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ギルフォード伯爵の邸宅は、ホイットモー邸から馬車で2時間ほどの距離だった。馬だったらもっと早く行けるだろう。それほど遠くなく、ベルタはひそかにほっとしていた。
馬車から降りると、マティアスが出迎えてくれた。ギルフォード邸の使用人が、ベルタの侍女から荷物を受け取って中へと運び込んでくれる。
「ようこそ、ベルタ」
「どうぞよろしくお願いいたします、マティアス様」
礼をしあうと、マティアスは照れたように視線を伏せ、ベルタの手を取ると甲に唇を寄せた。こんな、ゆっくりとした丁寧な挨拶をされるのは初めてで、夫となる相手だというのに、どぎまぎする。
「――では、参りましょうか」
「はい」
背の高いマティアスは、ベルタの速度に合わせるようにゆったりと前を行く。
広い背中を追いながら、きょろきょろとあたりを見渡した。
よく手入れされた広い庭、ベルタの実家にもあったのと同じ薔薇の植木。庭師とうっかり目が合うと、くしゃりとした笑顔でお辞儀をしてくれた。気のいいおじいさん、という感じがよくわかる。思わず手を振りかけて、やっぱり小さく手を振った。
と、植木が並んだ向こう側に、乳白色の壁の小さな離れが建っているのが見えた。
大きな窓は開いているようで、カーテンが外に揺らめいている。
「ベルタ?」
「あ、……」
一瞬、この数日で聞いたいろいろな情報が頭を駆け巡った。
『離れに女を住まわせている』
『妙齢の美しい女性』
訊く? 訊かない? どうしよう??
足を止めたベルタの視線をたどり、マティアスは離れの建物に目をやって、それから感情の読めない瞳でベルタを見つめた。
「あそこが、気になる?」
「え、えぇ……庭師さんのお住まいにしては、白いので」
庭のそばに庭師の住まいを用意する貴族は多い。本邸ではなく、使用人の家を敷地内に建てることは特に珍しいことではなかった。ただ、その場合、あまり目立たないような色・場所が選ばれるものだ。景観を損ねるのがその理由となる。
「お庭には、合いますね」
「ありがとう。……今は誰も住んでいないが、あまり近寄らない方がいい」
少し考えるように、マティアスは一呼吸おいて続けた。
「老朽化しているかもしれないからね」
とてもそうは見えない、きれいな白であるけれど。
でも、突っ込んで聞くことはしなかった。誰も住んでいないのに窓が開いているのはどうして、とか。いろいろ聞きたいことは山ほどあるけれど。
(早いうちに、すべて話していただければいいのに)
他に愛する方がいても、構わないのだ、と伝えてあげたい。けれど、伝えたらそんな話をどこからか聞いてきた、下世話な妻だと思われる。それは避けたい。
早く親しくならなくては。マティアス様とも、お屋敷の他の方々とも。
そして、たくさん話をして、私は気にしないということを伝えて、みんなで幸せになりたいと伝えて。
ふと、誰かに呼ばれたような気がして見上げた。が、ツバメが低く飛んでいるのみだった。
明日は雨かもしれない。
◇ ◇ ◇
翌日は、朝からあいにくの雨で。
実家から持ってきた荷物は侍女のリタが片付けてくれる、ということで「お嬢様は部屋から出ていてください、邪魔ですから」と追い出された。
(かといって、勝手に歩き回る訳にはいかないし)
自室から出て、最初に会った人に何か……暇を潰せるものがないかをきこう、と思ったその時。
「ベルタ」
マティアスがやってきた。
「どこかに行こうとしてた?」
「いいえ。部屋から追い出されてしまって」
一瞬びっくりしたように目を開いたが、中からリタが荷物の片付け指示をしている声がしたので納得したように頷いた。
「では、家の中を案内しましょうか。お時間があれば」
「ありがとうございます」
ふ、と和らぐマティアスの表情。
この人が、わたくしの旦那様。とベルタは不思議な気分になる。とても素敵。見た目も、声も。
