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第9話 (中編) 帰りたかった場所
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出発の日の朝は、不思議と静かだった。
早く目が覚めてしまい、まだ薄暗い病室でカーテンの隙間から差し込む朝の光をじっと眺めていた。
今日これから行く場所を考えると、心臓がいつもより早く脈打つ。
それが緊張なのか、期待なのか、自分でもよく分からなかった。
荷物は前日に何度も確認した。
先生から借りた連絡用の端末、ノート、替えのバッテリー、飲み水と非常食のカロリーバーを少しだけ――
それに懐中電灯に手袋と念のため、と思うと手が止まらない。
機械スーツの装着も、今ではずいぶん慣れた。
でも、今日のように“自分の足で”遠くへ行くのは初めてだ。
スーツを装着した腕と脚に、独特の重みと温度を感じる。
ゆっくりと力を込めて立ち上がった。
「おはよう、準備できた?」
桐野さんが病室にやってきた。
明るい声なのに、どこか緊張が混じっている。
「はい、大丈夫です。……たぶん」
「じゃあ、念のためもう一度持ち物を確認しようか」
並んでカバンの中身を見直す。
端末もノートもちゃんと入っているし、飲み物とカロリーバーもOK。
あまり多くは持てないけど、最低限のものはすべて揃っている。
「不安なことがあったら、すぐに言ってね。途中で疲れたら休もう。無理はしないこと」
「……はい」
「出掛ける前に先生の所に行きましょ」
病室を出て廊下を歩きながら、黒川先生のところへ立ち寄る。
先生が居る部屋をノックして入れば、今日の診察も一緒に終わらせる。
これまでのカルテをめくりながら、短く告げた。
「何かあればすぐに連絡を。くれぐれも無理はしないように」
それだけ言うと、あとは何も言わなかった。
外に出ると、病院の敷地を包む涼しい朝の空気が肌に触れた。
久しぶりに感じる自然の匂い。
入院してから――いや、もう何年も“自由に外に出る”ということがなかったのだと、改めて思い知らされる。
病院は高台に建っている。
そのせいか、朝の光に照らされた町の景色が遠くまで見渡せた。
坂道の先――そこには、かつて通い慣れた道、家並み、そして遠くに広がる海が見える。
「行こうか」
桐野さんの言葉に、小さくうなずいて坂道を降りていく。
スーツの足が、舗装路を一歩一歩しっかりと踏みしめる。
歩くたびに、膝や足首のアシスト部分が柔らかく衝撃を吸収してくれる感覚。
それでも、坂道の傾斜は思ったよりも急で、慎重にバランスを取りながら進む必要があった。
途中、朽ちかけた標識や雑草の茂った歩道、電柱には“ここより先危険”の注意喚起が貼られている。
まだ人が住んでいそうな道のりなのに、静けさが街全体を包んでいた。
坂道を降りきると、そこから先はもう水だった。
膝下くらいまで水に浸かった道路が、まるで運河のように家々の間を縫って伸びている。
かつての自分の通学路も、今は青く濁った水の下に隠れてしまっていた。
「……本当に、水がここまで来てるんですね」
しばらく言葉が出なかった。
景色は確かに知っているはずなのに、もうまったく違う世界になっていた。
岸辺に使い古されたボートがいくつか括り付けられている。
「これ、誰かが避難の時に使ったのかもね」と桐野さんが呟く。
「家、この先です。ボートで行くしかないですね」
お互い慎重に乗り込み、オールでゆっくりと水の上を進む。
水面に映る家々の影。
ボートがきしむ音と、遠くでカラスが鳴く声だけが、静かな町に響いていた。
早く目が覚めてしまい、まだ薄暗い病室でカーテンの隙間から差し込む朝の光をじっと眺めていた。
今日これから行く場所を考えると、心臓がいつもより早く脈打つ。
それが緊張なのか、期待なのか、自分でもよく分からなかった。
荷物は前日に何度も確認した。
先生から借りた連絡用の端末、ノート、替えのバッテリー、飲み水と非常食のカロリーバーを少しだけ――
それに懐中電灯に手袋と念のため、と思うと手が止まらない。
機械スーツの装着も、今ではずいぶん慣れた。
でも、今日のように“自分の足で”遠くへ行くのは初めてだ。
スーツを装着した腕と脚に、独特の重みと温度を感じる。
ゆっくりと力を込めて立ち上がった。
「おはよう、準備できた?」
桐野さんが病室にやってきた。
明るい声なのに、どこか緊張が混じっている。
「はい、大丈夫です。……たぶん」
「じゃあ、念のためもう一度持ち物を確認しようか」
並んでカバンの中身を見直す。
端末もノートもちゃんと入っているし、飲み物とカロリーバーもOK。
あまり多くは持てないけど、最低限のものはすべて揃っている。
「不安なことがあったら、すぐに言ってね。途中で疲れたら休もう。無理はしないこと」
「……はい」
「出掛ける前に先生の所に行きましょ」
病室を出て廊下を歩きながら、黒川先生のところへ立ち寄る。
先生が居る部屋をノックして入れば、今日の診察も一緒に終わらせる。
これまでのカルテをめくりながら、短く告げた。
「何かあればすぐに連絡を。くれぐれも無理はしないように」
それだけ言うと、あとは何も言わなかった。
外に出ると、病院の敷地を包む涼しい朝の空気が肌に触れた。
久しぶりに感じる自然の匂い。
入院してから――いや、もう何年も“自由に外に出る”ということがなかったのだと、改めて思い知らされる。
病院は高台に建っている。
そのせいか、朝の光に照らされた町の景色が遠くまで見渡せた。
坂道の先――そこには、かつて通い慣れた道、家並み、そして遠くに広がる海が見える。
「行こうか」
桐野さんの言葉に、小さくうなずいて坂道を降りていく。
スーツの足が、舗装路を一歩一歩しっかりと踏みしめる。
歩くたびに、膝や足首のアシスト部分が柔らかく衝撃を吸収してくれる感覚。
それでも、坂道の傾斜は思ったよりも急で、慎重にバランスを取りながら進む必要があった。
途中、朽ちかけた標識や雑草の茂った歩道、電柱には“ここより先危険”の注意喚起が貼られている。
まだ人が住んでいそうな道のりなのに、静けさが街全体を包んでいた。
坂道を降りきると、そこから先はもう水だった。
膝下くらいまで水に浸かった道路が、まるで運河のように家々の間を縫って伸びている。
かつての自分の通学路も、今は青く濁った水の下に隠れてしまっていた。
「……本当に、水がここまで来てるんですね」
しばらく言葉が出なかった。
景色は確かに知っているはずなのに、もうまったく違う世界になっていた。
岸辺に使い古されたボートがいくつか括り付けられている。
「これ、誰かが避難の時に使ったのかもね」と桐野さんが呟く。
「家、この先です。ボートで行くしかないですね」
お互い慎重に乗り込み、オールでゆっくりと水の上を進む。
水面に映る家々の影。
ボートがきしむ音と、遠くでカラスが鳴く声だけが、静かな町に響いていた。
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