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EP 10
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雪解けの甘酒と、ピキピキするネギオ
ネギオによる恐怖の荒療治から数時間後。
日が落ちて、夜風が涼しくなる頃。
春太は、アパートのベランダ(という名の狭い物干しスペース)で、夜空を見上げていた。
体は驚くほど軽い。あの緑色の注射は、確かに効果絶大だったようだ。ただ、精神的な疲労感だけが、心地よい重りとなって残っていた。
(……怒涛の一週間だったな)
ふと、スマホで銀行口座の残高を確認する。
【残高:3,420円】
来月の引き落とし額は60万円オーバー。
「はは……。明日から死ぬ気で働かないとなぁ」
もはや絶望を通り越して、乾いた笑いしか出ない。
だが不思議と、以前のような悲壮感は薄れていた。
「ハルタ様、ここにいらしたんですね」
サッシが開く音がして、ルナが顔を出した。
お盆の上に、二つの湯呑みを載せている。
「風に当たっていたんですか? 湯冷めしてしまいますよ」
「あ、ルナちゃん。ごめんごめん、ちょっと考え事をね」
「ふふ、そんなハルタ様に、これを作ってみました!」
ルナが差し出したのは、白く濁った温かい飲み物。
甘酒だった。
「『アマザケ』です! 日本の本に『飲む点滴』と書いてあったので、ハルタ様の栄養になると思って。……お砂糖の量、間違えてないかしら」
不安そうに上目遣いで見つめるルナ。
春太は湯呑みを受け取り、一口すすった。
麹の優しい香りと、しっかりとした甘みが五臓六腑に染み渡る。
「……うん。美味しい。すっごく優しい味がする」
「本当ですか? よかったぁ……!」
ルナが安堵の息を吐き、春太の隣にちょこんと座った。
狭いベランダに、二人きり。
肩が触れ合う距離。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、やはりこの世の者とは思えないほど綺麗で。
「……あのね、ハルタ様」
「ん?」
「私、この世界に来て、最初はとっても不安でした。ネギオ以外誰も知らなくて、言葉も文化も違って……」
ルナは湯呑みを両手で包み込みながら、ぽつりと語った。
「でも、ハルタ様が拾ってくれました。豚汁をくれて、お家に住ませてくれて、私のドジにも付き合ってくれて……。ハルタ様がいてくれて、本当によかったです」
彼女が顔を上げ、春太をまっすぐに見つめる。
その瞳には、一点の曇りもない信頼と、親愛の情が宿っていた。
「ハルタ様。……大好きです」
ドキン。
春太の心臓が、本日最大音量で跳ねた。
それは恋愛的な意味なのか、家族的な意味なのか。今の彼女には区別がついていないかもしれない。
でも、春太にとっては十分すぎた。
「……俺もだよ、ルナちゃん」
春太は自然と微笑んでいた。
借金まみれでも、出世コースから外れても、胃に穴が空いても。
こんなに可愛いお姫様が隣にいてくれるなら、まあ、悪くない人生かもしれない。
春太の手が、ルナの手に重なる。
ルナの頬が赤く染まる。
二人の顔がゆっくりと近づき――。
ピキピキピキピキ……
背後から、何かがひび割れるような音がした。
同時に、氷点下の冷気が漂ってきた。
「……あ?」
春太が恐る恐る振り返る。
そこには。
窓ガラス越しに、仁王立ちのシルエットがあった。
「…………ほぅ?」
ネギオである。
目は笑っていない。いや、緑色の光が強すぎて表情が読めない。
全身から噴き出す殺気(マナ)で、周囲の観葉植物が急成長してジャングル化している。
「病み上がりで随分と余裕ですね、虫。……私の目の前で、我が主と交配(・・)しようなどと、100万年早いのでは?」
ギギギギ……ガシャン!!
ネギオの右腕が巨大なチェーンソーに変形し、窓ガラスを突き破った。
「ヒィッ!? ち、違いますネギオさん! これはムードというか流れというか!」
「問答無用。貴様には栄養が足りすぎたようですね。その煩悩ごと、剪定(せんてい)して差し上げましょう」
ブォン! ブォォォォン!!
