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第五話

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「ほらほら。ホステスさんって言うの? そういう所で会社の仲間と呑んでたの。もちろん付き合いって分かってたって、はらわた煮えくり返ったわ。お父さん美人に弱いし、きっと楽しくおしゃべりしながら、鼻の下伸ばしてるんだろうなあって」


「お父さん。サイテー」


「妊娠する前から忙しい人だったから分かったつもりではいたけど。あの時は辛かったわ。本当に浮気するなら、そんなわざわざ相手と会う事を美恵に報告なんてしないと思うけどねえ」


 うぐぐ、と私も言葉を詰まらせる。
 でもそのただの後輩、白木に肩入れし過ぎなのは確かなわけで。


「でもね、芳樹は毎回その後輩・・・白木さんって言うんだけど、その子とばっかり呑むの。家にも連れてきたんだから」


「ふーん。で?」


「別に。何もなく帰ったけどね」
 母の冷めた口調に、何も言えず、麦茶を飲んだ。

 白木が会社でイジメにあっている事は母には言わない。それとこれとは関係ないはずだ。もう、大人なのだから。


「まあ。妊娠中なんだから、もっと心を穏やかでないと、赤ちゃんに影響するわよ」


「だから、その原因は芳樹なの!」


「はいはい。だったら、美恵は母として、穏やかになる方法を考える」


 そう言うと、母は私との会話を止めて、テレビを見始めてしまった。無駄話は嫌いと言われているようで、辛い。
母なら分かってくれると思っていたのに。

 私はイライラが治まらず、用意されたご飯もそこそこに、部屋に籠った。
 実家に居れば家事をしなくて済むから楽ではあるのだけれど、これといってやることがないのも事実。
 すると勝手にイライラや不安は膨張し始める。

 心の中で意地悪な私が囁いた。

 芳樹を試せと。

 白木か私、どっちが大切かを今、知りたい。
 ベッドでゴロゴロしながら、どうしようかと悩んだ挙句、考えついたのは1通のメールだった。

『食べ物もろくに食べられなくなって、水分摂るのも辛くて。吐いて吐いて辛くて。もしかしたら、明日にも入院かも』


 いかにも、嘘っぽいメール。
 でも、芳樹は気がつかないと思う。


 送信したら心が晴れたような気がした。
 でも、これでも白木を選んだら?
 私や赤ちゃんより、会社の後輩を選んだら?

 自分が撒いた種が、不安をより一層膨らませた。
 
 何をやっているんだろう。

 どうしよう。
 バカみたい。
 寝よう。  
 寝てしまおう、そう思ったら芳樹から電話がきた。

 ヤバイ。

 通話ボタンが押せない。

 だって私、元気だもの。スープもポトフも食べて、ノンビリしている。ただ、芳樹を試しただけなんて言ったら、さすがに怒る。
 困惑して電話に出ないでいたら、メールが来た。


『大丈夫か? 今からそっちに行くから。一緒に病院行くから』


 どうしよう!
 今更嘘なんて言えない。

 母の言う通り、見て見ぬふりをしておけば良かった。

 だって、私はどこかで分かっている。
目の前で白木を見ている。

 白木は単なる後輩で、芳樹は面倒を見ているだけだって。
 でも、私はヤキモチを焼いているだけ。
 芳樹が私以外に真剣に女の子と向かい合うのが許せないだけ。

 そこに恋愛感情がなくても。
無いと、芳樹が言い切っていても。

 未だに、こうして芳樹が好きなんだと自覚するのが嫌で恥ずかしくて、でも他人に向けるその愛情に似た感情は許せなくて。
 身勝手だと思う。

 私は悩んでいたら一気に疲れて、眠ってしまった。

 妊娠中の睡魔とは恐ろしい。
 寝過ぎかもと思いつつ、ケータイを握ったまま眠った。
 目覚めたら夜だった。

 眠い頭で辺りを見回し、時計を見た。
 居間もこれといって静かだった。
 芳樹はまだ来ていないようだ。
 カーディガンを羽織り階下に降り、母が夕飯の支度をしているのを見つけると、私はもぞもぞと近寄り、今日芳樹が来る事を告げた。


「あら! 噂したら来たじゃない。さっさと帰らないと、淋しいのよ、芳樹さん」
 母の喜びとは反対に、私は静かに悲しく躊躇いながら言った。


「芳樹に嘘付いたの。入院するかもって。だから血相変えてくるかもしれない。どうしよう」


「馬鹿ね」


 母がため息を吐いた。
 怒っているようにも見えて、私からは話しかけにくい。

「嘘は謝りなさい。それから芳樹さん心配して来るんだから、もう帰るのよ」


「はい」


 私は居心地が悪くなり、居間でテレビを見てぼーっとしていた。芳樹は私を怒るだろうな。白木さんの事もあるし。

 夕方のニュースは、相変わらず面白くない。
 憂鬱な気分に追い討ちをかけるような事件ばかりで、ため息を吐いてしまった。

 そんな時、芳樹からメールが来た。

『後少しで着く。フライドポテトも買った』

 芳樹が心配して気を使っているのが分かり、辛い。
 でも、嫌だ。


 そんなのいらない。
 食べない。
 食べてやるもんか。


「いつまでも部屋着のままじゃダメでしょ? 着替えなさい」


 母に言われ、のっそりと体を動かす。
 ムカムカが酷かった頃に比べると、今は少し落ち着いたのか、それとも親は芳樹みたいにかまってくれるわけでもないからか、体は少し自由になっていた。


 着替え終わったころ、芳樹が来た。メイクはしていなくて、慌てた。

「お久しぶり、芳樹さん。いつ以来かしら? お仕事忙しいのに美恵が家出なんてして。本当にごめんなさい。美恵ね、元気なの」
 母が出迎えて、ありのままを喋る。
 私は一気に緊張する。


「え? 元気? ああ、そうですか。でも良かった。美恵は・・・」


「今日帰るみたいだから、ちょっと待ってて。本当ごめんなさい。妻失格よね」


「いえ。それは、俺も何も出来ないからで」


「男なんてそんなもんよー。気にしちゃダメ」


「はあ・・・」


 芳樹は珍しく母の言う事にしっかりと相槌を打たなかった。
 世がイクメンブームというのもあるけれど、母の考えはちょっと古いよなと、どこかで思ったのかもしれない。 私はそっと部屋を出て、俯きながら芳樹の前に出た。

「心配かけて、ごめんなさい」


 怒られる。嫌われる。


 自分が今まで強気だったのに、今はかなり弱気で驚く。
 これもホルモンバランスの変化なのか。
 それとも、私はもともと凄く弱いのか。


「もういいよ。早く帰ってきてくれないと困るから」


 しかし、その一言を聞いたら腹立たしくなった。
 なぜかは分からない。
 けれど、責めても何も変わらないのは、白木の事があるからで、芳樹の性格も災いしている。
 どうにもならない。

 私達は実家でご飯を食べると、帰りの車の中は無言だった。

「あんまり困らせるなよ。本当に心配したんだから」

 どうだか。

 だって、心配したわりには、実家を出てから車中は無言だし、怒っているように見える。
 やっぱり、白木の事を考えているとしか思えない。


「私と白木さん、どっちが大事なの?」 
思うだけでなく、ちゃんと芳樹に訊いた。単なる後輩に入れ込み過ぎでは? やっぱり隠した気持ちがあるのでは? と疑ってしまう。


「美恵だよ。でも、比べられない」


 それを聞いた途端、目の前が真っ暗になりそうだった。
 その言葉の威力が強くて、大きな鉛が私の頭を打ったかと思うほどだった。
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