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第一章 迷惑な求愛
乙女の最終選考会
次の日も、その次の日も、ロザリアはセストの執務室で乙女選出に関する書類の整理に追われた。そんな状態が二週間ほど続き、セストは連日の会議に出席、乙女候補は二十人に絞られた。明日の最終選考会では、この中から十人の乙女が選ばれる。
ロザリアは明日の選考会を控え、書類の最終チェックをすませた。
「終わりました」
ロザリアが声をかけると、セストは目を通していた書類から顔を上げた。ロザリアの手元からするりと書類は抜け出し、くるくる回りながらセストの執務机へと移動していく。
魔法とは便利なものだが、その力のお陰で、セストはほとんど一日椅子から立ち上がることがない。必要なものは魔法で引き寄せ、整理する時は指先一つで棚に収納できる。立ち上がる必要がないのだ。
なんだか運動不足になりそうだ。
けれどセストの体が意外にも筋肉質であることは、抱きしめられた時にわかっている。
セストの屋敷に迷い込んだあのあと、セストが重厚な玄関扉を開くと、見慣れた王宮内の廊下につながった。
セスト曰く、屋敷まで帰るのが面倒なので、執務室の扉と屋敷の玄関扉とをつないでいるらしい。普通の人が開けると執務室に通じるが、セストが開くと執務室と屋敷とを自在に行き来できるそうだ。
そんな説明を聞きながら、しつこく誘ってくるセストから這々の体で逃げ出した。
もしかして、筋力も魔力で鍛えられるとか?
そんな取り留めのないことを考えていると、「もうあがっていいぞ」とセストに声をかけられドキリとした。考えていた内容が内容だけに、一人勝手に抱きしめられた時のことを思い出し心臓がばくばくした。
「なんだ、顔が赤いな。どうした?」
セストは立ち上がるとロザリアの横に座り、長い指でロザリアの額に触れてくる。こんな時は立ち上がるんだとセストを見上げると、セストは怪訝な顔をした。
「本当に気分でも悪いのか?」
「大丈夫。……どうしてそう思うの?」
「いやな、この間のことがあるからな。こんなふうに触れようものなら、キャーから始まって、俺は突き飛ばされるだろうと。妙に大人しいんで、本当に具合が悪いのかと思ってな」
「だ、大丈夫…」
振り払うという選択肢を忘れていた。
この二週間、この部屋で二人で仕事詰めで、親近感を抱き始めていた。危ない危ない。セストの毒牙にかかるところだった。
「ほんとに大丈夫です」
ロザリアはセストの手から逃れて立ち上がった。お疲れ様でしたと慇懃に頭を下げ、執務室を後にした。
セストの執務室を出ると、待ち構えていたようにベネデッタ王女が物陰から現れた。
今日は真紅のドレス姿だ。珍しく取り巻きの三人はおらず、ベネデッタは一人でつかつかとロザリアの元へ歩いてくるといきなり右手を振り上げた。
あ、ぶたれる……。
そう気づいた時にはロザリアの頬にベネデッタの平手が炸裂していた。
「この恥知らず!」
ロザリアは突然のことに呆然と頬を抑えてベネデッタの顔を見つめた。眉尻の上がったきつい瞳が、ロザリアを見返している。
「姑息な手を使ったんでしょう! セストの補佐役だなんて信じられない。他にもたくさん優秀な者がいる中で、あの方があなたを選ぶはずないもの。卑怯者! どうせ汚い手を使ったんでしょう!」
どうやらベネデッタはロザリアがセストの補佐役に就任したことがお気に召さなかったらしい。ロザリアは痛む頬をさすりながら「…申し訳ございません」と頭を下げた。別に悪いことはしていないし、ロザリア自ら望んでセストの補佐役に収まったわけではない。とはいえその辺りの事情を説明してもベネデッタに通じないことは学習済みだ。とりあえず謝って、王女の気が済むのを待つしかない。
けれど今回はこの方法は逆効果だった。ロザリアが謝るとベネデッタはきっとまなじりを上げた。
「やっぱりそうなのね! あの方の気を引こうとして、なんていやらしい! 汚らわしい女」
「……あの。いえ…」
謝ったことでベネデッタの言を肯定したことになっていた。しまったと思った時にはすでに遅かった。
