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二章
8.元神子は抜け出せたようです
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俺とイドは、部屋からそっと抜け出した。
腕輪のように俺の手首に巻きついたラナンは、方向を示すようにその頭を傾け、舌をちろりと見せる。
俺達が、案内に従いながら向かうのは区画を出る門ではなく、中庭だ。走り出したい気持ちをぐっと堪えながら、出来る限り足音を殺して動く。
今は見えないだけで回廊には親衛隊の見張りがいる。異常な物音を立てれば、こちらへ寄ってくる可能性がある。
呼吸さえも出来る限り静かに押し殺しながら暫く進み続けると、目の前に広がるのは壁だ。
目的の場所はもうすぐそこだ。ラナンが示す方向へ進むと、突如人影が現れる。それはセルデアだ。
俺を見つけた瞬間、柔らかく微笑む。その優しい笑みは容姿の良さも相まって、極上の微笑みだ。普段からその笑みが出来れば、悪党公爵など呼ばれずにすむだろうに。
セルデアは俺を見つけるなり、両腕を広げて何も言わずに抱きしめる。やっと見つけたとばかりに、力任せに抱きしめるものだから、不満を示すように背中を叩いた。
「公爵……」
イドも咎めるような小声を上げると、セルデアははっと我に返ったように息を呑んだ。それでも、どこか名残惜しそうに俺を解放した。
「場所は……?」
セルデアは黙ったまま、壁の下を指差した。その壁は高く、俺の身長の倍以上はある高さだ。
この壁の向こうは、宮殿の外だ。つまりはここを飛び越えることが出来れば、脱出は可能だ。とはいえ、俺達は空を飛ぶことはできない。
だからこそ、脱出経路として選んだのは下だった。
セルデアは土の力を持つ。だからこそ、土自体を掘りやすく柔らかい性質のものにするのは簡単だった。
ただそれを、親衛隊たちにバレないように掘り続けるということはできない。そこで活躍したのが──
「出てくるぞ」
セルデアの声と同じくらいだろうか。先ほど指差した土の中から、それはひょっこりと飛び出してくる。
鼻だ。黒い鼻先と白い毛並みが見える同時に、俺達も協力して土を掘る。
土を掻き分けると、土の中から出てきたのは真っ白い狼だ。ナイヤの眷属、彼らがここまで穴を掘り続けてくれていた。
土まみれになりながら、穴から出てくるとその身体を大きく震わせる。その土が辺りに散り、俺達にもかかるが、どうせ今から俺達も土まみれになる。
「思った以上に狭いな……私が先に行こう。いざと言うときは私がどうにかしよう」
心強い言葉で助かる。俺から見ても、穴は俺達の身体がギリギリ通れる程度の大きさだ。不安定な狭い穴を通るということに恐怖心がない訳ではない。
セルデアは、慎重に穴に頭を突っ込むと這いながら穴へ入っていく。そのまま足の爪先が穴に消えていくのを黙って見守っていた時だった。
「サリダート公爵、どこですか!」
突如聞こえた声に、びくりと体が震える。それは聞いたことのある声で、どうやら先ほどの親衛隊の男のようだ。
まずいな、結構声が近い。
緊張と焦りから心臓が騒がしくなる。全身に響き渡る鼓動を感じながら、出来る限り呼吸が聞こえないように口許を手で抑えた。
完全にセルデアの姿が見えなくなると、イドが俺の背にそっと触れた。
俺と目を合わせ、力強く頷く。
それが俺に先に行けと言っていることはすぐにわかった。
一瞬、躊躇する。今の状況では後になる人間の方が危ない。肩越しに振り返ると、俺を見つめるイドの瞳には譲れない覚悟が見て取れた。
……イドは絶対に俺を先に行かせるつもりだ。なら、ここで言い争う時間のほうが勿体ない。
───絶対に、後から来てくれよ。
俺は意を決して穴に潜る。やはり穴の中はかなり狭い。しっとりとした湿度を肌で感じながら、土の匂いが鼻の中に広がる。薄暗い中、必死に手足を動かして這いずる。
息が詰まる。呼吸しづらい。
生き埋めになるんじゃないかという不安が脳内を掠め、背筋が冷える。それでも嫌な気持ちを忘れるように、前へ前へ進む。
ふわりと風が流れてくるのを感じて、出口が近いとわかった。気持ちが焦り、更に速く動くと伸ばした手首が掴まれた。
すると、引きずり出されるように引っ張られ、気付くとそこは外だった。
「怪我はないか?」
はっと顔を上げると、そこにいるのはセルデアだ。銀色の髪や顔が土で汚れたままだ。
ふと周りを見渡すと、宮殿の壁が後ろに見える。空を上げると、降り注ぐような星たちが汚れている俺達を笑うように美しく煌めいていた。
「外だ……」
俺の口から当たり前な感想が零れる。思考は一時停止して、魂が抜けたように呆然と立ち尽くしてしまう。
頬を撫でる風や、誰の視線も感じない解放感を一人で噛み締めていた。しかし、すぐに我に返り、穴に目線を向けた。
「イド……っ」
イドは無事だろうか。あの親衛隊の男は随分と近かったように思える。声をかけて暫し待ったが返答はない。
背筋が冷えていくのを感じる。イドは、ちゃんと穴に入れたのだろうか。
