香月探偵事務所

山本記代 (元:青瀬 理央)

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第一章 狂い始めた歯車

case01. カロスの意志

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「守樹サン、それ食べたらホントにそろそろ着替えて下さいね」

「…………」

 マオの言葉に答える事無く守樹は黙々と朝食を食べ進めている。
守樹のそんな様子を見てマオが呆れた表情を浮かべると、事務所内に耳を塞ぎたくなる様なけたたましい音が響いた。

まるでパチンコ店の前を通った時の様な騒音に、マオは「はいはい」と漏らしながら慌てて立ち上がり電話の子機を取った。

――この音何とかならねぇのかよ、うるっせェな! つうかどうやって設定したんだこれ……。

 心の中で悪態をつきながらも、それは表には出さず顔には愛想の良い笑顔……所謂営業スマイルを浮かべる。

「お電話ありがとうございます。香月探偵事務所、妻渕が承ります……あ、我台がだいさんですか? お久しぶりです……ああハイ、守樹サンなら今朝食を取っていまして……アハハ、そうなんですよ」

 電話の相手はマオも守樹も良く知る人物、刑事の我台正義がだいせいぎからだった。

 我台は守樹を相当気にかけており、時折こうして事務所に連絡を寄越すので、マオも自然と顔見知りになっていったのだ。

 マオの手から子機を奪った守樹の口元にはスクランブルエッグに絡めていたケチャップが付着しているが、本人はそれを知ってか知らずか拭う気はない様子で我台に話し掛ける。

「我台か、何の用だ?」

 守樹より十八も年上である我台に対し、敬うどころか愛想の「あ」の字もない淡々とした口調に呆れ、また溜め息を吐いたところで話しは纏まったのか、守樹は子機を戻すと椅子に座り直し、再び朝食に手を付ける。マオは口を開く。

「我台さん、何て?」

 守樹は何でもない様に答えた。

「『パレットしたに居るから来い』と」

 啜っていたコーヒーを勢い良くブッと吹き出したマオに、まるで汚物を見るかの様な目を向ける守樹だが、マオはそんな目もお構い無しに口元を拭きながら大声を上げる。

「のんびりしてる場合じゃないでしょ! 待ってくれてんだよ!? 早く支度して行かなきゃじゃん!」

 空いた食器を無造作に重ねて急いでキッチンに駆け込むマオを目で追いながら、守樹は尚も無表情で言い返す。

「知るか。向こうが勝手に来たんだろう、待たせておけ」

――このクソガキ! マジで客商売向いてねぇな!

「守樹サン……」

 マオは目と眉を吊り上げ、それを見た守樹は心底面倒臭いといった様子で目を伏せてコーヒーを一口啜った。



 * * *



 白い木製の扉を開けると、お馴染みの鉄琴に優しく触れる様な、軽く透明感のある音が耳に届いた。

 白を基調とした、狭いがどこか開放感のある北欧風な店内には、カウンターに男女二人が座っているだけで他に客はない。

 銀食器シルバーを磨いていた舞子がこちらに顔を向けてふと笑う。

「あら、思ったより早かったじゃない」

 その声を聞いて振り返ったのは、カウンターに居た体格の良い男で、少し遅れて隣の長身の女性もこちらに目を向けた。

――誰だ、あの女?

