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128.インクの実

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「よろしくお願いします」

今日は領地を1日かけて視察します。というかイーダン領は1日あれば一周できるほど狭いのだ。
屋敷を出発し馬車には子爵様も同乗し景色を見ながら案内をしてもらう。今日はインクの原料になるインクの実畑と製造所そしてインクに付随する生産工場を見て回る。

窓から見える街並みは古いが整備され、意外にも馬車の揺れはない。驚いていると子爵様が

「我が領地の道は常に整備し王都と同等かそれ以上です。それには理由がありインク運搬時に悪路だと瓶が直ぐ割れてしまう。ですから道の整備を優先で行いました」

確かにこの領地に入ってから馬車に乗っていても揺れを感じない。どこの領地でも大きい街以外は道は悪く、王家の馬車でも揺れ長時間乗ると酔いそうになる。

お喋りな子爵様の話を聞いていたら領地の一番大きい畑に着いた。先に降りたアレックスの手を借り馬車を降りると、目の前にインクの木が広がる。
インクの木は背が低く大人の男性ほどの高さで、見た目はみかんの木に似ている。畑の前には先日挨拶に来られた畑のオーナーのミゲルさんと奥様がお出迎えくださった。
ご挨拶し早速インクの実を見せてもらう。インクの実はビー玉大の紺色の実で、ミゲルさんの説明では実は1つ1つ手で収穫し時間がかかる。そのインクの実は成長が早いが、収穫後1ヶ月程倉庫で熟成する必要があり、収穫・選別・熟成と手間がかかり、ミゲルさんの所だけでも50人ほど従業員を雇っている。

「インクの実は熟れると簡単に萼から取れてしまうので、素早く収穫しなければなりません。ですから目を離せないのです」

そう言いミゲンさんは実を1粒取って渡してくれた。実をもって分かったが、実は意外に固く手では潰せそうにない。実に気を取られ…

「あ!」

足元の木の根に躓き木に打つかると上から実が落ちて来た。ミゲルさんが言った通り熟れた実は萼が脆くなっているようだ。

「あれ?」
「春香大丈夫か?」

アレックスが心配そうに手を貸してくれ、ふと少し離れた場所で収穫作業を見て閃いた! これなら収穫時間が半分になり効率が上がるはずだ。
心の中で自画自賛しながらまずは領主のアレックスにアイデアを話すと、目を輝かせたアレックスは抱きつき人前なのに口付けてくる。そしてアレックスがミゲンさんに指示を出し実践してみる。

「行きますよ!」
「「「「はい!」」」」

“ぐらぐら…”
“ポロポロ”

「「「「「おぉ!」」」」」

その場にいる人達は手を叩いて喜んでる。さて私が何を思い付いたかというと1つ1つ手て摘むのでは無く、木に衝撃を加え実を落とし収穫する事。熟れた実は振動で自然落下し、熟れていない物は落ちて来ない。
これなら1つ1つ手で取るよりも早く収穫できる。
柔らかい大きな布を持って来てもらい、布をロープで木に固定し反対側を四方から従業員に持ってもらい、がたいの大きな男性に木をゆすってもらい、実を落とし張った布でキャッチする。

実の落下がおさまり布の上に落ちた実を確認すると、ちゃんと熟れた実だけが落ちて実も傷は着いていない。手で作業していた人達は目を見張り驚き喜んでいた。そして興奮したミゲンさんが抱きつく勢いで駆け寄って来て私の手を取り

「奥様!この様な方法があるとは思いも付きませんでした。これなら収穫も早く実の選別に人員を持っていけ、出荷が早まり職人から急かされる事もなくなります!」
「おっお役に立てて良かったです」

すると抱きつきそうなミゲルさんの手を払い、レベル4のアレックスは悋気ヤキモチを含んだ低い声で手を離すようにミゲンさんに告げる。
慌てて手を離しミゲンさんが謝罪し、アレックスにこの方法を用いれば実の出荷が早まり、注文に間に合うと説明している。
どうやら実の収穫と選別に時間がかかり、自ずとインクの製造も遅れ需要に対し供給が伴っていなかった。だから自ずと王族や高位貴族の手にしかインクが渡らなかったのだ。