「さぞ卑怯な手を使って補佐役になったのでしょうね。魔事室のペアーノ室長にでも泣きついたのかしら? それともお得意の色仕掛け? あなたのお母様もお若い頃はそれはそれはたくさんの浮名を流されていたそうですものね。男性を意のままに操る手管はお母様仕込みかしら?」
「……母のことは関係ありません」
母のジュリエッタは美しかっただけに女性からの妬みも嫌がらせも多かったと聞く。ベネデッタもあらぬうわさを聞いているのだろう。だからといって、いま母を貶めるようなことを言うのは許せない。そもそも母にはたくさんの男性を手玉にとるような器用さはないし、何より母は夫のリベリオ一筋だ。自分のことを言われるのは何とも思わないが、前世を引きずったどこか陰気な自分のことも全力で愛してくれる母の悪口は許せない。
「母を汚すようなことは言わないでください。セストの補佐役の話と、母の話とは全く関係がありません。王女様だからと言って、何を言っても許されるわけではありません」
「な、なによ……」
冷静に、かつしっかりと怒りの意志を込めて言い返すと、ベネデッタは一瞬たじろいだ。左右を見返して、いつもの助けてくれる取り巻きがいないことに気が付いたベネデッタは、ふんと鼻を鳴らした。
「いきなり偉そうな口をきかないでちょうだい。あなた誰に向かって言っているのかわかっておいで?」
「ええ、もちろんです。ベネデッタ王女様。ですが母を侮辱されて黙ってはいられません。誰だってそうなのではありませんか?」
「わたしはどなたかに聞いた話をしただけよ」
「聞いただけですよね。事実だと確かめられたのですか?」
「……は?」
ベネデッタは剣呑な声を出すと、何の予兆もなく再び右手を振り上げた。
「生意気な口を利くんじゃないわよ!」
「やぁロザリア。補佐役の仕事はどうだい?―――て、どうしたんだい? その頬……」
「……ははは」
久しぶりの魔事室でロザリアを出迎えたペアーノ室長は、腫れあがった両頬を見るなり声を裏返した。
結局両頬に平手を食らったロザリアは、そのまま家に帰れば間違いなく心配されるであろうことを憂い、火照りを覚ますため魔事室に寄った。案の定、ペアーノ室長には心配をかけてしまったが、室長は急ぎ冷たいタオルを用意してくれるとロザリアに差し出した。
「……すみません」
「また王女様かい? 全くあのお方には困ったもんだ」
「ここ二週間ほどは、仕事終わりが遅くなって王女様には遭わずにすんでいたんですけれど…」
報告書を集めに外出する機会も多い普段の魔事室の仕事と違い、ここ二週間はセストの執務室にこもりっきりだった。ベネデッタに会うこともなく、嫌がらせのことをしばらく忘れていた。
ロザリアが苦笑すると、ペアーノ室長は「まぁ座って」と近くの椅子を引き寄せた。
「やはり一度きちんとリベリオに相談したほうがいいんじゃないかい? だんだんやることがエスカレートしている気がするよ」
そう言われればそうかもしれない……。
嫌がらせが始まった初めの頃は、取り巻き三人を引き連れてロザリアを囲い、悪口を言うくらいだった。それがだんだん、腕を強くつかむ、胸を手でついて壁に突き飛ばす、足を引っかけて転倒させる、ワックスで滑らせてこけさせる……。言葉だけの攻撃から身体的な苦痛を与える攻撃へと変わってきている。
「……でも父と母には心配をかけたくないんです」
「君の気持ちもわかるけれどね。本当にこれ以上酷いようなら、私の方から相談させてもらうよ」
ペアーノ室長はこれだけは譲れないとばかりにはっきりと告げる。そう言われてはロザリアとしても頷かざるを得ない。
「……はい」
「まぁそんな顔せずに。リベリオに言う前に必ず君には言うから。―――それで? 補佐の仕事の方は順調かい?」
「……今のところ問題なく順調です。明日はいよいよ最終選考会なんです。今まではあまり興味がなかったのですが、今回は仕事で関わったので誰が選ばれるのか、わたしまで緊張してきました」
最終選考に残った二十人のことは、ロザリアも顔を知っている。いずれ劣らぬ美女ばかりだ。
「ロザリアらしいね。年頃の子で、乙女選出に興味がないなんて言うのは君くらいのものだよ。平民の子女でも、この手の話には興味津々なのが普通だよ。で、どうなんだい? ロザリアの予想は」
