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『水月の国』と曲芸団
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「渚のところに居候するって話だが、まずは俺のところに来い」
「えっ。どうしてですか?」
「お前、俺に恩があるよな? もう忘れたのか?」
「あ……そうでした」
拒否や反論は、許されない雰囲気だ。口を閉ざした波音は、恐る恐る渚を見た。渚は、碧の隣で立ち尽くしながら、羨望と嫉妬の眼差しを波音へと向ける。申し訳なさのあまり、波音は目を閉じて口角を下げ、謝罪の意を示した。
「俺が納得するまで、こき使ってやる。感謝しろ」
「ひっ……! が、頑張ります……」
「それと、ちょうど昨日、ここの裏方作業に欠員が出たところだ。仕事の宛てもすぐにはないだろう? お前を雇ってやってもいい」
雇ってやってもいい、とは言うが、碧はもう波音を雇う気でいるようだ。こちらも有無を言わせない圧を感じたものの、とりあえず生きていくためには働かなければならない。働かざる者食うべからず。波音はいい機会を得たと思い、大きく頷いた。
「それは、ぜひ! よろしくお願いします!」
「……くくっ。お前、よく騙されるだろ?」
「え?」
渚はやれやれと言いたげに首を横に振り、碧は喉の奥を鳴らして笑った。それほど騙されやすい性格ではないと波音自身は思っていたのだが、どうやら二人に呆れられているようだ。
碧の仏頂面を崩せたのは嬉しく感じる一方で、本当に自分は馬鹿なのだろうかと、波音は疑問に思う。
「ん? もしかして、これも冗談なんですか? お仕事の話はなかったと?」
「アホか。仕事のことは真剣だ。お前が回復し次第、しっかり働いてもらう。とりあえず、今日は俺が家に連れて帰るから、俺の練習が終わるまでここで待ってろ」
「いたっ! 分かりました……」
碧は軽い手刀を波音の頭に食らわせてにやりとすると、渚と一緒に医務室を出て行った。渚の背中がしょげていたことに、波音の心は罪悪感でちくりと痛んだ。
(碧さんと一緒の家、か……ありがたいけど、緊張する)
波音には片想い以外の恋愛経験がない。異性と一つ屋根の下で二人きり、なんてシチュエーションも人生で初めてだ。もちろん、間違っても男女の関係になることはない。それは、渚の恋を邪魔しないという約束だから。
どれほど酷使されるのか。馬車馬のように働かされるのは覚悟の上で、まだ命があることに波音は感謝した。生きていること以上に大切なことはない。
こちらの世界に来てしまった原因は分からないが、移動できるのなら、元の世界に帰れる可能性も考えられる。
(でも、碧兄ちゃんの命日までには、多分間に合わない……)
ここで同姓同名の深水碧に出会ったことに、運命的なものすら感じる。波音の、過去の碧を忘れられない気持ちが、彼と波音を引き合わせたようにも思えるのだ。あのまま海で溺れ死んでしまってもおかしくなかったのに、助かったことにはきっと意味があるはずだ。
波音は胸に片手を当てて、ゆっくりとベッドに横になった。
(大和兄ちゃん、みんな……心配してるかな)
まずは体力を回復させて、働きながらでも帰る方法を探そう。波音は心に言い聞かせて、目を閉じた。
「えっ。どうしてですか?」
「お前、俺に恩があるよな? もう忘れたのか?」
「あ……そうでした」
拒否や反論は、許されない雰囲気だ。口を閉ざした波音は、恐る恐る渚を見た。渚は、碧の隣で立ち尽くしながら、羨望と嫉妬の眼差しを波音へと向ける。申し訳なさのあまり、波音は目を閉じて口角を下げ、謝罪の意を示した。
「俺が納得するまで、こき使ってやる。感謝しろ」
「ひっ……! が、頑張ります……」
「それと、ちょうど昨日、ここの裏方作業に欠員が出たところだ。仕事の宛てもすぐにはないだろう? お前を雇ってやってもいい」
雇ってやってもいい、とは言うが、碧はもう波音を雇う気でいるようだ。こちらも有無を言わせない圧を感じたものの、とりあえず生きていくためには働かなければならない。働かざる者食うべからず。波音はいい機会を得たと思い、大きく頷いた。
「それは、ぜひ! よろしくお願いします!」
「……くくっ。お前、よく騙されるだろ?」
「え?」
渚はやれやれと言いたげに首を横に振り、碧は喉の奥を鳴らして笑った。それほど騙されやすい性格ではないと波音自身は思っていたのだが、どうやら二人に呆れられているようだ。
碧の仏頂面を崩せたのは嬉しく感じる一方で、本当に自分は馬鹿なのだろうかと、波音は疑問に思う。
「ん? もしかして、これも冗談なんですか? お仕事の話はなかったと?」
「アホか。仕事のことは真剣だ。お前が回復し次第、しっかり働いてもらう。とりあえず、今日は俺が家に連れて帰るから、俺の練習が終わるまでここで待ってろ」
「いたっ! 分かりました……」
碧は軽い手刀を波音の頭に食らわせてにやりとすると、渚と一緒に医務室を出て行った。渚の背中がしょげていたことに、波音の心は罪悪感でちくりと痛んだ。
(碧さんと一緒の家、か……ありがたいけど、緊張する)
波音には片想い以外の恋愛経験がない。異性と一つ屋根の下で二人きり、なんてシチュエーションも人生で初めてだ。もちろん、間違っても男女の関係になることはない。それは、渚の恋を邪魔しないという約束だから。
どれほど酷使されるのか。馬車馬のように働かされるのは覚悟の上で、まだ命があることに波音は感謝した。生きていること以上に大切なことはない。
こちらの世界に来てしまった原因は分からないが、移動できるのなら、元の世界に帰れる可能性も考えられる。
(でも、碧兄ちゃんの命日までには、多分間に合わない……)
ここで同姓同名の深水碧に出会ったことに、運命的なものすら感じる。波音の、過去の碧を忘れられない気持ちが、彼と波音を引き合わせたようにも思えるのだ。あのまま海で溺れ死んでしまってもおかしくなかったのに、助かったことにはきっと意味があるはずだ。
波音は胸に片手を当てて、ゆっくりとベッドに横になった。
(大和兄ちゃん、みんな……心配してるかな)
まずは体力を回復させて、働きながらでも帰る方法を探そう。波音は心に言い聞かせて、目を閉じた。
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