【完結】あなたの瞳に映るのは

今川みらい

文字の大きさ
10 / 19

10

しおりを挟む
アイラス殿下の屋敷に来て半月が経とうとしていた。

彼が以前言っていた通り、この屋敷にいる人達は口数こそ少ないがとても優しく、私は平穏で穏やかな日々を過ごしていた。

「本日はどのお召し物になさいますか?」

私は短くなってしまった黒髪を侍女にセットしてもらいながら、ターシャが並べてくれた色とりどりのドレスを眺めた。

「藍色のドレスにしようかしら」

レオンハルト様と婚約していた時は、彼の瞳と同じ空色のドレスばかり着ていたので、今でも自然と青色ばかり選んでしまっていた。

「……いつも青系のドレスをお召しになられているので、気分を変えてこちらのドレスなんていかがでしょう?マーメイドラインでティアラ様にとても良くお似合いかと思うのですが……」

ターシャが持ち上げて見せたそのドレスは、アイラス殿下の瞳と同じ鮮やかな深紅のドレスだった。

「そんな大人っぽいデザインは似合わないわ」

「そうでしょうか……」

心なしか肩を落しながらターシャは言った。

あくまで形式的な婚約者でしかない私が、自分の瞳と同じ色のドレスを着ているのを見たら、彼はきっと不快な思いをするだろう。

「アイラス殿下は今日屋敷に戻られるのかしら?」

「どうでしょうか……いつもご多忙で騎士団の本部に泊まり込んでおられるようですから」

ゼスティリア王立騎士団の団長である彼は、この屋敷に帰って来ることはほとんどなかった。

たまに帰って来ても、執事のシリルと話し込んでいるだけで、私の元には会いに来てはくれなかった。

所詮、愛のない形式的な婚約者なのだから仕方ない──そう分かっていても、彼が屋敷の人達と談笑しているのを見ていると、どうしようもなく心がざわついた。

いつも鋭い目つきの彼が、屋敷の人達の前では楽しそうに笑っていたから。

彼は微笑むと、驚くほど柔らかい印象になることをそこで初めて知った。

私の前で、彼が微笑んだ事など一度もなかったのに。

「屋敷に帰って来て欲しいとアイラス殿下に手紙を書いてみてはどうですか?ティアラ様にお願いされたら、殿下もきっと帰って来て下さいますよ」

「……それは止めておくわ。迷惑になるもの」

そもそもアイラス殿下が私と婚約したのは、仕事に集中したいという理由からだった。
そんな彼の仕事を邪魔するような真似をしたら、私は嫌われてしまうだろう。

彼を煩わせるのを恐れるあまり、手紙を書く事も気軽に話しかける事も出来なくなっていた。

「それでは本日はどうなさいますか?」

ターシャに予定を聞かれ、私は考え込んだ。
少しでもアイラス殿下の事を知りたいと思い、屋敷の書庫にあったゼスティリア王国の歴史について書かれた本は全部読んでしまっていた。

「そうね……足も良くなったし、庭園でも散歩してみようかしら」

アイラス殿下が医者を呼んでくれたおかげで、ローズに殴られて打撲していた足もすっかり回復していた。

「そうなさいましょう。後ほど私がご案内致しますね」

ターシャの言葉に私は笑顔で頷いた。





◇◆◇





屋敷の広い庭園へ出ると、色鮮やかな春の花々が美しく咲き乱れ見頃を迎えていた。

「こんなにたくさんの花が咲いていたのね」

思わず感嘆のため息をついた。
ここへ来たときは真夜中だったので、全く気がつかなかった。

「ティアラ様のお好きな花は何ですか?」

喜々として庭園を散歩していると、後ろからついて歩くターシャが聞いてきた。

「私はね……」

そう言いかけて、ふと足を止めた。
近くに小さくてとても愛らしい花が咲いていたのだ。

それはアイラス殿下の瞳と同じ、鮮やかな深紅の花だった。

「綺麗なネモフィラですね」

ターシャは私がネモフィラを見ていると勘違いしたようだ。

たしかに深紅の花のすぐ隣にはネモフィラも咲いていた。

以前の私は、レオンハルト様の瞳と同色のこの花が大好きだった。

でも今は──小さくて愛らしい深紅の花に目を奪われていた。

その花の名も知らないのに。

『婚約はあくまで利害の一致によるもの』

そう言った彼を好きになってはいけないのに、日に日に想いばかりが募り、とても苦しかった。

彼はいま何をしているのだろう。
今日は帰って来てくれるのだろうか。

ひと目でもいいから、彼に会いたかった。

私は深紅の花を見つめながら、心の中で燻るどうしようもない想いを憂いていた。

「ティアラ」

名を呼ぶ声に、思わず胸が高鳴った。

耳に心地良く響くその声で、呼んだ相手が誰なのかをすぐに悟ったから。

「お帰りなさいませ」

振り返ると、そこにいたのはアイラス殿下だった。

思い焦がれていた相手にやっと会えたのが嬉しくて、すぐに駆け寄りたい衝動をぐっと抑えた。

この想いを、決して悟られてはならなかった。

アイラス殿下はこちらへゆっくり歩いて来ると、私が先ほどまで見ていた場所をじっと見つめていた。

「ネモフィラを見ていたんです。綺麗に咲いていたので……」

あなたに思い焦がれ、深紅の花を見ていたなど絶対に知られたくない私は言い訳するように言った。

「あなたは義妹を選んだレオンハルトを憎んでいないのか」

気のせいだろうか。
彼の声に微かな憤りを感じるのは。

「レオンハルト様が選んだ人が自分でなくても良いんです。それで彼が幸せになれるのであれば」

そう思えるようになったのも、全てはアイラス殿下と出会い、心に変化が生まれたからだった。

「レオンハルト様はお元気ですか?」

レオンハルト様の友である彼に何気ない気持ちで問いかけた。

しかし、彼は黙り込んだまま何も答えなかった。

自分は何か悪い事でも聞いてしまったのだろうか──不安になってきた時、彼はやっと口を開いた。

「……レオンハルトとは連絡を取っていない」

そう短く答えると、アイラス殿下は仕事が残っているからと足早にその場から去って行った。

「お気をつけていってらっしゃいませ」

彼の大きな背中に声をかける。

アイラス殿下が去ってしまった後、彼の顔をまともに見れなかった自分を激しく責めた。

少年のように短くなってしまった自分の髪を気にするあまり、私はアイラス殿下と目を合わせる事が出来なくなっていた。

──今度お会いした時こそは、彼の目を見てお話しよう。

私はそう心に決めて、愛らしい深紅の花を再度見詰めた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ

月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。 泣くのも違う。怒るのも違う。 ただ静かに消えよう。 そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。 画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。 相手に気付かれた? 見られた? 「未練ある」って思われる!? 恐怖でブロックボタンを連打した夜。 カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

私達、婚約破棄しましょう

アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。 婚約者には愛する人がいる。 彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。 婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。 だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……? ※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

処理中です...