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EP 5
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北辰一刀流と佐藤師団長
作戦室の空気は、今にも爆発しそうなほど膨張していた。
「牟田口閣下! 兵站(補給)なき作戦は必敗であります! 兵は霞(かすみ)を食って戦えるわけではない!」
第31師団長、佐藤賢了(さとう けんりょう)中将。
烈火のごとく怒鳴り散らすその姿は、歴戦の猛将そのものだった。彼の管轄する第31師団(通称:烈兵団)は、インパール作戦において最も過酷な山岳地帯を踏破し、イギリス軍の拠点コヒマを攻略するという狂気の任務を押し付けられていた。
史実の牟田口であれば、ここで「皇軍の精神力が補給に勝る!」と怒鳴り返し、佐藤との間に修復不可能な亀裂を生む場面である。
周囲の参謀たちも、最悪の口論が始まることを覚悟し、息を潜めていた。
だが、上座に座る坂上(牟田口)は、テーブルに両肘を突き、静かに佐藤を見据えていた。
その瞳には、怒りも、焦りもない。ただ、深海のように冷たい光が宿っているだけだ。
「……久野村参謀長。それに他の者も」
「は、ハッ!」
「全員、部屋から出ろ。佐藤中将と『二人きり』で話がしたい」
参謀たちは顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように作戦室から逃げ出していった。
重い扉が閉まり、室内には坂上と佐藤の二人だけが残される。
「……人払いをしたところで、私の意見は変わりませんぞ、司令官閣下。この作戦は」
「佐藤」
坂上が低く呼び捨てにした瞬間、佐藤の言葉がピタリと止まった。
立ち上がった坂上が、無造作に一歩、前へ出た。
ただそれだけだった。
だが、数多の死線を潜り抜けてきた佐藤の全身の産毛が、粟立つように逆立った。
目の前の、小太りで神経質そうな上官から、突如として『巨大な刃物』のような圧倒的な威圧感が放たれたのだ。
(な、なんだこの気迫は……!? 牟田口閣下に、これほどの武気があったか!?)
坂上は、現代において北辰一刀流の免許皆伝を持つ剣の達人である。
毎朝4時に起き、自らを極限まで追い込む素振りを何十年と続けてきた男の『間合い』。それは、精神論だけで怒鳴り散らすだけの将校とは、根本的に住む世界が違っていた。
軍服の下、背中に彫られた『仁王』が、まるで佐藤を睨みつけているかのような錯覚さえ覚えさせる。
佐藤は思わず軍刀の柄に手をかけ、半歩後ずさった。
歴戦の師団長を、ただの『歩み寄り』だけで後退させたのだ。
「……お前の言う通りだ、佐藤」
「……は?」
「補給なき進軍は、ただの殺人だ。餓死させるために兵を連れて行くなど、愚の骨頂。ましてや、将兵は使い捨ての奴隷ではない。国を守るための尊い盾だ」
予想外の言葉に、佐藤は目を丸くした。
先ほどまでの殺気とは打って変わり、坂上の声には、部下を心底から思いやる重厚な響きがあったからだ。
「閣下……それは、本心でありますか? では、インパール作戦は……」
「中止にはできん」
坂上は冷徹に事実を告げた。
「既に大本営の認可が下りた。今ここで私が『やっぱりやめます』と言えば、私は精神錯乱として更迭される。そして、後任にやってくる『別の誰か』が、何の対策も打たないまま、お前たちを白骨街道へと突き進ませるだろう」
佐藤は息を呑んだ。官僚主義が蔓延する軍の上層部において、それは残酷なまでの真実だった。
「だから、大本営(うえ)は欺く」
「なっ……!?」
「作戦は『決行』する。勇ましい報告も上げる。大本営の阿呆どもには、勇猛果敢にインパールへ進撃していると思わせておく」
坂上は佐藤の目の前まで歩み寄り、その肩にガシッと手を置いた。
太い指が、佐藤の肩に食い込む。
「だが、現場の我々は違う。真の目的はインパールの攻略ではない。……『生存』と『遅滞防御』だ」
「遅滞、防御……?」
