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少し考えたら分かる筈なのに(1)
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(どうしよう……どうしよう、どうしよう)
レイに手を引かれつつ、ヘレナは半ばパニックに陥っていた。彼の足は、教会とは別の方角へ向かっている。どこへ向かっているのかは分からないが、ヘレナは黙ってレイの後に付いて行くことしかできない。
(あんなこと、言うつもりじゃなかったのに)
考えながら、胸がバクバクと鳴り響く。
レイはヘレナのものじゃない――――今までずっと、自分にそう言い聞かせてきた。どんなに特別扱いされても、思い上がってはいけない。独り占めしたいだなんて思って良い筈がない。
けれど、レイに甘やかされる度、大切にされていると実感する度に、それらの想いは沸々と浮かび上がってくる。『望んでも良い』のだと勘違いしたくなる。ストラスベストに追放されて以降、その傾向が極端に強くなったため、ヘレナは必死に自分を律してきたのだ。
(カルロス様のおっしゃる通り、やっぱりわたしは聖女なんかじゃ無かったんだわ)
涙をポロポロ流しつつ、ヘレナはぐっと下を向く。こんな利己的な想いを抱く人間が、聖女である筈がない。そう思うと、情けなくて堪らなかった。
「どうして泣いていらっしゃるんですか?」
歩みを止めないまま、レイが尋ねる。心臓を直接撫でられたかのように、ヘレナの胸が騒めく。
「わたしが……どうしようもない人間だから」
やっとの思いでそう口にし、ヘレナは眉間に皺を寄せる。
「ごめんね、レイ。折角良い縁談が舞い込むかもしれなかったのに」
言いながら、喉のあたりが焼けるように痛んだ。レイは目を丸くして、その場にゆっくりと立ち止まる。躊躇いつつ、ヘレナはそっとレイのことを見上げた。
「わたしがあんなこと言ったら、レイはああ答えるしかないもの。少し考えたら分かる話なのに……本当にごめんなさい。もしもレイの結婚が遠のいちゃったら、わたしのせいね」
言葉とは裏腹に、何処かホッとした気持ちの自分がいることにヘレナは気がつく。
どんなに否定してみたところで、ヘレナはレイが結婚することが嫌だった。自分とは別に、特別な人ができることが嫌だった。そのことを改めて思い知る。
(もしもわたしが、国を追われていなかったら――――侯爵家の娘のままだったら――――――)
もっと素直に『側に居て欲しい』とレイに伝えられただろうか。主従関係という二人を繋ぐ糸が存在していたのだから、今よりずっと簡単なように思える。
けれど、もしもヘレナが国を追われていなかったら、レイと共に生きることは出来なかっただろう。ヘレナは聖女であり、王太子カルロスの婚約者だった。侍女と違って、執事のレイを城に連れていくことは難しい。
「…………そうですね」
レイが一言、そう口にする。途端にヘレナの胸がズキンと痛んだ。
「本当にごめんなさ――――」
「少し考えたら、あれが紛れもない私の本心だと分かる筈なのに」
そう言ってレイは、ヘレナのことを抱き寄せた。
「ヘレナ様……」
熱っぽく名前を呼ばれた上、ギュッと強く抱き締められて、ヘレナは目を丸くする。全身が熱を帯び、ドクンドクンと大きく脈打つ。喉に何かがせり上がって、息すらまともにできない。
「レイ?」
尋ねつつ、ヘレナには、レイがまるで知らない男の人のように思えた。
彼がいつも付けているコロンの香りが、レイ自身の香りと溶け合って、全くの別物に感じる。スラリとした細腕は、とても逞しく力強い。広く厚い胸板から、ヘレナに負けず劣らず速い鼓動の音が聞こえてくる。
(こんなレイ、わたしは知らない)
どれもこれも、こんな風に近づかなければ知らなかったことだ。戸惑いつつ、ヘレナはゴクリと唾を呑む。レイはヘレナの肩口に顔を埋め、熱い吐息を吐き出した。
「ヘレナ様は、私が他の女性と結婚しても良いのですか?」
レイの問い掛けにヘレナの心臓がドクン、ドクンと鳴り響く。
(言えないわ)
言えばレイに、自分がどれだけ自分勝手な人間か知られてしまう。ヘレナは彼に幻滅されたくは無い。この質問に答えるわけにはいかなかった。
「――――――質問を変えます。ヘレナ様はカルロス殿下から婚約を破棄された時、どう思いましたか? ご自分の代わりにキャロライン様と結婚すると言われて、悲しいと思いましたか?」
レイはヘレナを真っ直ぐに見つめ、そう尋ねる。ほんの少しだけ考えた後、ヘレナは首を横に振った。
「いいえ。正直、婚約破棄については何とも思わなかったわ」
口にしながら、ヘレナは小さく息を吐く。
カルロスとの婚約は、ヘレナがまだレイと出会う前――――十年以上前に結ばれた。生まれながらの聖女だった上、侯爵令嬢であったヘレナは、妃に最適だった。互いの気持ちが伴わない政略結婚。おまけに、短気で冷たいカルロスとのんびり屋のヘレナの相性は、お世辞にも良いとは言えなかったからだ。
