香月探偵事務所

山本記代 (元:青瀬 理央)

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最終章 赦されざる欺瞞者は嗤う

case15. はちみつ林檎と角砂糖

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 舞子がパレットの営業を、守樹が香月探偵事務所の営業を再開してから早くも一ヶ月が経ち、マオを含む三人は日常を取り戻していた。

「守樹サン、コーヒーどうぞ」

 守樹が無言でコーヒーに手を伸ばすのを横目に、マオはその正面に自身で用意したカップをそっと置いて腰掛ける。

「――やっぱ依頼少ないねぇ。良い事なんだろうけどさ」

 守樹が一口コーヒーを含む。

「明日は?」

 マオは首を傾げた。

「明日?」

「何か予定あるのか?」

「ああ、そういう事。ありませんよ、俺も守樹サンも。……営業でも行きますか?」

 守樹は何も応えず、またコーヒーを啜る。

――だろうな。言ってみただけだよバーカ。

 マオは心の中でそう悪態つきながらカップに口をつけた。

「……明日」

「うん?」

「落闇愛を引き取りに行く」

「そうなの? 俺も行く?」

「一人で構わん」

「じゃあ俺は事務所でお留守番だね……って、え! 落闇愛って、落闇愛?」

「大声を出すな。他にどの落闇愛がいると?」

「いやいやいやいや! 何言ってるの守樹サン! 引き取りにって……どうするつもり? ま、まさか復讐……」

「いい加減にしろ。……身元引受け人は大樹だ」

「え、いやいやいや……え? 待って、待って。何がどういう事なの?」

「愛は恋と違って身元引受け人さえいれば直ぐに退院出来るそうだからな。未成年の私では出来んので大樹にさせた。そして香月探偵事務所ここで面倒を見る事になった」

「何それ俺聞いてない」

「言っていないからな」

「何で黙ってんのさ! 言ってよ……言ってよ!」

 マオの悲痛な叫びはいつも届かない。

香月探偵事務所うちは人数も少ないからな。人手さえ増えれば仕事も増えるだろう」

「それは所長のひねくれた性格にも原因があるんじゃないかな?」

 せめてもの抵抗は「減給」の一言に負けてしまった。



 * * *



 翌日、午前十一時を回ろうとした時に漸く守樹の身支度が済み、早朝から事務所に来ていた大樹はその姿を視界に捉えると、まるで羽でも生えているかの様に飛び上がる。

「おはよう守樹! 今日もその白いシャツが良く似合うな! あ、もう出発するか? そうだ! 昔みたいに手を繋いで……」

 守樹は早々に事務所を出て行った。

「……大樹さん、いってらっしゃい」

「……おう」



 * * *



 帰宅した守樹が扉を開けた。
 大樹の姿が無い事から、直ぐに帰宅を余儀なくされた事を悟る。

――ほ、本当に来やがった!

「…………」

「…………」

「何だお前たち、こいにでも落ちたか?」

「馬鹿言わないで下さい! 俺は何でがこんなに守樹サンにべったりなのか、ドン引きしてるんです! ド・ン・引・きっ! ていうか仮にも命狙われた相手でしょ! なんかもうめちゃくちゃ過ぎて着いていけない……」

 指をさして怒鳴り、挙げ句力無く両手で顔を覆ってその場に座り込んだマオに守樹は溜め息を零す。
愛は守樹にべったりとしがみついたまま上目遣いにじっとマオを見つめている。

「何か言えよ!」

「マオ、そう苛々するな。今愛はあまり口をきかないらしい」

「はあ? 何で?」

「恐らく件のショックが大きかったせいだろうな」

「……そっか」

 そして突然響いた地鳴りを思わせる音は、愛の腹部からだ。
大きく深い溜め息を吐いたマオは「林檎しかぇぞ」と漏らしてキッチンへ足を運ぶ。

「…………」

「愛、座れ」

 立ち竦む愛に守樹が声を掛けると愛は一瞬たじろいだ素振りを見せ、おずおずと椅子に腰掛ける守樹のすぐ隣、床にちょこんと小さく座り込んだ。
それを見たマオが「おいおい」と汗を一滴垂らす。

