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【1章】推しとは結婚できません!〜皇女ヴィヴィアンの主張〜

1.16歳の誕生日プレゼント

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(ああ……なんて素敵なの。永遠に見ていられる)


 広間を見渡せる特等席に座れることを、今夜ほど嬉しく光栄に思ったことはない。

 夜空のように麗しい漆黒の髪、神秘的な光を宿した紫色の瞳、真っ白な肌、整った鼻梁、すらりとした長身に、優美で上品な立ち居振る舞い。金の魔法陣が刺繍された黒い外套があまりにも似合っているし、トレードマークのアメジストのピアスが耳元で揺れているのが最高にカッコいい。
 由緒正しい侯爵家の二男で、人柄は清廉潔白そのもの。魔力の量も技量も誰よりも優れているうえ、それをちっとも鼻にかけない謙虚なお方。誰にでも公平で優しくて、神様が気まぐれで帝国に遣わした天使というか聖人というか――――もはや人と同列に語ることは許されない。

 どこを切り取っても完璧な男性――――彼こそが我が帝国が誇る最強魔術師エレン・ドゥ・フォルディー様、わたしの推しだ。


 彼はその天才的な魔術手腕で若くして数々の手柄を立てていたのだけど、他国からの侵略を退け、国境を守りきったことにより、英雄としての呼び声が高くなっている。だけど、わたしからすれば英雄なんて呼び方は生ぬるいし、彼を崇め称えるには不十分だと思う。

 そんなエレン様が今、この広間に降臨している。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼう。わたしは感動のあまりむせび泣いた。


「ありがとう、お父様……本当に、本当にありがとうございます。お父様は帝国はじまって以来の素晴らしい皇帝陛下です。わたし、今日ほどお父様に感謝したことはありません」


 ひっきりなしにやってくる挨拶の合間を縫って、わたしはお父様に耳打ちをする。
 今夜この会場にエレン様を招待してくれたのはお父様だ。わたし自ら推しを招待するなんて、おそれ多くてとてもできない。

 だけど、誕生日にエレン様の正装姿をひと目拝めたんだもの。どんな宝石よりも、ドレスよりも、ご機嫌とりの美辞麗句よりも、最高の誕生日プレゼントに決まっている。帝国の歴史に書き加えるべきだと思うほど素晴らしい所業だ。


「そう言うと思っていたよ。おまえは本当にエレンのことが好きなんだな」


 半ば感心、半ば呆れたような微笑みを浮かべつつ、お父様はわたしのことを見遣った。


「当然よ。エレン様はわたしの生き甲斐であり、生きる理由であり、酸素と同じレベルで必要なお方だもの。そもそも、今この場に生きていられるのだって、エレン様がわたしを助けてくださったおかげなんだから」


 エレン様の横顔を見つめながら、わたしはゆっくりと目をつぶる。

 彼を推しはじめて既に4年。ちっとも熱が冷める気配がないというか、永遠に冷めないでほしいというか、一生推し続ける気満々だ。こうしてエレン様のことを考えている時間が最高に幸せだし、人生が光り輝いている感じがする。今後、誰かに苦言を呈されたところで、考えや行動を改めるつもりはない。


「実はなヴィヴィ、今夜はおまえに大事な話があるんだ」


 わたしが決意を新たにしたその瞬間、お父様が急に改まった様子でそんなことを言い出した。


「――――ああ、結婚のことでしょう? ようやく相手が決まったのね」

「……! 驚かないのか?」

「別に、お父様はある程度そういう素振りを見せてくれていたし、わたし自身そろそろだろうと思っていたもの。特段驚くことじゃないわ」


 わたしももう16歳。お母様が早死したせいで兄弟がいないから、わたしが次期皇帝になる予定だ。
 本当はお父様には今からでも遅くないから再婚してほしいところだけど、本人の意思が固いから無理だろう。だから、さっさと身を固めて国を安定させるために頑張らなきゃなぁと思っているのだけど。


「とはいえ、結婚相手に最低限求めたい条件があるの。一応事前に伝えておいたつもりだけど」

「分かってる……エレンの推し活のことだろう? 大丈夫だ。先方はおまえの行動をとめることも、咎めることもしないよ」

「本当に? だったらいいわ! 相手は誰でも構わないから、お父様が決めた相手と喜んで結婚させていただきます。っていうか、どうせライナスが相手なんでしょう?」


 言いながら、わたしはチラリと視線を動かす。
 ライナスっていうのはお父様の弟の息子で、つまりはわたしのいとこだ。
 年齢も同じだし、皇帝の血を引いているし、優秀で美形だから、彼がわたしの夫になるんだろうって前々から予想していた。他にも候補がいないわけじゃないけど、わたしの提示した最低条件を満たす人かどうかを見極める時間とかを考えたら、彼を選ぶのが手っ取り早いもの。


