香月探偵事務所

山本記代 (元:青瀬 理央)

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第三章 色褪せた記憶

case12. 林檎が好きな理由

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「おはようございます。……守樹サン、今日も行くの?」

 マオが出勤すると守樹は既に身支度を済ませており、あの空色のベンチがある公園へ出掛けるところだった様で、ここ最近の決まり文句が口をついた。

 舞子が事情聴取の為警察署へ任意同行した日から、一週間が過ぎようとしていた。

舞子が戻って来る時は我台から連絡があると、守樹自身わかっているがやはりじっとはしていられないようで、今まで朝に弱かったにも関わらず、からこうして毎日朝から夕方まで公園で過ごしているのだ。

「……気を付けてね」

 そんな守樹を毎朝見送り、夕方出迎えるのがマオの日課となっていた。

 大きく変化したこの環境に居心地の悪さを感じているのは守樹だけでなく、それはマオも同じだった。

 事務所は勿論閉めたままだ。

――おーい、クソガキー俺は家政夫じゃねぇぞー。

 守樹が出ていった扉を見つめて溜め息を吐くのと、事務所内に独特な電話の音が鳴り響いたのはほぼ同時だった。
ビクリと肩を跳ねさせ、今度は脱力するように大きく息を吐き「へいへい」と漏らしながら受話器を取る。

相手は我台だった。やっと舞子の事情聴取が終わったと言う。
待ちに待った連絡に安堵しながらも「できればあと五分早く教えて欲しかった」というマオの切な願いは愛想笑いに隠れた。

今追い掛ければきっと間に合うだろう、受話器を耳から離して扉を振り返る。すると「それと」という我台の声が聞こえ、マオはもう一度受話器を耳に当てた。

「それと?」

『ベルダ……ああいや、落闇愛の件だが身体に異常は見つからんかったそうだ。……やっぱり精神だな。たとえ医療少年院を退院したとしても、身元引受け人を探すのは難しいだろう。特に恋の方は退院すら出来んだろうな』

「そうですか……ありがとうございます。守樹サンにもそう伝えておきます」

『……守樹の様子はどうだ? 相変わらず、か?』

「ええ」

『そうか……時間を取らせて悪かったな。また掛ける』



 * * *



 今となっては随分色褪せてしまった空色のベンチ。
守樹はそのベンチに腰掛け、いつかこれは撤去され違う物が据えられるのだろうかと考えながら、空を眺めていた目をゆっくり閉じる。

――冬の匂いだ。

 髪をふわりと巻き上げ、葉を揺らした風の中に冬を感じた。
季節は秋から冬に変わろうとしている。

――冬は切なくなる。

 静かに空気を吸い込んだ時、靴と砂が擦れる音を守樹の耳が拾い、ピクリと眉を反応させた。

――知ってる、この足音は……。

「あなたはだあれ?」

 待ちわびた瞬間だった。

 ゆっくりと目を開けた守樹は目の前で微笑む、少し痩せた幼馴染みに僅かに目元を緩めて返す。





 * * *



 二人は思い出の詰まったベンチに並んで腰かけ、互いについて知らない事を語り合っていた。

幼い頃から一緒にいたが、知っている事よりも知らない事の方が多く、言葉が足りなかったからこそ舞子はカロスやベルダの事で悩み、それを誰にも相談出来ないでいたのだろうと守樹は解釈していた。

だからこそ、足りなかった二人の言葉を紡ぎ、より深く絆しようと思ったのだ。
二度と大切なものを失わぬように……という守樹の祈りにも似た願いを込めて。

「ねぇ守樹、どうして守樹は林檎が好きなの?」

「お前、覚えていないのか?」

 きょとん、とした表情で舞子が首を捻ったが、やはり思い出せない様で「うん」と頷いた。



 * * *



「守樹!」

「……まいこ」

 守樹と舞子が出会い、約三ヶ月程経った日の事だ。
いつものように本を眺めていた守樹の元に元気よく駆けてきた舞子は「今日もいた!」と、嬉しそうに顔を綻ばせる。
そして守樹がいつもと様子が違う事に気付き、その額に手を伸ばす。