「実の選別?(実は)どれも同じに見えますよ?」
「一見実は全て紺色で同じに見えますが、ヘタをよく見てください。ここの色が実の中の液体の色になります。そして色別に選別しインクに加工するのです」

そう言われて手に取った実の蔕を見ると、紺、赤、緑、青と色が違う。同じ木なのに違う色の実が成るなんてインクの木はとても面白い!
こうして領地に力添えでき気分よく次へ移動する事になった。
馬車では子爵様とヘンマンさんが興奮気味に私を褒めまくるから居た堪れない。隣座るアレックスはずっと手を握り熱い視線を送ってくる。

そして半時間ほど行くと実からインクの元となる液体を搾り出す作業場に着いた。
馬車を降りるとオーナーのオリトさんと奥様が迎えてくれ、時間が押しているので直ぐに作業場を見学させてもらう。

作業場はインクの色別に大きな樽があり、この樽に実を入れ太い丸太で実を潰し実をから液体を取り出している。実の中は驚く事に匂いは全く無い。アレックスに後ろから抱えてもらい樽の中を覗き込む。

「あれ?色がありませんよ!」

そう樽の中の液体は透明だ!まさか顔料を入れるの⁈ 戸惑っているとオリトさんが

「色がなく驚かれたでしょう⁉︎」
「はい。どうやって色を出すんですか?」

オリトさんは丁寧に説明してくれる。実の中の液体は加熱すると発色するらしく、インク加工場で加熱し仕上げるそうだ。
元の世界はない物で見るもの聞くもの目新しくて楽しい。もっと色々見たいけど時間が無く、またお邪魔する事を伝えて次の場所に移動する。
次は先日挨拶を受けた加工職人のヤコブさんの加工場だ。でもその前に近くの街に寄り遅めのランチをいただく。イーダン子爵様は人柄が良く街に着くと沢山の領民に声をかけられている。
領民の皆さんも穏やでフレンドリーなら方が多い印象だ。

そして食後は直ぐに街を出て半時間ほど走りヤコブさんの加工場に着いた。先日と違い穏やかな表情のヤコブさんからご挨拶をいただき、早速作業場の見学をさせてもらう。

オリトさんが搾った実の液体と油を大きな鍋に入れ、分離を防ぐ役割を持つ領地の鉱山で採れるキプという鉱物を粉末にして入れ、三日三晩混ぜ続けインクは完成する。
中々の重労働だ。しかしこの混ぜ作業を怠ると発色に斑が出る上に長持ちしないそうだ。
一通り見学を終えるとヤコブさんは息子のフーゴさんに子爵様を応接室に案内させ、私達はヤコブさんに別の部屋に通された。直ぐにヤコブさんの奥様がお茶を入れてくれ、私にはクッキーが出された。
そして奥様が退室するとヤコブさんが整理棚から書類の束を取り出してアレックスに渡して

「今回オリタ伯爵様と新たに結ぶ契約内容を纏めたものです。ワルダン商会と契約した全ての者から聞き取りをしました」
「では、明日ワルダン商会が契約書控えと契約内容一覧を持って来た時に確認しよう」

そう。子爵様はこの件に関して記憶が欠けている事が多く、この話に関しては詳しく話していない。情深いアレックスは子爵様には真実を知らずに、穏やかな余生を過ごしてほしいと考えている。
真面目な子爵様の事だから事実を知るとご自分を責め、勇退せずにアレックスの手伝いをすると言い出すだろう。

「子爵は奥方を亡くされ、その寂しさに寄り添ってくれたワルダン商会の手の者に感謝している。実は子爵を騙す為だったとしても、それが子爵の支えになっていたのだ。だから真実を明かさない方がいい」
「私もそう思う…」

