故国の仇が可哀想すぎて殺せない~愛は世界を救う。たぶん、~

百花

文字の大きさ
55 / 77

第五十五話 時間

しおりを挟む

 時が止まる。私は目を見開き硬直してしまって、ヴィルヘルムスの顔をただ見返した。
 それから酷い冗談を聞いたとどうにか笑おうとして、いつまで経っても変わる様子のない悲し気なヴィルヘルムスの表情に愕然とする。

「嘘だ」

 信じられる訳がなかった。カシュパルは人間である私を愛していた。そして私は彼を完全に掌握していた。
 私の為ならばどんな魔物でも狩ってくれる男で、どれ程自らが傷つけられようとも人間に手を出さなかった。
 首を横に振る。いくら考えてもあり得ない。

「誤解があるんだ。きっと……だって、カシュパルだぞ。私の恋人で」

 声が震えた。私の全てを尽くして、この国の運命とカシュパル自身の運命を変えた筈だった。
 貴重な時渡りの腕輪の最後の力を使って、それでも彼を生かして全てを幸福な方向へと導いた。
 だから、何処かに間違いがあるに違いない。

「ええ。貴女の恋人のカシュパルです。今や名だたる魔物狩人集団紅盾の創設者、アリストラ国でも魔物狩人として名を馳せた人間と竜人の混血児」

 それは間違いなく、私のカシュパルの経歴だった。
 現実を悪夢が飲み込んだ。私は全身から冷や汗を噴出して、首を横に振りながら後ずさる。
 足元から力が抜けてしまって、よろけた私の腕をヴィルヘルムスが慌てて支えた。けれども立っていられずにその場にへたり込む。
 七体の彫刻達に冷たく見下ろされたような気がした。

 私は、失敗した……?

 殺せば良かったのだと、情に流されてとんでもない事をしでかしたのだと。運命が私を嘲笑うかの様に元通りに動いている。
 カシュパル。一体この二十八年間、何があった。何がお前を変えてしまった。
 震える私の体を、ヴィルヘルムスが両腕で抱きしめて慰めてくる。けれどそれで震えは収まらず、私は両手で顔を覆って俯いた。
 権力なんて欲しがらなかったじゃないか。金も名誉も興味なかったじゃないか。私の大事な物は、同じように大事に扱ってくれたじゃないか。
 それがどうして、私の故国に剣を向ける男になった。まるで別人の話を聞いているようである。
 王になってアリストラ国を攻める。それこそがカシュパルに与えられた絶対の運命だとでも言うのか。
 けれど胸を覆いつくそうとする絶望をどうにか押し留めた。体に力を込め、震えを強引に止める。
 まだ、私はカシュパルと話をしていなかったから。こんな人づてに聞いただけで、納得出来る筈がなかった。
 ヴィルヘルムスの服を強く握り、縋りつく。

「カシュパルと話せば、きっと分かってくれる。私が嫌だと言えば戦争なんて起こさない男だ。だからヴィルヘルムス、頼む。カシュパルと話す機会を作ってくれないか」

 そうだ。諦めきれない。私が生きている事をカシュパルが知れば、全てを私の望む通りにしてくれるだろう。
 きっと喜んで、抱きしめてくれて。怪我があった事を告げれば存分に甘やかしてくれる筈だ。
 それからヴィルヘルムスが命の恩人である事を教えて、アリストラ国を攻めないでくれと頼めばいい。
 自分の考えに少しずつ希望が胸に宿る。例えカシュパルが王になる事情があったとしても、私への愛が変わったとは思わない。
 それ程、間近で見続けたカシュパルの私への愛は深かった。

「やはり、貴女はその選択をするのですね」

 ヴィルヘルムスは一瞬憂いた表情で聞き取れない程小さく何かを呟いた。しかし直ぐに気遣う優しい眼差しに隠し、背中を擦りながら頷いてくれた。

「セレナさんが望むなら。どうにか彼に会う方法を考えましょう」

 まだ、変えられる。
 私は現時点でこの国に獣人達が攻め入って来ていない事に希望を託す。
 本来であれば、既に王都は戦火に包まれている筈だった。ならば、全く同じ道を進んでいる訳ではないのだろう。
 私はヴィルヘルムスの言葉に少し自分を取り戻して、足に力を入れて立ち上がった。
 こんな所で蹲っている時間も惜しく思え、必死に戦争を回避する方法を探そうとする。

