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EP 12
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オーク・ジェネラルの饗宴
鼻を突く強烈な腐臭と、鉄錆のような血の匂い。
それが、ルナ・シンフォニアの意識を覚醒させた最初の情報だった。
「……う……」
ルナは重いまぶたを開けた。
視界がぼやける。頭が割れるように痛い。
硬く冷たい岩肌の感触が背中にある。
(私……霧の中で、蝶々さんを追いかけて……)
記憶が徐々に繋がる。
ふわりと体が浮くような感覚の後、視界が暗転し、気づけばここにいた。またしても無自覚な空間転移を発動させてしまったのだ。
だが、いつもと違うのは、転移先が「誰もいない場所」ではなかったことだ。
「ひっ……ひぐっ……」
「神様……助けて……」
すぐ近くから、押し殺したような嗚咽と祈りの声が聞こえる。
ルナはハッとして体を起こした。
そこは、巨大な洞窟の奥だった。壁には松明がかけられ、揺らめく炎が、そこに集められた「獲物」たちを照らし出している。
十数人の人間。
村人のような格好をした男たち、女たち、そして子供たち。
全員が手足を荒縄で縛られ、洞窟の隅に転がされている。彼らの服はボロボロで、泥と――誰かの血で汚れていた。
「あ……」
ルナは自分の手を見た。縛られていない。
手にはまだ、愛用の『世界樹の杖』が握りしめられている。
オークたちにとって、ただの木の枝に見えるその杖は、武器として認識されなかったのだろう。
(魔法……魔法で助けなきゃ)
ルナは震える手で杖を構えようとした。
しかし。
ドスン、ドスン、ドスン。
腹に響くような重い足音が、洞窟の入り口から近づいてきた。
村人たちが「ひぃっ」と悲鳴を上げ、さらに奥へと身を縮める。
現れたのは、悪夢そのものだった。
身長3メートル近い巨体。
通常のオークのように醜悪だが、その瞳には獣にはあるまじき「知性」の光が宿っている。
全身には、略奪したと思われる人間の騎士の鎧(つぎはぎだらけだが)をまとい、腰には身の丈ほどある巨大な蛮刀を差している。
『オーク・ジェネラル(将軍種)』。
単体で軍隊に匹敵すると言われる、魔物の上位個体。
その背後には、整列した部下のオークたちが控えている。まるで軍隊のような規律だ。
「グルゥ……。今日の『肉』の具合はどうだ」
ジェネラルが、低く濁った共通語(人間の言葉)を喋った。
その事実に、ルナの背筋が凍りつく。
言葉を解する魔物は、本能だけで動く獣よりも遥かに残酷だ。
「ブゴォ! 上質デス、将軍!」
部下のオークが、一人の村の娘の髪を掴んで引きずり出した。
「いやぁぁぁ! 離して! お父ちゃん!」
「やめろ! 娘に手を出すな!」
父親らしき男が叫ぶが、別のオークに腹を蹴り上げられ、血を吐いて倒れる。
ジェネラルは無感動な目で娘を見下ろし、太い指でその頬をなぞった。
「痩せているな。……スープにしろ」
「アイアイサー!」
淡々とした選別。
家畜を見る目ですらない。ただの「食材」としての品定め。
娘が絶望の悲鳴を上げて引きずられていく。洞窟の中央には、煮えたぎる大鍋が設置されていた。
「や……やめて……」
ルナは立ち上がろうとした。
杖を握る手に力を込める。魔法を放てば、あいつらを倒せるかもしれない。
けれど。
(ダメ……!)
ルナの脳裏に、坂上の言葉が蘇る。
『物理法則を無視するな』
『君の魔法は戦術核だ』
ここは閉鎖された洞窟だ。
もし、いつものように『サンダー』や『ファイア』を放てばどうなる?
爆風の逃げ場はない。衝撃波は洞窟内を跳ね回り、崩落を引き起こすだろう。
そうなれば、オークだけでなく、ここにいる村人たちも、そしてルナ自身も――全員が生き埋めになる。
(手加減……手加減しなきゃ……でも、どうやって?)
