香月探偵事務所

山本記代 (元:青瀬 理央)

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第一章 狂い始めた歯車

case02. 事件発生

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 とある林の中に、かつて誰かが住んでいたと思われる、一軒の小さな小屋がある。
穴だらけで見るからにボロボロの空き家だ。

 一つだけある小さな窓際で、細かく数本の足を動かし移動するてんとう虫を至近距離から見つめる少女は落闇恋おちやみれん

黒髪に前下がりのショートボブで右目が白、左目が黒のオッドアイ。
そして幅の広い二重の垂れ目……右の泣きボクロと長い下睫毛が特徴的だ。

 ジッと見つめるその表情は無表情で、何を考えているのかはわからない。

 プチッ――小さな音を立て、てんとう虫の命が消えた。
ゆっくりと退けられた人差し指の下には、くしゃりと伸びきった赤い羽と黄色い体液が広がっていた。

恋がその指を目で追い、顔を上げると自分と瓜二つの顔……髪型は同じだが恋とは真逆の白髪、そして右目が黒、左目が白のオッドアイに長い下睫毛、左の泣きボクロ。
更に同じく垂れ目の双子の弟、落闇愛おちやみあいが優しい微笑みを浮かべて恋を見ていた。

 出窓に腰掛けている愛は、てんとう虫の体液が付着した人差し指を恋に近付け、微笑んだまま少し首を傾げて恋の頬に拭ったが、恋はやはり顔色一つ変えずに愛の目を見つめる。

 その様子を傍から見れば、なんとも儚い恋人同士に見えるだろう。

「あのね恋……やっと見付けたんだよ、守樹を」

 愛がそう言うと、温かい風がふわりと二人の髪を揺らした。

 愛の言葉に応える声は無い。

 揺れた髪と同時に恋の右袖、そして愛の左袖もふわりと風に靡く。
どうやら二人とも片腕が無いらしい。

「だからね、カードを贈ったんだ……見てくれたかな? 俺に気付いたかな? ふふふ、今度は守樹の声が聞きたいなぁ……。

ああ、恋、ヤキモチを妬いてはいけないよ。俺の特別はお前じゃない、守樹なんだ」

 静かにクスクスと笑いながら、愛は恋の額に自身のそれを合わせると、目を見つめて愛おしそうに微笑んだ。



 * * *



 深夜、けたたましい騒音に守樹は眉間に皺を寄せ、頭まで布団を被った。

出なければ鳴り止むだろうと無視を決め込む守樹だったが、掛けてきたであろう相手は相当粘り強いらしい。
とうとう守樹はもぞもぞと起き上がり、不機嫌な表情の元凶へと足を進める。