もし、イドだけが捕まってしまえば……何をされるかわからない。
頼む、間に合っていてくれ。
腕輪のように俺の手首に巻きついたラナンは、方向を示すようにその頭を傾け、舌をちろりと見せる。
俺達が、案内に従いながら向かうのは区画を出る門ではなく、中庭だ。走り出したい気持ちをぐっと堪えながら、出来る限り足音を殺して動く。
今は見えないだけで回廊には親衛隊の見張りがいる。異常な物音を立てれば、こちらへ寄ってくる可能性がある。
呼吸さえも出来る限り静かに押し殺しながら暫く進み続けると、目の前に広がるのは壁だ。
目的の場所はもうすぐそこだ。ラナンが示す方向へ進むと、突如人影が現れる。それはセルデアだ。
俺を見つけた瞬間、柔らかく微笑む。その優しい笑みは容姿の良さも相まって、極上の微笑みだ。普段からその笑みが出来れば、悪党公爵など呼ばれずにすむだろうに。
セルデアは俺を見つけるなり、両腕を広げて何も言わずに抱きしめる。やっと見つけたとばかりに、力任せに抱きしめるものだから、不満を示すように背中を叩いた。
「公爵……」
イドも咎めるような小声を上げると、セルデアははっと我に返ったように息を呑んだ。それでも、どこか名残惜しそうに俺を解放した。
「場所は……?」
セルデアは黙ったまま、壁の下を指差した。その壁は高く、俺の身長の倍以上はある高さだ。
この壁の向こうは、宮殿の外だ。つまりはここを飛び越えることが出来れば、脱出は可能だ。とはいえ、俺達は空を飛ぶことはできない。
だからこそ、脱出経路として選んだのは下だった。
セルデアは土の力を持つ。だからこそ、土自体を掘りやすく柔らかい性質のものにするのは簡単だった。
ただそれを、親衛隊たちにバレないように掘り続けるということはできない。そこで活躍したのが──
「出てくるぞ」
セルデアの声と同じくらいだろうか。先ほど指差した土の中から、それはひょっこりと飛び出してくる。
鼻だ。黒い鼻先と白い毛並みが見える同時に、俺達も協力して土を掘る。
土を掻き分けると、土の中から出てきたのは真っ白い狼だ。ナイヤの眷属、彼らがここまで穴を掘り続けてくれていた。
土まみれになりながら、穴から出てくるとその身体を大きく震わせる。その土が辺りに散り、俺達にもかかるが、どうせ今から俺達も土まみれになる。
「思った以上に狭いな……私が先に行こう。いざと言うときは私がどうにかしよう」
心強い言葉で助かる。俺から見ても、穴は俺達の身体がギリギリ通れる程度の大きさだ。不安定な狭い穴を通るということに恐怖心がない訳ではない。
セルデアは、慎重に穴に頭を突っ込むと這いながら穴へ入っていく。そのまま足の爪先が穴に消えていくのを黙って見守っていた時だった。
「サリダート公爵、どこですか!」
突如聞こえた声に、びくりと体が震える。それは聞いたことのある声で、どうやら先ほどの親衛隊の男のようだ。
まずいな、結構声が近い。
緊張と焦りから心臓が騒がしくなる。全身に響き渡る鼓動を感じながら、出来る限り呼吸が聞こえないように口許を手で抑えた。
完全にセルデアの姿が見えなくなると、イドが俺の背にそっと触れた。
俺と目を合わせ、力強く頷く。
それが俺に先に行けと言っていることはすぐにわかった。
一瞬、躊躇する。今の状況では後になる人間の方が危ない。肩越しに振り返ると、俺を見つめるイドの瞳には譲れない覚悟が見て取れた。
……イドは絶対に俺を先に行かせるつもりだ。なら、ここで言い争う時間のほうが勿体ない。
───絶対に、後から来てくれよ。
俺は意を決して穴に潜る。やはり穴の中はかなり狭い。しっとりとした湿度を肌で感じながら、土の匂いが鼻の中に広がる。薄暗い中、必死に手足を動かして這いずる。
息が詰まる。呼吸しづらい。
生き埋めになるんじゃないかという不安が脳内を掠め、背筋が冷える。それでも嫌な気持ちを忘れるように、前へ前へ進む。
ふわりと風が流れてくるのを感じて、出口が近いとわかった。気持ちが焦り、更に速く動くと伸ばした手首が掴まれた。
すると、引きずり出されるように引っ張られ、気付くとそこは外だった。
「怪我はないか?」
はっと顔を上げると、そこにいるのはセルデアだ。銀色の髪や顔が土で汚れたままだ。
ふと周りを見渡すと、宮殿の壁が後ろに見える。空を上げると、降り注ぐような星たちが汚れている俺達を笑うように美しく煌めいていた。
「外だ……」
俺の口から当たり前な感想が零れる。思考は一時停止して、魂が抜けたように呆然と立ち尽くしてしまう。
頬を撫でる風や、誰の視線も感じない解放感を一人で噛み締めていた。しかし、すぐに我に返り、穴に目線を向けた。
「イド……っ」
イドは無事だろうか。あの親衛隊の男は随分と近かったように思える。声をかけて暫し待ったが返答はない。
背筋が冷えていくのを感じる。イドは、ちゃんと穴に入れたのだろうか。
もし、イドだけが捕まってしまえば……何をされるかわからない。
頼む、間に合っていてくれ。
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