でも。
(他に良い人が、いるのよね)
雨音が強くなった気がした。
馬車から降りると、マティアスが出迎えてくれた。ギルフォード邸の使用人が、ベルタの侍女から荷物を受け取って中へと運び込んでくれる。
「ようこそ、ベルタ」
「どうぞよろしくお願いいたします、マティアス様」
礼をしあうと、マティアスは照れたように視線を伏せ、ベルタの手を取ると甲に唇を寄せた。こんな、ゆっくりとした丁寧な挨拶をされるのは初めてで、夫となる相手だというのに、どぎまぎする。
「――では、参りましょうか」
「はい」
背の高いマティアスは、ベルタの速度に合わせるようにゆったりと前を行く。
広い背中を追いながら、きょろきょろとあたりを見渡した。
よく手入れされた広い庭、ベルタの実家にもあったのと同じ薔薇の植木。庭師とうっかり目が合うと、くしゃりとした笑顔でお辞儀をしてくれた。気のいいおじいさん、という感じがよくわかる。思わず手を振りかけて、やっぱり小さく手を振った。
と、植木が並んだ向こう側に、乳白色の壁の小さな離れが建っているのが見えた。
大きな窓は開いているようで、カーテンが外に揺らめいている。
「ベルタ?」
「あ、……」
一瞬、この数日で聞いたいろいろな情報が頭を駆け巡った。
『離れに女を住まわせている』
『妙齢の美しい女性』
訊く? 訊かない? どうしよう??
足を止めたベルタの視線をたどり、マティアスは離れの建物に目をやって、それから感情の読めない瞳でベルタを見つめた。
「あそこが、気になる?」
「え、えぇ……庭師さんのお住まいにしては、白いので」
庭のそばに庭師の住まいを用意する貴族は多い。本邸ではなく、使用人の家を敷地内に建てることは特に珍しいことではなかった。ただ、その場合、あまり目立たないような色・場所が選ばれるものだ。景観を損ねるのがその理由となる。
「お庭には、合いますね」
「ありがとう。……今は誰も住んでいないが、あまり近寄らない方がいい」
少し考えるように、マティアスは一呼吸おいて続けた。
「老朽化しているかもしれないからね」
とてもそうは見えない、きれいな白であるけれど。
でも、突っ込んで聞くことはしなかった。誰も住んでいないのに窓が開いているのはどうして、とか。いろいろ聞きたいことは山ほどあるけれど。
(早いうちに、すべて話していただければいいのに)
他に愛する方がいても、構わないのだ、と伝えてあげたい。けれど、伝えたらそんな話をどこからか聞いてきた、下世話な妻だと思われる。それは避けたい。
早く親しくならなくては。マティアス様とも、お屋敷の他の方々とも。
そして、たくさん話をして、私は気にしないということを伝えて、みんなで幸せになりたいと伝えて。
ふと、誰かに呼ばれたような気がして見上げた。が、ツバメが低く飛んでいるのみだった。
明日は雨かもしれない。
◇ ◇ ◇
翌日は、朝からあいにくの雨で。
実家から持ってきた荷物は侍女のリタが片付けてくれる、ということで「お嬢様は部屋から出ていてください、邪魔ですから」と追い出された。
(かといって、勝手に歩き回る訳にはいかないし)
自室から出て、最初に会った人に何か……暇を潰せるものがないかをきこう、と思ったその時。
「ベルタ」
マティアスがやってきた。
「どこかに行こうとしてた?」
「いいえ。部屋から追い出されてしまって」
一瞬びっくりしたように目を開いたが、中からリタが荷物の片付け指示をしている声がしたので納得したように頷いた。
「では、家の中を案内しましょうか。お時間があれば」
「ありがとうございます」
ふ、と和らぐマティアスの表情。
この人が、わたくしの旦那様。とベルタは不思議な気分になる。とても素敵。見た目も、声も。
でも。
(他に良い人が、いるのよね)
雨音が強くなった気がした。
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