引きこもる君を推すべきか?

日々曖昧

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第十二話 お世話になってばっかりだなあ

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 三分ほど経って、一ノ瀬の声が戻ってきた。

「ただいま」

 その声は、まだ芯のところが震えているように感じた。まあそれは、僕も同じなのかもしれないが。

「おかえり」
「久々に泣いたから、頭痛いや」

 言って一ノ瀬は笑う。気づけば僕も笑い返していた。

「……それで、透坂くんは私に配信をやってみてって言いたかったの?」

 それなりに落ちついたからか、一ノ瀬の方から本題に戻してくれた。
 僕も当初の目的を思い返しながら、言葉を編み直す。

「まあ、それもあるけど、現状を変えるなら、何かしら目標みたいなものを達成するのって大事かなと思ってさ。配信なら家でもできるし、目標も立てやすいから」

 今までの発言と矛盾が起きないよう、よく考えながら話を進める。とはいえ、半分以上は本心だった。

「目標、か」
「一ノ瀬は、そもそもなんで配信を始めたの?」

 何気ない雰囲気で訊ねたが、実は初期からずっと彼女の配信を観ている僕でさえ、箱舟ノアがどうして配信をするようになったのか、その動機を知らない。
 どんな答えが返ってくるのか、僕は内心で固唾を飲む。

「わからない。なんとなく、なんだよね。自分がここまで続けられるとも思ってなかったし、自分の話を聞きに来てくれる人がこんなにできるなんて、思ってなかったから」

 わからない、という言葉を聞いて、少しだけ安心した。
 彼女は明確な何かを求めて配信をしているわけじゃない。ただ現実から逃げた先にあったのが配信であって、そこで彼女は自分でも想像していなかったほどの人間を救い、求められている。
 箱舟ノアに自分と似た何かを感じていた今までの日々が、彼女のことを応援し続けていた時間が、暗に肯定されているような気がした。

「じゃあ、今も目標みたいなものはないわけか」
「……ちょっとだけ、考えてることはあるかも」

 一ノ瀬は少し遠慮がちながらもそう呟いた。

「あくまできっかけだから、本当に小さなことでいいんだ」

 これだって、紛れもない本心だった。その心当たりが、現状を打破するための思わぬ取っ掛かりとなるかもしれないのだから。

「私がやってる配信アプリに、イベントっていうのがあるの」

 一ノ瀬の発言を受け、僕は一瞬で想起する。
 リアスカには定期的に開催されているイベントがいくつか存在している。内容はアプリ内でのバナー広告から、実際に配信者の元に景品や賞金が届くものなど多岐に渡るが、そのどれもが高倍率なことで知られている。

「それで……私、そのイベントで一位をとって、遊園地の、園内放送をしてみたい」

 僕はスマホを耳にあてたまま、パソコンでリアスカにログインした。現在開催されているイベントを調べるためだ。
遊園地、というところまで聞くと、さすがに一ノ瀬が参加しようとしているイベントは特定できた。
これか。
 イベントの紹介文を目で追う。渚遊園地、名前だけは聞いたことがあった。確か電車一本で行けるくらいの距離だったはず。

「その、ライブが開催されるのがね、昔家族で行ったところなの。そんなに大きくない、遊園地なんだけど。前にそのイベントで入賞したのが、その、私の推しで」

 一ノ瀬の、推し。ひいてはそう、箱舟ノアの推し配信者。
 頭の中に、自然とひとつの名前が思い浮かぶ。

「多々良カナタさん、って人なんだけど」

 そうだ、多々良カナタ。確かそんな名前だった。
 しばらく前に閉じ切っていた記憶の引き出しが、音を立てながら中身を曝け出し始める。
 あれはそうだ、僕がノアの配信に通い詰めるようになって少し経ったころの、なんでもない、一幕。

『そういえば、ノアちゃんって推しとかいないの?』

 常連リスナーの一人が、そんなふうに切り出した。別に特別な質問でもない、配信界隈では配信者が別の配信者を推すことなんてざらにある。その『推す』の中には、尊敬だったり、シンプルな好意だったり、それこそ様々な意味軸があるのだけれど。
 とにかく、そのときの僕は、その質問に対して箱舟ノアがどう答えるのかが気になってしょうがなかった。
 当時の僕にとって、箱舟ノアは既に立派な『推し』だった。そこには憧れや尊敬や、自分勝手な親しみなんかがない混ぜになっている。総じていうなればそう、姿を見ているだけで、日々を生きる活力をもらえる。そういう存在だった。
 そんなノアの、『推し』。正直想像もつかなかった。人類をつくったのが神様だってことを噛み砕いている間に、じゃあ神様をつくったのは誰かって話を聞かされているようだった。大袈裟かもしれない。きっと大袈裟だ。けれど、そう言い表すのがしっくりくる。