 受話器を持ち上げ無言で耳に押し当てると、少し前に気分が悪いと吐き捨てた相手の声が鼓膜を揺らした。

『もしもし、香月さんですか? 七尾です』

「なんだ、こんな時間に。我台が死んだのか?」

 横目で時計を確認すると、午前二時を過ぎたところだった。

こんな非常識な時間に掛かってくるとすれば不幸の知らせくらいだろうと予想してそう尋ねてみれば、どうやらそうでは無いらしく、威勢の良い我台の大声が守樹の耳を劈いた。

『生きてるわ!』

「……じゃあ何の用だ? 何時だと思ってる」

 そのまま通話相手は我台に代わり、話しを続けた。

『たった今、またカロスの模倣犯の被害者が出た。今日の午前七時を以て捜査本部が設置される事になった』

「やっとか」

『ああ。そしてもう一つ、今回の新たな被害者だが……』

「なんだ、早く言え」





『――……殺された』





 ピクリ――守樹の眉が僅かに反応を示した。
カロスの模倣犯、初めての殺人に少なからず動揺したのだろう。

我台は警察の不甲斐なさを嘆いたが、直ぐに頭を切り替え「また連絡する」と言い残し通話を終了させた。

 守樹の顳顬から一筋の汗が伝い顎に達すると、ポタリと音を立ててフローリングに落ちた。
未だに受話器を持つ手にはじんわりと汗が滲み、脳裏に母の声が過ぎる。

『――ほら、守樹見てごらん?』

 荒くなる呼吸を整えながら窓を開け、幼い頃母に応えた様に呟く。

「――まん丸の、お月様だね……」

 満月を見に外へ出た母と守樹。
これは守樹の中の、一番古いが一番胸に焼き付いている記憶。

 大きな月に感動し、帰宅すると待っていたのはだった。

この日母はカロスの手によって命を奪われ、またカロスも自らの手でその生涯を終えた。

よりにもよって、模倣犯は何故満月の今日を選んだのか。

 優しく光る満月を睨みながら落ち着きを取り戻した守樹がじっと考えていると、ふと下から視線を感じてその正体を探す。
目に写ったのは白髪で左腕の無い少年、愛だった。

 愛は電柱に凭れて立っていたが、守樹と目が合うと預けていた背を離し、酷く嬉しそうに笑った。

守樹は自分を見上げて大きく右手を振る愛に、ゾワリと全身の毛が逆立つ様な嫌な感覚を覚え、急いで窓とブラインドに手を掛けた。

落ち着いていた呼吸がまた乱れた。



 * * *



 午前七時三十分、香月探偵事務所の扉が開く。
マオがいつも出勤する時間だ。

 守樹の好物である林檎を紙袋いっぱいに持ち、空いた手で扉を閉める。

革靴を脱いでスリッパに履き替えると、ズレた眼鏡を直しながら振り返り、いつも無いはずの所長の姿を捉えると少し笑って「おはようございます」と声を掛けた。

紙袋をキッチンのカウンターに置こうとした所で、はたと違和感を感じたマオは勢い良く振り返り、壁に背中を強く打ち付ける程後退ると全身からダラダラと汗を流した。

何度も眼鏡を掛け直し、何度も現在地を確認する。

「朝から鬱陶しい」

 そんなリアクションを一蹴され落ち着いた風を装うマオだったが、やはり心臓は落ち着かず未だ激しく脈打っている。

「すすすす、守樹サン! ど、ど、どうしたの……ですか? こんな時間に起きてるなんて!」

 動揺激しく声は裏返り、言葉はままならないといった様子のマオに、守樹は面倒そうに顔を歪ませた後、マオの質問には答えず落ちた林檎を拾い上げた。

シャクシャク――良い音を立てて林檎を頬張りながら、守樹は夜の出来事を話した。

 やっと平静を取り戻したマオは、コーヒーを淹れながらその話しに耳を傾ける。

「――そう、とうとう殺人被害が……。それに、その守樹サンを見てたっていう少年は一体誰で、何の目的があったんだろうね?」

「……さあな」



 * * *




 鼓膜を破る程の大きな着信音の後マオが居るにも関わらず、珍しく受話器を取ったのは守樹。
マオは守樹の行動に驚き、不本意ながら硬直して電話が切れるのを待った。

――なんなんだ今日は?

「電話、我台さん?」

「ああ、先程正式に捜査本部が設置されたらしい。会議の後で来るそうだ」

「『来る』って……パレットしたじゃなくて香月探偵事務所こっちに?」

 頷く守樹を確認したマオは、我台がパレットではなく事務所に来ると聞き、どこか他人事だったカロスの模倣事件がただならぬ事態なんだと漸く実感が湧いた。


 * * *



「こんにちは我台さん、七尾さん。お待ちしてました、どうぞ奥へ」

「悪い、遅くなったな」

「こんにちは、失礼します」

 我台と七尾が到着したのは、電話を切ってから五時間後の事だった。

マオが二人を来客用のソファへ誘導すると、既に応接用ソファには守樹が腰掛けており、普段の依頼ならばマオはその後ろに立って控えるのだが今日は例外、守樹の隣に腰を下ろす。

 マオがペンとメモ帳を取り出したのを確認した我台が口を開いた。

「まず、……と言うのも一々長いからな、本部で付けられた名前……ベルダと呼ぶ事にする」

「ベルダ?」

 守樹が顔を顰めて聞き返すと、七尾がそれに答えた。

は我々がカロス事件の被害者の会から聞いた話しですが、カロスは犯人自ら名乗った事はご存知ですか?