唸りを上げるチェーンソー。
「ギャアアアア! ルナちゃん逃げるよ!」
「きゃあ! ネギオ、お家を壊しちゃダメだってば!」
「逃がさん! 地獄の果てまで追い詰めて、貴様の給料を全額没収してやる!」
狭いアパートの中で、ドタバタとかけっこが始まる。
春太の絶叫と、ルナの笑い声、そしてチェーンソーの爆音が、夜の世田谷に響き渡る。
借金返済まで、あと59万6千580円。
ポンコツ姫と毒舌執事との共同生活(サバイバル)は、まだ始まったばかりだ。
ネギオによる恐怖の荒療治から数時間後。
日が落ちて、夜風が涼しくなる頃。
春太は、アパートのベランダ(という名の狭い物干しスペース)で、夜空を見上げていた。
体は驚くほど軽い。あの緑色の注射は、確かに効果絶大だったようだ。ただ、精神的な疲労感だけが、心地よい重りとなって残っていた。
(……怒涛の一週間だったな)
ふと、スマホで銀行口座の残高を確認する。
【残高:3,420円】
来月の引き落とし額は60万円オーバー。
「はは……。明日から死ぬ気で働かないとなぁ」
もはや絶望を通り越して、乾いた笑いしか出ない。
だが不思議と、以前のような悲壮感は薄れていた。
「ハルタ様、ここにいらしたんですね」
サッシが開く音がして、ルナが顔を出した。
お盆の上に、二つの湯呑みを載せている。
「風に当たっていたんですか? 湯冷めしてしまいますよ」
「あ、ルナちゃん。ごめんごめん、ちょっと考え事をね」
「ふふ、そんなハルタ様に、これを作ってみました!」
ルナが差し出したのは、白く濁った温かい飲み物。
甘酒だった。
「『アマザケ』です! 日本の本に『飲む点滴』と書いてあったので、ハルタ様の栄養になると思って。……お砂糖の量、間違えてないかしら」
不安そうに上目遣いで見つめるルナ。
春太は湯呑みを受け取り、一口すすった。
麹の優しい香りと、しっかりとした甘みが五臓六腑に染み渡る。
「……うん。美味しい。すっごく優しい味がする」
「本当ですか? よかったぁ……!」
ルナが安堵の息を吐き、春太の隣にちょこんと座った。
狭いベランダに、二人きり。
肩が触れ合う距離。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、やはりこの世の者とは思えないほど綺麗で。
「……あのね、ハルタ様」
「ん?」
「私、この世界に来て、最初はとっても不安でした。ネギオ以外誰も知らなくて、言葉も文化も違って……」
ルナは湯呑みを両手で包み込みながら、ぽつりと語った。
「でも、ハルタ様が拾ってくれました。豚汁をくれて、お家に住ませてくれて、私のドジにも付き合ってくれて……。ハルタ様がいてくれて、本当によかったです」
彼女が顔を上げ、春太をまっすぐに見つめる。
その瞳には、一点の曇りもない信頼と、親愛の情が宿っていた。
「ハルタ様。……大好きです」
ドキン。
春太の心臓が、本日最大音量で跳ねた。
それは恋愛的な意味なのか、家族的な意味なのか。今の彼女には区別がついていないかもしれない。
でも、春太にとっては十分すぎた。
「……俺もだよ、ルナちゃん」
春太は自然と微笑んでいた。
借金まみれでも、出世コースから外れても、胃に穴が空いても。
こんなに可愛いお姫様が隣にいてくれるなら、まあ、悪くない人生かもしれない。
春太の手が、ルナの手に重なる。
ルナの頬が赤く染まる。
二人の顔がゆっくりと近づき――。
ピキピキピキピキ……
背後から、何かがひび割れるような音がした。
同時に、氷点下の冷気が漂ってきた。
「……あ?」
春太が恐る恐る振り返る。
そこには。
窓ガラス越しに、仁王立ちのシルエットがあった。
「…………ほぅ?」
ネギオである。
目は笑っていない。いや、緑色の光が強すぎて表情が読めない。
全身から噴き出す殺気(マナ)で、周囲の観葉植物が急成長してジャングル化している。
「病み上がりで随分と余裕ですね、虫。……私の目の前で、我が主と交配(・・)しようなどと、100万年早いのでは?」
ギギギギ……ガシャン!!
ネギオの右腕が巨大なチェーンソーに変形し、窓ガラスを突き破った。
「ヒィッ!? ち、違いますネギオさん! これはムードというか流れというか!」
「問答無用。貴様には栄養が足りすぎたようですね。その煩悩ごと、剪定(せんてい)して差し上げましょう」
ブォン! ブォォォォン!!
唸りを上げるチェーンソー。
「ギャアアアア! ルナちゃん逃げるよ!」
「きゃあ! ネギオ、お家を壊しちゃダメだってば!」
「逃がさん! 地獄の果てまで追い詰めて、貴様の給料を全額没収してやる!」
狭いアパートの中で、ドタバタとかけっこが始まる。
春太の絶叫と、ルナの笑い声、そしてチェーンソーの爆音が、夜の世田谷に響き渡る。
借金返済まで、あと59万6千580円。
ポンコツ姫と毒舌執事との共同生活(サバイバル)は、まだ始まったばかりだ。
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