「全くわかりません。どの方が選ばれてもおかしくないと思いますので。むしろあの中から十人だけを選ばなければならないということが酷なくらいです」
「そうなんだろうね。おそらく、ここまで残った二十人なら、誰が選ばれてもおかしくはない。夢のない話をするようだけれど、あとはよほど突出したものがない限り、中央政界で力のある貴族の子女や、財力のある者の子女が選ばれるだろうね」
「そんなものですか……」
何事にも忖度が働くのはどこの世界でも同じだ。これといって決め手のない時は、仕方がないのだろう。
ロザリアがそう言うと、ペアーノ室長は苦笑した。
「相変わらず君は達観しているよね。ある意味大人というか。時々十八歳のお嬢さんと話しているということを忘れてしまうよ」
ロザリアをドキリどきりドキリとさせるようなことを言って笑った。
翌日、国事行事が開かれる大広間で一角獣狩り乙女の最終選考会が開かれた。
大広間の最上段には玉座が設けられ、オリンド国王陛下臨席のもと、国王の開会宣言から選考会は始まった。
主だった貴族と、各庁局から庁、局長クラスの者が出席し見守るなか、まずは今回の狩りの総隊長となるウバルド王弟殿下と、副隊長となるセストへ、オリンド国王から任命権が与えられた。
その後議長が中心となり、議題は本日のメインである最終選考会へとうつった。
最終選考に選ばれた二十人の令嬢は、別室で結果発表を待っている。
もしロザリアがその立場なら、たぶん緊張で部屋中熊みたいにうろうろ動き回りそうだ。
大広間には所狭しと椅子が並べられ、ロザリアはその最後尾、扉近くの一番の末席に腰掛けていた。本来なら、男爵家の娘に過ぎないロザリアが列席するような場ではないが、今朝セストの元へ出向くと、この会議へ出席するようにと言われた。例え場違いであろうとなんだろうと、仕事なら出席するまでだ。
大理石の柱や壁に囲まれ、一角獣の天井画が描かれた荘厳な大広間では、さきほどから白熱した議論がかわされていた。あちこちから声が飛び、怒号混じりの声も飛ぶ。
けれど話し合いが進むにつれ、やはり発言権の大きい大貴族の子女から乙女に決まっていく。奇しくもペアーノ室長の言う通りの展開だ。
純粋な観点から選ばれるわけではないのだ。
喧々諤々の議論の末、十人の乙女が定まった。伝令役の小姓が、すぐに大広間を飛び出し、最終選考に残った二十人の控える別室へと向かう。
しばらく待つと、選ばれた十人の令嬢が大広間へ入ってきた。
選ばれた経緯はともかく、みな正装のドレスを着用し、頬を上気させて緊張した面持ちだ。乙女に選ばれるだけあり、華やかで綺麗な令嬢ばかりだ。選ばれた十人が壇上に並ぶと、最後にベネデッタ王女が入ってきた。
ベネデッタ王女は、当然のように十人の前に立つと、国王に向かって一礼した。それに合わせ、居並んだ十人の令嬢もドレスを摘み、頭を下げる。
「……どうしてベネデッタ王女が…?」
思わずぽろりと言葉が溢れる。
やばっと思って慌てて口元を抑えると、隣に座る男性と目があった。線の細い小柄な男性で、薬師の着る茶のローブを着用している。肩で切り揃えた髪が、セストと同じ銀髪だ。一見可愛らしいようにも見える小作りな顔のその人は、けれど目に人を揶揄する悪戯っ子のような色を宿していた。
「ベネデッタ王女は、選考外の乙女だって知らなかった?」
その人は、ロザリアの独り言を受け、囁き声で話しかけてくる。
「そうなんですか? 知りませんでした」
ベネデッタは、書類選考も何もかもをすっ飛ばして乙女に選ばれるということのようだ。これこそ王族の特権なのだろう。銀髪の男性によると、王族は無条件に乙女に選ばれるそうだ。身分制度のある国ならではの慣習だ。
壇上では、選ばれた十人の乙女プラス、ベネデッタへ、オリンド国王より乙女への任命が宣言されているところだった。
隣の男性は、そんなものなどどうでもいいというように、くるりとまたロザリアに向き直った。
「言い遅れたけど、僕は薬師のテオだ。セストとは同郷でね。以後よろしく頼むよ、ロザリアちゃん」
「わたしの名前……」
「どうして知ってるかって? セストからいろいろ聞いてるからね。そりゃ知ってるよ」