その意味はギリシャ語で『美しい』というものだそうです。現にカロスは殺害した女性達の事を『非常に美しい表情で死んでいった』と話した事があるそうです。

そして、恐らく模倣犯であるベルダもきっとカロスに感化され、被害者女性に対して同じ思いを抱いているのではないかと推測し、スペイン語ではありますがカロスと同様『美しい』を意味する単語『ベルダ』に決定しました」

にまで時間を割くのか、警察は。……頭が痛くなってくるな。それに殺人犯に『美しい』などと名付けるとは……警察おまえたちもいよいよイカレてるな」

「まあまあ守樹サン、聞きましょうよ」

 ここで再び我台に代わる。

「殺人を犯す前の傷害事件の時点では、被害者達からの証言によるとベルダの性別は不明。

身長は百六十センチくらい、細身で黒いパーカーを着用していたそうだ。声は中性的で子供の様にも聞こえたとか……。そして片腕が無いらしい」

――身長百六十センチくらい、細身で片腕……。

 ゾワリ――守樹の全身に鳥肌が立ち、あの満月の夜の出来事を思い出した。

愛も片腕が無い事に気付く。

「その、無いと言う腕は左か?」

「いやそれが妙な話しなんだが、被害者達の証言によると『暴行を受けている時は右腕が無かったが、痛めつけられた後自分を見下ろして楽しそうな声色で話していた時は左腕が無かった』んだとよ。もうこっちはワケがわかんねぇのなんのって……」

「そういえば守樹サン、昨日の夜ベルダの事件の電話を切った後、左腕が無い少年が守樹サンに向かって手を振ってたって……」

「本当か! そりゃ一体誰なんだ!」

 しめたと言わんばかりに身を乗り出し目を輝かせる我台に対し、守樹は下を向きながら首を左右に振った。
 我台は力が抜けた様に座り直す。

「全く面識が無い、知らない人間だった

それに昨日事件があったのは二十三区だと言ったな? ここからじゃとても遠過ぎる。死亡推定時刻からしても、僅か二十分しか経っていない……例え車を使ったとしても、たった二十分でここまでの移動は無理だ」

 残念そうな表情を浮かべた我台と七尾は、少し肩を落としたが本題に戻る。

「現在の捜査線上において、浮上した被疑者は未だ居ません」

「だろうな。これ程手の込んだ犯行だ、鑑識以外全てが無能な今の日本警察では尻尾を掴むには中々骨が折れるだろう」

「守樹サン、一言余計だよ!」

「……ああ、だったか? 会議で五時間もベルダの呼び名を決めるくらいだ、確かにマオの言う通りかもしれん」

「ちょっ!? もう! す、すみません」

「ガッハッハ! 構わねぇさ! しかし妙だ……カロスについてプロファイリングを行った後直ぐに被疑者が浮いてくるかと思ったが、カロスについての情報は驚く程少なかった。

犯人死亡の解決した事件で、おまけに十年前だと言われればそれまでなんだが……それにしては情報も資料も少な過ぎる……」

「…………」

 そうしてある程度の情報を得た守樹とマオは二人を見送った。
尤も、守樹はソファに腰掛けたままだったが。

 マオはコーヒーを淹れ直し、守樹の前に置いた。
自分も一口コーヒーを含んでゆっくりと飲み込むと、肩の荷が下りた様に息を吐いた。

守樹はコーヒーには手を付けず何やら考え込んでいる様子だ。
そんな守樹を不思議に思いマオは隣に座る。

「……守樹サン、どうしたの? 何か思うところがあるんです?」

「ああ。少し気になってな」

「何が気になるんですか?」

「昨日の少年だ」

「それって感覚的な話じゃなくて?」

「ああ。考えても仕方無い事だがな」

「……林檎、食べます?」

 無言で頷いたのを確認し、マオはコーヒーを片手にキッチンへ向かうのだった。
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