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【1章】先攻クラルテ 押しかける!
3.絶対嫌です!
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数年間主人が不在だった小さな家は、定期的に清掃されていたとはいえ、どこか暗くて埃っぽい。俺は今、そんな家の小さな居間に、自身の婚約者となる女性――クラルテと向かい合って座っている。
「いい香りでしょう? お気に入りのお茶なんです。旦那様に気に入っていただけたらいいんですが」
ガラス製のティーポットにスライスされたフルーツとお茶。カップに注がれる際にふわりと甘い香りがした。
「ありがとう」
「どういたしまして! それより、とっても素敵なお屋敷ですね! わたくしひと目で気に入ってしまいました!」
クラルテはそう言ってぐるりと室内を見回す。俺は思わず笑ってしまった。
「そんな馬鹿な……ここは屋敷と呼べるような立派なものではない。それに、君がこれまで暮らしてきた屋敷とは比べ物にならないほど小さいだろう?」
ブクディワ侯爵家には行ったことがないが、資産家の一族として有名だ。こんなささやかな家、下手すれば犬小屋に劣るのではないだろうか?
「ものの価値は大きさじゃありません。ここは旦那様のお屋敷ですから、それだけでわたくしにとっては最上の価値がございますもの」
「いや、俺の屋敷といっても、この数年間ほとんど足を運ばなかったのだが……」
もしも五年前にロザリンデと結婚をしていれば、こうはならなかっただろう。さっさと寮を出て、彼女と数人の使用人とともにここで暮らしていただろうから。
「そうかもしれません。だけど、これからは毎日ここに帰っていらっしゃるでしょう? それだけでわたくしが気に入るには十分の理由なのです!」
クラルテはまたもやそんなことを力説している。頑固という本人の評価はあながち間違っていないようだ。
(いや、頑固というか、思い込みが激しいというか……)
一体どうして俺のことをそんなにも盲信できるのだろう? 一見とても素直なようで、けれどそれだけじゃない感じがする。本当に不思議な女性だ。
「ひとつ質問をいいか?」
「もちろん、なんなりと!」
「クラルテはどこで俺を知ったんだ?」
先程から必死で記憶を辿っているが、どうにも思い出せそうな気がしない。
そもそも俺は社交というものをほとんどしてこなかった。夜会に出席したのも片手で足りるほどの回数だし、実家関係の付き合いもそこそこ程度。こんな愛らしい(というか押しが強い)女性と出会っていたら、さすがに覚えている気がする。というか、覚えているに違いない。
「え~~? 内緒です!」
「内緒っ……!?」
思わぬ返事に俺は思わず愕然としてしまう。
隠す理由など見当たらないし、これだけ俺を慕ってくれているのだ。当然、嬉々として教えてもらえるものだと思っていたのに。
「だって、せっかくなら自力で思い出してほしいじゃありませんか? それが乙女心っていうものです」
「乙女心……それがわかっていたら、俺は既に未婚じゃなかっただろうが」
どこか楽しげなクラルテの返事に、ついつい恨みがましい言葉をつぶやいてしまう。彼女は一瞬きょとんと目を丸くし、それからふふっ、と小さく笑った。
「いいんですよ、旦那様は理由なんて知らなくても。だけど、わたくしは旦那様を数年前から知っています。知っていて、どうやったら少しでもお近づきになれるんだろうって色々考えて、行動して、そうして今ここにいます。ですから、諦めてわたくしの溢れんばかりの愛情を受け取ってください」
クラルテはそう言って俺を迎え入れるように両手を広げる。何故だろう、周囲にハートマークの幻覚が見える。
(いやいや、気になるだろう?)