「ったく、お前は。どーこ座ってんだよ! こっちだ、こっち」

 首根っこを摘み上げて椅子に移動させるが、どうやら守樹の傍から離された事が気に入らない様でしょんぼりとした表情でじっとテーブルを見つめている。

――クソガキが一匹増えた。しかもマジのガキ。

 林檎を切り終えたマオが「ほら」と静かに皿を置く。

「はちみつ林檎!」

 きらきらと瞳を輝かせて嬉しそうな声を上げるのは守樹。

「そうですよー、はちみつ林檎ですよー……って、そんなに目輝かせる程好きだったの?」

「……はちみつ……林檎?」

 やっと口を開いた愛はやはりどこか不安げだ。

「そうだ、はちみつ林檎。これは特別な日に食べるものなんだぞ? 食べてみろ。どれ、特別にこの一番上手く切れているウサギさんをやろう。上手に切れてるんだからな、お尻から食べるんだぞ」

 そう言って守樹が愛の口に林檎を放り込むと、シャクシャクと良い音を立てて口いっぱいに頬張った。
咀嚼毎に今まで不安げに揺れていた瞳はうっとりとした表情を浮かべたかと思えば、今度はポロポロと涙を流し始める。

「おわっ! な、なんだよ?」

 激しく胸を叩く心臓を落ち着かせる様にそこへ手を当てるマオと、そんな状況でも林檎を食べる手を休めない守樹。
グスグスと鼻を鳴らす愛は、ぎゅっと強く目を閉じる。

「美味しいんだ、とっても。……美味しい。恋にも、食べさせてあげたい」

「……そっか」

――だからって泣く事じゃねぇだろ。

 ぶっきらぼうに応えたマオは自身の袖を愛の顔に押し当て、次から次へと溢れてくる涙を拭う。
愛は驚いた様に目を見開きマオを見る。

「なんだよ?」

――生まれて初めて拭いてもらった……。

 照れくさいような何とも言えないくすぐったいこの感情を、愛は恥ずかしいと思いそっぽを向いた。

「あっ! てめ! せっかく拭ってやってんのに!」

「……た、頼んでないよ、別に」

「ふうん。そういう事言うならはもうお終い」

「あっ!」

「あっ! おいマオ! 私の分は置いておけ!」

 取り上げたはちみつ林檎が皿の上で転ぶ。

――良ーい機会だ。日頃の恨みもこれで晴らしてやる。

 だがやはり「減給」に負けた。



 * * *



――午前零時五十六分

 廃墟となったビルの屋上で、美しい満月を背に佇む黒い影は落闇恋のものだ。

 恋が自分とは真逆の白い月を見上げた時、スマートフォンがポケットの中で震えた。
夜の静寂の中ではそのバイヴ音さえもよく響く。
恋はスマートフォンを取り出し通話のマークをタップすると、それを耳に当てた。

 通話の相手は舞子だ。

 の調子はどうか、そう尋ねてきた舞子に対し恋は、自身の足元に転がる頭部の焼かれた身元不明となるであろう男の死体を、冷たい目で見下ろしながら淡白に答えた。

「上々。たった今一人片付けたところ」

 死体の頭部は焼かれてから時間が経っていないのだろう、鼻につくような独特の異臭を放っている。
大抵の人間はこの臭いを嫌うが恋はそうではなく、寧ろ「人が死んだ」と実感を得られるから好きだと言う。
 電話の向こうで舞子が僅かに笑う。

「じゃあご褒美をあげなくちゃね。恋、何が欲しい?」

「前にあんたがくれたアレが良い」

 舞子がクスリと鼻を鳴らした。

「角砂糖? 本当に好きね」

 口に入れた瞬間じっとりと溶けだし、舌から広がる甘みは鼻を抜け、ビリビリと電流の様に脳に伝わる。
初めて口にした角砂糖の味がクセになっているようで、の報酬にそれをねだると、恋はそれ以上何も言わず闇夜にその姿を消した。



 * * *



「――守樹、起きて」

 同時刻、香月探偵事務所では愛が守樹を揺さぶり起こしていた。

 二人は愛が来た日から毎晩同じベッドで寝ている。

「……なんだ」

 開かない目をそのままに、のそのそと起き上がる。

「恋が……」

 守樹の目が開く。
その目に映った愛の顔は恐ろしく綺麗で冷静さに満ちたもので、守樹は思わず息を飲んだ。
愛の目はゆっくりと窓の方へ移され、守樹も視線の先を辿る。

――恋が動くよ……。

 美しい満月の夜の事だった。
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