引きこもる君を推すべきか?

日々曖昧

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第八話 楽しかったよ

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 三虎が向かったのは、電車で二駅行った先にあるちょっとしたデパートだった。ちょっとした、と言っても、この辺りでは最も大きな商業施設だ。映画館も併設されており、引きこもりになるまでの小・中学生のときはそれなりの頻度で足を運んでいた。
 電車は空いている席が一つしかなく、二人とも立ったままでいた。一瞬、座るように促そうか迷ったが、彼女はそんなこと気にも留めていない気がしたのでやめた。
 少なくとも僕の中の三虎かのは、そういうやつだった。
 特筆すべき会話もないまま、景色はただ淡々と流れていった。
 乗り込んでからおよそ十五分後、目的の駅に電車が止まり、三虎は再び僕の袖を引いた。

「着いたよ」
「ああ、うん」

 駅の改札を抜けて、公園沿いの歩道を歩く。学校終わりであろう子供たちが滑り台の階段に座って何やらカードゲームのようなものを見せ合っていた。
 電車に乗ったのは久しぶりだった。思えば、遠出と言われるようなものをした覚えがほとんどない。いつでも僕の生活圏は一本の電車が行きつく範囲でしかなくて、それ以上を望んだこともない。
 これからだって、きっとそうなのだろう。手のひらに乗せて余りがあるくらいの世界で、僕は満足できてしまう。

「何、キョロキョロして。もしかして、電車に乗るの久しぶりとか言わないよね?」

 図星でしかない。むしろ外れてない部分がないくらいだ。けれどまあ、一応反論してみる。

「周りを見ちゃうの、癖なんだよ」
「さすが無自覚ストーカー」
「喧嘩したいのか?」
「いや? しても私が勝つし」

 こんなに余裕たっぷりなのは、心の底から自分の勝利を確信しているからなのか、それとも僕の敗北を確信しているからなのか、どちらにしても悪趣味だ。

「……異論はないね」

 デパートの自動ドアが開くと、一気に鼓膜への情報量が増えた。レジか何かの電子音が鳴り響き、あらゆるところから客引きの声がする。
 三虎に連れられるままエスカレーターで二階に行くと、彼女は脇目も振らず、上がってすぐのゲームセンターに入った。

「なあ」
「何?」
「一ノ瀬さんへの手土産、買いに来たんだよな?」
「そうだけど?」
「じゃあなんで」
「そうだけど、それだけとは言ってない」
「……はあ」

 要は自分が遊びたいだけなのか? いや、三虎に限ってそんな安易な動機はありえないだろう。

「ぼおっとしないで、ほら」

 呆然とする僕の隣で、三虎が百円玉をUFOキャッチャーの機械に投入する。『プレイスタート!』という音声が流れ、手元のディスプレイには制限時間が表示された。

「え、は?」
「早く動かして」

 三虎は僕の手の上に自分の手を重ねて、そのままアームを操作するためのレバーへと導く。彼女の手はコンクリートの壁みたいに冷たかった。
 不細工な動きで、アームは景品であるサルのぬいぐるみの真上に止まった。それにしてもなんだあのサル、手足が異常に長くて両目が充血している。不細工だし、普通にかさばるからいらないんだが。

「押して」

 三虎に言われるがまま、僕は『キャッチ!』という文字が印字されたボタンを押し込む。真っ直ぐに落ちていったアームはぬいぐるみの肩と脇の下をしっかりと掴み、そのまま取り出し口に運びきった。
 嘘だろ。こんなに簡単に取れるものなのか?

「おめでとうございます!」

 ゲットを知らせる電子音が鳴り、すぐに店員が持ち帰り用の袋を持って駆け寄ってきた。

「あ、はあ……」

 いやめちゃくちゃ邪魔だ。僕はこれからずっとこいつを手に提げて歩かないといけないのか?

「すごいじゃん」
「わからないけど、多分、確率みたいなものだろ」
「わからないなら実力ってことにしとこ」
「……あのさ」
「何?」
「これ、いる?」

 僕は右手にかけた袋を指さして、そう訊ねた。
 その問いに、三虎は満面の笑みで答える。

「全然いらない」

 それから、三虎は僕を無理やりシューティングゲームに誘ったり、音楽ゲームに興じたりを三十分ほど続けてから、満足した様子でゲームセンターを後にした。
 結局なんだったんだ、これ。
 時間が無駄になっただとか、そういうことではなく、僕は単純に意外だった。言葉を選ばず言うと、三虎かのという人間が、こんなふうに賑やかしい場所で楽しみを見い出せるだなんて思っていなかったのだ。
 彼女は本の虫で、友人なんてこれっぽっちも必要としてなく、笑うのは人をからかっているときだけ。三虎をそんなふうな型にあてがっていた自分を、少し愚かだったと思った。
 多分彼女を一人にしたのは、こういう、色眼鏡じみた解釈なのだ。
 ゲームセンターの近くにある駄菓子屋で、三虎は一体何人で食べるのか聞きたくなるほど大量の駄菓子を買った。
 しかも、わざわざ訊いてきたにも関わらず、ラインナップの中にクッキーは入っていなかった。どうせ好きなものはもう食べ尽くしてるでしょ、そんな三虎の声が聞こえてくるようだ。

