引きこもる君を推すべきか?

日々曖昧

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第九話 僕たちだけの約束

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 それから電車で学校近くの駅まで戻り、僕たちは一ノ瀬の家まで向かうバスに乗った。
 急いだとはいえ、つく頃には空も薄暗くなっていて、辺りの空気はそれなりに冷え込んでいた。

「こんばんはー、三虎かのです。透坂くんからどれくらい話が通ってるのかはわかりませんが、敵意等々がないことはここに誓います」

 一ノ瀬の家のインターフォンに向かって開口一番、三虎は立てこもり犯にでも語りかけるかのような調子でそう言った。

「コミュニケーション能力が終わってるのか?」
「殴るよ」

 どうやら本人としては今のが精いっぱいの友好的な挨拶だったらしい。目が本気だ。殺される。

「一ノ瀬さん、昨日言ってた友達。三虎、連れてきた」

 僕の付け加えから間もなくして、インターフォンから応答があった。

『一ノ瀬踏穂、です。あの、鍵は開いてます。……上がってもらっても大丈夫なので、はい』

 声だけでも一ノ瀬が緊張していることがわかった。崖際に立っている人間を見ている感覚というか、なんだかこっちまで背筋が伸びてしまう。

「じゃあお邪魔します」

 一ノ瀬の承諾から三秒と開かないうちに、三虎は玄関の中へと躊躇いなく足を踏み入れた。
 その瞬間、おそらく一ノ瀬のものと思わしき足音が何度か大きく響いて、遠くの方から扉を閉める音がした。相当焦って部屋に戻ったのだろう。

「奥だよ」

 これからどうすればいい、という顔でこちらを見ている三虎に、僕はそう教えた。彼女は浅く頷き、そのまま廊下を進んだ。
 一ノ瀬の部屋の前で、僕と三虎は立ち止まった。

「ここ?」

 三虎の問いに僕は頷く。彼女はそのまま、二回ほど扉をノックした。

「初めまして、一ノ瀬です」

 自室にいるからか、一ノ瀬の声はさっきよりも遥かに落ちついていた。

「初めまして。今日はごめんなさい、私がどうしても一ノ瀬さんと話したいって透坂くんに頼んじゃって」

 なんだか彼女の説明だと、僕が三虎の言いなりになったような伝わり方をするような気がした。それはなんというか、僕の本心ではない。

「いや、確かにきっかけはそうだけど、この現状は、一ノ瀬さんと三虎を会わせてみたいと僕が思ったからつくっただけだよ」

 僕はつい、そう補足してしまった。

「ほんと優しいねえ、透坂くんは」
「は?」

 せっかくフォローしてやったのになんだ、その小馬鹿にするような言い方と顔は。特に目、どうやったらそんなに腹立つかたちになるんだ。

「仲いいんだね、二人は」

 言いながら一ノ瀬は少しだけ笑った。
 仲がいい? 他人から見ると僕たちはそんなふうに映るのか。確かに波長が合う部分が多いことは認めるけれど、僕にしてみれば、それは三虎が僕のチャンネルに合わせているだけに過ぎないというか。
 まあとにかく、一ノ瀬が僕と三虎の仲を褒めることに対して、何かざわつきみたいなものを感じたのは確かだった。

「一ノ瀬さんと透坂も仲いいじゃん」

 三虎が口を開く。気づけば、敬語も、さっきまでわざとらしく付けていた『くん』も外されていた。

「いやいや、まだまだ話してないことばっかりだし」
「でもクッ……」
「ああそうだ! 一ノ瀬さんに三虎から手土産があるらしくてさ」

 いやいやいやいや、殺す気か? いや、完全に嘘をついた僕が悪いんですけどね? 一ノ瀬とはクッキーの話しどころかお菓子の話すら出たことがないですけど? 全部配信で聞いた内容ですけど?
 咄嗟のことで、柄にもなく大声を出してしまった。

「……え、何?」

 さすがの三虎も驚きの表情を隠せていなかった。そりゃそうだよな、うん。
 とにかくこれ以上喋られるのは都合が悪い。僕は話題を転換するため、一ノ瀬に向かって話を続ける。

「どうしよっか。お菓子なんだけど、扉の前、置いとこうか?」
「一緒に食べよう。そのために買ってきたの」

 僕の提案を丸っきり無視して、三虎は言った。
 考えてることはすごくわかるし、それは多分、三虎なりの優しさなんだろうけれど、さすがに無理だろう。これでひょいひょいと扉が開かれたら、僕の二日間は一体なんだったんだ。

「……あ、ちょっと、待って」

 扉の向こうから何か物音がした。かと思えば、次の瞬間、一ノ瀬の部屋の扉の下半分が上方向に折れ曲がり、扉と床の間に三十センチほどの隙間ができた。

「ここからなら手も出せるから……」

 なんだこの局所的リフォーム。おそらくは一ノ瀬の親によるものだろうが、効率的というか、大掛かりというか……。

「これ、いつも?」

 三虎はなぜか僕にそう訊ねる。もちろん知らなかったよ、という意味を込めて僕は首を横に振った。

「ごめん。人に見られるの、まだ無理で」

 申し訳なさそうに一ノ瀬が呟く。

「いいんだよ、全然。駄菓子ばっかりだけど、どうぞ」

 言いながら、三虎は扉に開いた隙間からプレゼント用の包装がされた駄菓子を滑らせた。彼女がそんなに優しい喋り方ができるなんて、知らなかった。

「駄菓子、久しぶりに食べるかも。ありがとう……あ、お返しとか、ちゃんとするね」
「別にいいよ、会ってくれたお礼なんだし」

 おい、本当にお前は三虎かのなのか? そう言いたくなる気持ちをぐっと堪える。もしかして僕に対しての扱いが雑なだけなのか。
 ともあれ、一ノ瀬に対する接し方としてはこれ以上ないくらいの最適解だ。