「多々良カナタさんって人……かな。って、みんな知ってると思うけど」

 多々良カナタ。それは、ノアが配信をしているプラットフォーム、リアスカのユーザーであれば、どこかで一度は耳にするくらいの、いわゆる大手女性配信者だった。

『ああ! たたかな!』
『へえ、確かに雰囲気は似てるかも。ノアちゃんの方が優しい感じだけど』

 案の定、コメント欄も知っている名前を前に盛り上がる。僕も、『名前、知ってる』とコメントを打ち込みながら、胸のどこかがざわつくのを感じていた。
 別に多々良カナタが気に入らないわけじゃない。僕は彼女の配信を観たことすらないのだから。ただ、箱舟ノアの憧憬を独り占めしている彼女に、場違いな敗北感を覚えた。それだけのことだ。

「やっぱりみんな知ってるんだ! そりゃそっか。なんだろ、あのズバズバ言ってるようで、裏側にはちゃんと思いやりがある話し方っていうか……うん、好きなんだ。私が配信をやろうと思ったのも、多々良さんの配信を観たのがきっかけ。なんか、私ってとことんミーハーだよねえ」

 そんなふうに自嘲してノアは言葉を結んだ。
 配信が終わってから、僕はその『多々良カナタ』のことを検索した。
多々良カナタはリアスカの公式配信にも何度か出演しており、まさに看板ライバーといって過言ではない人気を誇っている、という表記が、彼女のアバターと共に検索欄の一番上に表示される。
 リアスカに戻り、多々良カナタのユーザーページに飛んだところで、『ただいま配信中!』という通知が表示される。迷う間もなく、僕は彼女の配信画面を開いた。
 多々良カナタの配信は常にコメントがとめどなく流れていて、ノアのように、まともに読み上げていると喋ることすらままならないくらいだった。
 だからか、その回の彼女の配信では視聴者から届いた相談メールのようなものを取り上げて言及する、というかたちを取られていた。そして配信の視聴者は、多々良カナタが相談を捌いていく様を観て各々に思ったことをコメントしている。

「次の相談。『友達に嫌なことを嫌って言えずにいます』か。ふんふん、それで悩んでんのね。自分の気持ちを言語化するのって怖いよな。内臓晒してるみたいなさ、やっちゃいけないことやってる感じになる。まあ、他人の内臓指さして笑ってるやつなんて十中八九変なやつなんだし、相手のこと試してやるくらいの気持ちでさ、思ってること言ってみなよ。試験官ごっこだよ、試験官ごっこ」

 軽快に相談へ回答を述べながら、多々良カナタは氾濫したコメントの中から「『嫌なことを伝えるときはその人の好きなところも倍伝える』、ね。いやこれめっちゃいいじゃん! おいみんな、真似しろ真似しろ!」と上手く拾ってさらに話を広げる。
 なるほどな、と僕は思った。確かにこれは、観ていて気持ちがいいし、彼女が軽口を交えながらも根底では相談に対して真摯に向き合っていることも伝わる。器用だな、という感想と、心地いいな、という直感が刺激されているような感覚になる。
 箱舟ノアが影響を受けているというのも、頷ける気がした。でも、やはり、二人の配信は同じではない。
 ノアならこれをわかりやすい笑い話では終わらせない。とことんまで相談者の痛みやストレスを読み解いて、それから、慰めるみたいに笑ってくれる。『生きづらいねえ』『なんにも考えず人と話せたら楽だろうけど、そういう人になりたいわけじゃないもんなあ』。そんなふうに呟くノアの声が、自然と脳内で再生される。
 どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、僕が好きなのはやはり、自分も傷ついてしまいそうなほど他人の気持ちに寄り添ってしまう、ノアの配信だった。
 全部の事象を推しの話に変換してしまう、というのはあながち変な話でもない。自分の中に息づく価値観の物差しが他人によって与えられることなんてありふれているし、使い方さえ誤らなければ、すごく幸福なことなのだと思う。
 とにかく、僕が多々良カナタの配信を観に行ったのはそれが最初で最後だった。 