そう言いアレックスを見つめていると

「?」
「そんな優しいアレックスが好きだよ」

あまりデレない私だけど、情深い夫に普段言わない事を言いたくなった。

「!」

アレックスは私に抱きつこうとしたけど、目の前にヤコブさんがいる事を思い出し、両手を握りしめて我慢している。私もアレックスに抱き付きたいのを我慢してクッキーを頬張った。普段あまり自分から仲良くしたいとか思わないけど、今日は仲良くしたい気分だ。すると私の気持ちが伝わったのかアレックスが耳元で

「今日は早く全て終わらせ寝室に篭るぞ」
「!」

そう言われて頬が熱くなるのを感じていたらヘルマンさんが特大の咳払いをした。後日ヘルマンさんが

『独り身の俺には2人は目の毒だ。次の付き合わせで俺も絶対相手を見つけて来る!』

と意気込んでいた。アレックスは笑って聞きていたが、私は申し上げない気持ちでいっぱいになってしまった。

そしてヤコブさんの加工場を後にし屋敷に戻る。戻る道すがら小さな街に寄りお土産を購入した。さすがインクの産地だけあり、文具の種類が豊富で目が楽しい。そこでガラス細工の文鎮が気に入り沢山購入。沢山売れてご機嫌の店主がおまけにウサギに似たサップのガラス陶器の置物をくれた。
こうして気分よく視察を終え屋敷戻り皆さんで夕食をとっていると

「ヤコブの所に行った時に息子のフーゴがインクをプレゼントしてくれたんだ。今まで何度も願っても売ってくれなかったのに。恐らく餞別にヤコブが用意してくれたのだろう」

そう言い嬉しそう笑う子爵様。私達が契約の話をしている時に、別室でフーゴさんのからインクをもらっていた様だ。契約の話を子爵様の耳に入らない様にヤコブさんが配慮してくれたのだろう。
領地を周り領民と話をしたが、皆さん素朴で優しい人ばかり。シュナイダー領やコールマン領でもそうだが、領民を見れば領主の為人が窺い知れる。

『アレックスを支えて領民の皆んなが暮らしやすい領地にしないとね!』

そう思うとやっぱりワルダン商会は領地ここには要らないと強く思った。
そしてデザートを食べ終わると、アレックスが席を立ち子爵様とヘルマンさんに先に休むと言い、徐に私を抱き上げ足早に部屋に向かった。見上げたアレックスはをしていて言わなくても分かる。

そして部屋の前で侍女に

「妻が疲れているから明日の朝まで世話は必要ない。俺が面倒を見る」
「かっ畏まりました」

真っ赤な顔をした侍女が足早に去り、寝室に連れ込まれ…
はい。深夜まで夫に愛され久しぶりにHP切れになり、翌朝までベッドから起きれずにいた。

『こんなの夫が3人も居るから、私の寿命は確実に短くなっているよね…』

そう思いながら穏やかな寝顔のアレックスを見て溜息を吐き、私も再度眠りについた。

そして翌日。ガタガタの体の私を調のアレックスが抱っこして朝食を食べに向かう。すれ違う使用人の目が怖くてアレックスの胸に顔を埋め、ダイニングに着くと苦笑いのヘルマンさんが居て、少しすると子爵様がお見えになり食事を始めた。

「今日私は世話になった者達に挨拶に行って来ますので夕刻まで戻りません。何かあれば執事に仰って下さい」

子爵様はそう言い食後直ぐに退室しお出かけになられた。そして子爵様外出後すぐにヘルマンさんも外出し、私とアレックスはワルダン商会の会頭が来る前に最終の打ち合わせをし悪者を待っていた。
そして訪問には早い時間にワルダン商会の会頭は屋敷を訪れた。

応接室にお通し会頭と向き合う。会頭は思い通り事が運んでいると疑ってもおらず、満面の笑みを浮かべご機嫌だ。その様子を見てアレックスと視線を合わせて微笑む。

『今から断罪の時間です。さぁ!泣いてもらいましょう』
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