レイに手を引かれつつ、ヘレナは半ばパニックに陥っていた。彼の足は、教会とは別の方角へ向かっている。どこへ向かっているのかは分からないが、ヘレナは黙ってレイの後に付いて行くことしかできない。
(あんなこと、言うつもりじゃなかったのに)
考えながら、胸がバクバクと鳴り響く。
レイはヘレナのものじゃない――――今までずっと、自分にそう言い聞かせてきた。どんなに特別扱いされても、思い上がってはいけない。独り占めしたいだなんて思って良い筈がない。
けれど、レイに甘やかされる度、大切にされていると実感する度に、それらの想いは沸々と浮かび上がってくる。『望んでも良い』のだと勘違いしたくなる。ストラスベストに追放されて以降、その傾向が極端に強くなったため、ヘレナは必死に自分を律してきたのだ。
(カルロス様のおっしゃる通り、やっぱりわたしは聖女なんかじゃ無かったんだわ)
涙をポロポロ流しつつ、ヘレナはぐっと下を向く。こんな利己的な想いを抱く人間が、聖女である筈がない。そう思うと、情けなくて堪らなかった。
「どうして泣いていらっしゃるんですか?」
歩みを止めないまま、レイが尋ねる。心臓を直接撫でられたかのように、ヘレナの胸が騒めく。
「わたしが……どうしようもない人間だから」
やっとの思いでそう口にし、ヘレナは眉間に皺を寄せる。
「ごめんね、レイ。折角良い縁談が舞い込むかもしれなかったのに」
言いながら、喉のあたりが焼けるように痛んだ。レイは目を丸くして、その場にゆっくりと立ち止まる。躊躇いつつ、ヘレナはそっとレイのことを見上げた。
「わたしがあんなこと言ったら、レイはああ答えるしかないもの。少し考えたら分かる話なのに……本当にごめんなさい。もしもレイの結婚が遠のいちゃったら、わたしのせいね」
言葉とは裏腹に、何処かホッとした気持ちの自分がいることにヘレナは気がつく。
どんなに否定してみたところで、ヘレナはレイが結婚することが嫌だった。自分とは別に、特別な人ができることが嫌だった。そのことを改めて思い知る。
(もしもわたしが、国を追われていなかったら――――侯爵家の娘のままだったら――――――)
もっと素直に『側に居て欲しい』とレイに伝えられただろうか。主従関係という二人を繋ぐ糸が存在していたのだから、今よりずっと簡単なように思える。
けれど、もしもヘレナが国を追われていなかったら、レイと共に生きることは出来なかっただろう。ヘレナは聖女であり、王太子カルロスの婚約者だった。侍女と違って、執事のレイを城に連れていくことは難しい。
「…………そうですね」
レイが一言、そう口にする。途端にヘレナの胸がズキンと痛んだ。
「本当にごめんなさ――――」
「少し考えたら、あれが紛れもない私の本心だと分かる筈なのに」
そう言ってレイは、ヘレナのことを抱き寄せた。
「ヘレナ様……」
熱っぽく名前を呼ばれた上、ギュッと強く抱き締められて、ヘレナは目を丸くする。全身が熱を帯び、ドクンドクンと大きく脈打つ。喉に何かがせり上がって、息すらまともにできない。
「レイ?」
尋ねつつ、ヘレナには、レイがまるで知らない男の人のように思えた。
彼がいつも付けているコロンの香りが、レイ自身の香りと溶け合って、全くの別物に感じる。スラリとした細腕は、とても逞しく力強い。広く厚い胸板から、ヘレナに負けず劣らず速い鼓動の音が聞こえてくる。
(こんなレイ、わたしは知らない)
どれもこれも、こんな風に近づかなければ知らなかったことだ。戸惑いつつ、ヘレナはゴクリと唾を呑む。レイはヘレナの肩口に顔を埋め、熱い吐息を吐き出した。
「ヘレナ様は、私が他の女性と結婚しても良いのですか?」
レイの問い掛けにヘレナの心臓がドクン、ドクンと鳴り響く。
(言えないわ)
言えばレイに、自分がどれだけ自分勝手な人間か知られてしまう。ヘレナは彼に幻滅されたくは無い。この質問に答えるわけにはいかなかった。
「――――――質問を変えます。ヘレナ様はカルロス殿下から婚約を破棄された時、どう思いましたか? ご自分の代わりにキャロライン様と結婚すると言われて、悲しいと思いましたか?」
レイはヘレナを真っ直ぐに見つめ、そう尋ねる。ほんの少しだけ考えた後、ヘレナは首を横に振った。
「いいえ。正直、婚約破棄については何とも思わなかったわ」
口にしながら、ヘレナは小さく息を吐く。
カルロスとの婚約は、ヘレナがまだレイと出会う前――――十年以上前に結ばれた。生まれながらの聖女だった上、侯爵令嬢であったヘレナは、妃に最適だった。互いの気持ちが伴わない政略結婚。おまけに、短気で冷たいカルロスとのんびり屋のヘレナの相性は、お世辞にも良いとは言えなかったからだ。
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