「透坂くん?」

 唐突に、一ノ瀬が僕の名前を呼んだ。

「どうした? いるよ」
「ごめん、見えないから。ちょっと確かめたくて」

 確かめる、という言葉に、心を素手で触られているような感覚を覚える。それは僕が一ノ瀬に対して思っていることと全く同じだった。

「え、二人って付き合ってるんだっけ?」

 一瞬、自分の頭がおかしくなってしまったのかと思った。
 それが幻聴でないと気づいたのは、扉の向こうから聞こえた大きな物音だった。動揺して何かを落としたのだろう。

「は?」
「え?」

 ほとんど同時に一ノ瀬と僕は間の抜けた声を上げた。

「いや、普通に確認」

 三虎はあくまで淡々と言った。

「そんなわけないだろ。まだ話すようになって三日目だぞ?」
「……」

 一ノ瀬は沈黙を守っていた。
 否定も肯定もされないのは、それはそれで嫌なものだな。

「ふうん、おっけい」

 バリバリと音を立てて煎餅を食べながら、三虎は興味があるのかないのか曖昧な態度で納得した。
 多分、こいつは僕をからかっているだけだ。あるいは、一ノ瀬のことも。
 それからしばらく、各々が好きな駄菓子を食べながら、なんでもない話をした。好きな映画や音楽、お互いの趣向について、少しずつ理解を深めた。
 特に示し合わせていたわけではなかったけれど、誰も学校の話はしなかった。
 気づけば、もうすっかり三虎と一ノ瀬の間にぎこちなさはなくなっていた。これは、三虎の器用さによるものだろう。
 一通りの会話も終え、浮き足立っていた空気が落ちついた頃、三虎は僕に「そろそろ、本当に訊きたかったこと、訊くね」と耳打ちをした。
 本当に訊きたかったこと? 僕は疑問の表情を彼女に向けるが、もう三虎は僕の方を見ていなかった。

「……で、今後のために訊いておくんだけど。一ノ瀬さん、その部屋の外に出たいんだよね?」

 さすがに空気が張り詰める。
 ここにきて、三虎らしい単刀直入な切り出し方だった。

「うん」

 緊張が解けたからなのか、一ノ瀬も芯の通った返事をする。

「それは、なんで?」

 三虎がそう訊いたあと、しばらくの間沈黙が走った。僕は、この問い詰めをやめさせるべきだろうか。考えたけれど、それは一ノ瀬が決めることなのだと思った。
 少しして、一ノ瀬が静かに口を開いた。

「変わりたい、から」
「変わりたい?」
「うん。……会いたい人に、いつでも会えるようになりたい」

 一ノ瀬の答えを受け、三虎は一瞬だけ僕の方を見た。
 そしてまた扉の方に視線を戻して、ため息でもつくようにそっと言った。

「いいな、そういうの。生きてるって感じじゃん」

 そのまま、三虎は一ノ瀬と僕たちを隔てている扉に右手をぴったりとつけた。

「応援するよ。今日から勝手に友達だと思ってていい?」
「……うん」

 僕が介入する隙はなかった。三虎の言葉は、きっと一ノ瀬に届いている気がした。もしそうでなくても、三虎が言っていることは本心なのだと確信できた。
 嘘がつけない、という点では、僕も三虎も、そして一ノ瀬も同じなのかもしれない。

「ほら、透坂もでしょ」

 三虎は僕の右手を掴むと、自分の右手のすぐ側に導いた。その意味は、なんとなくわかった。
 拳を開き、指を広げて、僕は分厚い扉に手のひらを当てる。無機物であるはずの木造扉からは、不思議と脈拍を感じる気がした。

「一ノ瀬さんと、いつか会えるようになる日まで」
「会えたら終わりみたいじゃん、それ」
「いや、そういうつもりじゃ……」
「……二人とも、ありがとう」

 一ノ瀬の声は震えていた。

「可愛いな、ノセちゃん」
「何そのあだ名」
「ノセ……可愛い」

 気に入ったのかよ。

「透坂も使ったら?」
「は? でも……」
「透坂くんはダメ」
「わかってたけど、本人から言われるとくるものがあるな」
「透坂くんは、一ノ瀬って呼んで。三虎さんにしてるみたいに」
「だってさ」

 三虎は完全に冷やかしの目をしていた。けれど、それに文句を言う気にはなれなかった。
 正直、嬉しかったからだ。一ノ瀬の方から歩み寄ってくれようとしたことが。

「わかった。これからは、一ノ瀬って、呼ぶ」
「緊張してんの?」

 横から茶々が入るが、無視してやった。

「嬉しい」
「じゃあノセちゃんと会える日まで、頑張ろーの会ってことで」
「結局それなのか」
「うん、頑張る。私、二人に会いたい」

 返事をする代わりに、目を瞑って手のひらに少しだけ力を込めた。こんなまじないめいたこと、本当は好きじゃないはずだった。でも、今はこうやって祈ることが大事な気がした。
 不器用にしか生きられない、僕たちだけの約束だった。
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