リビング・ブレイン

羊原ユウ

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地下層②

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フィーアに森の抜け道から案内された地下層の店はよくもこんなに集めたというくらいに広大で、先が見えない。フィーアはどこの店に何が売ってるかをほぼ全て把握しているらしく、あっちこっちまわっては必要な食材を買い集めていく。

『自腹にさせてしまって本当にすみませんドクトル』
《いいんですよ、これくらい。ただ次に来る時はちゃんとした財布をお持ちになることをお勧めしますよ。ここじゃほぼ役に立ちませんからねえ、それ》

フィーアが振り返り、透の手にした携帯電話を指さす。実際の物としての財布ではなく常にクレジットカードと連携させたキャッシュレス決済にしている透の財布はまったく役に立たなかったのだ。

各種ハーブに新じゃがいもと玉ねぎ、ツナ缶、焼きたての食パンその他の食材をつめた茶色の紙袋を両手に持ったフィーアから両方とも受け取った透は重さなどないかのように軽々と持ち上げる。

《お、凄いですなあ。私のもうひとつの腕はちょいと目立つのですみません。使えれば楽なんですけどね》

フィーアは透の人間を超えた腕力にひゅう、と小さく口笛を鳴らす。ロングコートの裾をめくって見せたあの金属でできた奇っ怪な腕は折りたたまれたままだった。



「ただいま!」

佑は自宅の玄関ドアを開け、帰宅をつげる。フィーアとは買い物を終えたあと再び別れた。
佑の後ろから大量の食材が入った紙袋を抱えた透が入ってきてリビングのテーブルの上に置く。どさり、という紙袋を置く音に気づきキッチンで調理の準備をしていた亜紀が振り返って、とても嬉しそうな表情をした。

「お帰りなさい、地下層の博物館はどうだった?食材を買ってきてとは言ったけど……これ、多すぎじゃない?使いきれるかしら」
『ああ、とても良い場所だった。久しぶりに仕事を忘れてゆっくり過ごせた気がするよ。野菜以外は保存がきくから急がなくても大丈夫だろう。調理、任せてもいいのかな。私も手伝おうか?』

透も亜紀に笑顔を返し、RUJのロゴがはいったカーキ色の上着を脱いで椅子にかけ、スラックスのポケットから外していた赤色のリボンタイを取りだすとシャツの襟元に結んだ。佑にエプロンの置いてある場所を聞き、ベージュの生地にパッチワークで植物の刺繍がされたものを上からかけてからキッチンに移動する。

「僕も手伝おうか?」
「じゃあ、料理はお父さんと一緒に作るから食器、フォークとか飲み物の準備お願いできる?」

亜紀にそう言われた佑は「うん」とうなずき、リビングルーム入り口のそばにある食器棚に向かった。夕食の準備は3人が協力したおかげか1時間ほどで終わった。
料理をのせた皿を配っているところに玄関のほうでチャイムが鳴る。佑が先にモニターを確認してからドアを開けると瀬名が片手に小さな黄色い紙袋を下げて立っていた。

「こんばんは、お邪魔します小松博士。亜紀さんこれ、最近美味しいって噂のお店のケーキです。もしよかったらどうぞ」

瀬名は出迎えた佑と透にぺこりと頭を下げ、亜紀に紙袋を手渡す。あらかじめ用意されていた席に座ると皿にのった手づくりの料理の数々に目を輝かせた。

「えっこれ、もしかして亜紀さんが全部作られたんですか?」
「いえ、今夜は夫と一緒に。よければたくさん召し上がってくださいね」



家族3人に瀬名を加えたにぎやかな夕食を終えた後、後片付けをしていた透は亜紀の様子がいつもとほんの少し違うことに気づいた。瀬名が帰り、佑が先に自室に戻ったのを確認すると『どうかしたのかい』と尋ねる。

「ううん、ごめんなさい、何でもないの。その…………あなたがこうして家にいるなんて本当に久しぶりだし、その、どうかなって」
『どうって何を?』
「え、何ってその……」