同郷と言うだけあって、セストとは親しいようだ。
いろいろの内容は気になるが、
「よろしくお願いします…」
よろしくしなければならないことがあるのかはわからないが、ともかくもロザリアは頭を下げた。
ロザリアは明日の選考会を控え、書類の最終チェックをすませた。
「終わりました」
ロザリアが声をかけると、セストは目を通していた書類から顔を上げた。ロザリアの手元からするりと書類は抜け出し、くるくる回りながらセストの執務机へと移動していく。
魔法とは便利なものだが、その力のお陰で、セストはほとんど一日椅子から立ち上がることがない。必要なものは魔法で引き寄せ、整理する時は指先一つで棚に収納できる。立ち上がる必要がないのだ。
なんだか運動不足になりそうだ。
けれどセストの体が意外にも筋肉質であることは、抱きしめられた時にわかっている。
セストの屋敷に迷い込んだあのあと、セストが重厚な玄関扉を開くと、見慣れた王宮内の廊下につながった。
セスト曰く、屋敷まで帰るのが面倒なので、執務室の扉と屋敷の玄関扉とをつないでいるらしい。普通の人が開けると執務室に通じるが、セストが開くと執務室と屋敷とを自在に行き来できるそうだ。
そんな説明を聞きながら、しつこく誘ってくるセストから這々の体で逃げ出した。
もしかして、筋力も魔力で鍛えられるとか?
そんな取り留めのないことを考えていると、「もうあがっていいぞ」とセストに声をかけられドキリとした。考えていた内容が内容だけに、一人勝手に抱きしめられた時のことを思い出し心臓がばくばくした。
「なんだ、顔が赤いな。どうした?」
セストは立ち上がるとロザリアの横に座り、長い指でロザリアの額に触れてくる。こんな時は立ち上がるんだとセストを見上げると、セストは怪訝な顔をした。
「本当に気分でも悪いのか?」
「大丈夫。……どうしてそう思うの?」
「いやな、この間のことがあるからな。こんなふうに触れようものなら、キャーから始まって、俺は突き飛ばされるだろうと。妙に大人しいんで、本当に具合が悪いのかと思ってな」
「だ、大丈夫…」
振り払うという選択肢を忘れていた。
この二週間、この部屋で二人で仕事詰めで、親近感を抱き始めていた。危ない危ない。セストの毒牙にかかるところだった。
「ほんとに大丈夫です」
ロザリアはセストの手から逃れて立ち上がった。お疲れ様でしたと慇懃に頭を下げ、執務室を後にした。
セストの執務室を出ると、待ち構えていたようにベネデッタ王女が物陰から現れた。
今日は真紅のドレス姿だ。珍しく取り巻きの三人はおらず、ベネデッタは一人でつかつかとロザリアの元へ歩いてくるといきなり右手を振り上げた。
あ、ぶたれる……。
そう気づいた時にはロザリアの頬にベネデッタの平手が炸裂していた。
「この恥知らず!」
ロザリアは突然のことに呆然と頬を抑えてベネデッタの顔を見つめた。眉尻の上がったきつい瞳が、ロザリアを見返している。
「姑息な手を使ったんでしょう! セストの補佐役だなんて信じられない。他にもたくさん優秀な者がいる中で、あの方があなたを選ぶはずないもの。卑怯者! どうせ汚い手を使ったんでしょう!」
どうやらベネデッタはロザリアがセストの補佐役に就任したことがお気に召さなかったらしい。ロザリアは痛む頬をさすりながら「…申し訳ございません」と頭を下げた。別に悪いことはしていないし、ロザリア自ら望んでセストの補佐役に収まったわけではない。とはいえその辺りの事情を説明してもベネデッタに通じないことは学習済みだ。とりあえず謝って、王女の気が済むのを待つしかない。
けれど今回はこの方法は逆効果だった。ロザリアが謝るとベネデッタはきっとまなじりを上げた。
「やっぱりそうなのね! あの方の気を引こうとして、なんていやらしい! 汚らわしい女」
「……あの。いえ…」
謝ったことでベネデッタの言を肯定したことになっていた。しまったと思った時にはすでに遅かった。
「さぞ卑怯な手を使って補佐役になったのでしょうね。魔事室のペアーノ室長にでも泣きついたのかしら? それともお得意の色仕掛け? あなたのお母様もお若い頃はそれはそれはたくさんの浮名を流されていたそうですものね。男性を意のままに操る手管はお母様仕込みかしら?」