「そうだ。チンドウィン川周辺に強固な兵站拠点を構築し、英軍を引き込んで出血を強いる。補給線が伸びきったところを叩くのは我々ではなく、英軍の方にやらせるのだ。お前には、その泥臭い立ち回りをお願いしたい」
坂上は、真っ直ぐに佐藤の目を見た。
「佐藤。私はお前たちを、死地に送るただの駒だとは思っていない。共に地獄を生き抜く『盟友(パートナー)』だと思っている」
「盟友……」
「お前の部下を絶対に犬死にはさせん。私の指示通りに動け。必要な物資は、私の首と軍の予算をすべて引き換えにしてでも必ず用意してやる。……やれるか、烈兵団長」
沈黙が降りた。
佐藤賢了は、目の前の男の瞳の奥を探るように見つめ返していた。
これまでの保身と見栄に塗れた牟田口廉也は、もうどこにもいない。そこにいるのは、全責任を背負い込み、巨大な組織の狂気と一人で戦おうとする、孤独で強靭な一人の指揮官だった。
「…………フッ」
不意に、佐藤の口から笑みがこぼれた。
柄にかけていた手を下ろし、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「どうやら私は、閣下の器を見誤っていたようです。……よろしい。狂った大本営に付き合って餓死するより、閣下の『狂った生存戦略』に乗る方が、はるかに面白そうだ。この佐藤、地獄の底までお供いたしましょう」
ビシッ、と。
それは軍の規律によるものではなく、一人の武人から別の武人へと向けられた、心からの敬礼だった。
「頼むぞ」
坂上は短く頷き、敬礼を返した。
(……よし。これで一番厄介な男を、最強の手駒に引き入れられた)
心の中で安堵の息を吐き出す。
歴史上、最大の反逆者となるはずだった佐藤賢了との強固なタッグ結成。インパール生存への最大の壁を、一つ乗り越えた瞬間だった。
「さて、佐藤。さっそくだが……」
「はっ。何なりと」
「どこかで、ドリップ式のコーヒー……いや、せめてコーヒー豆を手に入れられないか? あと、甘い飴玉もだ」
「……は? 珈琲、ですか?」
猛将・佐藤が呆気にとられる中、坂上はひどく深刻な顔で頭を抱えていた。
歴史を変えるほどの緊迫した会談を終え、彼の中の『重度のカフェイン中毒』が、いよいよ限界の悲鳴を上げ始めていたのである。
作戦室の空気は、今にも爆発しそうなほど膨張していた。
「牟田口閣下! 兵站(補給)なき作戦は必敗であります! 兵は霞(かすみ)を食って戦えるわけではない!」
第31師団長、佐藤賢了(さとう けんりょう)中将。
烈火のごとく怒鳴り散らすその姿は、歴戦の猛将そのものだった。彼の管轄する第31師団(通称:烈兵団)は、インパール作戦において最も過酷な山岳地帯を踏破し、イギリス軍の拠点コヒマを攻略するという狂気の任務を押し付けられていた。
史実の牟田口であれば、ここで「皇軍の精神力が補給に勝る!」と怒鳴り返し、佐藤との間に修復不可能な亀裂を生む場面である。
周囲の参謀たちも、最悪の口論が始まることを覚悟し、息を潜めていた。
だが、上座に座る坂上(牟田口)は、テーブルに両肘を突き、静かに佐藤を見据えていた。
その瞳には、怒りも、焦りもない。ただ、深海のように冷たい光が宿っているだけだ。
「……久野村参謀長。それに他の者も」
「は、ハッ!」
「全員、部屋から出ろ。佐藤中将と『二人きり』で話がしたい」
参謀たちは顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように作戦室から逃げ出していった。
重い扉が閉まり、室内には坂上と佐藤の二人だけが残される。
「……人払いをしたところで、私の意見は変わりませんぞ、司令官閣下。この作戦は」
「佐藤」
坂上が低く呼び捨てにした瞬間、佐藤の言葉がピタリと止まった。
立ち上がった坂上が、無造作に一歩、前へ出た。
ただそれだけだった。
だが、数多の死線を潜り抜けてきた佐藤の全身の産毛が、粟立つように逆立った。
目の前の、小太りで神経質そうな上官から、突如として『巨大な刃物』のような圧倒的な威圧感が放たれたのだ。
(な、なんだこの気迫は……!? 牟田口閣下に、これほどの武気があったか!?)