「何故カシュパルはこの国に攻め入ろうと?」
「氷狼の雪山がサラマンダーにより消えてから、獣人と人間の往来が頻繁になりました。その分、良からぬ輩も入り込みやすく……少し前に獣人の子供を闇で売っていた大規模な組織が捕まったのです。内容が酷かったものですから、それで一気に両国の空気が悪くなりました。元々の貿易的不均衡によりヨナーシュ国で溜まっていた不満が、今回の件で噴出した形です」
「謝罪は?」
「勿論しました。けれど国民感情は収まらなかったのでしょう。誠意を見せろとヨナーシュ国が関税の引き下げを要求してきたのです。けれどアリストラ国として貴族達は利益を手放せませんでした。一度下げてしまえば、何処までも要求は酷くなっていくだろうと懸念したのです。そうして折り合いがつかなくなりました」

 その内に感情論になってしまえば、落としどころなど見つけられなくなってしまう。
 こじれた両国の問題は、私のような剣一つで生きて来た人間が簡単に解決策を見つけられる話ではなかった。
 けれどカシュパルが本気で考えてくれるならば、きっと方法を見つけてくれるに違いない。
 他力本願としか聞こえないが、カシュパルを知る者ならば誰しも納得するだろう。人の心をあれ程簡単に動かせる男はいない。

「私が生きていると知らせる事は出来ないだろうか。そうすれば迎えに来てくれるかもしれない」
「……セレナさんは彼に、時渡りの事を伝えてしましたか?」

 伝えていない。力なく首を横に振った。ならば、嘘だと思われてしまう可能性が高かった。
 カシュパルに会う。それは最早、戦争前で緊迫した両国の国境を抜け、王への厳重な警備の目を掻い潜らなければ実現出来ない事のようだ。
 失敗は死を意味するだろう。けれどずっと命懸けで戦ってきた私にとって、今更な覚悟だった。体調を万全にして、鈍った戦いの勘を取り戻さなければ。

「剣を私にくれないか」
「用意しましょう。それから、あちらへの潜入に関してはカルペラ公爵に準備するように命じておきます」

 思わぬ名前に驚いて眉を上げた。それは嘗てエリーの命を狙った人物だった。

「カルペラ公爵?」
「言いたい事は分かります。けれどあの時の公爵から息子に代も変わりましたし、今は私の忠実な家臣の一人です」

 どうやら時の流れは思いもよらぬ方向に人を導くようだ。いくら代替わりをしたとはいえ、自分を殺そうとした家の者だろうに。
 けれど本人が許している事を蒸し返すつもりはなかった。

「始まるまでは、少しでも体を休めて下さい」
「……分かった」

 ヴィルヘルムスが情報を伏せて私に休息しろと言っていた訳を完全に理解した。こんな状況だと知っていたら、休息どころではない。
 焦って体を戻そうと無理をするか、抜け出そうとしていたかもしれなかった。
 ヴィルヘルムスと共に神族達が飾られていた建物を出る。戦争の気配など全く感じさせない穏やかな庭があった。
 芝生の上に置かれた石の道を辿りながら、思いついた事を聞いてみる。

「エリーはどう暮らしていた?」
「母は軟禁されていましたが、全てを受け入れていました。私が口を出せば別の場所に移動する事も出来たでしょうが……望んではいませんでした」

 エリーが長生きした分、ヴィルヘルムスも何度も会いに行けたようだった。過去通りであれば、早世して殆ど会えなかっただろう。
 しかし望んで同じ場所に留まるとはエリーらしい。自ら赤子を抱いて帰ると言った彼女の姿を思い出す。尊敬する程、強い人だった。

「母と話す時は、いつも貴女の事が会話に上りました。だからセレナさんと出会った時、初めて会った気はしなかったのです」
「私はあの時の赤子がこんなに大きくなって、まだ信じられない」
「それが時渡りの奇跡でしょう。短い時ではありませんでした」