「……母のことは関係ありません」
母のジュリエッタは美しかっただけに女性からの妬みも嫌がらせも多かったと聞く。ベネデッタもあらぬうわさを聞いているのだろう。だからといって、いま母を貶めるようなことを言うのは許せない。そもそも母にはたくさんの男性を手玉にとるような器用さはないし、何より母は夫のリベリオ一筋だ。自分のことを言われるのは何とも思わないが、前世を引きずったどこか陰気な自分のことも全力で愛してくれる母の悪口は許せない。
「母を汚すようなことは言わないでください。セストの補佐役の話と、母の話とは全く関係がありません。王女様だからと言って、何を言っても許されるわけではありません」
「な、なによ……」
冷静に、かつしっかりと怒りの意志を込めて言い返すと、ベネデッタは一瞬たじろいだ。左右を見返して、いつもの助けてくれる取り巻きがいないことに気が付いたベネデッタは、ふんと鼻を鳴らした。
「いきなり偉そうな口をきかないでちょうだい。あなた誰に向かって言っているのかわかっておいで?」
「ええ、もちろんです。ベネデッタ王女様。ですが母を侮辱されて黙ってはいられません。誰だってそうなのではありませんか?」
「わたしはどなたかに聞いた話をしただけよ」
「聞いただけですよね。事実だと確かめられたのですか?」
「……は?」
ベネデッタは剣呑な声を出すと、何の予兆もなく再び右手を振り上げた。
「生意気な口を利くんじゃないわよ!」
「やぁロザリア。補佐役の仕事はどうだい?―――て、どうしたんだい? その頬……」
「……ははは」
久しぶりの魔事室でロザリアを出迎えたペアーノ室長は、腫れあがった両頬を見るなり声を裏返した。
結局両頬に平手を食らったロザリアは、そのまま家に帰れば間違いなく心配されるであろうことを憂い、火照りを覚ますため魔事室に寄った。案の定、ペアーノ室長には心配をかけてしまったが、室長は急ぎ冷たいタオルを用意してくれるとロザリアに差し出した。
「……すみません」
「また王女様かい? 全くあのお方には困ったもんだ」
「ここ二週間ほどは、仕事終わりが遅くなって王女様には遭わずにすんでいたんですけれど…」
報告書を集めに外出する機会も多い普段の魔事室の仕事と違い、ここ二週間はセストの執務室にこもりっきりだった。ベネデッタに会うこともなく、嫌がらせのことをしばらく忘れていた。
ロザリアが苦笑すると、ペアーノ室長は「まぁ座って」と近くの椅子を引き寄せた。
「やはり一度きちんとリベリオに相談したほうがいいんじゃないかい? だんだんやることがエスカレートしている気がするよ」
そう言われればそうかもしれない……。
嫌がらせが始まった初めの頃は、取り巻き三人を引き連れてロザリアを囲い、悪口を言うくらいだった。それがだんだん、腕を強くつかむ、胸を手でついて壁に突き飛ばす、足を引っかけて転倒させる、ワックスで滑らせてこけさせる……。言葉だけの攻撃から身体的な苦痛を与える攻撃へと変わってきている。
「……でも父と母には心配をかけたくないんです」
「君の気持ちもわかるけれどね。本当にこれ以上酷いようなら、私の方から相談させてもらうよ」
ペアーノ室長はこれだけは譲れないとばかりにはっきりと告げる。そう言われてはロザリアとしても頷かざるを得ない。
「……はい」
「まぁそんな顔せずに。リベリオに言う前に必ず君には言うから。―――それで? 補佐の仕事の方は順調かい?」
「……今のところ問題なく順調です。明日はいよいよ最終選考会なんです。今まではあまり興味がなかったのですが、今回は仕事で関わったので誰が選ばれるのか、わたしまで緊張してきました」
最終選考に残った二十人のことは、ロザリアも顔を知っている。いずれ劣らぬ美女ばかりだ。
「ロザリアらしいね。年頃の子で、乙女選出に興味がないなんて言うのは君くらいのものだよ。平民の子女でも、この手の話には興味津々なのが普通だよ。で、どうなんだい? ロザリアの予想は」
「全くわかりません。どの方が選ばれてもおかしくないと思いますので。むしろあの中から十人だけを選ばなければならないということが酷なくらいです」