 マオはスーツを身に纏ったその女性を見て疑問を抱いたが、それより先ずは挨拶だと少し口角を上げる。

「我台さん、お久しぶりです。お待たせしてしまってすみません」

 体格の良い男が我台正義だ。我台はその容姿に相応しく豪快に笑った。

「ガッハッハ! 構わねぇよ、予想より早かったくらいだ!」

 マオの後ろに意図せず隠れていた守樹がひょっこりと顔を覗かせ、挨拶もしないまま無愛想に言う。

「そんな事よりわざわざ呼び出して何の用だ。その隣の女は何者だ」

 我台は思い出した様に隣の女性を見やると、バツが悪そうに笑ってガシガシと頭を掻いた。

「ああ、そうだ。紹介しようと思って連れて来たんだ」

「ほう、妻と別居中に愛人でも見つけたのか?」

「違うわっ!」

 口を挟んだ守樹を一喝した我台は、一つ咳払いをして話しを続ける。
 因みに我台が妻と別居中なのは本当の事で、もう三年目になる。

「昨日付けで配属された新人だ。俺の部下になった――」

 我台がチラリと女性を横目に見ると、応える様に頷いて立ち上がり真っ直ぐに守樹とマオを見据えた。

七尾珠緒ななおたまお、二十四歳です」

 そう名乗った七尾は、二十四歳にしては大人びた風貌だ。

――老けてんなぁ。

 そしてこちらも自己紹介……という所で再び守樹が口を挟む。

「七尾と言ったか? その女、信用出来るんだろうな?」

 我台がムッとした表情で「当たり前だ」と答えたが、守樹の眉間の皺は濃くなるばかりだ。

「フン、どうだかな。この時期に新人が異動なんて妙だろう。その女自身に何らかの問題があって飛ばされたんじゃないのか?」

 悪びれもせずに淡々と言い切った守樹に、舞子とマオが咎める様に声を上げる。

「コラ守樹!」

「守樹サン!」

 しかしそんな二人に静止をかけたのは七尾だった。
七尾は静かな声で「構いません」と言うと、目を細めて僅かに笑って続けた。

「仰る通り、左遷です。私は、前に身を置いていた部署、刑事部捜査二課では上手く対人関係が築けずチームに馴染めませんでした。それで面倒見が良いと評価の高い我台刑事の居る一課に配属されたのです」

 ぼんやりと他人事の様に聞いていたマオと舞子だったが、守樹のフンと愛想悪く鳴らされた鼻に我に返る。

「『対人関係が築けなかった』件はどうでも良いとして、やはり信用するに値する人物では無いようだな」

 黙って煙草に火を点けようとした我台の手が、舞子によってキレの良い音を出して弾かれ、このカフェが終日禁煙だった事を思い出す。
 少しの沈黙を破ったのは七尾。

「……それは何故ですか?」

「解らないか?」

「はい」

「我台、何なんだこの女は?」

「あー……お前とは合わんだろうなぁ……」

 歯切れ悪く目を逸らす我台をそっちのけに、七尾は又尋ねる。

「香月さん、お聞かせ頂けませんか?」

「よくそれで警察学校を卒業出来たものだな……自分の経歴を初対面の人間に易々と話す様な人間はそう簡単に信用出来るものではない。ましてが刑事ときた」

「此処に来るまで、我台さんから貴女が如何に信用出来る人物かと話を聞いていました。なので私は香月さんを信用して話したのですが……。それに経歴くらい何も支障はないかと」

「何にせよ、ベラベラと聞いてもいない事を喋る頭の悪そうなバカは嫌いだ。帰るぞマオ、気分が悪い」

――俺も悪い。つーかそれはテメェの好みの問題じゃねぇか。それが初対面の、しかも年上の人間に対する態度か。

 正面では困った顔で舞子が小首を傾げている。

 守樹が立ち上がると、我台が守樹の肩をやんわりと掴み座るよう促した。
守樹は抵抗したが適うはずも無く腰を下ろすと、それを確認したマオも少し戸惑いながら椅子に腰掛けた。

「七尾、お前も座れ」

「なんなんだ一体……」

 不機嫌そうにブツブツと文句を垂れる守樹に、自分達以外誰も居ない店内で我台は少し声を潜めた。

「近頃妙な噂があってな、そっちが本題だ。一応お前の耳にも入れといた方が良いと思って来たんだ。七尾の紹介も兼ねて」

「妙な噂?」

「そう、妙な噂。今はまだそこまで警察は重視してないが、恐らくこれから被害が増えるだろうな」

「どういう事だ?」

「殺人被害は出てないが、傷害事件として扱われてるものが今十六件ある……手口が同じ事から同一人物とみている」

「何だそれは。ニュースおおやけになっていない事件だな? 何にせよ、それ程被害が出ているのに無能な警察は捜査本部も構えず、何も手を打っていないというわけか」

「まあ、そう言うな。問題はここからだ……被害者達は全員若い女性で子供が居る」

「ほう?」

 興味深そうに、はたまた不謹慎にも楽しそうに話を聞く守樹の隣で、マオがメモ帳にペンを走らせる。

――趣味の悪いガキだな。

「そして噂ってのが、多分この犯人がかもしれないって事だ」

「――っ!?」

『カロス』という言葉に過剰に反応した守樹が、ガタンと音を立てて勢い良く立ち上がった。
突然の事に驚いたマオの肩がビクリと跳ね、七尾も目を見開いて守樹を見ていた。

 舞子は守樹と同じく『カロス』と聞いてピクリと指先を反応させたが、それも一瞬の事で、後は作業を続けながら静かに耳を傾けている。

「被害者達から話しを聞いたが、殺しをしてないだけで、やり方は全く同じものだった。だがカロスはもうこの世には居ない……模倣犯だろう、でも一体誰が?」

 最後の方は呟く様にそう言った我台には何も応えず、話しに着いて行けないマオと七尾の頭上には疑問符がクルクルと回るばかりだ。舞子は目を伏せて今度はカップを磨き始める。