『渚遊園地で海辺のライブを! オーシャンライブイベント!』
 一ノ瀬が出たいと言っているイベントの開催場所、渚遊園地のホームページを開いてみる。
『海辺に建てられた遊園地、潮風の匂いがする空間で、家族団らんのひとときを』というキャッチフレーズがまず目に入った。
 幼い一ノ瀬とその両親は、この遊園地でどのように過ごしたのだろう。僕は想像する。あの家の静けさと、一ノ瀬の部屋の扉を思い浮かべながら、そうなるまでの、彼女と、家族の姿を。
 その思い出は今でも、変わらず一ノ瀬の中で生き続けているのだろうか。
 生き続けて、いるんだろうな。

「一位、とろう」
「……え?」
「そのイベント、出て一位とろう。それで、園内放送、やろう」
「で、でも……すごいんだよ? 視聴者さんに投票してもらわないといけないし、このイベントって人気もあって」
「でも、やってみたいんだよね? 僕が訊きたいのは、そこだけだ」

 あえて一ノ瀬の言葉を遮って言った。

「……うん。やってみたい」

 いつものように、躊躇いと遠慮が混じった声で、それでも一ノ瀬ははっきりと言った。

「多々良さん……もそうだけど、きっとね、透坂くんたちに会いたいって気持ちも、まだ私の中ではずっと遠いの。いつかできたらいい、なれたらいいなって思ってるけど、それはなんていうか……逃げてるだけなんだと思う。憧れてるだけじゃ、変わらないんだと思う。だから……私が、私のために、やりたい」

 僕は戸惑っていた。こんなにも、思っていることを口にする一ノ瀬は初めてだった。その言葉の先に僕がいるということが、少しもったいなく思えて、でも、嬉しかった。一ノ瀬が、自分のために、と言ってくれたことが、本当に。

「じゃあ、決まりだ」

 電話の向こうから、短く息を吸い込む音が聞こえた。

「うん」

 想像もしていなかったことではあったが、当面の目標は定めることができた。
 箱舟ノアはライブイベントで一位をとる。それで、憧れの配信者と同じ場所に立って、そこから初めて、一ノ瀬は自分の力で一歩を踏み出すのだ。
 ただ、一つ懸念だったのは、

「……それでさ、一ノ瀬」
「何?」
「ライブイベントって、何をやるの?」

 何を隠そう、僕は箱舟ノア以外の配信者の配信をろくに見たことがない。ゆえに、そのライブイベントが具体的に何をやるイベントなのかを、僕は微塵たりとも把握していなかったのだ。

「……歌、歌うの。園内放送でも、渚遊園地のテーマソングを歌うことになるし、やっぱり視聴者さんも、最低限の歌唱力は知った上で投票したいから」
「テーマソング……か。確かにそれは人気のイベントだろうね」
「でも私、人前で歌ったことなくてさ。自分が下手なのかどうかもわかんない。そもそも、配信でいつものリスナーさんの前で歌うなんて、ちょっとまだ実感が湧かないよ」
「大丈夫」

 なんでか、考えるよりも先にそんな言葉が口をついて出た。せっかく前進し始めた一ノ瀬の歩みが止まりそうになるのが耐えられなかった。

「え?」

 一ノ瀬は当然そう返す。だって、僕に何ができるんだ。大丈夫って、なんだ。
 僕は咄嗟に考える。口から飛び出したその場しのぎの慰めを補強するように。それは、嘘をついているときの感覚に似ていた。面白くないクラスメートの話に相槌をうつとき、苦手な音楽を周りに合わせて聴いているとき、焦燥感と僅かな罪悪感が混ざった、居心地の悪い気持ち。

「僕が、一ノ瀬の歌を上手くするよ。ほら、声質によって合う歌とそうじゃない歌ってあって、そういうのは、客観的に判断するのが一番いいと思う。それなりに音楽は聴いてるし、一ノ瀬の力になれると思う」

 何一つ確証の持てないことを、僕は言った。

「……うん、助かるよ。はは、透坂くんにはお世話になってばっかりだなあ」

 そう言う一ノ瀬の声は、配信で自身のふがいなさを笑う箱舟ノアとそっくりだった。
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