「そうなんだろうね。おそらく、ここまで残った二十人なら、誰が選ばれてもおかしくはない。夢のない話をするようだけれど、あとはよほど突出したものがない限り、中央政界で力のある貴族の子女や、財力のある者の子女が選ばれるだろうね」
「そんなものですか……」
何事にも忖度が働くのはどこの世界でも同じだ。これといって決め手のない時は、仕方がないのだろう。
ロザリアがそう言うと、ペアーノ室長は苦笑した。
「相変わらず君は達観しているよね。ある意味大人というか。時々十八歳のお嬢さんと話しているということを忘れてしまうよ」
ロザリアをドキリどきりドキリとさせるようなことを言って笑った。
翌日、国事行事が開かれる大広間で一角獣狩り乙女の最終選考会が開かれた。
大広間の最上段には玉座が設けられ、オリンド国王陛下臨席のもと、国王の開会宣言から選考会は始まった。
主だった貴族と、各庁局から庁、局長クラスの者が出席し見守るなか、まずは今回の狩りの総隊長となるウバルド王弟殿下と、副隊長となるセストへ、オリンド国王から任命権が与えられた。
その後議長が中心となり、議題は本日のメインである最終選考会へとうつった。
最終選考に選ばれた二十人の令嬢は、別室で結果発表を待っている。
もしロザリアがその立場なら、たぶん緊張で部屋中熊みたいにうろうろ動き回りそうだ。
大広間には所狭しと椅子が並べられ、ロザリアはその最後尾、扉近くの一番の末席に腰掛けていた。本来なら、男爵家の娘に過ぎないロザリアが列席するような場ではないが、今朝セストの元へ出向くと、この会議へ出席するようにと言われた。例え場違いであろうとなんだろうと、仕事なら出席するまでだ。
大理石の柱や壁に囲まれ、一角獣の天井画が描かれた荘厳な大広間では、さきほどから白熱した議論がかわされていた。あちこちから声が飛び、怒号混じりの声も飛ぶ。
けれど話し合いが進むにつれ、やはり発言権の大きい大貴族の子女から乙女に決まっていく。奇しくもペアーノ室長の言う通りの展開だ。
純粋な観点から選ばれるわけではないのだ。
喧々諤々の議論の末、十人の乙女が定まった。伝令役の小姓が、すぐに大広間を飛び出し、最終選考に残った二十人の控える別室へと向かう。
しばらく待つと、選ばれた十人の令嬢が大広間へ入ってきた。
選ばれた経緯はともかく、みな正装のドレスを着用し、頬を上気させて緊張した面持ちだ。乙女に選ばれるだけあり、華やかで綺麗な令嬢ばかりだ。選ばれた十人が壇上に並ぶと、最後にベネデッタ王女が入ってきた。
ベネデッタ王女は、当然のように十人の前に立つと、国王に向かって一礼した。それに合わせ、居並んだ十人の令嬢もドレスを摘み、頭を下げる。
「……どうしてベネデッタ王女が…?」
思わずぽろりと言葉が溢れる。
やばっと思って慌てて口元を抑えると、隣に座る男性と目があった。線の細い小柄な男性で、薬師の着る茶のローブを着用している。肩で切り揃えた髪が、セストと同じ銀髪だ。一見可愛らしいようにも見える小作りな顔のその人は、けれど目に人を揶揄する悪戯っ子のような色を宿していた。
「ベネデッタ王女は、選考外の乙女だって知らなかった?」
その人は、ロザリアの独り言を受け、囁き声で話しかけてくる。
「そうなんですか? 知りませんでした」
ベネデッタは、書類選考も何もかもをすっ飛ばして乙女に選ばれるということのようだ。これこそ王族の特権なのだろう。銀髪の男性によると、王族は無条件に乙女に選ばれるそうだ。身分制度のある国ならではの慣習だ。
壇上では、選ばれた十人の乙女プラス、ベネデッタへ、オリンド国王より乙女への任命が宣言されているところだった。
隣の男性は、そんなものなどどうでもいいというように、くるりとまたロザリアに向き直った。
「言い遅れたけど、僕は薬師のテオだ。セストとは同郷でね。以後よろしく頼むよ、ロザリアちゃん」
「わたしの名前……」
「どうして知ってるかって? セストからいろいろ聞いてるからね。そりゃ知ってるよ」
同郷と言うだけあって、セストとは親しいようだ。
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