坂上は、現代において北辰一刀流の免許皆伝を持つ剣の達人である。
毎朝4時に起き、自らを極限まで追い込む素振りを何十年と続けてきた男の『間合い』。それは、精神論だけで怒鳴り散らすだけの将校とは、根本的に住む世界が違っていた。
軍服の下、背中に彫られた『仁王』が、まるで佐藤を睨みつけているかのような錯覚さえ覚えさせる。
佐藤は思わず軍刀の柄に手をかけ、半歩後ずさった。
歴戦の師団長を、ただの『歩み寄り』だけで後退させたのだ。
「……お前の言う通りだ、佐藤」
「……は?」
「補給なき進軍は、ただの殺人だ。餓死させるために兵を連れて行くなど、愚の骨頂。ましてや、将兵は使い捨ての奴隷ではない。国を守るための尊い盾だ」
予想外の言葉に、佐藤は目を丸くした。
先ほどまでの殺気とは打って変わり、坂上の声には、部下を心底から思いやる重厚な響きがあったからだ。
「閣下……それは、本心でありますか? では、インパール作戦は……」
「中止にはできん」
坂上は冷徹に事実を告げた。
「既に大本営の認可が下りた。今ここで私が『やっぱりやめます』と言えば、私は精神錯乱として更迭される。そして、後任にやってくる『別の誰か』が、何の対策も打たないまま、お前たちを白骨街道へと突き進ませるだろう」
佐藤は息を呑んだ。官僚主義が蔓延する軍の上層部において、それは残酷なまでの真実だった。
「だから、大本営(うえ)は欺く」
「なっ……!?」
「作戦は『決行』する。勇ましい報告も上げる。大本営の阿呆どもには、勇猛果敢にインパールへ進撃していると思わせておく」
坂上は佐藤の目の前まで歩み寄り、その肩にガシッと手を置いた。
太い指が、佐藤の肩に食い込む。
「だが、現場の我々は違う。真の目的はインパールの攻略ではない。……『生存』と『遅滞防御』だ」
「遅滞、防御……?」
「そうだ。チンドウィン川周辺に強固な兵站拠点を構築し、英軍を引き込んで出血を強いる。補給線が伸びきったところを叩くのは我々ではなく、英軍の方にやらせるのだ。お前には、その泥臭い立ち回りをお願いしたい」
坂上は、真っ直ぐに佐藤の目を見た。
「佐藤。私はお前たちを、死地に送るただの駒だとは思っていない。共に地獄を生き抜く『盟友(パートナー)』だと思っている」
「盟友……」
「お前の部下を絶対に犬死にはさせん。私の指示通りに動け。必要な物資は、私の首と軍の予算をすべて引き換えにしてでも必ず用意してやる。……やれるか、烈兵団長」
沈黙が降りた。
佐藤賢了は、目の前の男の瞳の奥を探るように見つめ返していた。
これまでの保身と見栄に塗れた牟田口廉也は、もうどこにもいない。そこにいるのは、全責任を背負い込み、巨大な組織の狂気と一人で戦おうとする、孤独で強靭な一人の指揮官だった。
「…………フッ」
不意に、佐藤の口から笑みがこぼれた。
柄にかけていた手を下ろし、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「どうやら私は、閣下の器を見誤っていたようです。……よろしい。狂った大本営に付き合って餓死するより、閣下の『狂った生存戦略』に乗る方が、はるかに面白そうだ。この佐藤、地獄の底までお供いたしましょう」
ビシッ、と。
それは軍の規律によるものではなく、一人の武人から別の武人へと向けられた、心からの敬礼だった。
「頼むぞ」
坂上は短く頷き、敬礼を返した。
(……よし。これで一番厄介な男を、最強の手駒に引き入れられた)
心の中で安堵の息を吐き出す。
歴史上、最大の反逆者となるはずだった佐藤賢了との強固なタッグ結成。インパール生存への最大の壁を、一つ乗り越えた瞬間だった。
「さて、佐藤。さっそくだが……」
「はっ。何なりと」
「どこかで、ドリップ式のコーヒー……いや、せめてコーヒー豆を手に入れられないか? あと、甘い飴玉もだ」
「……は? 珈琲、ですか?」
猛将・佐藤が呆気にとられる中、坂上はひどく深刻な顔で頭を抱えていた。
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