなると言われていたと、香乃はエプロンをつけて夕飯の支度にとりかかる。この分だと穂積と両親は同じ時間帯に戻るかもしれない。
志帆は最近、香乃の実家の花を利用してくれる。彼女なりの謝意とこれからもよろしくという挨拶のつもりなのかもしれない。
そして志帆は、香乃や香乃の母のアドバイスに耳を傾けるようになった。そのせいなのか、彼女の活ける花の雰囲気は、優しいものへと変わったように思う。
花への愛がそこに見えてきたように思えて、香乃は喜んでいた。
「今晩は肉じゃがとほうれん草の白和えと……。定番過ぎるかしら。もっといいものはないかなあ……」
香乃は元々料理を得意とはしていなかった。一人暮らしをしていても、仕事柄帰りが遅くなると自炊する気力がなくなるため、簡単なものですますかコンビニ弁当が多かった。
料理好きな母はそれを知っていて、香乃のマンションへの来訪時には、タッパ詰めしたたくさんの料理を持って来てくれた。その際には、いつも小言を言われたものだが。
そんな香乃だったが、仕事量は同じだというのに、毎日穂積が食べてくれると思ったおかげで、ついついネットでレシピを探すようになったり、母親に料理を教わることも多くなった。
今では仕事を抱えていても、料理を負担に思わない。
これも愛するひとの笑顔が見たいがための、恋のパワーなのかもしれない。
支度がすべて終わった時、チャイムの音がして玄関のドアが開く。
てっきり両親が両手に荷物を抱えて戻って来たのだと思っていたら、穂積だった。
「お帰り~。今夜は随分早かったね。お母さん達も、もう戻ってくると思う。中に入って! 今日は肉じゃがだよ」
「あ、ああ……。ただいま……」
歯切れ悪く口にした穂積は、片手で顔を覆って、玄関先で立ち尽くした。
「穂積? どうかした?」
「いや……。その……香乃の実家にお邪魔しているのに、なんかこう……新婚さんみたいだなって思ったら」
「……っ、なっ、ななななな!」
「あまり考えないでおこう。暴走したら困る。そうとこれ、夕方ファゲトミナートに香乃のお母さんが来て、この家で香乃と一緒に見るようにって」
「手紙? なんで直接わたしに話さないんだろう」
封の中には黄色い花がついた便箋の手紙が三枚入っていた。
それは――。
『香乃へ
この手紙をあなたが読む頃、お母さんはお父さんと、沖縄に向かっています。香乃には黙っていたけれど、商店街の福引きでお父さんが特賞をあてたの。お父さんが一生分の運を使って当てたものだから、一週間楽しんできます。臨時休業の貼り紙と、店にある花の水揚げを頼みます!』
「は、はい!?」
一枚目はそれで終わり、二枚目を読む。
『穂積くんへ
一ヶ月ですが、花嫁修業中だった香乃は、なんとか様になり、穂積くんのところにお嫁に出しても大丈夫だと思えるようになりました。穂積くんが飢えていた家庭の味を、香乃ならばきっと作り出せる。
忙しい中、来てくれて本当にありがとう。しかしどんなに忙しくても体が資本です。あなたが倒れれば、香乃の笑顔もなくなります。あなたはひとりではない。あなたがここで体験した家族というものこそが、あなたが作り帰るべき場所。その中心に香乃を置いてやって下さい。
穂積くん。あなたには香乃と共に、大変辛い思いをさせてしまいました。その反省とお詫びと共に、私達もまた、あなたのよき家族になれればと思っています。
これからもどうぞよろしく。今度は、お袋の味を食べに来て下さいね』
「お、お母さ……」
香乃の目にぶわりと涙が溢れる。
そんな香乃は、穂積に引き寄せられた。
穂積は泣いているような笑っているような複雑な笑みをして、唇を噛みしめていた。
そして三枚目――
『我が娘、我が息子へ
一ヶ月、げっそりするほど、よく我慢しました!
解禁です。でも結婚するまでは、避妊はちゃんとするのよ! 母』
「な、ななななな!」
「……香乃、お母さんにやられたね」
穂積が香乃を胸に掻き入れて、呟いた。
「香乃のお母さんは苦手だったはずなのに、本当に俺、この家に戻って来たくて仕方がなかった。家やホテルに帰るのが本当に嫌だった。香乃のお母さんから、未来を見据えた現実的な付き合い方を、家族のあり方を、勉強させられた気がする。考えてみれば俺、こんな家庭にしたいと思えるほど、家族というものが身近になかった。理想にすべき家庭像をもっていなかった……。見抜かれていたんだろう、甘さを」
母は、鍛えてくれていたのだ。
愛を口にするだけで、家庭を築くには、まだまだ未熟な自分達を。
「わたし達、認めて貰えたんだよね。夢じゃないよね?」
香乃が濡れた目で穂積を見遣ると、穂積は微笑んだ。
「夢じゃない。ようやく俺達は、認めて貰えた」
穂積が香乃の唇にそっと口づけた。
それは恐る恐るとしたもので、香乃は九年前の図書館でのキスを思い出す。
「ああ、香乃だ。俺の香乃の感触だ」
穂積は顔を綻ばせると、指で香乃の涙を拭った。
「ずっと、香乃に触れたかった。どんなに我慢と思っても、香乃が牧瀬さんと一緒にいるのを見るたびに、香乃の手を引いて抱き潰したかった。香乃は俺のものなのに、なぜ香乃の横には俺じゃない男がいるんだ、なんで俺には色々とやることがあるんだと欲求不満にイライラして」
(わたしだけじゃなかったんだ……)
「……雑務は片付けた。これ以上、香乃との時間を邪魔されてたまるかと踏ん張ったら、思った以上に早く終わって。それで今夜は早く来れたんだ。もしかしてお母さんに情報を流した奴でもいて、だから今夜になったのかな」
「うん?」
穂積はその場でスマホを取りだし、どこかへかける。
「理人?」
河原崎へだったらしい。
香乃が耳を近づけると、河原崎の声がする。
「今、解禁になった。今夜は戻らないから、後を頼む」
『え、は!? 今!? あのマニュアル、俺ひとりで作れって!? せめて明日に……』
「お前が俺の仕事の進捗、香乃のお母さんに流していたんだろう? その結果の今夜だ。諦めて頑張ってくれ。設楽一葉に手伝って貰ってもいいから。念願の一夜だろう?」
『あのな。俺はそんな夜を過ごしたいわけじゃない。お前と違い、徹夜続きは堪えるお年頃なんだ。俺だって老体むち打って、いつもお前のフォローばかりは……』
「でもしてくれるだろう、理人は。俺が真宮の力を使ってお前や設楽に圧力をかけなくても」
『地味に脅すなって。くっそ! わかったよ。俺ひとりでやっておくよ。せいぜい久しぶりの蜜月を楽しんで、脳みそまで溜め込んでいたものを、彼女にぶつけまくってこい!』
「ああ。ちゃんとまた報告するから」
『いらねぇよ、そんな惚気なんか!』
穂積は笑って電話を切る。
「理人からもお許しが出たところで……」
(出たんだろうか……。また支配人には迷惑をかけることになってしまったわ)
「……香乃、抱かせて。俺の愛、体で伝えたい」
激情を宿す勿忘草の瞳。
ゆらりと妖しく揺らめかせた穂積は、一度そっと唇に触れるだけのキスをすると、荒々しく香乃の唇を奪った。
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