 ヴィルヘルムスの顔に憂いが浮かぶ。
 私はその言葉に頷いて同意した。元の時間に戻った筈なのに、親しくなった人達が遠くて取り残された気分である。
 けれども彼の顔には確かにエリーの面影があって、あの赤子である事は間違いなかった。

「……大きくなったな」

 私は背の高い彼の頭に手を伸ばす。そして、子供にするように金髪を優しく撫でた。
 どうか健やかにと、願ってエリーと別れた。その未来を実際に目の当たりにして、健全に成長したように見える事が嬉しい。
 きっとただ一人の王族として大変な思いをしているだろう。けれど求めるならば、私だけは身内の様に彼に接しようと思う。
 ヴィルヘルムスは一瞬泣きそうに目を潤ませたが堪えると、心底嬉しそうな笑みを私に向けた。
 それは確かに、家族に向ける様な親愛の感情に他ならなかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界転移したら騎士団長と相思相愛になりました〜私の恋を父と兄が邪魔してくる〜

伽羅
恋愛
愛莉鈴(アリス)は幼馴染の健斗に片想いをしている。 ある朝、通学中の事故で道が塞がれた。 健斗はサボる口実が出来たと言って愛莉鈴を先に行かせる。 事故車で塞がれた道を電柱と塀の隙間から抜けようとすると妙な違和感が…。 気付いたら、まったく別の世界に佇んでいた。 そんな愛莉鈴を救ってくれた騎士団長を徐々に好きになっていくが、彼には想い人がいた。 やがて愛莉鈴には重大な秘密が判明して…。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

無表情な黒豹騎士に懐かれたら、元の世界に戻れなくなった私の話を切実に聞いて欲しい!

カントリー
恋愛
「懐かれた時はネコちゃんみたいで可愛いなと思った時期がありました。」 でも懐かれたのは、獲物を狙う肉食獣そのものでした。by大空都子。 大空都子(おおぞら みやこ)。食べる事や料理をする事が大好きな小太した女子高校生。 今日も施設の仲間に料理を振るうため、買い出しに外を歩いていた所、暴走車両により交通事故に遭い異世界へ転移してしまう。 ダーク 「…美味そうだな…」ジュル… 都子「あっ…ありがとうございます!」 (えっ…作った料理の事だよね…) 元の世界に戻るまで、都子こと「ヨーグル・オオゾラ」はクモード城で料理人として働く事になるが… これは大空都子が黒豹騎士ダーク・スカイに懐かれ、最終的には逃げられなくなるお話。 小説の「異世界でお菓子屋さんを始めました!」から20年前の物語となります。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました

下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。 そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。 自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。 そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。

【完結】身分を隠して恋文相談屋をしていたら、子犬系騎士様が毎日通ってくるんですが?

エス
恋愛
前世で日本の文房具好き書店員だった記憶を持つ伯爵令嬢ミリアンヌは、父との約束で、絶対に身分を明かさないことを条件に、変装してオリジナル文具を扱うお店《ことのは堂》を開店することに。  文具の販売はもちろん、手紙の代筆や添削を通して、ささやかながら誰かの想いを届ける手助けをしていた。  そんなある日、イケメン騎士レイが突然来店し、ミリアンヌにいきなり愛の告白!? 聞けば、以前ミリアンヌが代筆したラブレターに感動し、本当の筆者である彼女を探して、告白しに来たのだとか。  もちろんキッパリ断りましたが、それ以来、彼は毎日ミリアンヌ宛ての恋文を抱えてやって来るようになりまして。 「あなた宛の恋文の、添削お願いします!」  ......って言われましても、ねぇ?  レイの一途なアプローチに振り回されつつも、大好きな文房具に囲まれ、店主としての仕事を楽しむ日々。  お客様の相談にのったり、前世の知識を活かして、この世界にはない文房具を開発したり。  気づけば店は、騎士達から、果ては王城の使者までが買いに来る人気店に。お願いだから、身バレだけは勘弁してほしい!!  しかしついに、ミリアンヌの正体を知る者が、店にやって来て......!?  恋文から始まる、秘密だらけの恋とお仕事。果たしてその結末は!? ※ほかサイトで投稿していたものを、少し修正して投稿しています。

処理中です...