勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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8.ヒイラギナンテンは、激しい感情を伝える

悲しき恋と始まるもの

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「執事の言葉を鵜呑みにした。そうよ、穂積には、私と結婚して子供を作るという使命がある。香乃は、穂積の肩書きに群がっただけの執着系の虫けらよ。そんな手紙を捨てられないなんて、穂積はよっぽど香乃に誑かされているんだと思った。だから私は穂積の目を覚まさせるためにも、香乃を呼び出し、手紙を破いた。偽物であっても効果は抜群だった……」

 九年前に香乃が書いた手紙が本当に当主の手に渡ったのか、それとも執事か当主の手を経由して、奥の院にいる穂香の手に渡ったのか、もうわからない。
 それでも誰にも破られることはなく、九年の時の間、無事であったのだ。
 秘やかに九年、穂積への想いを土壌にした勿忘草は、咲いていたのだ。

 沈黙の中、河原崎が腕組みをして呟く。

「あの警告つきの手紙……。親父は、穂香に言われて用意したのだろうか。それとも親父の独断だったんだろうか」

 それに対して、穂積が答えた。

「俺は、穂香の指示だったと思う。志帆の動きによって、恋に溺れた俺達は穂月のことを忘れたと思ったのだと。穂月の日記の持ち主でもある彼女が、河原崎に指示して準備させ、穂月の文字を綴ったと。穂月じぶんはいつでも傍で見ている――そんな意味合いで、俺達にはトップシークレットの如き、九年前の手紙のオリジナルを忍ばせたのではないかと思う」

 それを聞いていた志帆が怪訝な顔をした。

「なにをいっているの? オリジナルは、とうにご当主が破棄されてたんじゃ? ご当主に猛反対されていたから、穂積もこのひとと会うのをやめたんでしょう?」
「……違う。俺はずっと探していたんだ、九年間ずっと。ようやく捕まえられたと思った矢先に消えた、大切な……香乃と香乃の手紙を。その前からずっとずっと……想い続けていたひとだから」

 志帆は、やるせなさそうな穂積の顔を見て言葉を呑み込んだ。

「それが九年経って、俺のもとに戻って来たんだ。香乃と共に。どれだけ、待ち侘びていたことか」

 勿忘草の瞳が、優しく香乃を見つめる。

――……はじめまして。蓮見……香乃、さん。

 香乃は総支配人としての穂積と再会した時のことを思い出すと、震える唇を噛みしめた。

 忘れたいのに忘れられなかったひと。
 いつだって、私を忘れないでという意味を持つ勿忘草を纏っていたひと。

「俺の恋は、香乃が最初で最後だ。心から香乃を愛している。だから……志帆。お前とは結婚出来ない。俺がお前に向くことは絶対的にありえない。だから俺ではない、お前を愛してくれる男を見つけて欲しい。俺はお前を幸せに出来ない」

 ほろりと、志帆の目から涙が零れ落ちた。
 香乃の中で九年前に出来た傷口が、ツキツキと痛み出す。
 共鳴して――あの頃の、自分に戻るようだ。
 香乃は、志帆の涙を皆の目から隠すようにして、彼女を抱きしめた。

「な、なによ……っ」
「穂積を……好きになってくれてありがとう」
「な……っ」
「私の愛するひとを、心から好きになってくれてありがとう」
「……っ」
「辛かったね。苦しかったね。わたしも……九年、ずっとそうだった。忘れたくて他に恋をしようとして。それでも忘れられなかった。此の世には星の数ほど男がいるのに、わたしには愛してくれる大好きな男友達もいたのに。だけど……駄目なの。わたしも穂積じゃないと駄目なの」

 香乃は泣いた。震える小さな肩を抱きしめて。

「あなたを傷つけてごめんなさい。だけど……お願いします。他は望まないから、どうかわたしに穂積を……わたしの勿忘草をください。何度も記憶を失っても尚、愛してしまう彼が欲しいんです。わたしに……穂積を幸せにさせてください。彼の支えになれるように、わたし……全力で、死ぬまで穂積を愛しますから」
「香乃……」