そこまで言った亜紀の語尾が消え、耳や頬がみるみる桜色になっていく。

「その……あれ。夜の……営み。もう、こんなこと直接言わせないでよ。恥ずかしいから」
『……ああ。思い至らずにすまない。それならできないことはないが、君の求めには……残念だが応じられないかもしれない』

合点がいった透はそう言うと亜紀の目の前で黒のスラックスの上から巻いていたベルトを外し、下にはいていた黒のボクサーパンツを少しだけずらして見せた後にはきなおす。うっすらと人工の陰毛らしきあるもののそこに本来あるはずのものは見当たらず、つるりとした人工皮膚があるばかりだった。

「そう。それは残念。でも……できないことはないんでしょう?」
『うん。君が望むなら付き合うよ。こんな体で…………よければね』

透はシャツの袖をめくってフィーアに傷つけられた人工皮膚の一部がはがれ、内部構造が剥き出しになった左腕を亜紀の前に差し出す。機体を覆うようにはりめぐらされた暗いグレーの人工筋肉と複雑な配線が金属の骨格に絡みあって血管のようにも見える。

「そんなのいいに決まってるじゃない、遠慮しないで。あと佑を起こさないように静かに済ませましょう……ほら、来て」

透と亜紀はリビングルームから夫婦で使っている寝室に移動する。遮光カーテンを閉めてから照明を暗くし、久々の営みを始める。寝室にかぎらず壁は全て防音仕様にしてあるので、外に音がもれることはないだろう。
亜紀の白く細い肢体に舌と指をはわせる。しかし透の人工物の舌や指先で触れる肌は薄い透明な膜か壁を1枚へだてているかのようで伝わる感触が非常に鈍かった。透の指先が体の特定の部位に触れるたびに亜紀はなるべく声を押し殺すようにして小さく喘ぐ。
ひととおり亜紀の体を愛撫した後、透が胸のあたりに触れると思いのほか速い鼓動が手のひらに返ってきた。亜紀の心音に反応したのか静かだった機体内の疑似血液の循環する音がわずかに強まる。
ベッドの上の透と亜紀が互いに入れ替わり上になった透は結んでいた赤いリボンタイを解き、白いシャツの前をはだけて、同じく淡いブルーのブラウスの前をはだけた亜紀の胸に自分のあばら骨の浮くほど痩せた胸を押しあてた。体は機械のため錯覚だろうが呼吸が荒くなってきている気がする。

「ねえそれ……大丈夫?溶けてるみたいだけど」

そのまま続けようとすると、下にいる亜紀の声に一瞬恐怖が滲む。震える指先が透の顔の左側をさしていた。何事かと片手で触れると疑似血液がべったりと大量についてくる。それにゴムか肉が焦げたような嫌なにおいがする。

『どうやら……今ので機体内部がかなりの高温になって負荷がかかったらしい。傷はある程度なら自然にふさがるようになってるから心配ないよ。それより火傷はしてないかい。しているならすぐに処置しないと。痕が残ったら大変だ』
「そ……そう。ちょっとだけ手の甲にかかったみたい。あの……もし無理をさせたならごめんなさい。私、そんなつもりじゃなかったの」

亜紀の声に涙がまじる。透は亜紀の手を優しく引いてベッドから立たせ、手の甲を確認する。火傷は硬貨ほどの大きさだっだが、赤黒くなっていて見るからに痛そうだ。透はまずブラウス1枚の亜紀に自分の上着を着せ、服を着るようにうながす。

『痛いかい。まずは水で冷やしてから万能薬のスプレーを使って様子をみよう。さ、おいで』

透は亜紀の手をひき、寝室から外に出る。そのままキッチンの流し台にまっすぐ向かい、亜紀の火傷をしているほうの手を水道の蛇口を全開にして水を出して冷やす。赤みがひかないので救急箱から薬と書かれたラベルの白いスプレー缶を取り出して数回噴霧した。

「……ありがとう、少し痛みがやわらいだみたい。あなたのほうは大丈夫?」
『それはよかった。服が汚れたから着替えるよ。後からベッドと部屋を掃除しにいくから、君は先に寝室に戻っていてくれ』
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