【本編完結済】夫が亡くなって、私は義母になりました

木嶋うめ香

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ああ。夫は愚かでした

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 リチャードの震える姿を見て、私は内心幻滅しながら今後の事を考えました。
 夫はすでに亡くなり、夫の残したものは愛人との間に生まれた男児だけです。
 あの香油の中身がリチャードの言う通りなら、私の腹の中に夫の忘れ形見が宿っている可能性は無いでしょう。

 そうなると問題は、生き残った子供です。

 普通に考えれば妻ではない女性からではなく、認知すらしていない愛人の子を侯爵家の跡継ぎにするわけにはいきません。

 この国の貴族は本当に生まれに厳しく、余程血筋に継げる者がいない時以外は愛人との子など家を継げません。
 まあそれは建て前で遠縁からの養子とすれば出来なくはありませんが、正しい血筋ではない跡継ぎという噂は終生付いてまわるでしょう。

 彼の出生届に夫の名前があれば妻との間の子供ではないものの、亡き夫の子供だと認めないわけにはいきませんがその証拠がないのですから、私が態々恥をかいてまで子供の父親が夫だと認める必要はありません。

「あなたの雇い主である侯爵も侯爵夫人も平民の血が入った子供等認めないわ。それは考え足らずなお前でもさすがに理解できるでしょう」
「それは、はい」

 侯爵よりも、侯爵夫人の方が絶対に認めないでしょう。
 お義母様は、自分が産んだ子供でも爵位が低い祖母(お義母様の母方の祖母)に顔が似ているからという理由で、夫の弟であるディーンを愛さなかったそうです。

 お義母様自身は裕福な伯爵家の出身ですが、お義母様の母親の実家は男爵家です。
 お義母様はこれが不満で、自分に似合うのはもっと上の爵位だとひたすらに自分を磨き侯爵家の嫁となったのだそうです。

 そんな些細な理由で気の毒な事にディーンは実の母から愛されず、夫ばかりが優遇されていたと聞いています。

 この話は夫自身が話してくれたことです。
 思えば彼はそれを、自慢そうに話していました。

 弟は、母から愛されなかったのだ。

 兄弟仲が良かったのかどうか、あまり二人でいるところを見ていないので分かりませんが、夫が弟に優越感を持っていたのは確かです。

 馬鹿馬鹿しい話です。
 自分の子をそんな理由で愛さないなど、貴族の血統を重んじる気持ちは分かりますが、それとこれは別な話です。
 そもそも、ディーンはお義母様の嫌いな平民の子では無く侯爵であるお義父様との間の子供なのですから、血統が大事だと言うなら、お義母様の祖母に似ているなんてディーンを愛さない理由にはなりません。

「お義母様が、ディーンを蔑ろにしていた理由を知っているでしょう?」
「はい、存じております」
「ディーンはお義母様が産んだ子供よ。それでも男爵家出身の自分の祖母に似ているからなんて馬鹿な理由で、夫とディーンとの扱いが違っていたというのに、結婚せずに平民の孤児が不義の子を産んだなんて、あの方が絶対に認める筈がないわ」

 実際には結婚前に生まれた子なのですから、不義の子ではありません。
 子の母親は平民で孤児だとしても、努力して奨学生となった女性です。
 男尊女卑な上、貴族は尊く平民は蔑みの対象と言われているこの国の貴族が通う学校に孤児の彼女が入るにはどれだけの努力が必要だったことか。
 平民の女性の場合、能力だけでなく見た目も奨学生を選ぶ上で重要視されますから恐らく彼女は美しくて可憐な見た目をしていたのでしょう。
 平民の孤児だというのに、奨学生になれる程の美貌と才能を持った女性。
 血統主義の母親に育てられた彼には、彼女が珍しくさぞ魅力的に見えてたのだと思います。
 それは悪いことではありません。
 問題は、愛した女性を守りきれなかった点にあります。
 
「子に罪はないわ、でも彼はやり方を間違えたのよ。子が生まれているのだから、彼が本当に彼女と子供が大切だったのなら、私と結婚するべきでは無かったし、少なくとも出生届の父親の名は、空欄では無く自分の名前を書くべきだったわ」

 彼だって仕事はしていたのですから、侯爵達が認めるまで家を出る等して彼女との関係を終わらせない努力をするべきでした。
 侯爵が怒りのあまりに彼を除籍したとしても、平民となり彼女と結婚して自分の収入だけで母と子を養えば良かったのです。

 仮に私との婚約の為に彼が家に戻されたとしても、その前に彼女と結婚し子が生まれていたという事実と証拠がありさえすれば、その後私と再婚し彼女を愛人にするしかなかったとしても、今ほど複雑な状況にはならなかった筈なのです。

「子が生まれていたと若様はご存知無かったのです。妊娠に気が付いた時、あの方は若様にそれを話さすことなく別れてお一人で出産されました。ですから出生届には若様の名前がないのです」

 リチャードの話に、私は思わず天を仰ぎました。
 例えその時知らなかったとしても、その後彼女と再会して今まで関係が続いていたのですから、再開したのが何年前かは分かりませんが、子供の父親として彼は数年二人に接していた筈です。
 けれど彼はその時間をただ無駄に過ごしていたのだろうと、分かってしまったのです。

 この国の貴族の男児は、六歳になる歳に王宮に招かれ陛下と謁見します。
 公爵家の子だろうと、男爵家の子だろうと別け隔てなく陛下は子へ謁見の許可を与え、緊張しながら謁見の間に立つ子一人一人に優しく言葉を掛けて下さいます。
 私は陛下の姪として可愛がられていましたから、私の六歳の時の謁見では一人だけ陛下のお膝に座らされ頭を撫でながら『美しく聡明な子に育つのを望む、努力せよ』とお言葉を賜りました。
 他の家のどの子供よりも優遇された謁見であった為、王太子の婚約者を望む家達から命を狙われ始めたのは皮肉な話です。

「彼は何もしなかったのね」
「何もとは」
 
 理解していない様子のリチャードに怒鳴りつけたくなる衝動を抑えて、バサリバサリと扇を開いたり閉じたりを繰り返しました。

 候爵家の血が入っているとはいえ、平民の母親の名前しか載っていない出生届を持つ子に、謁見の許可など下りる筈がありません。
 そもそも夫には、子供が貴族として生きる為にはどんな手続きが必要なのか理解出来ていなかったのでしょう。

「その様子ではお前も気が付いていなかったのね、そんな二人が側にいたのでは、当然六歳の時に王宮に等行ってはいないわよね」
「六歳? ご、ございません」

 リチャードは、私に言われてやっと事の重大さに気がついたのでしょう。
 貴族の、しかも自分の跡継ぎにしたいと望んでいた子供を陛下との謁見に向かわせなかったということは、子供を貴族としては育てないと言っているのと同じなのです。

「よくもまあそれで私と離縁して、愛人と子供を侯爵家に受け入れて貰おう等考えたものね。やる事が全てお粗末過ぎるわ」

 次から次へと出てくる夫の間抜けさに、私は彼を亡くした悲しみなど思いつく事なく一夜を過ごしたのです。
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