気になるけれど、尋ねたところでクラルテは教えてくれそうな気がしない。
困惑をごまかすために、俺はティーカップからお茶を飲んだ。甘酸っぱいフルーツの香り、程よい温度が俺の体をじんわりと温める。
「美味いな」
「でしょう? よかった! お夕飯もわたくしが作りますのでお任せくださいね」
クラルテはそう言ってドンと自身の胸を叩く。どこか得意げなその様子に、俺は思わず笑ってしまった。
(これは早急に使用人の手配をしなければな……)
本人が望んでいたこととはいえ、クラルテに使用人の真似事をさせるわけにはいかない。掃除に洗濯、炊事に買い物など、生活の上で必要な家事は本当に多い。この家は大して大きくないとはいえ、部屋数も多いし、平民の暮らすそれよりは大きいのだ。絶対に負担だろう。
それに、俺に爵位を継ぐ予定はないとしても、貴族同士の結婚なのだ。体面というものがある。クラルテがよくても俺がよくない。
(いや、決して彼女との結婚に納得したわけではないのだが)
既に押しかけられてしまったのだ。ひとまず現状を受け入れつつ、これからどうしていくかを考えるべきだろう。
「ところで、荷物はそれだけか?」
「え? ああ……!」
クラルテの横には、彼女が背負ってきた大きな荷物が置かれている。
「そもそも見送りは? 従者は? ひとりでここまで来たのか?」
いや……一緒に来ていればさすがに挨拶されるだろう。おそらくひとりで来たのだろうとわかってはいるのだが――。
「そうですよ~! わたくし、転移魔法が得意だと申しましたでしょう? 馬車なんて雅な乗り物を使うことなく、遠方の領地からここまで来ることができるのです!」
ニコニコと得意げに笑いながら、クラルテが敬礼をする。俺は思わず隣の荷物に視線をやった。
「だったら、そんな大荷物を抱えてくる必要なんてなかったんじゃ? 転移魔法で飛ばせばいいわけだろう?」
「いえいえ、必要ですよ! だって、こっちのほうが雰囲気出るじゃありませんか! いかにも押しかけ女房って感じがするでしょう?」
クラルテは至極真剣な表情でそんなことを言ってのける。本人、まったく悪びれる様子がない。
「……今からでも実家に帰るか?」
「絶対嫌です!」
ニコリと押しの強い笑みを浮かべるクラルテに、俺はまたもや苦笑してしまった。
「いい香りでしょう? お気に入りのお茶なんです。旦那様に気に入っていただけたらいいんですが」
ガラス製のティーポットにスライスされたフルーツとお茶。カップに注がれる際にふわりと甘い香りがした。
「ありがとう」
「どういたしまして! それより、とっても素敵なお屋敷ですね! わたくしひと目で気に入ってしまいました!」
クラルテはそう言ってぐるりと室内を見回す。俺は思わず笑ってしまった。
「そんな馬鹿な……ここは屋敷と呼べるような立派なものではない。それに、君がこれまで暮らしてきた屋敷とは比べ物にならないほど小さいだろう?」
ブクディワ侯爵家には行ったことがないが、資産家の一族として有名だ。こんなささやかな家、下手すれば犬小屋に劣るのではないだろうか?