「わ! 守樹、ぽかぽかしてる。大丈夫?」

「……ん」

 俯きながら頷いた守樹の目は熱っぽく潤んでおり頬は紅く色をさしていた。
舞子はおろおろと焦りながら、そっと守樹の背中を撫でる。

「守樹、今日守樹のお母さんはお買い物?」

 守樹は左右に首を振る。

「おうちにいるの?」

「……んん」

 熱がある事を指摘されて漸く症状を自覚したらしい守樹は首に力が入らなくなったらしく、ぐったりとした様子で頷いた。

「す、守樹、大丈夫? どうしよう、誰か大人の人……」

 己の無力さと置かれた現状、積もる不安に恐怖した舞子の目には今にも零れそうな程涙が溜まる。
キョロキョロと辺りを見回すが大人の姿は無く、ポロリと大きな涙が一粒溢れた。

――私の方がお姉ちゃんだから、泣いちゃだめ。

 強く唇を噛み、ぐいと涙を拭うと守樹に優しく声を掛けた。

「守樹、私がついてるから大丈夫だよ? ちょっと待っててね、今大人の人探してくるから」

「…………」

 応える声は無かったが、代わりに力無く頷いた守樹に「すぐに戻るからね」と言い残し振り返る。
何に緊張しているのか大きく、速く波打つ心臓の音が頭まで響き、それは耳へと繋がり、まるで全身で脈打っているかの様に感じた。

――早く、早くしないと! 誰か!

 公園から飛び出したところで誰かとぶつかった。

「――ッ! なんだ、舞か……どうした? 誰かにいじめられたのか?」

 サッカーボールを小脇にかかえた大樹だ。
舞子の様子から何かあった事を察してそう言った大樹に首を振り答える。

「だ、大君! 守樹がっ!」

 途端に目の色を変えた大樹が駆け出した。

 ベンチに戻ると本を枕にぐったりと寝そべる守樹の呼吸は先程とは違い、とても浅いものに変わり額と首周りにはじんわりと汗が滲み、頬は益々紅潮していた。
その姿を目にした瞬間、舞子の全身から血の気が引き真っ青な顔で縋り付く。

「守樹! 守樹! 守樹大丈夫? お返事できる?」

 大樹が舞子に静止をかける。

「守樹、もうちょっと辛抱しろよ。兄ちゃんが家に連れてってやるからな。舞、本とボール持って」

「うん」

 大樹が対応してくれた安心感に、張り詰めていた糸が切れそうになる感覚を覚えた舞子は守樹の温もりが残る本を強く抱き締めてそれを堪えたが、大樹には全てお見通しだったらしく乱暴な手つきでぐりぐりと頭を撫で回された。

「わ、なあに?」

 大樹は目を細めて優しく微笑む。

「びっくりしたな、舞」

 張り詰めていた緊張の糸が音もなく切れたのが分かった。
堰を切ったようにボロボロと涙が零れ、詰まる鼻のせいで鼻水は垂れ流し。
拭っても拭っても次から次へと流れる涙に舞子は苛つき、余計に感情を揺さぶられる。

「頑張ったな、ありがとう」

 何度も頷き、泣きじゃくった。



 * * *



 二日後、すっかり体調が良くなった守樹はのんびりとした足取りで公園に向かう。
その隣には守樹の小さな歩幅に合わせて歩く大樹。

「守樹、本重くないか? 持とうか?」

「ない」

 体調に関わらず、普段から小さな妹を気にかけている大樹は毎度こうして同じ事を問う。
その度に守樹は短く答えている。

「じゃあ守樹、公園まで抱っこ……」

「ない」

「……じゃあ守樹、公園まで手を繋ごう。母さんも手を繋ぐように言ってたし」

「ほんがもてない」

「本は兄ちゃんが持つから」

「いや」

「…………」

 昔から懲りない上にめげる事を知らぬ男である。



 * * *



 公園に到着すると舞子は既に来ていた様で、小さな影が遠目に伺えた。

「……まいこっ」

 結局本を大樹が持ち、しっかりと繋いでいた手を離し、舞子の姿を確認した守樹は途端に駆け出した。

「守樹、もう大丈夫なの?」

「ただの風邪だったみたいだ。でも舞のおかげで元気になった。な、守樹?」

 心配そうに顔を覗く舞子は守樹が頷くのを見て「良かった」と笑った。
そして「そうだ!」と小さなトートバッグから箱を取り出し、それを差し出す。
守樹は「なあに?」と首を傾げながら受け取る。