「――生きていたんだ」

 静かに発せられた守樹の声に、顔を上げた我台は驚いて声も出ない。
マオと七尾の二人は状況を飲み込もうと、必死に今までの我台の話しを思い返す。

 何を考えているのか解らない、無表情のまま守樹は続けた。

「カロスの意志は、生きていたんだ」



 * * *



 守樹とマオが事務所に戻ると、扉の隙間に一枚の黒いカードが挟んであるのに気付き、マオがそれを手に取って確認すると、そこには白いタイピング文字でこう綴られていた。

【守樹 きみを こころから 愛してる  ころされた きみの ママより もっと きれいな 守樹の かおを みたいな】

――殺されたコイツの母親? 何だ、このカード? 悪戯か?

「守樹サン、これ……」

 マオの少し動揺した声に反し、守樹はいつも通りの様子で「くだらん、早く開けろ」と扉を指した。
そうして事務所に上がると、マオはコーヒーをたてながら気まずそうに尋ねた。

「守樹サン、そのカードどうするの? 我台さんに相談してみる? もしかしたら過去の依頼の逆恨みとかかもしれないし……」

 守樹は一度チラリと机の上に無造作に置かれたカードに目をやったが、直ぐに興味を無くした様に視線を逸らした。

「必要ない、放っておけ」

「わかりました……あの、守樹サン?」

「何だ」

「その……守樹サンのお母さんって……」

 その先の言葉が続かず目が泳ぐ。
残酷な言葉を口にするのを躊躇っている所為か、冷や汗が輪郭を伝って流れている。
そんなマオに痺れを切らし、守樹が口を開いた。

「ああ、殺されてる」

「――ッ!」

 衝撃的な事実にマオの心臓は大きく跳ね、それと連動するかの様にビクリと一歩後ずさった。
対する守樹は涼しい顔で新聞に目を落としている。

「コーヒー、あとどれぐらいだ?」

「あ、あと、もう直ぐ……です」

――何なんだコイツ? 自分の母親が殺された話ししてんのに顔色一つ変えやしねぇ……。コイツにとってそれ程重要な事じゃねぇのか?

 マオは一人頭を悩ませたが、当然解決する筈もなく、深い溜め息がコーヒーにブレンドされた。



 * * *



「――っと、カロス、カロスー……ねぇなぁ」

 ビルの三階、香月探偵事務所の資料庫でマオは探し物をしていた。

 その探し物とは、守樹と我台の話題に上がり、普段は何にも興味を示さない守樹が珍しく人間らしい反応を示した『カロス』についての資料だ。

――まさか昔の事件だから捨てた?

 一つの可能性が頭を過ぎったが、それは無いだろうと首を振る。
何か根拠がある訳ではないが、なんとなく第六感がそう告げた気がした。

「んー……ネットで調べてみるかな」

――ヒットするかわかんねぇけど。

 事務所に戻ると、守樹は来客用のソファに横になり規則正しい寝息を立てていた。
マオは「またか」と声を漏らしたが、好都合とばかりに起こす様子はなくデスクに向かう。

パソコンを立ち上げてインターネットに接続し、検索画面が出たのを確認すると《カロス 事件》と打ち込んで検索結果に移動する。

千件を超えた検索結果に少し驚きながらも、中でも一際目を引くタイトルにマオは思わず小さくそれを呟いた。

「……サイコキラー・カロス?」

「頭のイカれた連続殺人鬼の事だ」

「うわっ! 守樹サン、起きてたんだ」

「カロスの事が気になるのか?」

「あっ……えっと……ハイ」

 何故か悪い事をした様な感覚に陥り、下を向きながら答える。
守樹はマオが手にしていたマウスを取るとパソコンの電源を落とし、その場からゆっくりと離れながら続けた。

「ネットの情報は嘘も多い。私の知る真実だけを教えてやろう。

――もう十年前の話になる。カロス……は自らそう名乗った、イカれた男だった。

本名は有栖川創始ありすがわそうし。初犯当時は二十八歳……その後五年間犯行に及び、被害件数は百を越えた。被害者達は全員、カロスとは何の面識も無い赤の他人だった。

カロスの殺人手口は全て同じもので、母親の前で子供を痛めつけ、瀕死の子供を母親が庇おうと手を伸ばした時、子供の頭を踏み殺し、絶望の色に染まった母親の顔を拝んでから殺す……というものだった。