「ものの価値は大きさじゃありません。ここは旦那様のお屋敷ですから、それだけでわたくしにとっては最上の価値がございますもの」
「いや、俺の屋敷といっても、この数年間ほとんど足を運ばなかったのだが……」
もしも五年前にロザリンデと結婚をしていれば、こうはならなかっただろう。さっさと寮を出て、彼女と数人の使用人とともにここで暮らしていただろうから。
「そうかもしれません。だけど、これからは毎日ここに帰っていらっしゃるでしょう? それだけでわたくしが気に入るには十分の理由なのです!」
クラルテはまたもやそんなことを力説している。頑固という本人の評価はあながち間違っていないようだ。
(いや、頑固というか、思い込みが激しいというか……)
一体どうして俺のことをそんなにも盲信できるのだろう? 一見とても素直なようで、けれどそれだけじゃない感じがする。本当に不思議な女性だ。
「ひとつ質問をいいか?」
「もちろん、なんなりと!」
「クラルテはどこで俺を知ったんだ?」
先程から必死で記憶を辿っているが、どうにも思い出せそうな気がしない。
そもそも俺は社交というものをほとんどしてこなかった。夜会に出席したのも片手で足りるほどの回数だし、実家関係の付き合いもそこそこ程度。こんな愛らしい(というか押しが強い)女性と出会っていたら、さすがに覚えている気がする。というか、覚えているに違いない。
「え~~? 内緒です!」
「内緒っ……!?」
思わぬ返事に俺は思わず愕然としてしまう。
隠す理由など見当たらないし、これだけ俺を慕ってくれているのだ。当然、嬉々として教えてもらえるものだと思っていたのに。
「だって、せっかくなら自力で思い出してほしいじゃありませんか? それが乙女心っていうものです」
「乙女心……それがわかっていたら、俺は既に未婚じゃなかっただろうが」
どこか楽しげなクラルテの返事に、ついつい恨みがましい言葉をつぶやいてしまう。彼女は一瞬きょとんと目を丸くし、それからふふっ、と小さく笑った。
「いいんですよ、旦那様は理由なんて知らなくても。だけど、わたくしは旦那様を数年前から知っています。知っていて、どうやったら少しでもお近づきになれるんだろうって色々考えて、行動して、そうして今ここにいます。ですから、諦めてわたくしの溢れんばかりの愛情を受け取ってください」
クラルテはそう言って俺を迎え入れるように両手を広げる。何故だろう、周囲にハートマークの幻覚が見える。
(いやいや、気になるだろう?)
気になるけれど、尋ねたところでクラルテは教えてくれそうな気がしない。
困惑をごまかすために、俺はティーカップからお茶を飲んだ。甘酸っぱいフルーツの香り、程よい温度が俺の体をじんわりと温める。
「美味いな」
「でしょう? よかった! お夕飯もわたくしが作りますのでお任せくださいね」
クラルテはそう言ってドンと自身の胸を叩く。どこか得意げなその様子に、俺は思わず笑ってしまった。
(これは早急に使用人の手配をしなければな……)
本人が望んでいたこととはいえ、クラルテに使用人の真似事をさせるわけにはいかない。掃除に洗濯、炊事に買い物など、生活の上で必要な家事は本当に多い。この家は大して大きくないとはいえ、部屋数も多いし、平民の暮らすそれよりは大きいのだ。絶対に負担だろう。
それに、俺に爵位を継ぐ予定はないとしても、貴族同士の結婚なのだ。体面というものがある。クラルテがよくても俺がよくない。
(いや、決して彼女との結婚に納得したわけではないのだが)
既に押しかけられてしまったのだ。ひとまず現状を受け入れつつ、これからどうしていくかを考えるべきだろう。
「ところで、荷物はそれだけか?」
「え? ああ……!」
クラルテの横には、彼女が背負ってきた大きな荷物が置かれている。
「そもそも見送りは? 従者は? ひとりでここまで来たのか?」
いや……一緒に来ていればさすがに挨拶されるだろう。おそらくひとりで来たのだろうとわかってはいるのだが――。
「そうですよ~! わたくし、転移魔法が得意だと申しましたでしょう? 馬車なんて雅な乗り物を使うことなく、遠方の領地からここまで来ることができるのです!」
ニコニコと得意げに笑いながら、クラルテが敬礼をする。俺は思わず隣の荷物に視線をやった。
「だったら、そんな大荷物を抱えてくる必要なんてなかったんじゃ? 転移魔法で飛ばせばいいわけだろう?」
「いえいえ、必要ですよ! だって、こっちのほうが雰囲気出るじゃありませんか! いかにも押しかけ女房って感じがするでしょう?」
クラルテは至極真剣な表情でそんなことを言ってのける。本人、まったく悪びれる様子がない。
「……今からでも実家に帰るか?」
「絶対嫌です!」
ニコリと押しの強い笑みを浮かべるクラルテに、俺はまたもや苦笑してしまった。
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