「それね、はちみつ林檎だよ! お母さんに守樹のお話ししたら持たせてくれたの!」

「……はちみつりんご」

「大君と一緒に食べてね!」

「ありがとうな、舞」

「まいこ、もうかえる?」

「うん、今日は疲れちゃったから」

 力無く笑う舞子に違和感を感じた大樹は舞子の額に手を当てる。
その様子を心配そうに見つめる守樹。
呆れた様に溜め息を吐いた大樹は舞子を小突き、それを見た守樹が「あ!」と声を上げ本をドサッ、と音を立てて落とすと大樹の腕に掴みかかる。

「まいこになにするっ!」

「うわ! おい守樹……」

 困った様に眉を下げた大樹は膝を折り、守樹の目線より低く構えると言い聞かせる様に言った。

「守樹、は熱があるんだ。わかるか? この間守樹もで辛かっただろ? 今舞子も守樹と同じなんだ」

「……まいこ、なのか?」

 今にも泣き出しそうな顔を舞子に向けると、舞子は「大丈夫だよ」と笑う。

「大丈夫か舞? とりあえず帰るぞ。なんで来たんだ?」

 大樹が舞子をおぶり、守樹は不安げな面持ちで大樹の服の裾をぎゅっと握っている。
そんな守樹を横目に、大方三日前の守樹の風邪が伝染うつったのだろう、そう思った大樹だったが言ってしまえば守樹が泣き出すのは一目瞭然なのでそれは口にしなかった。

「あのね」

 大樹の背中で舞子が口を開く。

「そのはちみつ林檎、私もお手伝いしたの。だから守樹に早く食べて欲しかったの。でもね、うさぎさんの形にしたかったんだけど失敗しちゃって……そしたらその形がとっても可笑しくてね、一緒に見てもらおうと思ったんだけど……」

 ふにゃりと力無く笑う舞子。

「それでわざわざ無理して来たのか」

 舞子を家に送り届けた後、今度は守樹がぐずり始め、きっと疲れから眠気に襲われているのだろうと大樹は思い至り「今日は兄ちゃん大変だ」と笑って守樹をおぶった。

 家に帰り着くと同時に目を覚ました守樹は舞子に言われた通り、大樹とはちみつ林檎を頬張った。
優しい甘さに心がほっこりと温かくなるのがわかった。

「美味いな、守樹」

「うまいな」

「明日は舞にちみつ林檎作ってやろうな。舞より上手くうさぎにできるかな?」

「できる」



 * * *



 翌日作ったはちみつ林檎。うさぎの形は不恰好で守樹は納得がいかない様に顔を歪ませていたが、体調を取り戻した舞子は「上手に出来たんだね」と笑顔を見せた。

「とっても美味しかった! 守樹、大君、ごちそうさま!」

 守樹と大樹の心はまたほっこりと温まり、この日を境に守樹は林檎を好むようになった。



 * * *



 話し終わると舞子がクスクスと可笑しそうに笑っていた。

「何故笑うんだ」

 拗ねた様に守樹が唇を尖らせる。

「思い出した、思い出した。守樹ったら、林檎を上手にうさぎ形に切るのを練習してたのに、全然上達しなかったわよね」

「……人には向き不向きというものがあるんだ」

「あら、守樹がそんな事を言うだなんて。そういえば守樹が切るのを失敗した林檎、大君が沢山食べ過ぎちゃって、一時期大君の苦手な食べ物が林檎だった事があったわよね。ふふふ、思い出したら可笑しくて」

 目尻に涙を滲ませて笑う舞子に釣られて守樹も僅かに口角を上げた。

「舞子」

「なあに?」

「……この公園もベンチも、な」

「……そうね」

――やっと互いを知れた。
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