 穂積の声が聞こえ、香乃と志帆の肩に、ぽんと手が置かれた。
 だが、それは穂積のものではなかった。

「なぁ、志帆さん。完敗だよ、俺達は」

 ……牧瀬の声だった。

(やば……。牧瀬がいること、すっかり忘れてた……)

「俺もあがいてみたけれど、無理だわ。それどころか、今では応援したくなっている。本物だろうと偽物だろうと、あんたが嫉妬に駆られて蓮見の手紙を引き裂いたことで、このふたりはさらに傷を負って苦しんで来た。どんなに引き離しても強烈に引き寄せられ、惹かれ合う。もうこれは、運命じゃないか?」

(牧瀬……)

「それとさ、志帆さんにそんな目に遭わせられても、それでも蓮見、志帆さんを助けに本家に乗り込むことを拒まなかった。目覚めたと聞いて、真っ先に喜んだ。そういう奴なんだ。だから俺は好きになった。……志帆さんはどうだ? そんな蓮見でもまだ、彼から愛されるに相応しい女だと認められないか?」

 優しくたしなめるような口調だった。
 やがて、震える声が響く。

「……馬鹿じゃないの。誰が惚気て欲しいなんて頼んだのよ。誰が助けて欲しいと頼んだのよ」

 志帆は嗚咽を漏らしながら、香乃を突き放し、ぽかぽかと肩を叩いた。

「どうして……酷い女でいてくれないのよ。あれだけのことされたのに、どうしてお人好し過ぎるのよ。どうして年下がいいのよ。私の方が、あんたより若くていい女なのに」

 ゲホンゲホンと咳払いが聞こえているのは、圭子だろう。

「……うん。そうだね。あなたの方が若いし美人さんだ」
「わかっているのなら、さっさと諦めなさいよ。なんなのよ、いい年してキモいのよ」

 さらに圭子の咳払いが大きくなり、怒気を帯びている。

「なんで私に……敗北感を味あわせるのよ。穂積も花も。こんなに惨めな思いをさせられているのに、どうして嫌いにさせてくれないのよっ!」
「志帆さん……?」
「あんた年上なんだから、私のことを呼び捨てにしなさいよ。私だってあんたのこと、敬意なんてないからもう呼び捨てだし。これからは色々とレクチャーして貰うために、渋々だけど嫌々だけど、顔を合わせることになるんだから」
「え……」
「花のこと、教えなさいよ。それが交換条件!」

 涙が溜まった目をぱちくりした香乃に、志帆は癇癪を起こして言う。

「察しが悪いわね。私、こんなもっさり頭の茶女に言われたままが悔しいの! 絶対見返して、真実『美人天才華道家』として、穂積以上のイケメンを捕まえてやるんだから! 穂積も見てなさいよ、後悔したって遅いんだから!」

 言葉は強気なのにぼろぼろ泣きじゃくる志帆が可愛くて、香乃は思わず笑ってしまった。

「なんなのよ、笑うなんて酷いじゃない!」
「ごめ……だけど、あははははは」
「笑わないでってば。なんなのあんた! 状況わかってるの!?」
「うん、わかってる。わかってるよ、志帆」

 途端に志帆の顔がぼんと沸騰した。
 彼女は典型的、ツンデレ体質だったらしい。

「ちょっとお待ちになって。なぜそこで赤くなるんですの。わたくしの係長に、キャラブレしないで下さる!?」
「なんでもっさりが出てくるの、引っ込んでなさいよ!」
「おいおい、こけ嬢も志帆さんも落ち着けって」
「うるさいわね。香乃如きをモノにも出来ない敗者が、指図するんじゃないわよ」
「そうですわ! 仁義なき女の戦いに敗者は無用です!」
「……おいこら、お前達。そんな時ばかりタッグを組むな! なにが敗者だ! 大人対応しただけで、俺だって心の底では、完全降伏したわけじゃねぇんだぞ!?」

「ぶははははは。穂積、お前の彼女、モテモテすぎて安心出来ないようだぞ。思わぬ伏兵がぞろぞろと」

 河原崎の笑い声に呼応し、穂積が疲れたようにして笑う。
 そして牧瀬が笑い、それに圭子と香乃が肩を震わせて笑った。

「なんなの、皆して一体なんなのよ!」

 そう怒りながら、やがて志帆も笑い出す。
 笑い声はしばらく続くのであった。
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