ルナは今まで、力の制御など考えたこともなかった。
恐怖で体がすくむ。指先が震えて、魔力の練り上げがうまくいかない。
もし失敗したら? 私がみんなを殺してしまうかもしれない。
「……ん?」
ジェネラルの視線が、ルナに向いた。
その瞳が、驚きと、嗜虐的な歓喜で歪む。
「ほう……。紛れ込んでいたか。極上の『果実』が」
ジェネラルが大股で歩み寄ってくる。
その威圧感だけで、心臓が止まりそうになる。
「ハイエルフか。……久しいな。その甘い肉の味は、忘れられん」
巨大な手が伸びてくる。
ルナは後ずさったが、背中はすぐに岩壁にぶつかった。
杖を向けることもできない。恐怖が理性を塗りつぶしていく。
(お父様……龍魔呂さん……助けて……)
助けなんて来ない。
ここは霧の向こう側。誰も場所を知らない絶壁の巣。
私はまた迷子になって、また失敗して、今度はみんなを巻き込んで死ぬんだ。
「あ……うぅ……」
ジェネラルの手が、ルナの銀髪を乱暴に掴んだ。
体が宙に浮く。
「メインディッシュだ。丁寧に調理しろ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ルナの口から漏れたのは、魔法の詠唱ではなく、無力な謝罪の言葉だけだった。
涙が溢れ、視界が滲む。
絶望の闇が、彼女を飲み込もうとしていた。
鼻を突く強烈な腐臭と、鉄錆のような血の匂い。
それが、ルナ・シンフォニアの意識を覚醒させた最初の情報だった。
「……う……」
ルナは重いまぶたを開けた。
視界がぼやける。頭が割れるように痛い。
硬く冷たい岩肌の感触が背中にある。
(私……霧の中で、蝶々さんを追いかけて……)
記憶が徐々に繋がる。
ふわりと体が浮くような感覚の後、視界が暗転し、気づけばここにいた。またしても無自覚な空間転移を発動させてしまったのだ。
だが、いつもと違うのは、転移先が「誰もいない場所」ではなかったことだ。
「ひっ……ひぐっ……」
「神様……助けて……」
すぐ近くから、押し殺したような嗚咽と祈りの声が聞こえる。
ルナはハッとして体を起こした。
そこは、巨大な洞窟の奥だった。壁には松明がかけられ、揺らめく炎が、そこに集められた「獲物」たちを照らし出している。
十数人の人間。
村人のような格好をした男たち、女たち、そして子供たち。
全員が手足を荒縄で縛られ、洞窟の隅に転がされている。彼らの服はボロボロで、泥と――誰かの血で汚れていた。
「あ……」
ルナは自分の手を見た。縛られていない。
手にはまだ、愛用の『世界樹の杖』が握りしめられている。
オークたちにとって、ただの木の枝に見えるその杖は、武器として認識されなかったのだろう。
(魔法……魔法で助けなきゃ)
ルナは震える手で杖を構えようとした。
しかし。
ドスン、ドスン、ドスン。
腹に響くような重い足音が、洞窟の入り口から近づいてきた。
村人たちが「ひぃっ」と悲鳴を上げ、さらに奥へと身を縮める。
現れたのは、悪夢そのものだった。
身長3メートル近い巨体。
通常のオークのように醜悪だが、その瞳には獣にはあるまじき「知性」の光が宿っている。
全身には、略奪したと思われる人間の騎士の鎧(つぎはぎだらけだが)をまとい、腰には身の丈ほどある巨大な蛮刀を差している。
『オーク・ジェネラル(将軍種)』。
単体で軍隊に匹敵すると言われる、魔物の上位個体。
その背後には、整列した部下のオークたちが控えている。まるで軍隊のような規律だ。
「グルゥ……。今日の『肉』の具合はどうだ」
ジェネラルが、低く濁った共通語(人間の言葉)を喋った。
その事実に、ルナの背筋が凍りつく。
言葉を解する魔物は、本能だけで動く獣よりも遥かに残酷だ。
「ブゴォ! 上質デス、将軍!」
部下のオークが、一人の村の娘の髪を掴んで引きずり出した。
「いやぁぁぁ! 離して! お父ちゃん!」
「やめろ! 娘に手を出すな!」
父親らしき男が叫ぶが、別のオークに腹を蹴り上げられ、血を吐いて倒れる。
ジェネラルは無感動な目で娘を見下ろし、太い指でその頬をなぞった。
「痩せているな。……スープにしろ」
「アイアイサー!」
淡々とした選別。
家畜を見る目ですらない。ただの「食材」としての品定め。
娘が絶望の悲鳴を上げて引きずられていく。洞窟の中央には、煮えたぎる大鍋が設置されていた。
「や……やめて……」
ルナは立ち上がろうとした。
杖を握る手に力を込める。魔法を放てば、あいつらを倒せるかもしれない。
けれど。
(ダメ……!)
ルナの脳裏に、坂上の言葉が蘇る。
『物理法則を無視するな』
『君の魔法は戦術核だ』
ここは閉鎖された洞窟だ。
もし、いつものように『サンダー』や『ファイア』を放てばどうなる?
爆風の逃げ場はない。衝撃波は洞窟内を跳ね回り、崩落を引き起こすだろう。
そうなれば、オークだけでなく、ここにいる村人たちも、そしてルナ自身も――全員が生き埋めになる。
(手加減……手加減しなきゃ……でも、どうやって?)
ルナは今まで、力の制御など考えたこともなかった。
恐怖で体がすくむ。指先が震えて、魔力の練り上げがうまくいかない。
もし失敗したら? 私がみんなを殺してしまうかもしれない。
「……ん?」
ジェネラルの視線が、ルナに向いた。
その瞳が、驚きと、嗜虐的な歓喜で歪む。
「ほう……。紛れ込んでいたか。極上の『果実』が」
ジェネラルが大股で歩み寄ってくる。
その威圧感だけで、心臓が止まりそうになる。
「ハイエルフか。……久しいな。その甘い肉の味は、忘れられん」
巨大な手が伸びてくる。
ルナは後ずさったが、背中はすぐに岩壁にぶつかった。
杖を向けることもできない。恐怖が理性を塗りつぶしていく。
(お父様……龍魔呂さん……助けて……)
助けなんて来ない。
ここは霧の向こう側。誰も場所を知らない絶壁の巣。
私はまた迷子になって、また失敗して、今度はみんなを巻き込んで死ぬんだ。
「あ……うぅ……」
ジェネラルの手が、ルナの銀髪を乱暴に掴んだ。
体が宙に浮く。
「メインディッシュだ。丁寧に調理しろ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ルナの口から漏れたのは、魔法の詠唱ではなく、無力な謝罪の言葉だけだった。
涙が溢れ、視界が滲む。
絶望の闇が、彼女を飲み込もうとしていた。
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