やがて警察が居場所を突き止め、突入した時にはもうカロスは死んでいた……全身血まみれで、顔には笑みを浮かべてな」

「笑みを?」

 守樹は小さく頷いた。

「理由は解らん。元々イカれた奴だったんだろう。何せサイコキラーだからな」

「さっきから出てくる、そのサイコキラーっていうのは一体何なんですか?」

 マオの質問に守樹は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな目つきで睨みつけた。

――悪かったな、そんな知識も無くてよ。

「まあ……素行調査が主である興信所には必要無い知識だが馬鹿マオに分かるように説明すると、サイコキラーとは殺人行為自体に快楽を覚える殺人鬼を指す……。

今でこそ、社会不適合者のイカれた殺人鬼を指す時に使われる言葉だが、元々はカロスの代名詞……奴の為に生まれた言葉と言っても過言ではない。

他にも殺人犯は大きく三つに分けられる――シリアルキラー、スプリーキラー、そしてサイコキラーだ。シリアルナンバーは分かるな? 連続する番号を意味している事から、連続殺人犯をシリアルキラーと称し、スプリーキラーは大量殺人を……分かるか?」

「あーうん、ぼんやり。結局のところ、全部一緒ってわけだね?」

――ていうかコイツ馬鹿と書いて俺と読みやがったな。

「労力の無駄だった様だな」

「す、すみません……」

――覚えてろクソガキ。

「でも、他の探偵事務所と同じ様にも主な仕事は浮気調査でしょう? 殺人事件になんて関われない。それは警察の管轄だもん。それなのに、何で守樹サンはそんなにそのカロスについて詳しいんです?」

 守樹の眉間から皺が消えた。
何を考えているのかさっぱり分からない、何時ものポーカーフェイスで天井をゆっくりと仰ぎ、ソファの背凭れにポスッと体を預けた。

「私の母親が、カロスが手に掛けた最後の犠牲者だった」

 それを聞いたマオは文字通り、ピタリと思考が停止した。
何処か他所から自分を眺めている様な感覚だ。

 据え置きのバリスタからカチッと音が聞こえ、守樹が「コーヒー」と声を上げたので、場にそぐわず「ああ、はい」なんて暢気に答えていそいそとキッチンに向かい、淹れたてのコーヒーをそっとテーブルに置いた。

「……ごめん守樹サン、なんて言葉を掛けて良いのか……」

「要らん」

 熱いコーヒーが胸に染みた。

「守樹サン」

「今度は何だ」

「俺の予想なんだけど、さっき我台さんが言ってた、 とこの黒いカード……何か関係があるんじゃないかな? もしかして、同一人物……とか……」

 この推測にはあまり自信の無いマオだったが、やはりあまりにもタイミングが良過ぎる模倣犯の出現とカードの存在。
そして過去にカロスの手で殺されたという守樹の母親の話しが妙に引っかかり、それを口にした。

自信の無さから落とされていたマオの視線だったが、何も応えない守樹に不安を覚え、やっぱり的外れだろうかと思い、恐る恐る顔を上げると、そこには満足そうに、更にはどこか悪戯っぽく笑う守樹の姿があった。

――え、何笑ってんだ? 気色悪いな。

「マオ、馬鹿おまえにしては上出来だ! 私の母が死んでいる事、そしてその死因については僅かな人間しか知り得ない事だ。

当時事件に関わっていた人間と舞子の他にも一人居るが、しかし警察がこんな趣味の悪いカードを私に宛てる事を除外とするなら送り主は犯人カロスと考えるのが妥当だろう……が、奴は既に死んでいるからな。

必然的にが怪しいとみれるだろう……」

「あのさぁ……守樹サン、誉めてくれるのは有難いんだけど、馬鹿と書いて俺って読むの止めない?」

嗚呼ああ、何て嬉しいんだ! 嬉しいよ、マオ! 猿でも分かる様な事ではあるがお前がここまで筋の通った推測を立てられるなんて! どんな人間でも成長とはするものなんだな」

――マジでめちゃくちゃムカつく。

 ワナワナと震える拳を隠してマオは守樹にジト目を向けるのだった。
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