「いや、相手はライナスじゃないよ」

「違うの?」


 わたしの問いかけに、お父様はすぐに頷いた。それから、背後に控えた従者に目配せをし、わたしのほうへと向き直る。


「受け取りなさい。お父様からおまえへの誕生日プレゼントだ」

「……? それならさっき受け取ったわ。わたしからしたら、エレン様をひと目拝めただけで天に召されるんじゃないかってぐらい幸せで……」

「陛下、皇女様」


 とそのとき、わたしは自分の耳を疑った。


(どうしよう……耳がもげるかと思った)


 爽やかで透明感のある極上の声音。神様がいるならきっとこんな声をしているんだろうなぁと思うほどに綺麗で、美しくて、それから神々しい。耳から喜びが広がって、全身の細胞が若返ったかのような心地がする。
 ゆっくりと振り返ったら、わたしの推しが――――エレン様が目の前にいた。


(わたしって今、エレン様の視界に入っているのよね?)


 間違いない、エレン様の瞳の中にわたしが写っているもの。こんなこと、許されるんだろうか?
 っていうか、同じ空気を吸っていていいのだろうか? いや、息を止めるわけにはいかないんだけど、ありがたすぎて息をする間も惜しくなってしまう。


「来たな、エレン」

「はい。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 お父様とエレン様が親しげに挨拶を交わしはじめた。


(どうしよう……どうしよう! 推しが――――エレン様が目の前にいる! 尊い。尊すぎる。この世のものとは思えないし、本当に素敵。ものすごくドキドキしてしまう。もしかして、お父様ってわたしを殺す気だった? 今日ってわたしの命日なのかもしれない。だけど、今死んでも悔いはない――――いや、もっともっとエレン様を見ていたいから死ぬわけにはいかないなぁ)


 頭のなかが完全にお祭り状態。自分でもどうかと思うけど、こればっかりはねぇ……病気だから仕方がない。


「皇女様、本日はお誕生日、おめでとうございます」


 そんなどうしようもないわたしに向かって、エレン様は優しく微笑みかけてくれた。どうしよう……嬉しすぎて涙が出てくる。推しに誕生日を祝ってもらえるなんて、幸運すぎる。わたし、皇女に生まれて本当によかった。


「ありがとう、エレン様。我が帝国が誇る天才魔術師様に祝ってもらえるなんて、本当に光栄だわ」


 とはいえわたしはこれでも皇女。みっともない姿を周りに晒すわけにはいかない。実際の感情の100分の1ぐらいの言葉を口にして、ニコリと優美に微笑んでみせる。


「光栄だなんてとんでもない。俺があなたを祝うのは当然のことです。本当に、おめでとうございます」

「……っ⁉」


 なっ! なな! な、な、ななな! なんで⁉ 一体何が起こったの!
 どうしよう……わたし今、エレン様に手を握られている!


(夢かな? 夢なのかな?)


 だけどその割には五感がバッチリと存在している。
 なめらかな肌の手触り。温かくて、それなのにひんやりしていて、杖ダコの感触がゴツゴツしていて。エレン様にピッタリの爽やかで神秘的な香水の香りが鼻腔をくすぐって、密やかな息遣いが聞こえてくるようで。
 エレン様、ファンサービスが過剰すぎません?


「あの――――ヴィヴィアン様、とお呼びしてもよろしいですか?」

「もちろん! 是非そう呼んでちょうだい」


(嬉しいです。最高です。ありがとうございます、ありがとうございます!)


 もちろん、こんなことをしてくれるのはお父様に頼まれたからだろうけど、それにしたって最高すぎる。
 心のなかで何度も何度もお礼を言いつつ、わたしはエレン様をがっつり見つめた。だって、この機会を逃したらこんなふうに手を握っていただけて、しかも名前を呼んでもらえる機会なんてないに違いないもの。しっかりと目と心に焼き付けておかなきゃ、だ。


「それでなヴィヴィアン、先ほどの話の続きなんだが」


 お父様の声にハッとする。


(なんの話だったっけ?)


 わたしは居住まいを正しつつ「はい」と小さく相槌を打った。


「喜びなさい。エレンをおまえの結婚相手に選んだんだ」

「…………はい?」


 お父様がニコリと笑う。次いでエレン様に視線を移すと、彼は困ったように微笑んだ。


(喜びなさい? エレン様が、わたしの、結婚相手に……って!)

「嘘でしょう⁉」


 どうしよう、どうしよう、どうしよう! どうやらとんでもないことが起こってしまったらしい。わたしは驚愕に目を見開いた。

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