「余ったらどうするんだよ」
「私が食べるからいいの」

 これも初めて知ることだが、三虎はかなりの甘党らしい。真っ先に買い物かごへと放り込まれていくチョコレートは、それだけで千円分ほどあった。
 駄菓子屋を出てすぐ、三虎が本屋に行きたいと言ったので、僕もついていくことにした。

「休んでてもいいのに。透坂、体力ないでしょ」

 三虎の言葉はきっと純然たる気遣いだ。確かに僕は慣れない外出で疲れを感じ始めていた。けれど、同時に不思議と体がいつもより軽く動くような気もしていた。
 錆びついた水車が濁流によって再び動き始めるように、僕の体も本来の人間らしさを取り戻すために、この三虎かのという流れに乗じようと必死なのかもしれない。

「いや、もう少しくらい、元気だよ」

 シンプルに、三虎がどんな風に本を選ぶのかが気になる自分がいた。
 ちょうど僕も今読んでいる本が終わりかけだったし、読むべき本でも見繕ってもらえばいいかもしれない。
 あれだけ本を読んでいて、かつ僕のことを見透かしている彼女が勧める本にハズレはないだろう。

「じゃあ遠慮なく迅速に」

 言葉通り、三虎は小走りにも思える早歩きで、次々と立ち並んだ本棚を巡っていった。
 注目の新作として売り出されているものには小説でなくとも軽くは目を通し、おそらく馴染みのある小説家の作品は表紙を軽く流し見ただけで買うことにしているらしかった。
 その判断の早さは圧巻だった。真の読書家とはこういうことをいうのだろう。

「あのさ」

 辞書のような厚さの小説をパラパラと捲っていた三虎が、呼びかけを受け、動きを止めて僕を見る。

「何?」
「僕、次に読む本が決まってなくて。よかったら、適当なのを見繕ってくれないか?」
「いいよ」

 僕の依頼を二つ返事で承諾した三虎は、手に持っていた小説を棚に戻し、さっき少しだけ立ち止まっていた、おそらくライト層向けジャンルの作品が並ぶ本棚の前まで僕を連れていった。

「ライト文芸、ライトノベルと一般文芸の狭間に位置付けされてる小説なんだけど、読みやすいのがよくってさ、私も結構読んでるの」
「へえ、普段は親が買った本しか読まないから、なんか新鮮だな」

 いくつか手に取ってみると、読みやすいというだけあって、一冊の厚みは少し薄いくらいに感じた。ミステリーしか置かれていない家の本棚と比べると、その重量の違いは歴然だった。

「私のお勧めは……うん、今はこれかな」

 言いながら三虎は一冊の本を手に取って、そのまま僕に手渡した。慌てて受け取ったので、青い表紙ということしかわからなかった。

「感想、待ってるから」
「……わかった」

 僕は結局、勧められた一冊だけを購入した。当人である三虎は、まあお察しの通りで、およそ十数冊の本を抱えてレジを抜けていた。

「経済力、あるんだな」

 あまりの数に、思わずそんな直球を投げかけてしまった。

「前にバイトして貯めてたの、好きな本を好きなだけ買うために」

 三虎は本の入ったビニール袋を鞄にしまいながらそう応えた。アルバイト、か。それこそ彼女からは縁遠いものに感じてしまうが、だからこそ、目的のためなら三虎が妥協するはずもない、という僕のイメージとはぴったりと合っていた。

「じゃ、そろそろ行こっか」

 やりたいことが一通り済んだのか、爽やかな口調で三虎は言った。満足そうでよかったよ。

「わかった。一ノ瀬さんに連絡入れとく」

 スマホを開こうとする僕の肩を、三虎は軽く叩いた。

「ねえ」
「どうした」
「今日、私といて楽しかった?」
「は?」

 大きな茶色い目が、僕の姿を中心に据えたまま動かない。口元は固く閉ざされているようにも、僅かに笑っているようにも見えた。

「……三虎は、」
「楽しかったよ」

 食い気味。僕は三虎の言葉に込められた真意を探るのに必死だった。
 三虎かのはこんなに素直な人間じゃない。
 もしかするとこれも僕が抱いていた偏見なのかもしれないが、普段の彼女の素行を思えば、遊ばれているようにしか思えない。
 けれど、真正面からそんなことを言われて、なんだかむず痒い気持ちになっているのもまた事実だった。

「……まあ、僕も」
「よしっ、行こっか」

 また食い気味。今度のは悪意いっぱいの言い方だった。

「ちゃんと聞けよ」
「いいの。聞かなくてもわかってたからさ」

 僕の苦言をあしらうようにそう言って笑う三虎は、もう教室で見る彼女の面影すらなかった。でも、ただ単純に、自分が楽しいことだけをやっている今の三虎の方が、僕にとっては何倍も魅力的だと思った。
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